第4章 *8*

 一瞬の間に起こった出来事から我に返った一同の視線を集めたサミルは、ホッと息をついた。

 ダグラス王が部屋に入ってきた瞬間から、ラエルの想いが大波のように押し寄せてきて、動かずにはいられなかったのだ。

 それを全部伝えきることができ、言い知れぬ達成感に満たされる。が、それと半比例して、身体から勢いよく力が抜けていった。

 かくんとひざを折ったサミルを倒れないように抱きとめたのは、ダグラス王だった。

 無言のまま抱き上げると、先ほどまでとは打って変わって、しっかりとした足取りで歩み出で、サミルの身体をセオに託した。

「今まで長い間、すまなかったな……リゼオス」

「――っ!?」

 一度も会話を交わしたことのない父親に頭を下げられ、セオは驚き、戸惑った。

「お、俺は別に怒ってないから……いきなり謝られても困る……」

「そうか……」

 ダグラス王はどこか寂しげな表情を浮かべながら、初めて息子の頭をポンと優しくでた。そしてセオも、無言でそれを受け入れた。

 過ぎてしまった時は二度と取り戻せないが、これからはゆっくり向かい合っていければいい……二人はひそかにそんな想いを抱き始めていた。

 それから、ダグラス王はリリシアの前でひざまずくと、先ほどラエルが消えた後に残された紅い宝種ほうしゅを、指輪に見立てて差し出した。それはまるで、求婚する時のように――。

「キミにも、長い間たくさんの迷惑と心配をかけてすまなかった。こんな私でよければ、どうか、もう一度、一からやり直してくれないだろうか?」

 リリシアはその言葉を驚きと共に受け止めると、やがて少女のような笑みを浮かべて「はい」と頷いた。

 そこへきて、ヴァンゼスがコホンとひとつ咳払せきばらいをした。

「というわけで、そろそろ本題に入っていいかな? 俺がはっきりさせたかったのは、今年の『託宣の種』の内容のことなんだけど……」

 その言葉にはじかれたように、セオがヴァンゼスをにらみつける。

「ヴァン兄上! 今日これ以上、サミルに力を使わせるのは……」

 しかし反論するのを止めたのは、セオに支えられて、ぐったりとしていたサミルだった。

サミルはまだ少しぼんやりしている頭を軽く振って、顔を上げると、

「私は大丈夫。それをするために、ここへ来たんだもの。ちゃんとやり遂げるわ」

 まだかすかに揺らぐ己の体にむちを打つようにして、両足に力を入れて立ち上がったサミルは、シェルスから事前に受け取っていた『託宣の種』を取り出した。

「……お前っ!」

 サミルが手のひらに乗せたその薄紫色の小さな種に、全員の視線が集まる。

 ずっと探していた種がそこにあったことに、リリシアは驚き、かすかにうめいた。

「なぜそれを……」

 王妃の問いに答えたのは、ヴァンゼスだった。

「俺が彼女に渡したんですよ、母上」

「ヴァンゼス、どうして貴方がそんなことを? もし『託宣の種』が貴方を次の王に選ばなかったら……」

「俺は別に、選ばれなくてもいいと思ってたんだ。もちろん、選ばれたなら責任を持ってそのにんまっとうする覚悟はできているし、リゼオスが選ばれたなら、全力で補佐しようとも考えている。俺はただ、本当の内容が知りたかったんだ」

「ヴァンゼス……貴方、そんなことを……」

「まぁ、俺にはそのどちらの資格もないかもしれないけどね……。さて、そんなわけで、そろそろ『託宣の種』を――」

 ヴァンゼスの視線を受け止めたサミルは小さく頷くと、そっと目を閉じ、手の上の種に向かって呼びかける。

 芽吹かせる方法は、『託宣の種』であろうと、普通の想いの種であろうと、大して変わらないことを、サミルは無意識のうちに理解していた。

(ウェール国の民に伝えたき想いを込められた種よ、その想いはサミル=シルヴァニアが責任を持って伝えます――)

 唱え終えた瞬間、それは唐突に起こった。

 パンッと弾けるような音と共に、まばゆい光をともなって小さな種が芽吹いたかと思うと、その芽はみるみるうちに茎を伸ばし、青々とした大きな葉を広げていった。

 やがて、サミルの顔の高さまで成長したそれは、先端に大輪たいりんの花を咲かせた。

 四枚の大きな花びらはそれぞれ、紫、みどりあか、黄――詩樹大陸しきたいりくに存在する四つの国に降り立ったといわれている詩樹鳥しきちょうの羽根と同じ極彩色ごくさいしょく。見るものを圧倒するその存在感と美しさ、甘美かんびな香りに、全員の視線が釘付けになる。

