エピ051「親愛と罪悪感の狭間で」

夜の22時半過ぎ、


俺は、行き交う人で賑わう藤沢のメヌキトオリの、一軒の喫茶店の、通りを挟んだ反対側の壁際で、もう何時間もただ一人でぼっと、佇んでいた。


やがて、喫茶店の電気が消えて、中から、仲の良さそうな男女が姿を見せる。


「すず姉ちゃん」と、髭で長身の店長は、店のドアに鍵をかけて、楽しそうに何かを話しながら、何処かへ向かおうと、しているらしい。



…俺、こんな処で、何やってんだろうな。


俺は、気取られない様に二人に背を向けて、ゆっくりと駅へ向って歩き始めた。


その、俺の腕を、誰かが掴んだ、…




振り返った俺の首を、強引に、思いっ切り引き摺り下ろして、…


「すず姉ちゃん」が、俺に、キスをする。


往来の真ん中で、行き交う人達が俺達をじっと、眺めて行く中で、


俺は、されるが侭に、じっと、


ずっと、



涼子:「もしかして、待っててくれたの?」


宗次朗:「すず姉ちゃん、あの人と付き合ってるの?」


涼子:「わお、…もしかして妬いてくれてるの?」


言いながら「すず姉ちゃん」が、がっしと、俺の腕に抱きついて来る。


柔らかで、温かな乳房の膨らみが、俺の不安を、…受け止めてくれる。



宗次朗:「良いの、あの人、ほったらかしで、」


涼子:「平気、ご飯行こうかって、話してただけ。」


涼子:「お腹すいた?」


宗次朗:「なんか、すず姉ちゃんに会ったら、空いて来た。」


涼子:「じゃあ、なんか食べに行こう。」







俺達は、近くの居酒屋に入って、


俺は「すず姉ちゃん」がテキパキと色々注文して行くのを、ぼっと、眺めていた。


なんで、この人の傍にいるだけで、こんなにも安心するんだろう。



涼子:「それで、どうしたの?」


宗次朗:「うん、」


中ジョッキの生ビールが運ばれて来て、…って二つ?



涼子:「ほら、私、今月の3日で、じゃじゃ〜ん、二十歳!」


「すず姉ちゃん」は、誇らしげに運転免許証を見せる、




俺は、小鉢の突き出しを箸で弄りながら、漸く切り出した。



宗次朗:「すず姉ちゃんってさ、その、その場のノリと言うか、雰囲気って言うか、勢いで、…やっちゃった事って、ある?」


涼子:「しちゃったって? エッチの事?」


「すず姉ちゃん」は、ちびりと、ジョッキに口を付けながら、じっと俺の瞳の奥を探る。



涼子:「何があったの?」


それで俺は、本日の一部始終を「すず姉ちゃん」に懺悔した。







涼子:「アカリンめ、私の可愛い宗ちゃんを玩具にしやがってぇ!」


宗次朗:「多分、アカリ先生には、なんか考えが有ったんだと思うんだ、でも、…」


宗次朗:「自分がなんか、こんな簡単に流されちゃう自分が、情けないって言うか、どうしたらいいんだろう?」



涼子:「その、麗美ちゃんだっけ、彼女も嫌嫌じゃなかったんでしょ。なら、良いじゃない、」


涼子:「別に、初めてなんて、何時かは誰にでも訪れるもんなんだし、エッチなんて、別に減るもんじゃないんだしさ、」


「すず姉ちゃん」の優しい弁護も、何故か、俺の芯には、…届かない。



宗次朗:「俺、鐘森の事、傷つけちゃったかな、これから傷つけちゃうのかな?」


涼子:「宗ちゃんはさ、私とエッチして、傷ついたの?」


それなのに「すず姉ちゃん」の眼差しは、何処迄も上から目線で、何処迄も温かい、



宗次朗:「それは、無いけど、男と、女って、…違うんじゃないのかな、」


涼子:「同じだよ、人間なんだもの、好きな人とそう言う関係になるのは、全然嫌じゃないと思うよ、」


涼子:「まあ、私の意見はあんまり一般常識的に参考になんないかも知れないけどさ、」


涼子:「それで、宗ちゃんはどう思ってるの? その子の事、」







それで、漸く俺は、…気が付いた、


俺を、こんなにも追いつめているのは、「罪の意識」なのだ、


「責任を取る」、「取らなければイケナイ」、「傷つけたから」、「傷物にしてしまったから」、


仮令たとえそれが両者の合意の上の行為だったとしても、女子が被った被害は男子よりも何倍も重い。


取り返しのつかない、たった一回キリのカードを、俺は、破瓜してしまったのだ。




でも其処に、俺が「鐘森麗美」を思いやる気持ち等欠片も無い事に、俺は、…気付いてしまった、


俺を、こんなにも追いつめているのは、「俺が責められる事に対する恐怖」なのだ、


俺は、きっと狡い、…「すず姉ちゃん」が、俺を責めない事を判っていて、「宗次朗は悪く無いよ」って、言ってくれる事が判っていて、甘えている。




本当に俺は、「鐘森麗美」の事を、一体どう思っているのだろう?


