5話 久方ぶりの・・・
ゆっくりと歩を進めるアマトとフィリア、休憩を挟みながら着実にコーロニアに近付いている。
そうして三回目の休息に入った時だった。
「……伏せろ!」
それまで聞かなかったアマトの怒声に驚いたフィリアだが言われるままにしゃがみ込む。一瞬遅れて後ろの木に矢が突き刺さる。
姿が見えないがおそらく野盗や追い剥ぎの類だろうとフィリアは推測する。
続けざまに矢が襲い掛かるが矢の来る方向が分かっていれば何とか避けられる。
フィリアにとってこういった経験は初めてではない。今より大人数で追い回されたことも何度かあるし致命傷寸前まで追い詰められたこともある。
アマトのこういった状況に陥ったことはあるのだろうか、死角になるように木の後ろに体を隠している。
「なんでこんな時に限って襲ってくるかな?まったくはた迷惑な」
「言ってる場合じゃないでしょう!?」
「えー?焦らずゆっくり行きましょう、とか言ってたのは誰だっけ?」
先程の鬼気迫る声から打って変わって軽口をたたきだすアマト。切り替え方がおかしいんじゃないかとフィリアは思うがとにかく余裕がない。
「状況が状況です!私が守ります!だから走って!」
「あらやだ格好いいね!」
そこで会話を打ち切り二人は走り出す。コーロニアまでどれほどの距離があるのかは不明だったが、人が集まる場所に逃げ込めれば何とかなるだろうという希望的観測だが、現状それ以外の手が思いつかなかった。
しばらくして逃げ切る。後ろから追ってくる気配もない。危機は去ったはずだがうまく行き過ぎてはしないだろうかとフィリアは不安感を抱いた。そして残念なことにその不安は的中する。
「おやまぁ、囲まれちゃった」
『待ち伏せ』単純にして明快、二人は誘い込まれていた。いかにも盗賊然とした風貌の五人の男。そのなかでもとりわけ図体のでかい男が前に出てくる。
「ありがちなことを言うが金目の物を置いて行ってもらおうか、そうすりゃ命までは取らねえぜ」
「うわぁ…また典型的な」
それでもまだ余裕といった態度を取るアマト。
「もう一度言うぞ金目の物だけのこして」
「やだ」
相手は呆気にとられたがすぐに周囲の連中は顔を合わせ高笑いしている。
一方のフィリアは悟られないようにしていたが焦っている。
(アマトさん!もっと言葉を選んでくださいよ!)
(やだ)
(何でですか!?)
(顔が気持ち悪い、ムダ毛が気持ち悪い、声が気持ち悪い、ぜい肉まみれの毛虫じゃないか。あんなのに屈するのは御免だよ)
フィリアには理解できなかった。命の危機に際してなぜこんな態度がとれるのか。だが亜人としての直感がそうさせたのか何となく口調から感じ取った。アマトはこの状況をそもそも命の危機だととらえてない。そして近くにいるフィリアだけが外套の下で右手に刃物を握っていることに気付いていた。
「そうかよ!」
三度目は無いと言わんばかりに手に持っていた短刀でアマトに切りかかる。
その瞬間アマトは隠し持っていたナイフを敵の頭へ投げつけた。
だが予想されていたのかナイフは弾かれ地面に刺さる。
フィリアに動揺が走る。自分ではこの窮地を脱する策が思い浮かばない以上アマトに頼る他なかったのだから。
弾いた相手は下賤な笑みを浮かべながら短刀をアマトの顔面目掛けて突き刺そうとする。
「ハイ、残念賞」
その切っ先はアマトの顔を抉る寸前で静止した。
「お、お頭……?」
不審に思った部下の一人が体に触れる。次の瞬間頭領の男の喉裏から何かが飛び出し部下の腹部を貫いた。同時に頭領の男は前のめりに倒れ動かなくなる。
それが何なのかを誰も理解できなかった、アマトを除いて。
「い、あ…があああぁぁ!!」
再びその『何か』が部下の体を抉り出し、激痛に耐えかねた部下の男は絶叫する。血で紅く染まっていたが形状から弾かれたはずのナイフだとわかった。しかしそこまで、何故?どうやって?その答えはフィリアにはもちろん周囲の誰にも出せなかった。
「あぁ醜いなぁ。蛆の群れの方が鑑賞に堪えうるよ」
「あの……」
「いくぞ。こんな連中の相手にかまけていられない」
「あ、アマトさん?」
それまでアマトが見せなかった新たな一面である無慈悲さに動揺しうっかりと名前を口にしてしまうフィリア。それはフィリアとは別の動揺を相手にもたらす。
