第2話 念願の理学療法士へ

 僕の名前は、志村智徳。


2007年4月2日、この年28歳を迎える僕は、今日から理学療法士として働く為、山手線の大崎駅に向かった。


僕が勤める病院は、大崎駅から歩いて10分、旧東海道の品川宿近くにある、ベッド数110床の南大崎リハビリテーション病院である。


この病院は、他にも半径50m以内に125床の救急病院、健康診断を行っている健診センター、そして訪問診療・看護・リハビリを行っている、在宅支援センターを運営している。


つまり、予防医学から救急、リハビリ、在宅まで、地域に密着した医療グループ施設である。

 

理学療法士と聞いて、どんな仕事をしている人なのか、理解している人は多くないのではないか。


簡単に説明すると、病気や怪我により、起きる、座る、立つ、歩くなどの動作が出来なくなった患者様の、再びその能力を回復させるための、リハビリをサポートする仕事である。


その他にも、骨折後に動きが悪くなった関節可動域の改善や、スポーツ障がいの疼痛緩和、高齢者の転倒予防の運動指導など、人間の動きに関する専門家とも言われている。

 

現在の病院や老人保健施設のリハビリ科には、理学療法士の他に、書字や食事などの手を使った作業の治療を専門に行う作業療法士、そして嚥下や発声のように、口腔内の機能改善を専門とする言語聴覚士が勤務している所が多い。


では、整骨院や整体で働いている人達と何が違うのか。


私達、理学療法士と同じ国家資格を持っているのだか、整骨院で働いている柔道整復師は、骨折後の整復行為が許可されており、あん摩マッサージ師は、治療を目的としたマッサージが許可され、鍼灸師は鍼治療が許可されている。


その点、理学療法士が、特別に許可されている治療は無い。


理学療法士として名のならければ、誰でもリハビリは出来るのだ。


しかし、保険を使ってのリハビリを行うには、医師からリハビリの指示を受けた理学療法士のみが行える。


その他には、整体院やカイロプラクティックなどの、保険治療が行なえない施術院があるが、それらは、国家資格には認められていない為、日本では痛みや病気に対する治療行為は禁止されている。


しかし、資格の違いだけで、体の不調を治すと云う大きな目的で考えれば、これらの職種は同業者と考えて良いと思う。


現に、イギリスなどの欧米の先進国では、専門の資格を取得した理学療法士が、鍼治療をしたり、アメリカでは理学療法士がカイロプラクティックの手技を行ったりする。



 南大崎病院に入職した理学療法士と作業療法士は、まずは南大崎リハビリテーション病院に配属となり、約1~2年の間、先輩の指導を受けながらリハビリの基礎を勉強する。


その後、救急病院とリハビリ病院、そして訪問リハビリを半年ごとにローテーションして回っていく。


今年、この南大崎病院グループに入職した理学療法士は自分を含め5人であった。


その他に、作業療法士が2人と、言語聴覚士1人が加わり、リハビリ科は総勢24人となった。


リハビリ科の人数としては、品川区内の病院で4番目の大きさとなった。


初日は、南大崎病院グループ合同の入社式を行い、各病院・施設の院長や所長から、激励のお言葉を頂いた。


そして、この日の午後は他部署に挨拶周りをし、残った時間はリハビリ室にて電子カルテの使い方や、リハビリ室内の説明を受けて1日が終わった。


2日目は、朝から新入職者対象の健康診断を受け、午後からはリハビリ病院にて、先輩たちの治療の見学となった。


現在、南大崎リハビリ病院に配属されている理学療法士は、療法士歴11年目の係長と6年目の係長補佐、そして4年目が3人と、3年目と2年目が1人ずつで、合計7人の理学療法士が約100人の患者様のリハビリを行っている。


従って、1人の理学療法士が1日に担当する患者様の数は、10~14人であった。


患者様のリハビリ時間は、状態によって1単位(20分)から3単位(60分)行うので、1人の理学療法士が2人以上の患者様を同時にリハビリすることも少なくなかった。


この病院では、新人教育プログラムとして、1人の先輩理学療法士が1人の新人を面倒をみる、スーパーバイザー制を取っていた。


自分のスーパーバイザーは、長津さんと云う、6年目の係長補佐であった。


長津さんは、コンピュータープログラマーとして、ゲームの開発などに携わる職に就いていたが、24歳の時に理学療法士の学校に通い、自分と同じ27歳で理学療法士となった33歳の男性である。


 2日目の午後は、長津さんが担当している患者様のリハビリのお手伝いをすることから始まった。


この病院は、12時から13時までがお昼休みとなっており、13時になると、先輩たちが一斉に患者様のお迎えに行く。


基本的に、患者様のリハビリ室への送迎は、ウエルネス課と呼ばれる介護士の方達が、30分間隔で行ってくれるのだが、朝と午後一番は、リハビリ科のスタッフが自分達で行うことになっている。


 自分も長津さんに付いて患者様のお迎えに行き、患者様の車いすへの移乗介助を行った。


その後も、先輩の指示通りに、患者様の関節可動域練習や筋力トレーニング、歩行練習のお手伝いもさせて頂いた。


入職して1週間が経過すると、スーパーバイザーが担当している患者様から3人を選び、自分が担当していると想定し、リハビリプログラムの作成とそれを実際に実施し、リハビリカルテの記入までを行う事になった。


