4話 提案

 満たされている。今のフィリアの心中を的確に表す言葉だった。


「それで話は終わり?」

「はい!あなたのことを知れた。それだけでもう充分です」


 アマトから威圧感が消え、それまでの温和な雰囲気に戻った。


「ならこれからはの話をしようか」

「アマトさんの……」

「あまり期待はしないでくれ、話せるのは僕がどうして君に助けられたかだけだからね」


 そう言ってアマトはこれまでの経緯を語り始めた。

 アマトが言うには海の向うにある大陸から船で渡る最中に災害に遭い船が難破、ここまで漂流されてきたという。砂浜には船の残骸のようなものが全く見当たらないためそれほど遠くの沖合で難破したということなのだろう。負っていた傷に関しては一切言及しなかったがよくも自分の大陸に辿りつけたものだ。キマイラが周囲を飛び回っていたことはフィリアの予想通り、傷の手当てができる人間を探していたため。

 そしてキマイラはフィリアを見つけたが、フィリアが逃げるそぶりを見せたことで本能的に襲い掛かったという。そこに間一髪アマトが割って入った。まさに偶然の再会だったわけだ。


「よくよく考えれば君に助けられてよかったよ。いや本当に」

「あ、ありがとうございます」

「しかし、巡り合わせってあるものだね。僕は自分の都合で利用した元奴隷に救われ、君は恩人をその手で救い自分の過去に決着をつけたわけだ」

「あ……?」


 一瞬遅れて理解したフィリア。決着をつけたといわれてようやく気付いた。

フィリアが生きる目的は今この時を持って達成されたのだ。

『この瞬間』のために生きてきたフィリアは生きるための目的を喪失してしまったのだ。


「そこで提案なんだが」

「…………」


 理解した瞬間、それまで顧みることもなかった放蕩とも言える日々が頭の中を駆け巡る。ただアマト・フリューゲル子爵と再開する日を望んで何の情報もなく人目を避けて旅を続ける。

 望んだ。故に叶った。なら次は何を望む?


「おーい」

「……………………」


 何もない。また今までの自分に戻るのだろうか、感情を殺し、誰とも知らない者の道具としてあり続けるのか、それとも旅を続け人目を避けて生き続けることが出来るのか。

 出来ないだろう。


「聞きなさい」

「あいたっ」


 負の思考へ陥りそうになったフィリアを拳骨で無理やり覚醒させるアマト。


「君が何を考え何を決めるかは自由だがまず僕の提案を聞いてからだ」

「て、提案ですか?」


「君は今これからの食い扶持に悩んでいるだろう。恩返しのつもりでも君に負担がかかりすぎたからね」

「……はい、そうですね」


 中らずと雖も遠からずといった指摘にぎこちない反応をする。


「そこでだ、僕に雇われてくれないか」


 フィリアの中で時間が止まった。

 アマトが一国の貴族である以上自身の領地に帰る必要がある。そのために人手がいるのだという。


「あの、言っていることの意味が……」

「いやそのままだよ。僕に同行してくれと言っているんだ」


 どうせ行く当てがないならどうだろう、と続ける。

 自虐的な思考に陥りやすいフィリアにとっては考えもしなかった話だ。いつまでなのかは分からないが、命の恩人に尽くすという新たな目的ができるのだから。


「でも、その、キマイラ……さんに乗っていけばすぐに戻れるんじゃ……」

「あまり目立ちたくないんだ。出来る限り徒歩で旅をしたい」

「なら亜人と旅をしない方が目立たないんじゃないですか?」

「その通りだが、僕の怪我は予想以上に深いみたいだから、いざという時の護衛役が欲しいんだよ」

「で、でも……」

「……嫌ならはっきり言ってくれないと」

「そんなことは無いです!」


 しかしフィリアには首を縦に振る勇気がなかった。自分が亜人であるだけでアマトに迷惑がかかるのではないかと危惧しているから。

亜人は人間の社会には溶け込めない。奴隷時代から身に染みている。

 そしてもう一つは、相手がアマトであっても他者を心の底から信じられないからである。だからと言って完全に拒絶することもできない。本当ならこの素直に一言「はい」といいたいのだから。


「いいんですか本当に……」

「何が?」

「だから……!」


 あまりに煮え切らない態度にアマトはため息をつく、フィリア自身もそれが分かっていながら止めることができない。他人の負担になることそのものがフィリアにとっての苦になるのだ。