「あ、アマト……?」
その三文字が誰を指すのか、野盗に至るまで広く知られている。そして連中は理解してしまった。
それからは仲間を殺された怒りよりもこれから殺されるという恐怖が勝った。
そうなってしまえばどれほどの数であろうが最早烏合の衆でしかない。
「はぁ……逃がしてやるつもりだったが予定変更だ。この木偶四匹を消すぞ」
「……はっ、はい!」
その日、フィリアは久方ぶりに人間を殺すことになった。
☆☆☆
太陽が沈み始める頃、林道を抜けた先に石で造られた壁が見え始めた。
「あぁ見えてきた。間違いない、コーロニアだ」
「はい、私が見たのもあれでした」
とりあえずの目的地に到着したからなのか自然と肩が軽くなるように感じた。
そのままコーロニアの入口へ向かう二人。しかし入り口には衛兵らしき男が三人。コーロニアは街に入る際に専用の許可証が必要になるのだが当然二人がそんなものを持っているはずがない。
何とか入るための交渉をする必要があるが、ああして見張りがいるだけでフィリアには近づき難くなる。それならとアマトが三人組に向かっていく。
「………………で頼む」
「……だ…………す」
遠くで何を話しているかは聞き取りづらかったが、戻ってくるアマトの様子から良い返答がもらえたらしい。
「物分かりの良い若者で助かったよ。さぁ行こう」
「わかりました」
アマトに着いていくフィリア。入口の門を通るときに肩が軽くなるのを感じた。 ついに辿りついた久しぶりの街。フィリアにとっては物をくすねる場所でしかなかったので実質初めてといってもいい。
コーロニアに入ってまずフィリアが抱いた感想は『普通』だった。ありきたりというか、特筆すべきものが何一つないのである。街並み、人の服装、露店の賑わいまでどこかで見たようなものばかりだった。しばらく歩いてみて分かったことだが、街の造りまで普通だった。肯定的に捉えるならば奇を衒わずに居住性を高めているということなのだろう。
そのためか、夕暮れ時で歩く人の数はそれほど多くは無いこともあってか、その中で黒い外套を纏った二人組は周りからは浮いて見える。
(アマトさん、このままのカッコは目立ちますよ……)
(少し我慢しろ、すぐに衣服は用意するから)
周囲の人から奇異の目で見られることにはなれているが決して心地よいものではないので早く何とかしたいと思うフィリアだった。
閉鎖的な街なのだろうか、二人に一人は自分たちを振り返っている。やはり黒い外套は目立つだろう、たとえそれ以外の衣服を揃えられていたとしても。
(やっぱり血の匂い消えてないのかな……?)
道中の川で洗った手を鼻に当てながら少々見当はずれな疑問を浮かべたフィリアだった。
コーロニアに辿りついてから二時間ほどが経った。日も沈み、通りにはしんとした静寂が広がっている。しかし未だアマト、フィリアは歩き続けている。
「アマトさん、まだ着かないんですか?」
「焦るな、あと少しだ」
このやり取りはすでに十回以上繰り返され、フィリアの足腰は限界にきている。
目的地は宿であるということだけ聞かされているが、いい加減早く見つかってほしいものだと心の中で呟いた。
「ああ、見えたよ。あれだ」
歩き疲れで足下を向いていたフィリアだがその言葉でようやく前を向きなおす。アマトが指さした場所は想像していた所と大して変わらなかった。コーロニアの風景に完全に溶け込んだ、歩く言えば無個性な宿。
もちろん宿なのだから派手な見た目ならよいというわけではないし、贅沢を尽くすつもりも毛頭ないがフィリアは宿と聞かされて過剰な妄想をしていたのか肩透かしを食らったような顔をしている。
「どうしてここなんですか?」
だからなのか単純に質問をした。道中にも似たような建物はあった。おそらくそれらも宿だろうに、何故この宿を選んだのか。
「いや、単純に金がないから」
「ええ!?」
思わず大声を出してしまう。
(ああ、そっか。漂流してたからお金なんて無いのか……あれ?)
それまでの経緯を思い出しながらお互い貨幣など所持しようがないことに気付く。しかしまた別の疑問、だったら野宿を選ぶべきだったのではないのか?
