3話 目覚め
けがの応急処置はやれるだけのことをやった。使える薬草は使い切り、体中包帯だらけでミイラのようの身なりになったが傷も何とかなるだろう
あとは横にして休ませるだけなのだが、その場所に難儀していた。林道に戻っても都合よく洞穴や空き家が見つかる保証はないが、かと言って夜風に当たり続けるわけにもいかないし小屋はあまりに古くフィリアの力では入り口も開けられない。どうするのが最善なのか悩んでいると小屋の方向から何かが壊れるような音がした何事かと振り返るとあの怪物が錆び付いた入り口を力ずくで破壊していた。
この瞬間確信を得た。あれはもう敵意を持っていないと、そうと分かれば恐れることはない。
早速小屋の中を調べる。だが一歩目を踏みしめただけで大量の埃が舞った。一抹の不安を覚えながらも中の印象としては随分と簡素で最低限のものしか置かれていなかった。寝具、使い切った明かり、小さめの棚に食器類、料理台、そして机。なぜこんな家のようなつくりなのか。
その疑問は後回しだった。埃だらけの部屋では静養も何もあったものではない。とりあえず寝具の周りの汚れだけ取り除き、残りは明日の朝からすればいいと考えたフィリア。アマトを寝具まで運び横にする。
終わった。振りかえれば、今までの人生で最も長かった夜だった。怪物に襲われたかと思えば命の恩人にまたしても救われ、その次に自分が命を救った。少女が抱きがちな幻想だったが、運命や巡り合わせというものを感じずにはいられなかった。
明日は早くに起きて、この人に寄り添うんだ。自分のことを憶えていなくてもいい、ただ自分が伝えられるだけのことを伝えたい。
これから起きるであろう出来事に心を躍らせながらも色々な疲労が限界まで達したのか、フィリアは倒れるように眠りについた。
☆☆☆
海鳥の鳴き声でフィリアは目覚めた。まだ夢醒め遣らぬ面持ちだったが、料理台の方から音がするのが聞こえた。まさか火事なのではないかと思い振り返ると、
「ああ、起きたかい?」
「……え?」
エプロンを着たミイラが家事をしていた。
「もう食事は出来ているよ、といってもそこら辺の果物からとった有り合わせだけどね」
「え……えっ?」
あまりに予想外の光景に目を疑う。あれだけ大けがをした人がそんなすぐに動き回れるものなのか、そもそもなぜ料理をしているのか。しかし、昨夜小屋を見つけた時と同じ、何度目をこすっても目の前の景色が変わることは無い。
間違いなくアマト・フリューゲルだ。悪い意味でははないが、何か拍子抜けした気分だ。
「あ、あの!」
「はい?」
心がそわそわして落ち着かず、どこか微妙な空気を変えようとするが何を話せばいいのか、こういったことに慣れていないフィリアは言葉に詰まった。
何を話しかければいいのだろうか。というか、本当にこの男はアマト・フリューゲルなのだろうか、昨日からあれだけ確信を持っていたがここまで平和な表情をした男が戦場で剣を振るえるのか、頭の中が滅茶苦茶になり、思考がどんどんと明後日の方向に向かっている。
「あのー?」
「ひゃい⁉なんですか急に!」
「え、いや、ごめんなさい」
「あっ、いやえーと……」
長考が過ぎたのか、顔を覗き込まれ反射的な反応をしてしまうが謝られてしまう。その態度がさらにフィリアを焦らせる。こうなってしまっては相手がアマト・フリューゲルであるかどうかは二の次だ。兎に角話をつなげなければ、そう言って口を開く。
「命の恩人でしゅ!…………」
「…あっはい。ありがとうございました。僕はアマトといいます」
完全にやらかした。赤っ恥どころの騒ぎではない。アマトと確かに名乗ったのは聞こえたがその話題にシフト出来ないほどに気まずさが修正不可能な状態に陥っている。
「えっと、とにかくまずは食事をどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
そんな姿を見かねてか、アマト側から話を振られた。完全に意気消沈し、ただただ厚意に甘えることしかできない。
人生は思い通りにはいかない。今まで当たり前だったことを奇妙な形で再確認させられるフィリアだった。
まだ疑問は尽きないフィリアだったが料理を勧められ以上、好意に甘えることにした。
「介抱してくれたお礼だから遠慮せずにどうぞ」
「戴きます……まっず!」
真っ先に出た感想がそれだった。失礼の極みだったが本心から出た言葉だ。咀嚼したときには特に違和感がなかったが、飲み込み、のどを通ったとき粘ついたような感覚に襲われた。
時には泥水すら啜ってきたフィリアの舌が人に作ってもらった料理を酷評するほど肥えているはずもないがそれでもこの『スープのようなもの』の味は酷いものだと分かる。悪い意味で目覚ましにはぴったりだろう。
「えーうっそだあ。これでも料理にはそこそこの自信が……まっず!」
アマトもまた同じ感覚を味わったのか、一口食べただけで咽せている。
しかし、卓を囲めば空気も弛緩されるものでお互いばつが悪そうにしていてもさっきまでの微妙な空気はすでに去っている。
「うーん果物だけでスープを作ったのが失敗かなぁ……ならこっちのジュースだけでも、こっちは大丈夫だから」
「は、はい。あ、こっちは美味しい……」
口直しにと勧められた飲料は喉越しが良く爽やかさに終始した良い意味で目が醒める味だった。