「私がいるだけで周りに迷惑がかかるんですよ?爵位を持つ人が亜人なんて連れていたらそれこそ……」

「馬鹿にしてるのか?」


 さんざんに自虐を繰り返すフィリアを一言で黙らせる。先ほどの威圧感とはまた違った別の凄みがあった。


「君は大きな勘違いをしてるみたいだが、亜人一人抱え込むくらいでは僕の経歴に傷一つ付かないんだよ。それだけフラーズにとってアマト・フリューゲルの存在は大きいんだ。」

「……元奴隷でもですか?」

「全部まとめてどうでもいい。僕にはそれだけの力がある」


 その言葉はフィリアにある種の希望のようなものを抱かせる。これまでの人生でたった一人自分を一個の人格として認めてくれた人の言葉ならば心から信じられるはず。だが、それでもできない。

 アマトの言葉はすべて他者からの自分の評価に関することだった。自分に対して彼自身はどう捉えるのか?


「だったら!」


 それを知るために非常に強引な方法をとった。フィリアは自らの衣服を脱ぎ去り裸体を晒したのだ。

 その姿ははっきりと表現すると異様だった。体のあちこちに刃物や鈍器でつけられた一生傷やガイリアの奴隷の証である腹部の焼き印。醜い、痛々しい、先ずそういった感情を見るものに植え付ける。


「薄気味悪いと思ったでしょう?関わりたくないと思ったでしょう?私自身がそうなんです。」

「へえ、そんなに嫌なら消してやるけど」

「……は?」

「だからそんな傷すぐに消せるんだよ。何なら今すぐにでも」

「そ、そんなことできるわけが」

「出来るさ」


 眉一つ動かさずに言い切った。

フィリアはアマトと出会ってから何度驚いただろう。アマトがすぐに治せると言ったことには勿論驚く。だがそれ以上にアマトの態度、それは憐れみや軽蔑どころか好奇の目線ですらない。だからと言って安っぽい心配や同情でも、聖人のような慈悲でもない。


「これを見て何とも思わないんですか……」

「だからどうでもいいと言っているだろう?早く服を着ろ。そんなボロでもないよりましだ」


 言葉通り、どうでもいいのだ。だがそれは決してフィリアの存在を無視しているのではなくむしろ真逆、アマトにとってはフィリアの過去は一切気にならず、今を生きているフィリアを見ている。

アマトにその気がなくても、それがどれだけフィリアの心を救っているだろうか。


「あまりこういう青臭い言い方は好きじゃないが、君が必要だ。ついてきてくれ」


 必要だ。この一言が彼女に取って殺し文句だった。フィリアという存在が望まれた瞬間であり、心の拠り所を得た瞬間だった。


「はい……!はい!お願いします!」


 深く首を垂れる。確信を得た。昔も今も変わらずに道具としてでなく、消耗品としてでなく、命を持つ人として見てくれるのだと。それを心から理解したとき、陳腐だが目が潤み涙が止まらなくなっていた。

 契約代わりにとアマトが差し出した左手、ぼやけてしか見えなかったその手をゆっくりと、しかし確実に両手で掴み、しっかりと握りしめた。

きっと目の前の子爵にとっては急場しのぎの人員程度でしかないのだろう。それでもそう思われていていい。フィリアは

 二人の『契約』を交わした後、アマト、フィリアは旅の支度を整えていた。


「それじゃあこれからの計画を立てたいところなんだけど……」

「はい!」


 アマトの言葉を一字一句聞き漏らさぬよう集中しているフィリア。心なしか瞳は爛々と輝き、特徴的な尻尾もパタパタと左右している。


「まず僕達の目的地はフラーズ王国、我が領土フリューゲル領の中心となる街、ウィルゼールだ」

「はい!」

「しばらくは徒歩だが大きな町につき次第、馬車なり移動手段を手に入れることになる」

「はい!」

「よし、それじゃあ行こうか……といきたいんだけど1つだけ聞いてもいいかな?」

「はい?」

「ここどこ?」


 今からフリューゲル領へ向かおうとした矢先にこれである。前途多難としか言いようがない。

 つい先程信頼を誓ったフィリアもこれには反応に困った。「なんで知らないんだ!」と批判するにしても自分も知らないのだ。


「地図とか持っていないか?」

「いいえ、露店に出ているのを見たことがないので……」


 盗めたことは無いです。という言葉は口にしなかった。


「だったら近くの街や村の名前を憶えていないか?」


 何とかフィリアの記憶から現在地を把握しようとするアマト。だがフィリアは亜人である関係上迂闊に人前に姿を見せられないため人の集落は避けてきたのだ。町に入るときは商店から食糧や薬用品をくすねる時だけだったため、町の名前など一々憶えてはいない。

