第1章 *6*

 また食べに来る事を約束して、リルカの店を後にしたサミルは、まだ重たい足を必死で動かしながら、ゆっくりと歩いていた。

 隣には、なぜか同じ方へ向かっているらしいセオとシェルスがいる。

「……セオ、今日は本当にありがとね。すごく助かったわ」

 彼の助けがなければ、リルカに『想いの種』を届けることはできなかっただけでなく、下手したら霊の想いに飲み込まれてそのまま命を落としていたかもしれなかった。

 そういう意味で、セオは命の恩人ということにもなる。

 だというのに、結局ほとんど説明をしていないだけでなく、お礼の言葉すらかけられていなかった。サミルは今さらながら、そのことに気づいて苦笑した。

 セオが店にいる時、不機嫌そうにしていたのはそのせいかもしれない。

 しかし、サミルのお礼の言葉に、セオはあきれているような、微妙びみょうな表情を浮かべた。

「……ったく、朝から晩までせわしない奴だな。お前といると、調子狂う」

「ごめんなさい……」

 こうして謝るのも、今日これで何度目のことだろう。

 思い返せば、朝からいろんなことをしでかして、そのたびにセオに助けられていた。

「謝るくらいなら、もっと気をつけて行動したらどうだ?」

「……ごもっともです。でも、セオって口は悪いけど、すごく優しいのね」

「俺は別に、優しくなど……」

「ううん、優しいわよ。でもって、ものすごく照れ屋でしょ?」

「な、何を!」

 サミルの言葉に、セオはわずかに顔を赤くしている。と、そんなセオに追い打ちをかけるように、シェルスが隣で「同感です」と静かにつぶやいた。

 彼のその表情は、どこか嬉しそうで、それでいてどこかほこらしげだ。

「あら、気が合うわね、シェルスさん」

 セオの従者じゅうしゃだと名乗った青年は、女性が苦手だとは思えぬ紳士的な態度でサミルに接してくれていた。背はセオよりもわずかに高いものの、線が細く、一見軟弱そうにみえる。が、彼も体の動かし方に隙がなく、何か武道をやっているに違いなかった。

 聞けばサミルよりも年上で、今年で二十歳になるという。はたから見ると、従者というよりも、口の悪い弟のセオを見守っている兄のようだ。

「おい、シェルス、何をお前までバカなこと言ってる。んなことより、例の件はどうなってんだ?」

「はい、ご用意できております。これからご案内しようと思っていたのですが……」

 そこで言葉を切ったシェルスは、チラリとサミルの方へと視線を向けた。

 三人が今歩いているのは、繁華街から随分と離れた薄暗い路地――サミルが霊と遭遇そうぐうしてしまった場所の近くだ。この路地を抜けて程なくすれば、サミルがよく野宿をしている森が見えてくるのだが――。

「ところでお前、そもそも何でこんな街外れの路地になんかいたんだ?」

「それはええと……あの辺りに住んでいるというか、何というか……でも、そういうセオだって! この広い城下街で会うなんて、偶然にもほどがあるわよ。まさか、つけて来たんじゃないでしょうね?」

「は、バカか? なんで俺がお前のことつけなきゃいけないんだよ。大体、この辺りに人が住める家なんてないだろ」

「あら、すぐそこに野宿にはぴったりの森があるじゃない」

「野宿……だと? まさかお前、野宿してたのか?」

「あら、野宿くらいで何よ。ご飯は屋台とかで食べてるし、お風呂は泉湯せんとうがあるし、服はちゃんと洗濯屋に行って洗ってるから……って、私、もしかしてにおう?」

 慌てて自分の服のすそを掴み、クンクンとニオイをぎ始めたサミルに、セオが苦笑する。

「いや……というか、野宿しなきゃいけない事情でも何かあんのか?」

「それは、そのー……ちょっと、宿屋を追い出されてしまいまして……」

「追い出された!? お前、一体何をやらかしたんだ?」

「……うぅ」

(別に、変なことをしたってわけじゃないんだけど……)

 まさか本当のことを言えるわけがない。黙りこくってしまったサミルに、セオは呆れたようにため息をついた。どうやら深く追及するつもりはないらしい。

「……なぁ、シェルス。さっきの件だが……部屋は二つに分かれてるか?」

「ええ、まぁ一応。ただ……ものすごく狭くて申し訳ないのですが」

「ふーん、二部屋ねぇ」

「まさか、セオ様!?」

「不本意ではあるが、どうせ俺はずっとそこにいるわけじゃないし、これから一か月も一緒に仕事する奴が、野宿していて臭うようになったり、死なれたりするのは御免ごめんだからな」