 託宣の内容は、花から最も近い位置に広げている大きな葉の表面に、古代詩樹語によってきざまれていた。

『――トリオネス テンペスタス ノウェム プルウィア』

 サミルはその文字を読み上げながら、感覚的に意味を理解した。

「……ウェール国北部、九の月に多くの雨あり。治水事業ちすいじぎょうに努めよ」

 それは、単なる天候予知と警告だった。

 誰も予想していなかった単純すぎる内容に、その場にいた全員が呆然ぼうぜんと立ち尽くし沈黙する。

 そんな中、役目を終えた花はしぼんでいき、託宣の言葉が刻まれた大きな葉――『こと』以外はすべて、残らず空気へと溶け消えていった。

 ひらり、と言の葉が床に舞い落ちた瞬間、サミルは力尽きたように膝をついた。

 ひどい脱力感と襲いくる睡魔に耐えながら、しかしホッとしたように息を吐く。

 その時、ヴァンゼスが突然、小さく笑った。

「いや、これは笑えるな。まさかこんな内容を確かめるために振り回されていた……いや、こんなにも多くの人を巻き込んで、無駄な時を過ごしてしまったとはな……」

 灰藍色はいあいいろの前髪をかきあげながら、その紅い瞳に自嘲気味な笑みを浮かべた。

 託宣の内容が次王じおうの選定ではなかったということは、現ウェール王はまだ当分、在位するであろうことを示しており、それは喜ばしいことでもある。

 しかし、肩透かしをくらって行き場を失った様々な想いは、どこへ持っていけばいいのか。戸惑いを隠せずにいるヴァンゼスに、しかしサミルは微笑みかけた。

「でも、こんなことでもなければ、皆がこうして顔を合わせることはなかったわけですよね。だから、無駄なことなんて一つもなかったと思います」

 むしろ、サミルにとっては、得られたものの方が多い気がした。

 天涯孤独てんがいこどくになってしまったと思っていたのに、祖父に出会うことができ、まったく知らなかった両親のことを知ることができた。

 そして、何かを得られたのはサミルだけではない。

「ほら、セオだって、本当はお兄さんに会いたかったんでしょ?」

 会えて良かったじゃないと言うと、セオは恥ずかしそうに顔を背け、ねた幼子おさなごのように口をとがらせた。

 そんなセオの様子に、ヴァンゼスがくすりと笑みをこぼす。

「じゃあ、俺から先に告白するよ、リゼオス」

「……兄上?」

 その声に顔を上げたセオは、この時ようやく、まっすぐにそのあかい瞳を見つめた。

 幼き頃に見た時と変わらぬ、優しさと強さと、どこか寂しさを秘めたその瞳を――。

「本当いうとね、キミのことがうらやましかった。キミは生まれてからずっと独りだと思ってたかもしれないけど、違ったじゃないか。優しい乳母うばがいて、父親のようなガイア殿がいて、友人であり、誰よりも慕ってくれる従者であるシェルスがいただろう。しかし、私には誰もいなかった……」

 誰も彼も、王子としてしか見てくれず、ただのヴァンゼスとして付き合ってはくれなかった。王立学園アカデミーで知り合ったただ一人を除いては。しかし、その彼女もまた、何も言わずに自分の元から去っていった。

「リゼオスも俺を嫌って、どこか遠くへ行ってしまうのだろうかと思ったらこわかった。ラエル様に『生まれてくる子と仲良くしてあげて』と言われていたのにできなくて、もどかしくて、母上に何と言われようとそうすればよかったって何度も後悔しながら、結局自分では動けなくてな……」

