第4章 *5*

 追われているシェルスをリルカの店の奥でかくまってもらうことにしたサミルは、そこで事のいきさつを打ち明けられた。

 セオがリゼオスという名をいつわり、ウェール城を抜け出して想伝局員の試験を受けていたこの国の第二王子だということ。そして、昨日、という『高級茶』を飲んだ第一王子のヴァンゼスが倒れ、そのお茶の中から毒物が検出されたこと。

 これを知った王妃リリシアはすぐさま、セオが王家に反逆をくわだてたものとして判断して騒ぎだし、彼を拘束せよと王立警備局員に命じたのだという。

 その内容にしばし呆然としていたサミルだったが、店の方をフィラナに任せて奥へと様子を見に来たリルカは、なぜか納得げな表情を浮かべている。

「リルカさん、セオが王子だったって聞いても驚かないんですね?」

「まあね、あたしはなるほどなぁと思ってさ。彼が王子だっていうなら、城で開催された料理コンテストの内容を知っていて当然だもの……」

 リルカの言葉に、シェルスはかすかに苦笑を返す。

「セオ様は、コンテストなどの公式行事への参加を許されておりませんでしたので、その噂だけを耳にされ、とても興味をもってらしたんです」

「公式行事に参加を許されていないってどういうこと? そもそもさ、この一か月近く、城下を歩き回ってたのに、誰もセオが王子だって気付かないのは変じゃない?」

 サミルの指摘に、リルカも同意を示す。

「それは確かに! というか、ヴァンゼス様以外に王子がいたなんて初耳よ」

 田舎いなかから出てきて情報にうといサミルが知らなかったのはともかく、王都にずっと住んでいたリルカのような者ですら、その存在を知らないというのは奇妙なことだった。

 二人の疑問に、シェルスは暗い表情になり

「それは、セオ様の特殊な生い立ちが原因なのです」

「生い立ちって……もしかして、獣人じゅうじんの血が流れていることと関係ある?」

 数日前、サミルが獣人であることを知っている、とセオが言った時、彼は同時に、自分にも獣人の血が半分流れていると告白していた。

 隠したくなる気持ちはわからないでもない、と。

 シェルスは「ご存知ぞんじでしたか」とつぶやき、そして続けた。

「そうです、セオ様の母君は、城仕えをしていた銀猫兎族ぎんねこうぞくの方でした。既に正妃せいひリリシア様がおられたにもかかわらず、ダグラス王はラエル様のあまりの美しさに心を奪われ――密かに妾妃しょうひとして迎えられ、やがてセオ様がお生まれになりました」

 しかし、その事実に怒った正妃リリシアは、妾妃と生まれた子の存在を認めなかった。

 ラエルが出産後まもなく流行り病で亡くなると、残されたセオはまるで隔離かくりするかのごとく城の離れへと追いやられ、その存在も無いものとして扱われた。

 王家主催の公式行事に参加することは当然許されず、実父であるダグラス王に会うこともなく、また城の外へ出ることも禁じられていた。時には、機嫌の悪いリリシアにひどい暴力を受けていたこともあったらしい。

 そんな彼は、乳母うばとして雇われていたシェルスの母親によって育てられたものの、広い城の中、たった一人で五歳までの時を過ごしたのだという。

「ずっと一人で……?」

 シェルスは悲しげに目を伏せる。

「少なくとも、私が八歳の時初めて、母に連れられて城へ行き、彼に出会ったその時まで、彼は乳母である私の母と、ラエル様を知る近衛このえのガイア殿以外とは、口を聞いたことすらなかったようでした」

 しかし、彼が五歳の誕生日を迎えた頃、その状況を案じたシェルスの母親が、年の近い自分の息子、シェルスに引き合わせた。せめて、同年代の友を得られれば、と考えたのだろう。けれど、既に彼は誰にも気を許さず、人に与えられた友人の存在を受け入れることを良しとしなかった。