想定なので、今まで通り、先輩の監視下で患者様の送迎をし、先輩の横でリハビリを行い、カルテも自分が書いた下書きを先輩に渡し、許可が出てからカルテに書く。


要するに、まだ患者様の担当になった訳ではないと云う事だ。


何故なら、まだ私たちは理学療法士ではないからだ。


 2月に国家試験を受け、3月に学校を卒業し、4月1日に就職となったが、国家試験の合格発表は4月17日なので、合格発表があるまでは、まだ理学療法士と名乗ることが出来ないのである。


法律上、理学療法士は名称独占なので、国家資格も持った人間しか理学療法士と名乗る事が出来ないが、医師や看護師のように、業務独占ではないので、理学療法自体は資格を持っていなくても誰でも出来るのである。


従って、今の私達は、先輩理学療法士の指示の下、理学療法を行っているだけで、患者様に担当理学療法士として名乗ることが出来ない状態なのである。

 

国家試験の問題は、試験の時にその場で回収されるが、試験翌日の朝刊に試験の回答が公表されるので、答案を覚えている範囲で自己採点することが出来る。


60%以上が合格だが、自己採点の結果85%以上の正解率であったので、一応合格圏内に入っていた。

 

 そして4月17日、運命の合格発表の日、係長が10時に厚生労働省のホームページにアクセスし、今年南大崎病院リハビリ科に入職し、国家試験を受けた7人の合否を確認した。


10分ほどして、普段、笑顔をあまり見せない係長が、さらに険しい顔つきでリハビリ室に戻ってきた。


そして近くにいた4年目の先輩に話し掛けた。

「だめだった」


どうやら、作業療法士の1人が、不合格だったようだ。


作業療法士は2人の女性が入職した。


2人とも年齢は22歳で、1人は4年制の大学を卒業した中山さん、もう1人は3年制の専門学校卒の石山さんだった。


石山さんは、1年留年をしている為、入職時の年齢が中山さんと同じであった。


不合格になったのは、専門学校を卒業した石山さんであった。


留年した専門2年生の時は、病院実習で、病院スタッフとコミュニケーションが上手に取れず、実習を途中で中断してしまった。


その場合、もう一度、その学年を始めからやり直さなくてはならないので、作業療法士になるのを諦め、退学を決意したが、担任の先生に励まされ、何とか卒業することが出来た。


しかし、ここにきて2回目の挫折となった。


この日のお昼休み、新人全員が係長に呼び出され、合否の発表をしてもらった。


喜ぶ6人とは裏腹に、石山さんだけ暗い顔をしていた。


石山さんはこの日の午後は早退し、明日の朝、院長と面談をして今後について話し合う事になった。


今後の事とは、資格が無い以上、明日付けで退職となってしまうが、明後日から、当院のリハビリ科助手として、非常勤で残ることができる。


それが嫌なら、この病院を去るしかない。


 翌朝、自分はいつものように早めに出勤し、誰も居ないリハビリ室で電子カルテを見ていたら、石山さんも早めに出勤してきた。


合格発表の前から、自分はもしかしたら落ちているかも知れないと、相談をされていたので、気まずい雰囲気にはならなかった。

「現実は厳しいね」


そう、声を掛け、作業療法士の合格率が昨年に比べ、10%近く低下していた事も伝えた。


「いや、自分の勉強不足です」


 落ち込んでいると言うよりかは、前向きになっていたので、少し嬉しかった。


今後の事を聞いてみたが、昨日は作業療法士になるのを諦めて違う道に進むことを考えていたけど、昨夜、担任だった先生から電話が来て、諦めるなと励まされたので、来年、もう1度だけ国家試験を受ける事にしたようだ。


しかし、この病院には残らず、家の近くにある、自閉症や発達障害のお子さんが通う放課後等デイサービスで、リハビリ助手として働きながら勉強をする事に決めていた。


 自分も高校を卒業してから、動物に携わる仕事がしたくてニュージーランドに渡り、牧場で1年間住み込みの仕事をした。


そして、大学に入り動物学の勉強をしていたが、このまま大学を卒業して学位を取っただけでは、動物園の飼育員には成れない現実を知り、道を変えることにした。


元々、パワーリフティングと呼ばれる重量挙げの一種を趣味でやっており、その友人からトレーナーになったらどうかと誘われたので、専門学校に通いパーソナルトレーナーの資格を取得した。


しかし、いざスポーツトレーナーとして働こうと準備をしたが、自分の語学力の未熟さが原因で顧客を確保する事が出来ず、生活をしていく事が厳しくなった為、日本に帰国することにした。


そして、日本の専門学校を卒業して理学療法士になった。


今までの人生は挫折の繰り返しであったが、チャレンジする気持ちは忘れなかった。


私たちの仕事は、病気や怪我により挫折した人達や、一生治らない後遺症を抱えた方達のリハビリをすることがあるので、同じような境遇とまではいかないが、悲しさや辛さを少しでも多く経験したことがある人の方が、患者様の気持ちを理解し、支えてあげられるような気がする。


 この状況では、慰めの言葉より、今の石山さんの前向きな姿勢に励ましの言葉を伝えた。


「病気と一緒で、誰も経験したいと思わない国家試験不合格を味わった石山さんは、弱い人の立場をよく理解できる、素晴らしい作業療法士になると思うから、お互いたくさん勉強して、人から頼られる立派なセラピストになろうね」


「ありがとう」


下を向いて頷いてくれた。


それが、石山さんと交わした最期の会話となり、この日の午前中には、院長と係長との面談を終え、南大崎病院を退職して行った。

 

 そして残った新入職の6人は、晴れて理学療法士、作業療法士となった。

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