第1章 *5*

「……ごめんなさいね、みっともないところをお見せしてしまって」

 ようやく泣きやんで平静を取り戻したリルカは、カウンター席に座っているサミルとセオに向かって、恥ずかしそうに微笑ほほえんだ。

「いえ……こちらこそ、何の説明もしないまま……」

 とは言うが、口できちんと説明できたためしがないサミルだった。

 先ほどまで店の片隅かたすみたたずみみ、様子を見ていただけだったセオは、冷静なのか驚いているだけなのか、先ほどから一言も口を開いていない。

「でも、本当に何とお礼を言ったらいいか。おじいちゃんもあたしも頑固がんこだから、もし生きていたとしても仲直りできていたかわからなかったのに、ちゃんと謝れる日がくるなんて……」

「お礼なんていいんです。私は自分ができることをしただけで……」

 一瞬、その言葉にセオは眉を寄せたが、サミルはそれに気付かないまま続けた。

「想いを届けることができたら、私はそれで満足なので……」

「ありがとう……あら、そういえばまだあなたの名前、ちゃんと伺ってなかったわね。あたしは、リルカ=オーベルよ」

「私はサミルです。サミル=シルヴァニア」

「……シルヴァニア?」

 名前に反応したリルカに、サミルは小さく首を傾げた。

「……何か?」

「ううん、どこかで聞いたことがある気がしたんだけど……気のせいね。ところで、夕飯はもう済んでいるのかしら? もしよかったら、何かごちそうしますけど?」

 リルカの提案に、自信なさそうだった様子を思い出し、サミルは思わず苦笑した。

 セオの方へ助けを求めるような視線を送ると、それまで黙っていた彼はため息をつき、ようやく口を開いた。

「じゃあ俺は、『春茄子はるなすのパングラタン』を頼む」

 まさかセオが注文するとは思っていなかったサミルは驚きつつ、聞いたことのない料理の名前に目をまたたかせる。

 そしてリルカも同様に、セオの言葉を聞いて息をのんだ。

「あなた、なぜその料理のことを知ってるの? コンテストで賞をったことはあるけど、まだお店では出したことないのに……」

 呆然ぼうぜんとした様子でつぶやかれたその内容に、サミルはさらに首をかしげる。

 そういえば、種が見せてくれた回想で、リルカが賞を獲ったとか話していたような気がする。しかし、その具体的な料理の内容までは、言っていなかったはずだ。(なんでそんなメニューのことを、セオが知っているの?)

 サミルとリルカに視線を注がれたセオは、不敵な笑みを浮かべて答える。

「以前、人にその料理のことを聞いて、一度食ってみたいと思っていただけなんだが……作れないのか?」

 挑戦的な眼差まなざしをセオに向けられたリルカは、料理人魂に火を付けられたのか、途端とたんに目を輝かせた。

「わかった、今すぐ作るわ。ちょっと待っててくださる?」

 先ほどまでとは明らかに違う、力強い笑みを浮かべたリルカは、腕まくりをして店の奥へと消えていってしまった。

 とその時、チリチリーンと来客を知らせる鈴の音が店内に響き渡った。

 反射的に振り返ったサミルは、入ってきたのが見覚えのある長身痩躯ちょうしんそうくの青年だったので、思わず叫びそうになった。

(あの夜の人っ!?)

 何とか平静をよそおうことには成功したサミルだったが、入ってきた青年が足を止めた瞬間、背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。

(今、視線が合った……?)

 しかし、自分が今は人間姿でいることを思い出し、獣人であることがバレるわけないと開き直る。

 そんなサミルの隣では、わずかに驚いた様子のセオが、入ってきた青年を一瞥いちべつした。

「……意外と早かったな、シェルス」

「いえ、遅くなりまして申し訳ございません。またてっきり、小屋の方にいらっしゃるのかと思っていたのですが……まさか、こちらにいらしたとは」

 二人のその会話にサミルは首を傾げる。

 この店で待ち合わせでもしていたのだろうかと一瞬思ったが、セオがこの店へ来たのはサミルを助けるためであって、予定外だったはず――。

 と、シェルスの視線が改めてサミルに向けられた。 

「ところで、そちらの女性は?」

想伝局そうでんきょくの試験で知り合った……変な奴だ」

「ちょっ、何その紹介の仕方! 私にはちゃんと、サミルって名前があるのよ! 女性に向かって『変な奴』だなんて失礼にもほどがあるわ!」

「……だ、そうだぞ、シェルス。ああ、コイツはお前の苦手としている『女性』とは違うから安心しろ」

「はぁっ? 何よそれ!」

(そりゃあ確かに、よく男に間違われるし、胸もないし、女っぽくもないけど!)