そんな思考を読み取るようにアマトが説明する。
「今から3年ぐらい前だったかな、この宿が建てられるときの資金繰りに手を貸してやったことがあってね、いざというときに宿の一つでも抱え込めばと思っていたけどまさかこんな風に使えるとは考えもしなかったよ」
妙に上機嫌に説明を続けるアマト。
「要するに無料で泊まらせる」
「……素敵です!」
真顔でとんでもない会話をする二人。先に入ってくれとアマトがフィリアに頼むとそれを了承し、宿の扉に手を掛ける…時にはっと気が付く。
何と挨拶するべきなのか。
対人のコミュニケーション能力など今まで全く必要とされずに生きてきたフィリアにとって一つの鬼門だった。アマトとの会話では相手からの受け答えで成り立った面が大きいことと知っていた相手で会ったことが幸いしたが今回は違う。全く知らない相手に自ら話しかけていかなければならない。
アマトに助けを求めて振り返る。しかし伝わらないのか、見守っているよと言わんばかりに満面の笑みを浮かべている。
(なんて優しい笑顔してるんですか……)
期待されているのかは分からないが、その笑顔には裏切りたくないと思わせる何かがあった。
もうどうにでもなれ。そんな心持で扉に手を掛ける。
「ごめんくださいませぇ!」
残念なことに緊張を無理やり断ち切ったため結局アマトとの対面の勢いを再現してしまったフィリアだった。
「…………うるさい」
フィリアの勢いのせいか、それとも素でこうなのか、出迎えた受付嬢は非常に不愛想だった。
だがしかしそれすらも絵になる美しい容姿をしていた。ゴシック調の洋服に似合うまっすぐ伸びた腰まで届く黒髪、見る者を惹きつけるように透き通った黒い瞳、右目を眼帯で覆っていることすら外観に取り込まれ、まるで人形のような魅力を持つ女性だった。
「ここ……」
「え?」
「……名前」
「は、はい」
受付に置かれた帳簿を指差して名前を書くように勧められる。
外套に身を包んだ女を訝しむことをしない辺り、どうやら相手もあまり他人7と話し込む類の人間ではないようだ。フィリアとしては非常に助かる。
「……あの、字が書けません」
またも失念していた。まともな教育を受けていないのだから字を書けるはずもないのだ。
「…………」
「ひぃ、もう一人連れてきますから……」
受付嬢がにらみつけてくる。殆どフィリアの被害妄想の様なものだが無言の圧力とは怖いもので血の気が引くほどの恐怖を継続的に味わった。
結局外で待っているアマトを連れてくることになる。
「悪かったよ、記帳のことを忘れていた」
「お、お願いしますね、宿の方が怖くて……」
つい先ほどからの威圧感が離れないのか、アマトの高身長に隠れて逃れようとするフィリア。
それに構うことなく宿屋の扉に手を掛け、
「あっ、心の準備が」
「いや知らないよ」
一気に扉を開けた。
「すまない、連れが迷惑をかけ……」
「記帳し…………」
外套を脱ぎながら受付嬢に話しかけるが、言葉の途中で静止する。一方の受付嬢もまたアマトを視線にとらえて瞬間に目の色が変わった。
「貴方……」
「だだだだれか人違いじゃないかな。あ、あは、あはははは」
笑い声をあげるがその引き攣った顔を拝めばその場にいる誰が見ても虚飾だと分かる。
「あの、お知り合いなんですよね?」
疑問ではなく確認である。さんざんこの宿の説明をして会話の内容が全く違うのだからフィリアも困惑気味だ。
「ううん?全然初対面」
「…失礼、私の夫がそっくりだったから……」
「おい!?婚約者だろうノルン!?」
「……」
アマトとノルンと呼ばれた受付嬢の会話を聞いて理解した。二人は知人なのだと、そして今アマトは自分を隠しているため本人だと悟られたくないのだと。
しかし手遅れなのではないか。
「あ……いやいやいやいや、実は僕も君にそっくりな知人がいるんだよ」
「名前」
「…………世界は広いよ?」
会話の合間合間にフィリアに目を向けるアマト。その目には「うまくごまかしてくれ」と書かれていた。
「そ、そうですよ。きっとだれかのまちがいです」
「お前には聞いてない……」
ひどい棒読みで演技をするが当然通用しない。むしろ余計に心証が悪くなったのではないだろうか。
「……もういい」
「え、いいの?」
「……階段を上がった一番奥の部屋」
諦めたのか、それ以上追及せずに一室の鍵を手渡そうとするノルン。
だが、フィリアにはノルンが瞳の奥に悲しみを押し殺しているように感じた。なぜかと聞かれれば女性の勘としか言えないのだが、フィリアはその直感に従った。
「アマトさん」
「ちょっとぉ!?」
「もういいじゃないですか。人を悲しませてまで隠す必要はないでしょう?」
「むぐ……」
正論を突き付けられアマトは言葉に詰まる。言い訳の言葉を考えながらもフィリアの目に折れた。
「悪かった、私だよノルン。アマト・フリューゲルだ。」
「……知ってる」
「だろうな」
お互いにため息をつきながら語り合った。
「……アマト、話をしたい」
「フィリア、先に部屋へ行っておいてくれ。」
「あ、はい!」
これでよかったのだと安心し階段に向かう。
鍵をノルンから受け取るその時、ノルンが耳元に囁いてきた。
(合格)
(え?)
その一言に疑問を抱きながら部屋へ向かう。
内装はやはり簡素だったが清潔感のある綺麗なものだった。特にベッドなどはフィリアは一生縁がないと思っていたものなので新鮮に感じた。
「……少しだけならいいかな」
そう自分に暗示するように声に出し、ベッドに飛び込むように入っていった。
「あっ……すごい。あ、すごい!」
今まで感じたことのない快感に思わず感嘆した。なるほどこれがベッドなのか、これならぐっすりと眠れそうだ。
思う存分堪能したところで冷静になりいつもの癖で思慮に耽るフィリア。
(合格って何?)
去り際にノルンから言われた言葉が何を意味するのか。アマトのそばにいることを許されたのか、それとも……
考えれば考えるほど悶々とすることになる。そうして思考に溺れ、気付いた時には次の日の朝になっていた
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