第3章 *5*

 医者から解放されたその足で、サミルは仕事を終えたセオたちと共に、リルカの店を訪れた。

「あぁ、サミルちゃんが無事で本当に良かったわ! あの嫌な客も捕まったって聞いたし、これで一安心ひとあんしんね!」

 店に入るなり、リルカに抱きつかれたサミルは、照れくさそうに笑った。

「私は大丈夫だって言ったんですけど、セオたちが大げさで……」

 実を言えば大げさでなく、飲まされたお茶の中には危険な薬物が混ぜられていたらしいのだが、名医の的確な処置によって無事で済んだのだった。

 サミルの言い方に、セオはわずかに眉をひそめたが、リルカに話しても心配させるだけだと気付き、それ以上は何も言わなかった。

 とそこで、リルカはサミルたちと一緒にいる見慣れぬ男性の姿に気付いて首を傾げた。

「ええと、そちらの方は?」

「どうもー、想伝局でこいつらの指導役してるグランディといいまーす。この店、料理が美味いって噂で聞いて前から一度来てみようと思ってたんだけど……お姉さんも綺麗でいいねぇ! おおっ、そのペンダントも洒落しゃれてるぅ!」

 グランディのいつにも増して軽快な喋り方に、その場にいた全員が驚いた。

「え、オレ、何か変なこと言った?」

「グランさんが、こんなに軟派なんぱな人だったとは……」

「いや、俺は薄々気付いてたけどな……」

 サミルとセオが密かにつぶやいた。

 しかし、適当そうに見えて仕事は完璧にこなすし、想伝局で誰よりも頼りにされているあたり、肩の力の抜き方がうまいのか……二人とも彼を尊敬していた。

「あの、とにかく、皆さんお好きな席へどうぞ!」

 まだ夕食時には早いのか、店内に人はいなかったが、逆にそれがサミルを安心させた。

「リルカさん、今日の日替わり夕メニューはなんですか?」

「今日はね、アエスタ豚の燻製くんせいとユウファ特産の春菜はるなを入れたクリームパスタよ」

 聞くからに美味しそうな内容に、一同は目を輝かせる。

 しかしその時、店内に来客を告げる鈴の音が響き渡り、入口の方を振り返ったサミルは絶句した。

「あら、フィラナちゃん、おかえりなさい。新鮮なベリー、まだ売ってた?」

 とうかごいっぱいの野菜や果物を持ってそこに現れたのは、フィラナだった。

 店内にサミルがいることに気付いた彼女も、サミル同様、顔を強張こわばらせる。

「どうしたの? 早く入ってきなさいよ。あ、皆にも紹介するわね。彼女は二日前からここで働いてもらってる、フィラナ=チェリちゃんよ」

 リルカの紹介に、その名前を既に聞き知っていたセオとシェルスが視線を交わす。

 そして、渋面じゅうめんを浮かべてその場から逃げ出そうとしたフィラナを、サミルは慌てて駆け寄って引き止めた。

「フィラナ、なんで逃げるの? もう、私とは顔も合わせたくないってこと?」

 わずかな沈黙の後、フィラナはサミルにつかまれた腕を振り払うと、顔を上げた。

「先に逃げたのは……あなたの方じゃない! 友達ねって言ったくせに、なんであたしには獣人じゅうじんだってこと、話してくれなかったの?」

「そっ……れは……」

(獣人だと知って、恐がられたくなかったから……)

 田舎を出る時、人間と獣人は仲が悪くて、友達になんてなれないって言われていたから、話したら友達になんてなってもらえないと思ったからだった。

「口だけの友達なんて、あたしはいらない! あたしのことを『心配してる』ですって? 笑っちゃうわよ! 家もなくなって、家族もバラバラになっちゃって、想伝局員の試験にも落ちたあたしのこと、どうせ、可哀相かわいそうねって見下していい気になってんじゃないの?」

 フィラナはそれまで胸にかかえていた想いを涙と共に溢れさせながら、叫んでいた。

 サミルがそんな彼女の様子にあっけにとられたのはつかの間で、すぐに首を横に振った。

「見下してなんていないよ。本当に心配だったし、大変なの、わかるから……」

「わかる? 何がわかるっていうの? 試験に受かって、頭が良いからって、全部失った人の気持ちなんて、わかるわけ――」

「わかるよ!」

 サミルは思わず言い返していた。

 自分のことを全部、何もかも話せばそれで『友達』になれる、なんて、サミルは思っていなかった。話さなくたって、お互いのことを認めて、大切に想って笑い合える、そんな関係が『友達』だと考えてきた。

 けれど、フィラナと友達になるために、全て話さなければいけないというのなら、話して欲しいと彼女が望んでいるなら――。

「私にはもう、大切な家族も、帰れる故郷も、家も、小さい頃からの大切にしていた友達も、何も残っていないんだからっ……」

 そう打ち明けたサミルを、フィラナは鼻で笑う。

「どうせそんなの嘘なんでしょ? あたしに話を合わせて……」

「こんな話されても、聞いた方は誰だって反応に困っちゃうわよね。だから言わなかったんだよ。フィラナは優しいから、泣いちゃうかもって思って、そんな顔させたくなかったから……」