「でも、その……本当によろしいのですか?」

「くどいぞ、シェルス」

「はっ、承知致しょうちいたしました。では、サミル様もご案内致します」

「えっ?」

 自分には関係がないと思っていた二人の会話から、突然、自分の名前が飛び出したことに、サミルは驚いて首を傾げる。

「案内って何? どういうこと?」

「いいから、黙ってついて来い」

「……?」

 それから程なく、二人がシェルスに案内されたのは、さびれた集合住宅だった。

 入口にかかっている看板には、今にも消えそうな汚い字で『キルシェ荘』と書かれている。歩くだけでギシギシと音を立てる階段を上がり、二階の最奥さいおうの扉を開けたシェルスは、苦笑しながら二人を中へと招き入れた。

「申し訳ございません。セオ様をこのような狭く汚い場所で過ごさせるご無礼を、どうかお許し下さい」

「……多少の覚悟はしてたが、これは予想を超えたボロさだな」

「そう? 下手な安宿やすやどよりはずっと綺麗きれいだと思うけど。キッチンだってついてるし、お風呂もトイレもあるじゃない。カビくさいのは、晴れた日に換気していれば、すぐに気にならなくなるわよ?」

 部屋に入るなり慣れた様子で室内を見て回り、あっけらかんと感想を述べたサミルに、セオとシェルスは複雑そうな表情を浮かべて視線を交わし合う。

 確かに、しばらく使われていなかったのか、壁や窓枠など傷んできている部分は多い。しかし、二人が酷評こくひょうしたほど、せまくもきたなくもなかった。

 従者がいるほどの彼が、今までどんなに綺麗で広い部屋で生活を送ってきたのかを想像して、サミルは小さくため息をつく。

(一体どこの貴族の坊ちゃんなのよ……)

「……で、この家は何なのか、そろそろ説明してくれる?」

「説明も何も、俺は今日からしばらくココに住む。そっちの部屋はお前が勝手に使えばいい、それだけだ」

 セオの簡潔明瞭かんけつめいりょうな答えに、サミルは「なるほど」とうなずきかけ……次の瞬間、固まった。

 後半の方、何だか妙なことを言っていなかっただろうか。

(今、そっちの部屋は勝手に使えって言った? 誰が?)

「ちょっ、ちょっと待って、私もここに住むの?」

「どうしても野宿の方が良いっていうなら、強制はしないがな」

 いや、野宿の方が良いわけがない。屋根があるということは、急な雨にもれず済むし、朝のまだ冷たい風に身をちぢめなくてもよくなるのだ。ついさっき、下手な安宿よりマシだといったのもうそではないし、この上なくありがたい申し出だ。

 しかし……

(年頃の女が男と一つ屋根の下で生活するって……どうなの? 大丈夫かしら?)

 サミルが一人ぐるぐると混乱していると、それに気付いたセオが鼻で笑った。

「ああ、安心しろ。俺は、間違ってもお前をおそったりなんてしないから」

「えっ、あ、その……」

 それはそれで、女性としてはちょっと複雑な気分もするサミルだったが、とりあえず断る気は起きなかった。

 まあ、サミルとて腕が立つとわれる犬狼族けんろうぞくの血が流れているのだ。いざとなれば、男相手だろうがひるんだりはしないだろう。

 この際、もう半分の血が、気弱きよわと云われている猫兎族ねこうぞくのものであるという事実は忘れることにする。

「でも、それじゃあ、家賃は? 私、まだ想伝局員そうでんきょくいんになれるって決まったわけじゃないし、たくわえもあまり残ってないから……そんなに払えないわよ?」

「それでしたらお気になさらず。大した額ではありませんし、すでに一月分は払い終えていますので、請求するつもりはございません」

 そう言ってシェルスが微笑んだ。

「で、でも……タダで置いてもらうなんて、なんか気持ち悪いわよ。ほら、世の中、タダより怖いモノはないって言うし……」

「そこまで言うなら、身体からだで払うか?」

「な――っ!!」

「セオ様っ!?」 

 驚いて顔を真っ赤にめたサミルと、たしなめるように怒鳴どなり声を上げたシェルスに、セオは嘲笑ちょうしょうを返す。

「冗談に決まってんだろ。お前ら、なに本気にしてんの?」

(ああもう、やっぱりコイツ、ムカつく!)

「バカにしないでよ! いいわよ、タダで居座ってやるんだから! あとで請求してきても、絶対に払ってやらないんだからね!」

 サミルはそう宣言すると、使っていいと言われた部屋へズカズカと入っていき、扉をバタンと音を立てて閉めた。


 部屋の中には、セオかシェルスが使うつもりだったのだろう簡素なベッドがひとつだけ置かれている。

 腹が立っていたのと、極度の疲労に耐えかねたサミルは、遠慮なくそこに横になると、すぐに寝息を立て始めたのだった。

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