面倒見てやんなきゃイケナイ頼りない後輩、俺だけを頼って来る女の子、俺の事を知りたいとせがむ眼差し、


でも俺は、「鐘森」と恋人になりたいのか?「鐘森」と結婚したいのか?


まるで、実感が湧かない。


だとしたら、一体「あの行為」は、何だったんだ?


そんな積りも覚悟もなしに、俺は、「鐘森」を抱いたのか?




宗次朗:「姉ちゃん、…俺、判んない。」


宗次朗:「俺、鐘森の事、本当に、好き、だったのか、…分らない。」



俺は、中学の卒業式で、「西野敦子」を泣かせてしまった事件を思い出す。


まただ、また、俺は、女の子の気持ち等おかまい無しに、自分の都合だけで、突っ走ってしまった。


俺はあの時、「西野敦子」と俺との間に「運命」を感じていた。


俺は今日、「鐘森麗美」と俺との間に「必然」を感じていた。


でも、ソレ以外のもっと大切な事は、何にも無かった、空っぽだったのだ。



宗次朗:「やっぱり最低だな、…俺、」



涼子:「宗ちゃん、…」


涼子:「多分、順番が逆なんだと思う。少なくとも私は、そうかな、」


涼子:「勿論、好きでもない人と、そう言う事はしないよ、でも、…触れ合って、求め合って、それから、愛してるって、思える様になる。」


涼子:「だから、その場の雰囲気で、お互いが望んだ上で、お互いを確かめ合う、って言うのは、別に、変な事じゃないと思うよ。」


涼子:「だから、そんなに、自分を責めないで、」


そうじゃないんだ、そうじゃないんだ、…


俺は、きっと、自分を責める事で、罪滅ぼしした事にして、それで、ご破算にしようとしている。 赦してもらおうとしている。


俺は、もしかして、俺がしでかした事を、そんな汚らしい罪の行為だと、思おうとしている、


だから、「すず姉ちゃん」の優しい弁護も、俺の芯には、…届かない。



宗次朗:「やっぱり最低だな、…俺、」







気がつくと、明るい太陽の光が差し込んで来る、…見知らぬ部屋?


何処かの家の、リビング?


俺は、長椅子のソファに横たわって、眠ってしまっていたらしい。


頭が痛い、…フラフラ、ガンガン、ゾワゾワ、ギュウギュウする。…何でだ?


一体今は、何時?…腕時計が、無い?


見回したテーブルの上に、俺の携帯と腕時計に財布、それから、俺のズボンが、もう一つの一人用のソファの上に畳まれていた。


それで、改めて、俺は下半身パンツ一丁なのに気付いた。



急いで身なりを整える内に、「すず姉ちゃん」のお母さんが現れた。



円母:「あら起きたの? 大丈夫? 二日酔い。」


二日酔い?


そうか昨日の夜、「すず姉ちゃん」と晩ご飯を食べに行って、俺は、ビールと、何だか色々、飲んだんだった。



円母:「ごめんね、何分狭い家で、…ソファなんかでちゃんと寝られたかい?」


宗次朗:「すみません、でした。俺、…」


円母:「全く、…無理矢理飲まされたんじゃないの? あの子、加減ってモノを知らないから。」


宗次朗:「いえ、俺、先輩に、相談に乗ってもらってて、絶対そんな、無理矢理とかじゃ、無いです。」


で、俺の寝っころがっていたソファの上に発見する、…女物のパンツ?!


俺は咄嗟に、それを、ズボンのポケットにしまい込む。


何でだ? 夕べ何があった??


記憶が、全くない! 一体夕べ、俺はどうやって、何があって、…こうなった?



宗次朗:「あの? 先輩は?」


何故だか、声が裏返る、俺、…



円母:「今日もバイトだとか言って、朝から出て行ったよ。 全く、落ち着きが無いってのはあの子の事だね、…どうかな、器量だけは良いんだけど、京本クン貰ってやってくれない? 歳上は嫌?」


此の状況に輪をかけて! 何を、仰ってるんだ、…このお母さんは!



宗次朗:「いや!…俺なんか、先輩に全然釣り合いませんから、…全く、これっぽっちも、」


円母:「こっちの方が釣り合ってないんだけどね、ふしだらって言うか、だらしないって言うか、」


円母:「でもね、京本クンが来てくれる様になってから、あの子ちょっと元気になったみたいでさ、やっぱ親としては安心なのよ。…そりゃ一時は随分落ち込んじゃっててね、端で見てても辛いって言うか、まあ、身から出た錆だからしょうが無いんだけど、…」


「すず姉ちゃん」でも、落ち込む事が有るんだ。


多分、前に付き合っていた人との不倫がバレて、事件になって、会えなくなってしまった時の事だろう。


もしかしたら、昨日俺に言ってくれた言葉は、「すず姉ちゃん」が自分自身に言って欲しかった言葉なのかも知れない。


相手の男が、行為に及んでその末に、親愛ではなく罪悪感しか抱いていないとしたら、どんなにか報われない。



なら、俺は、どうすれば良い?



宗次朗:「俺、帰ります。」







それから俺は、「アカリ先生」から住所を聞き出して、「鐘森麗美」の家に、辿り着く。

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