 そもそも、フィリアは字が読めない。これは彼女に限ったことではないが自然の中で集落を作る亜人の識字という概念はほぼ浸透していない。というよりは失われていったという方が正しいだろうか。


「ごめんなさい……」

「ああ、まあそれなら仕方ないさ。取り敢えずその街に向かって」

「あ、でもこんな文字が近くの街にありました」


 そう言ってフィリアは指腹で砂浜に文字を綴っていく。五文字の単純な形の文字だったため詰まることなく描いていく。


「コーロニアか!」


 三文字目の途中でアマトが声を上げる。


「あ、あの、もしかして不味かったですか?」

「いいや最高だ!」


 そういうのが早いか周囲を見渡し、フィリアの様に砂浜に地図を描き始める。


「ああ間違いないこの砂浜、この林道、とすれば北はあの方角だな。コーロニアまでの距離は…………」

「あの……アマト様?」

「ああフィリア、少し考えを整理したいから君はその間コレを自分の採寸に合わせておいてくれ」


 アマトは袋からある物を取り出しフィリアに投げ渡した。

フィリアが受け取った物は黒く染められた外套、アマトがつけていたものと同じ代物だ。


「えっと……どうしてコレを?」

「ザンドラ経由が最短距離だが安全面を考慮すると……」


 フィリアが質問するがアマトは思考の海に潜ってしまっている。仕方なく言われるままに着替え、余った部分は適当な長さにナイフで切り揃え、ちょうど足だけが見える採寸になった。

 試しに着てみてなるほどと思った。この外套は頭まで覆える形に出来ている。亜人の特徴的な耳を隠すには最適だ。

 アマトもまた同じ外套を着ている。目的上仕方がないとはいえ端から見れば怪しいことこの上ない二人組である。


「よし、これで行こう」

「決まったんですか?」

「ああ、まずはコーロニアに向かおう。その後で詳しく説明するよ」


 フィリアはその言葉に従い荷物を整理し再度支度を整える。一方アマトは放置していたキマイラに触れ何か小言を呟いている。

 不思議そうにフィリアが見つめていたが、突然キマイラの体が青白く光り始める。何事かと構えるが、徐々に強くなる光に堪らず目を覆う。目を開いた時、あの恐怖を誘う怪物の姿はどこにもなく、代わりに見えるのは五匹の動物。


「あ、あの…何が起きたんですか……?」

「ん、あぁつまりその、キマイラを分けた」


 二重の意味で適当な表現だ。現れた動物は犬二匹、鳥、蛇、ライオン。

確かにキマイラのそれぞれの部位に相当しているが、もう少し具体的な説明はないのだろうか。


「いいと思いますよ。目立たなくなるだろうし」

「……君意外とスゴいんじゃないのか?」


 驚き続きですでに感覚が麻痺しているのか追及することを止める。よくも悪くもこのフィリアの順応性はアマトには好印象だったらしい。


「じゃあ君達、先行して道中の安全確保。問題がなければコーロニア近郊で待機だ」


 指示としては難解すぎるのではないかとフィリアは感じたが、しっかりと意思をくみ取ったのか一目散に林道へ向かいすぐに見えなくなっていく。


「さて、僕たちも行こうか」

「あっ、はい!」


 その光景に見入っていたフィリアだが、アマトの一言で我に返る。準備も整い、いよいよ出立する。

 いよいよその一歩を踏み出すのだ。そうフィリアが感慨に浸っているとアマトは全速力で走り出した。


「ちょっと!?アマト様!どうして走り出すんですかー!」

「よく言うだろ『善は急げ』と、それに倣ってるだけだよ!」


 慌ててフィリアが追いかける。思い描いた通りの旅になるのだろうか、そんな一抹の不安を抱きながら。

 しかし、すぐに追いつく。アマトは胸を押さえてうずくまっていた。


「ま、まずい、傷が開く、開いちゃうっ……!」

「だから言ったんですよ!ゆっくり慌てず行きましょう、ね?」

「ああうん、そうしよう。僕は怪我人だった」


 うっかりしていた、と軽いことのようにアマトは言うがフィリアからすれば冷や汗ものだ。こういった行動は抑えるようにとフィリアは頼んだ。

 フィリアに言われるままに、今度こそ二人はフリューゲル領へ向けての歩みを始めた。


「あ、それと様付けは止めてくれるかな」

「は、はいアマト子爵!あ、駄目だえーと…………アマト……さん」

「それでいいかな」

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