エピ056「別離」

その後、俺は「相田美咲」を家まで、送って行く事にした。


暫くは、二人とも一言も交わさずに、「相田」はずっと外方そっぽを向いて鼻歌を歌っていたのだが、…東海道線が茅ヶ崎駅を出た辺りで、「相田」が急に、何の前触れも無く、笑い出した。



宗次朗:「どうした? 行成り?」


相田:「いや、ほら、(笑)…こないだの「合宿」、面白かったな、(笑)…アンタ無理矢理飲まされて、…博美先輩に、(笑)…顔中化粧されちゃってさ、(笑)…、あの顔ったら、…」


宗次朗:「いや、笑い過ぎで苦しいなら、無理に喋んない方が良いぞ、って言うか、早く忘れてくれ、」


相田:「無理、…写メとったもん、」


「相田」はスマホを取り出して、ケバい化粧を塗りたくられた俺の写真を再確認する、…本人、酔いつぶれて何も覚えていない。



宗次朗:「肖像権の侵害だぞ、」


相田:「いやあ、此の顔の肖像権は博美先輩に有り、でしょう、(笑)…ホント、馬鹿、(笑)…」


宗次朗:「兎に角、恥ずかしいから消してくれよ、それかお前の顔も撮らせろ、」


相田:「駄目!アンタに写真なんか撮らせたら、どうせイヤラシい事にしか使わないじゃん、」


宗次朗:「何か腑に落ちない、」


でも、事実だから言い返せない、…







相田:「そう言えば、アンタ後輩から告白されたんだって?」


湘南モノレールに乗り換える頃には、「相田」はすっかり元通りに見えて、…



宗次朗:「告白って、「お兄ちゃんになって下さい」って、言われただけだぜ、」


相田:「何ソレ、彼氏扱いじゃないんだ、…」


ほんの少し、俺も、安堵して、…



宗次朗:「何だか、お兄ちゃんに憧れてるみたいだな、」




相田:「それで、鐘森ちゃんとは、上手く行ってんの?」


宗次朗:「なんだよ、別に、鐘森とは、只の先輩後輩だよ、」


相田:「アンタをモデルにした絵ってさ、あの部室に掛かってる奴でしょ、…あれ、一体何が描いてあるのか全然分かんないんだけど、…どんなモデルしたの?」


確かに「鐘森」の作品は天才らしく凡人には全く理解不能、…お陰でコンクールでも入選出来なかった。



宗次朗:「さあな、」


まさかヌードモデルだとは、…まるで言う必要など無い。




相田:「そう言やさ、…円先輩とは、今でも会ってるの?」


宗次朗:「たまに、近所で見掛けるくらいだよ、」


まあ、無理に言わなくても良い事を、言う必要は無いだろう。



相田:「ちょっと、最後に会った時、失礼だったかなぁ、って思ってさ、…今度有ったら、謝っといて。」


確か「相田」が「すず姉ちゃん」と最後に有ったのは去年の12月、「相田」は俺と「すず姉ちゃん」を市民センターの控え室から問答無用で追い出したのだった。



宗次朗:「まあ、会ったら言っとくよ、」






西鎌倉からは、二人でトボトボと歩き、下らない事を喋り、時々馬鹿みたいに笑う、



相田:「あんまり(注、オナニー)やり過ぎない方が良いんじゃないの?」


宗次朗:「そう言うお前は、週に何回くらいやってんだよ?」


相田:「アホか、女はそんな事しないって、アンタは変な夢見過ぎなの、…」


やがて俺達は、「相田家」の長い塀の曲がりくねった路地に辿り着き、…



相田:「カレー、美味かったか?」


宗次朗:「親と一緒に食ってて、味なんか分る訳無いだろ、」


相田:「ひでー、サイテー、俺が折角作ってやったのによー、もう金輪際作ってやんねからな、」


宗次朗:「まあ、食えなくは無い、ドッチかと言えば美味かったかな。」


相田:「おせえよ、…」


それで、何時もの「勝手口」で立ち止まる、



相田:「さて、悪かったな、こんな所迄送らせて、…」


宗次朗:「一応、これでも彼氏だからな、」


相田:「偽装彼氏だけどな、…」


俺は、軽く手を挙げて、…



宗次朗:「じゃあ、又、明日な、」


相田:「ああ、…」


相田:「宗次朗、」


不意に、「相田」が、俺を、呼び止めた。


不意に、「相田」が、俺に、キスをした。










それは、ほんの一瞬の出来事で、…俺は、不覚にも何も気付かない内に、全ては終ってしまっていたのだ。



相田:「じゃあね、…」


いつの間にか、いや、ずっと前から、「相田」の顔は、どこか無表情に凍ったままで、まるで、…



宗次朗:「相田、…」


「相田」はそれっきり、塀の向こう側へと消えて、…



宗次朗:「…何なんだ!」


だから、俺の胸には何時迄も「棘」が突き刺さった侭で、…



宗次朗:「…何で、泣いてんだよ! お前は!」


俺は、何度も、何度も、何度も、何度も、携帯で、呼びかける、…けれど、「アイツ」からの応答は、いつ迄経っても、有る筈も無くて、…



宗次朗:「相田!…相田!…美咲!」


俺の声は、確かに届いている筈なのに、勝手口を打ち鳴らす俺の拳の音は、届いている筈なのに、…けれど、「アイツ」からの返事は、いつ迄経っても、有る筈も無くて、…



宗次朗:「畜生!」


静まり返った暗い路地に、所々外灯に照らされた長い塀の向こう側に、鳴き出した虫の声の底に、いつの間にか、何時迄も、俺は、「相田美咲」の気配を、…探り続けて、…







立花:「京本さん」


声の方を振り返ると、路地の先に、上女中の「立花さん」が立っていた。





俺は、「立花さん」に誘われる侭に、別の入り口から、屋敷内に入る。


何時か来たことのある、女中さん達が住み込みしている一戸建てに通されて、この前と同じ、客間の大きなテーブルに差向いに座る、…


明らかに「相田美咲」は何かに悩んでいる。 それがどれ程深刻な事なのか、俺に何かしてやれるのかは判らない。


それでも、きっと「立花さん」なら、何か教えてくれるかも知れない、そう、…期待していた。




「立花さん」は、何かを決心するまでに小一時間とも思える時間を要し、…


それから、漸く慎重に、言葉を紡ぎ始めた。



立花:「京本さん、…これは、本来は貴方にお伝えすべき事では無い、…そう思います。」


立花:「少なくとも、私の様な立場の者が、でしゃばって口にすべき事では無い、…それは承知しております。」


立花:「それでも、やはり、…貴方は知らなければならない、と思う。」




それから、もう一度、「立花さん」は溜息とも深呼吸ともつかぬ深い息を吐いて、…



立花:「美咲お嬢様は、学校の夏休みを区切りにアメリカに転校されます、」


宗次朗:「転校、……アメリカ、…」


立花:「そこで、お兄様の決められた方に、嫁がれる事になります。」


宗次朗:「嫁ぐ?……結婚、…?」


立花:「結婚式は、8月3日、イタリアのヴェネチアで、執り行われます。」







それからは、ただ只管ひたすらに、微かな白色雑音だけが、両の鼓膜をすり抜けて行って、…

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