「そんなの嘘よ……」

 サミルの突然の告白に、フィラナのつぶやきを残して店内はシンと静まり返った。

 誰もが予想していなかった内容に呆然としている中、しかし一人だけ、冷静な表情を浮かべている者がいた。

「全て本当のことですよ」

 淡々としたその声に、今度は一斉にシェルスの方へと視線が集まった。

「シェルス、お前……」

「失礼ながら、少々調べさせて頂きまして」

 シェルスはセオに軽蔑けいべつのまなざしを向けられて苦笑しつつ、続けた。

「サミルさんの故郷は二ヶ月前、何者かの手によって火を放たれ全滅しています。そして、お父上であるガッシュ=シルヴァン……と名乗っておられたガレス氏も、ちょうど同じ頃、アエスタ国で仕事中に、不慮の事故で――」

 痛ましい話に誰もが目を伏せる。その中で、グランディはガッシュという名に反応し、事故という言葉に、それまで黙って聞いていたサミルは青ざめた。

「嘘っ、事故って……!?」

 サミルが知っているものだと思って話していたシェルスも、この反応にはたじろいだ。

 めずらしく動揺を見せ、口ごもってしまった彼に、サミルは詰め寄る。

「シェルスさん、父さんに何があったんですかっ? 教えてください!」

「……配達途中、河で溺れていた子どもを助けようとして、亡くなられたのだそうです」

 その言葉に続いて、グランディも口を開いた。

「ガッシュ=シルヴァンのことなら、俺も知ってるぞ。アエスタ国にいる弟からの手紙に、子どもを助けたのに亡くなっちまった想伝局員がいたって書いてあってな……」

 その想伝局員は勇敢さを称えられて、局長賞を与えられたのだとも。

「……そう……だったんですね……」

 俯いてつぶやいたサミルは、しかしその場で泣き出したりはしなかった。

 深呼吸を一度、二度、繰り返したかと思うと、パッと顔を上げて皆に笑顔を見せた。

「や、やだなぁ……なんか、すっごい暗い話になっちゃってすみません。こんな風になるのが嫌だったから黙ってたのに……」

 サミルはそう言いながらフィラナの方へと近づいていくと、彼女の目尻に滲んでいた涙を、そっと拭った。それから、被っていた帽子を取ると、ぺこりと頭を下げた。

「ごめんなさい、フィラナ。色々と黙ってて。でも、心配してたのは本当だし、力になりたいって思ったのも本当だよ。まだ、信じてくれない?」

 フィラナは再びポロポロと涙をこぼしながら、首を横に振った。

「あたしも……ごめんね。ホントは、あの夜、獣姿になっちゃったサミルちゃんに驚いて、声をかけられなかったこと、後悔してたの」

「まぁ、あれは不覚だったというか、驚くのも無理はないというか……」

「おー、そういやぁオレも見た時はビックリしたぜ! なんで部屋の中におおかみがいるんだぁ? ってな!」

 突然、背後で笑うように言ったグランディに、サミルは驚いて振り返った。

 そういえば、グランディやセオ、シェルスにも獣姿を見られていたことを思い出す。と同時に、誰もが、サミルが獣人と知ってなお、今までと変わらず接してくれていることに気がついた。

「ええー、もしかして、あたし以外、みんな見たことあるの? サミルちゃんのもうひとつの姿! ずるい! あたしも見てみたいわ!」

 ふてくされたように言いつつ、目を輝かせているリルカに、サミルは小さく吹き出した。

(まさか、見たいとまで言われるなんて……)

 思ってもみなかった反応は、存外に嬉しかった。

「おう、めっちゃ綺麗なんだぜ。サミルちゃんのその銀髪と同じ色の毛並みした狼がこう、月の光を浴びてキラキラーってしてな!」

「犬じゃないのか?」

 グランディの説明にセオが口をはさみ、サミルは頬を膨らませる。

「ちょっと、セオ! 前から一度言おうと思ってたけど、私は犬でも野犬でもないんだからね! 私は、銀犬狼族ぎんけんろうぞく銀猫兎族ぎんねこうぞくのハーフなの!」

「よくわからんけど、それってあんまり変わらないじゃん?」

 とぼけた様子で言い放ったグランディのツッコミに、店内は笑いに包まれた。

(そっか、種族の違いなんて、その程度のことだったんだ……)

 サミルは自分こそが、その違いにとらわれすぎていたことに気づき、恥ずかしく感じた。

 そうしてその夜、リルカの店には美味しい料理に笑顔の花を咲かす皆の賑やかな笑い声が遅くまで響いていたのだった――。

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