そして残るべくして残った果物スープ。明らかに2人の一食分の量ではなかった。下手すれば三日分はあるのではないだろうか
「さて、この失敗作どうしたものか……あっそうだ」
そう言ってスープの容器を持ち出そうとする。彼が何を考えているのかは分からないが、どう処理するつもりだろうか。
「どこへ?」
「残飯処理係がいるんだよ、ありがたいことにね」
しかし、昨日の今日で傷が癒えているはずがない。立ち上がりの際にふらつき倒れそうになったところをフィリアが支える。
「あれだけの怪我だったんですから無理しないでください!」
「そういえばそうだった。自分のことには無頓着でね」
もっと自愛してもらいたいと心配しながら、左肩を持ちベッドに座らせる。その過程でフィリアも隣並んで座る形になる。
(長い……)
座高だけ比べてみても二人の身長差は明らかだった。女性としては比較的高い170cmほどのフィリアと比べてもアマトは目測で200以上はある。顔を見るために見上げることになる。しかも昨日けがを見た際の姿を見る限りかなりの着痩せ型。今の容貌が『美しい』の次に似合う言葉は『長い』という表現以外にないだろう。
しばらく休み、立ち上がっても問題なくなったのか、今度こそ容器を外に持ち出していく。
「ほーらのどが蕩けそうになるスープだぞキマイラ~冷ましてあるから遠慮せず食え~」
外を見ていなかったため気付かなかったが、キマイラと呼ばれたあの怪物は入り口のすぐそばで待っていた。
思わずフィリアは身構えるが昨夜と同じように彼には従順で、触れても抵抗するそぶりはなく、言われるままに、餌としてスープに食いついている。
その姿を見ながら考える。アマト・フリューゲルという男がどんな人であるのかを、風評に違わない記憶の中にあるアマト・フリューゲル子爵は所詮一面だけなのだから。
「あの、1つだけ聞いてもいいですか……」
「んー?何かな?」
今ここで聞くしかない、そう直感した。本人の口からはっきりと答えを得たい。
「貴方は、アマト・フリューゲル様……なんですか?」
ついに言った、曖昧にすることは出来なかった。彼女が求めるその瞬間のために。
「久しぶりにその名前で呼ばれたかな」
「!じゃあやっぱり……」
「ああ、私は確かにアマト・フリューゲルだ。」
そう言った途端顔つきが変わった。顔も包帯だらけで目元ぐらいしか見えなかったが、変化しただけで放たれる威圧感も異常な程強く感じた。それまでと眼が全く違う、平然と人を殺し続けてきた眼だ。口調もどこか相手を挑発するような慇懃無礼に感じるものになる。
しかし、そんなことは自分にとってどうだっていい。やっと会えた、話せた、理解した。目の前にいるこの男はアマト・フリューゲル。道具として生きてきた自分を人として見て、手を差し伸べてくれた大恩人。
「ありがとうございました!」
やっと言うことが出来た。二年越しの感謝の言葉、ただそれだけを考え、口にしたために何とも言えない微妙な間が出来た。
肝心のアマトは突然感謝を告げられ呆気に取られている。
「……礼を言うのは私ではないのか?」
「違います!私は……」
「あの時の亜人の子だろう?」
昨日今日と何度心がざわつくのだろうか。知っていた、憶えていてくれていた。歓喜のあまり、涙が流れそうになる。
だが、それと同時に感じた違和感。なぜこのような言い方をするのか、自分のことを知っているなら感謝の言葉をかけられることに疑問を返すことは無いはずであるのに。
その理由はアマトが続けて言った。
「確かにガイリア侵攻は結果的に全奴隷の開放で決着した。だが奴隷の開放はあくまで副産物でしかない。奴隷の酷使に憤慨?ガイリアを崩すためにその情報を『利用』しただけのことをまわりが物語にまとめ上げた代物だ。君たちは私を糾弾することはあっても感謝する必要はどこにもない。私には君たちを救うつもりなど毛頭なかったのだから」
はっきりと言い放った。奴隷などどうでもよかった、ガイリアさえ消せるならば他の選択肢は十分あり得たと。君たちも諸共に叩き潰されただろうと。
「でも私は……」
思い出すことも辛いが、本当はどんな気持ちで感謝の言葉を言ったのか知ってもらいたい。そう考え、自らの過去をアマトに語り始めた……
「…………だから、今私が生きているのは貴方のおかげなんです」
生まれから今に至るまでの経緯を包み隠さず話した。自分がどのような存在として扱われていたのかを。
「へぇ」
しかし返ってくるのは淡白な感想のみ。安易なお涙頂戴が目的ではなかったとはいえ当事者の一人にそのような反応をされてしまうと二の句を告げることが出来なくなってしまう。
「ここまで話させておいて悪いが、君の過去など一切合切どうでもいい」
絶句する。これがアマト・フリューゲルなのか、フィリアが語った過去を所詮過ぎたものでしかないとして心を揺り動かされることはないと断言する。
だがフィリアは何となく感じ取っていた。この男は確かに本心で言っているが、それはアマト・フリューゲルとしての考えだ。アマトという一個人は、さっきまで見せていたどこかあどけなさを残した男としては違う言葉を言うだろうと。
「まあ、君の様に結果論で語るならば、あの時の選択は賢明だった。それは間違いない」
やっぱり。そう心で呟き、顔がにやけるのを抑えられなかった。
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