「寂しそうな瞳をしながら、セオ様はいつも『平気だ』と強がっておられました……」

 それでも、セオとシェルスは二人で一緒に、近衛のガイアに剣術や学問を教わるようになり、少しずつ成長していった。

「じゃあ、セオのお兄さん……ヴァンゼス王子はどんな方なの? 小さい頃、セオを創生の大詩樹が見える丘に連れ出してくれたことがあるって聞いたけど……」

「ヴァンゼス様は弟思いのとても優しい御方おかたです。しかし、リリシア様は、ヴァンゼス様がセオ様と会うことを一切許しませんでした。唯一、お二人が兄弟で出かけられたのは、リリシア様がご公務で他国へおもむかかれていた時でした。セオ様が生まれて初めて城の外に出られたのも、その時だったそうです」

 サミルはその話を聞いて、セオが丘の上で見せた寂しげな表情の意味に気付いた。

(きっと、お兄さんとの外出が嬉しくて、でもその時が長く続かないことを知ってたんだね……)

 短い時間ながらも、初めて見る創生の大詩樹や城の外の景色に目を輝かせ、初めて兄に貰った果実の酸っぱさに驚きながらも、とても楽しい時を過ごしたのだろう。

 彼にとって、あの丘は会えない兄との大切な思い出の場所で、もしかしたら、逢えない寂しさを紛らわすための場所でもあったのかもしれない。

「そんなお兄さんのことを暗殺するだなんて、セオが考えるわけないじゃない!」

「当然です。今回の件は、間違いなくリリシア様が仕組んだことなのですが……問題は、セオ様がその罪を受け入れようとしていることです」

 罪――王家への反逆罪はんぎゃくざいを認めるということは、すなわち死を意味している。

 その事実に、サミルは衝撃しょうげきを通り越して、怒りを覚えた。

「あいつ……人には散々バカバカ言っておいて、一番バカなのは自分の方じゃないの!」

「さ、サミルさん?」

「バカはどっちよ、諦めるの早過ぎなのはどっちよ! そんなに簡単に自分の死を受け入れてんじゃないわよっ!」

 怒鳴ったサミルの目の端には、うっすらと涙がにじんでいる。

「ずっと一人で無理してたのは……セオの方じゃない……」

(ううん、きっと、自分と同じだったから、私のことにも気付いて、気にかけてくれていたんだ……)

「サミルちゃん……」

 しかし、サミルが肩を落としたのは一瞬のことだった。何かを覚悟したように顔を上げると、まっすぐにシェルスを見つめた。

「ねぇ、シェルスさん、セオを助ける方法って何かないの? 例えば、ええっと何だっけ……何とかの種っていうのを、私が彩逢使さいおうしの力で芽吹かせたフリして、詩樹鳥しきちょうが彼を殺しちゃいけないってお告げを出したことにするとか」

 サミルの口から飛び出したその案に、シェルスとリルカは息をのんだ。

「そんなのダメよ! そんなことしたら、今度はサミルちゃんの方がお城から出られなくなっちゃうじゃない!」

「え? なんでです? 彩逢使の仕事って、年に一度、特別な種を芽吹かせて、王様に内容を伝えればいいだけなんでしょ? 違うの?」

 リルカには即座に答えることができず、シェルスに助けを求めるような視線を向けたが、彼は何を考えているのか、床をにらみつけるようにしてじっと俯いていた。

「ねぇ、違うの?」

「……違うのよ。でも、これはあくまでも噂なんだけどね――」

 彩逢使は、年に一度、託宣の種を芽吹かせる仕事以外にも、その類稀たぐいまれなる能力を王家のために尽くさなければならないといわれ、基本的には城から出ることを禁じられるという。具体的に何をさせられているのか、一般人が知ることはできない。しかし、城仕しろづかえとなった彩逢使たちが皆、短命であることは密かに有名な話だった。

 それゆえ、彩逢使の能力を持っていても、今や名乗り出るものはいないといわれている。

 十数年前に駆け落ちしたと噂された彩逢使も、単にそんな過酷な運命が嫌になって逃げ出したのではとも、一部では冷ややかに語られている。

「……でも、アエスタ国の彩逢使は、自国の城を出てこの国に来るって」

「それは、託宣の種を通じて詩樹鳥しきちょうのお告げがあったからだって聞いたことがあるわ。でも、移動の途中で逃げ出したりしないよう、何人もの見張りがつけられてるんですって。サミルちゃんは、そんなことにはなりたくないでしょう?」