「……確かに、おもしろそうな御方おかたのようですね……っと、失礼致しました」

 シェルスはセオとサミルのやり取りを物珍ものめずらしそうに見やると、涼しげに微笑んだ。

「あー、もう、いいわよ別に……」

 ほぼ初対面の人にまでそう言われてしまっては、いい加減、怒る気も失せてくる。

 サミルはため息をつきながら、カウンターに突っ伏した。

(うーん……やっぱりまだちょっと、だるいなぁ……)

 久しぶりに彩逢使さいおうしの能力を使った反動か、気を抜くと猛烈もうれつ睡魔すいまが襲ってくる。

 店の奥からただよい始めた美味おいしそうな香りに鼻をくすぐられながら、出てくる料理に期待をふくらませているうちに、サミルのまぶたはゆっくりと下りていく。

 やがて、背後で何やら話しているセオとシェルスの声が少しずつ遠ざかっていき、眠りに落ちかけた、瞬間――。

 店の奥から聞こえてきたリルカの大声に、サミルの意識は勢いよく浮上ふじょうした。

「思い出したわ、シルヴァニア!」

「……え?」

「シルヴァニアって、あの有名な『彩逢使さいおうし』の名前だったんだわ!」

 店の奥から出てきたリルカは、こんがりと焼けた丸いパンが乗ったお皿をカウンターに置くと、興奮した様子でサミルを見つめた。

「ね、そうでしょう? サミルちゃんのさっきの能力といい、その名前といい、間違いないわよね!」

「えーっと、さっきのは確かに『彩逢使』の力ですけど……って、どういうことです?」

 サミルの返事に、リルカは拍子抜けしたように肩を落とし、横で黙って聞いていたセオとシェルスは無言のまま顔を見合わせた。

「知らないの? じゃあ、名前が同じなのは単なる偶然?」

「えーと、つまり、有名な『彩逢使さいおうし』にシルヴァニアって名前の人がいるんですね?」

「そうよ。十数年前のことなんだけどね、ガレス=シルヴァニアっていうウェール城仕しろづかえの彩逢使が、駆け落ちしていなくなっちゃったって話があって。ユウファの女の子たちが一度はあこがれちゃうロマンチックで有名な恋の逸話いつわなんだけど……」

(ガレスっていうのは、確かに父さんと同じ名前ではあるけど……)

 サミルは、父親が彩逢使の能力を持っているなんて、見たことはおろか聞いたことすらなかった。駆け落ちの話だってそうだ。

 体が弱くて走ることすらままならなかった母親にしたって、駆け落ちする大胆さの欠片かけらも持ち合わせていないような、とても穏やかでおっとりとした性格だ。

 どう考えても別人の話としか思えなかった。

「多分、偶然だと思いますけど……」

「そっか……残念。面白おもしい話が聞けると思ったのに。と、それはさておき、冷めないうちに、どうぞ召し上がって?」

 まるでポットのような形をした丸いパンのふたをリルカが取ると、中には角切りにされた春茄子はるなすやジャガイモなどの野菜と、溶けたチーズが、ぎゅっとつまっていた。

 焼けたチーズの香ばしい匂いに、サミルはもちろん、セオやシェルスまでもが、ごくりとのどを鳴らす。

 セオとサミルは木のスプーンを手に取ると、恐る恐るグラタンを口に運んだ。

「……これは」

「おーいしーい! 何これ、すっごく美味しいよ、リルカさん!」

 頬張ほおばればすぐに溶けてしまうほど柔らかい野菜はもちろん、器にする時にくり抜かれた残りのパン生地きじに、トロっとしたクリームとチーズがぎゅっとみ込んでいるのが、たまらない。

 これがあの、自信なさそうにしていた人の作ったとは到底とうてい思えぬ、見事なまでに完成された料理――。

 かつて味わったことのないその美味しさに、二人はあっという間に平らげてしまったのだった。

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