第3章 *4*

翌朝、朝陽あさひを浴びて人間姿に戻ったサミルは、泉湯せんとうで汚れを落とし、市場いちばで好物の果実を買って朝食を済ませると、気分を入れ替えてユウファ中央想伝局ちゅうおうそうでんきょくの前に立った。

「……よっし、頑張れ私!」

 パンっと両頬りょうほほを叩くと、気合いを入れて扉を開けた。

 まだ出勤してきている者が少ないのか、静かな廊下を歩き、二階の更衣室へ向かう。

 更衣室で自分にあてがわれたロッカーを開けて、自分の私服が昨日の朝置いたままの状態であることを確認し、ホッとため息をついた。

 そこへ入ってきたピナスの姿に、サミルはわずかに動揺した。

「あら、サミルさん、おはよう。今日は随分ずいぶんと来るのが早いのね?」

「お、おはようございます……」

「そういえば、サミルさん、昨夜ゆうべは変なお客様の対応で大変だったんですって? 顔色もあまりよくないけれど、大丈夫?」

(もしかして、私が獣人じゅうじんだってこと、他の局員さんたちにはまだバレてない?)

 ピナスの発言からそう推測したサミルは、戸惑いつつも頷き返す。

「あ……はい、大丈夫です。グランさんたちが来てくれたので……」

 冷静になってみると、あの時、逃げ出してしまったのはマズかっただろうかという気がしてくる。

(何を言われるか、色々と覚悟しておかないと……)

 サミルはぐるぐると考えながら、更衣室を出た。

 と、その時ちょうど、男子更衣室から出てきたセオと鉢合わせてしまった。

 一瞬驚いて足を止めたセオから、サミルは思わず視線をらしてうつむく。

「……おはようございます」

「おい、お前、なに平然と何事なにごともなかったかのように挨拶あいさつしてんだよ……」

「……色々とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 すぐに深々と頭を下げて謝ると、セオは呆れたようにため息をつき、サミルの頭にポンと手を乗せた。

(え……?)

 怒鳴られると思っていたサミルは、予想外の反応に困惑した。

「謝るなバカ。別に、昨日の件はお前が何か悪いことしたわけじゃないだろ? でも、なんであの時、逃げ出した?」

「だって、こんな獣人じゅうじん……獣になっちゃうような奴なんて、気味悪いでしょ?」

「まぁ、あの夜の野犬がお前だったことには、少し驚いたがな」

「そ……それだけ?」

「なんだよ、俺が獣人を軽蔑けいべつするような奴だとでも思ったのか? これまで散々付き合ってきておいて何を今さら……」

(そうは思いたくなかったけど、万が一バレて、もし嫌われてしまったらって考えたら、恐かったんだもの……)

 とっさに反論しようとして、サミルはふと気づく。

(あれ? その言い方って、まるで私が獣人であることに……)

「もしかして、私が獣人だって……気付いてた?」

 恐る恐る尋ねれば、セオはバツが悪そうな表情を浮かべながら、「まあな」と頷いた。

「隠したい気持ちは、わからないでもない。俺も、半分はからな」

「え? えええっ!?」

 驚きの声を上げながら、ふと脳裏にセオの前髪が銀色に輝いていた様子が蘇った。

 そういえば、昨夜、ロードン邸に駆けつけてくれた時は余裕がなくて気付かなかったけれど、その時も銀色に変わっていた気がする。

「バカ、あんまりデカい声出すな」

「って、さっきから何げに人のこと『バカバカ』言いすぎよ。バカって言う方が……」

 そこへ声を聞きつけたのか、グランディがやってきた。

 どこかホッとした様子にも見える彼は、言い合っている二人の頭を押さえつけるようにその大きな手を乗せた。

「おはようさん、二人とも朝から元気で何より! 準備できてんならちょっと来いや」

 ぐりぐりと頭を撫でるようにすると、そう言って何ごともなかったかのように歩き出した。

 サミルとセオは挨拶を返しつつ、自分たちが子ども扱いされたことに憮然ぶぜんとしながら、大きなその背を追いかけていく。

 やがて最初にこの想伝局に来た時に案内された応接室に入っていくと、グランディは二人に座るよう命じた。


「あの、グランさん。昨日はその、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。逃げ出したりもして……」

 隣でセオが「だからお前は……」と言いかけたのを、正面に腰を下ろしたグランディが手で制した。

「そうだな、おかげでこっちは深夜まで後処理とか色々大変だったんだぞ。もしオレが寝不足で倒れでもしたら責任とってくれよ?」

「……すみま」

「というのは冗談だがな」

「え?」

「そんなことより、身体からだの方は大丈夫なのか? 変なもん飲まされ食わされたりとかしてないか? あの親父のやしきから怪しい薬やらなんやら色々見つかったって、王立警備局のヤツが言ってたから気になってたんだが……」

(……変なもの……怪しい薬……ねぇ)

 その問いに心当たりがありすぎるサミルは沈黙し、グランディとセオは顔を見合わせてうなった。

「……おい、まさか!」

「だ、大丈夫よっ! この通り、もうちゃんと動けるし、ちょっと苦くてまずいお茶……なんだっけ、えっと、飲むと胸が大きくなるとかいうアエスタ国の高級茶だか何だか飲んで眠くなっちゃったくらいで、今はもう全然、平気だから! ねっ?」

 サミルは言いながら、大丈夫であることを示そうと、バタバタと手を動かしてみせた。

「……こりゃ、予定変更だな。セオ、お前、腕の良い医者に伝手つてはあるか?」

「ええ。では、ちょっと行ってきます」

「おう、任せたぞ」

 セオは真剣な表情を浮かべて頷くと、隣に座っていたサミルを軽々と抱き上げた。

「ちょ、ちょっと何よ、いきなり! 下ろしてよ!」

「バカが。昨夜ゆうべ逃げ出した罰だ、しばらく大人しくしてろ」

 それからすぐに、手際てぎわよく用意された馬車に乗せられたサミルは、王都一の名医といわれている医師のところへ連れて行かれ、色々な検査を受ける羽目はめになった。

 そうしてようやく、問題ないと判断されて帰宅を許されたのは、翌日の夕方のことだった――。

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