「ただの噂じゃなくて、本当に?」

「わからないけれど、もし本当だったら、どうするのよ。想伝局員にもなれなくなっちゃうわよ?」

「……でも、じゃあ、他に何か良い方法はないの?」

 と、さっきから黙りこんでいるシェルスに、サミルとリルカの視線が集まる。

 しかし、その問いにゆっくりと顔を上げた彼は、なぜか苦悶くもんの表情を浮かべている。

「シェルスさん?」

「……私は卑怯者ひきょうものです。セオ様のために、平気で貴女あなたを利用しようと考えた。サミルさんが今提案したように、彩逢使の力を使って助けてもらおうと思ってしまいました。けれど、それではダメです……今のセオ様にはサミルさんが必要だから……助けるためにサミルさんを失うようなことは、してはならないのです!」

 ふとその時、サミルはシェルスがその手に何かを強く握りしめていることに気がついた。

 それはもしかすると、サミルだから気付けたのかもしれない。

「シェルスさん、その手に持ってるもの、なんですか?」

「――っ! こ、これは……その……」

 諦めたように開かれたその手の中には、薄紫色の小さな種が一粒。

「それは……『託宣たくせんの種』?」

 なかば確信しながらのサミルの問いに、リルカは「まさか、有り得ないわよ」と息をのむ。

 が、シェルスは観念したように、小さく頷いた。

「これは……ヴァンゼス様が本来あるべきところから持ち去ったもので、一昨日おととい、ヴァンゼス様に会った際、サミルさんへ渡して欲しいと頼まれたのです」

 その話に、サミルはピンとくるものがあった。

「もしかして、想伝局に種の取り扱いをやめるように詩樹紙しきしが来たのと、それが今、そこにあることとは関係がある?」

 シェルスは瞬時に察したサミルに、内心で驚くと同時に、敬意に似た感情を抱き始めている自分に気がついた。しかし、それを顔には出さず、話を続ける。

「ええ。種がニセモノとすり替えられたことに気付いたリリシア様は、城下街に流れてしまったかもしれない種を秘密裏ひみつりに捜索するため、種の流通を止めようと考えたようです。しかし、城下では予想外なことが起きた。止められないどころか、なぜか種の利用率が増えてしまい、捜索は難航なんこうしたようです」

「まぁ、どっかの誰かさんが頑張っちゃったからねぇ……」

 サミルは自分がしでかしたことを他人事ひとごとのように言い、苦笑した。 

「そこでリリシア様は、ある男を使って、余計なことをしてくれた想伝局員を排除しようとも考えたようですが――それも、あっけなく阻止そしされてしまった」

「……えっ、あの人も関係があったの?」

 エロハゲ親父の一件までからんでいたのかと、こちらにはサミルもさすがに驚いた。

「そもそも、リリシア様はこの『託宣の種』の内容を自分の思い通りにしたい――次王じおうは自分の実の息子であるヴァンゼス様だ、という結果を欲しておられるのです。しかし、ヴァンゼス様の望みは、種が持つ本当の内容を知ること……」

 そこで彼は、運よく自分の陣地に飛び込んできたサミルに、種を託そうと考えたのだ。

「なんだ、そういうことなら、早い話、私がその種を持ってヴァンゼス王子のとこへ乗り込んで、本当の内容を伝えちゃえばいいんでしょ?」

「ですから、それだとサミルさんが……」

「うん? 伝えた後に、とっとと逃げればいいだけじゃない。大丈夫、私、こう見えても足の速さには自信があるの!」

「……はっ?」

「あ、もちろん、逃げ出す時はセオも連れて、一緒にだよ!」

 予想外の切り返しに、シェルスはポカンとあっけにとられ、黙って聞いていたリルカは吹き出した。

「なんか、それ、とってもサミルちゃんらしいわ!」

「でしょ? それにね、ヴァンゼス王子ならきっと見逃してくれるんじゃないかなぁって。私の考え、楽観的すぎる?」

 ヴァンゼスという人が、セオやシェルスから聞いた通りの本当に優しい兄だというならば、きっと希望はある。

「……わかりました。どうやら、私も『諦めるのが早過ぎ』たようですね」

 なんとかして、セオもサミルも無事でいられる方法を実現するため、シェルスは助っ人になってくれそうだという人物に会ってくるといい、リルカの家を飛び出していったのだった。

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