 楽しそうにやっているとシェルスに報告されるたび、心が締め付けられた。

「その……悪かったな。こんな情けない奴だが、これからは――」

「兄上、俺もずっと黙っていたことがあります。言ってもいいですか?」

 ようやく口を開いたセオに、ヴァンゼスは驚きながらも「ああ」と頷く。

 すうっと息を吸ったのを隣で見たサミルは、もしや……と思って、セオを見つめ、確信に変わった瞬間、徐々に込み上げてきた笑いを口元を押さえてこらえる。

 そして、次の瞬間――セオの想いが爆発した。

「兄貴のバーカ!」

「なっ……」

「俺は大嫌いだったよ。なんでたまたま廊下で会っただけで突き飛ばされたり、何もしてないのにリリシア様に怒られたり……時計塔に閉じ込められなきゃいけなかったか、さっぱりわからなかったんだぞ。どんだけ俺は嫌われてるんだろうかって」

 しぼんだ花のように肩を落とし、申し訳なさそうな表情を浮かべたヴァンゼスに、セオはさらに続けた。

「それに、俺だって羨ましかった。いっつも美味そうなもん食って、色んな国に連れていってもらって、土産物を自慢するように城内のやつらにバラまきやがって! ムカついたから、いつか絶対、城を抜け出して、俺も色んなトコ巡って見返してやろうって思った」

「もしかして、それで、リゼオスは想伝局の広域配達員になりたかったのかい?」

「わ、悪いかよっ! 金も稼げて一石二鳥だと思ったんだ!」

 その話に、隣で聞いていたサミルも思わず小さく吹き出した。

「あっ、サミル、お前まで笑うか!」

「えー……だって、ほら、グランさんに『観光気分で、色んな国に行けるからとか、そんな甘い考えを持ってるならやめておいた方がいい』って言われたとき、すっごい真面目な顔してたから、きっと何かすごい理由でもあるんだろうなって思ってたのに……王子様なのに、金も稼げてとか……あははっ」

「くそっ……やっぱり言うんじゃなかった!」

 そのままクスクス笑い出したサミルに、セオは恥ずかしそうにひたいを押さえる。

「でも、俺はそれでいいと思うよ。お前らしくて」

「なんだよ、兄貴が知った風に言いやがって!」

「いや、だって、リゼオスって名前の意味にぴったりだと思ってさ」

「意味?」

古代詩樹語こだいしきごで『自由』を意味するリゼオス。何にも縛られず、どうか自由に生きて欲しい――ラエルさんはそう言ってたぞ」

「……自由に?」

「そう。で、ひとつ思いついたことがあったんだけど……。そこの従者くんがずーっと何か言いたそうにしてるから、これはまたの機会に話すとするよ」

 と、それまで黙って全てを見守っていたガイアが、ヴァンゼスの指摘を受けて、シェルスの背中をトンと押し出した。

「え、ええっ? ちょっと、師匠っ?」

「……なんだ、シェルス、お前も何か言いたいことがあったのか?」

「あ……その、これは……」

「おらシェルス、男ならちゃんと、言いたいこと言いやがれってんだ!」

 ガイアの野次やじ……もとい援護射撃を受けて観念したシェルスは頷き、そしてセオの前にひざまづいた。

「セオ様……いえ、リゼオス殿下でんか。わたくしが生涯、忠誠を誓うと決めたのは、貴方一人です。どうかそれを信じて下さいませんか?」

「……シェルス、お前」

 それでもなお、疑いをぬぐいきれずにいる様子のセオに、ヴァンゼスが付け加える。

「本当だよ。俺の誘いを速攻で断ったんだよ、その従者くん。まったく、けるね」

「そもそも疑われるような行動を取ったお前が悪いんだろうが……まぁ、その……色々と心配かけたな」

「とんでもございません、リゼオス様! この程度の心配など、昔から慣らされておりますから!」

 シェルスは今にもセオに抱きつきそうな勢いで、パッと目を輝かせた。

「昔から……?」

 サミルの問いに、シェルスは力いっぱい頷いた。

 一度、ヴァンゼスに城の外へ連れ出してもらった後、外の楽しさを知ったセオは、抜け道を見つけては、たびたび城下へと探検しに行っていたという。そして、城下街で迷子になって帰れなくなったセオを探し出して城へ連れ帰るのは、いつもシェルスの役目だったのだ。

 懐かしそうに語るシェルスに、恥ずかしそうにそっぽ向いているセオ、そんな二人を温かく見守るヴァンゼスやガイア、仲直りした王と王妃、全員が笑顔になっているのをサミルは見渡し、満足そうに微笑む。

「良かった……小さい頃のセオが独りぼっちじゃなくて……。皆の想いが、ちゃんと届いて……」

 そうつぶやいたサミルは、ようやく安心したように意識を手放したのだった――。

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