第024話「と或る夜の風景」

時計は何時の間にか23時を回っていた、

コミュータの微かな振動に揺すられながら、僕は一人、車窓を流れる夜の街の景色を眺める、


今僕が見ているこの景色は、本物の景色ではない、…半地下に埋設された自動車専用通路「チューブ」の屋根に設置された魚眼レンズで捕えた映像をコンピュータで補正して、あたかも外を走っているかの様に見せかけた、造り物の、偽物の景色だ、処が人間の目と脳は、それがかつて見慣れた本物の風景で有るかの様に錯覚、自己補正して認識する、



リョウコ:「うぅん、…」


僕の隣では、まるで赤ん坊の様に僕の指を握りしめながら眠る「平塚さん」が、可愛らしい寝言を零す、


「彼女」の見ている風景も又、肉眼のモノとは違っているのだろうか、


彼女が手首に付けたブレスレッドは、コンタクトレンズ型のカメラを通した映像信号を網膜に移植した電極に伝えて、脳に映像を認識させる、


「彼女」の目に「本当の僕の姿」は、どんな風に映るのだろうか?



やがてコミュータは寮の前に停車して、

ドアの開閉ボタンを押すと、微かな警告音を鳴らしながらゆっくりとドアが開く、


途端に、4月のヒンヤリと湿り気を帯びた夜の大気が、思い出したかの様に僕の肌に纏わり付いて来る、



シオン:「平塚さん、着いたよ、」


僕は、寝惚け眼の「平塚さん」を揺すり起こして、…

大きな紙袋を3つ抱えて、寮の玄関のセキュリティドアを潜る、


二人で選んだ食器と、「戸塚さん」が選んだ可愛らしい洋服と、数冊の漫画本、


エレベータで女子部屋になっている5階まで上がり、

「平塚さん」の部屋の前で、指紋認証してドアを解錠、…



シオン:「ちゃんと着替えて寝るんだよ、」

リョウコ:「わかった、」


シオン:「お休み、」

リョウコ:「おやすみ、」


僕は、紙袋を玄関の隅に置いて、…静かに、ドアを閉める、


それから階段で4階に降りて、一番奥から2番目の部屋のドアを開ける、


誰もいない部屋の灯りを付けて、

トレーナーに着替えて、

小さなベランダの着いた窓を開ける、



僕はこの、少し高台になったベランダからの眺めが好きだった、


一年前、初めて此の部屋で一人暮しを始める事になった時、坂の下の公園の桜が風に舞うのを見て、何だかセンチメンタルになった事を思い出す、


もう、今年の桜は随分散ってしまったらしい、

時折吹く風が、所々剥き出しになった葉桜の枝を揺すっている、



何だか、理由も分らず不安な気持ちになるのは、どうしてだろうか?


配属が、思い通りでなかったから?

仕事が、上手く行っていないから?

友達が、出来たから?


昔の事を、忘れていた事を、思い出したから、



僕には、

僕さえ居なければ、きっと救われた筈の三人の友達が居た、


だったら、何故僕は、此処に居るのだろう?


ずっと、我武者らに頑張り続ける事で、

その「呪い」から、解放されたつもりで居た、

少なくとも、どうにもならない遣る瀬無さから、一刻、目を背ける事は出来た、


でもそれは、独り善がり自分勝手に決めた自分自身の安全地帯に過ぎなくて、

結局「呪い」は、僕を見逃してくれたりはしなくて、

結局僕には、何一つ償えてはいないのだ、


本当は、どうすれば良いのか分らないから、こんなにも不安になるのだろう、



ナギト:「よう、帰ったか、」


見ると、隣の部屋の、窓枠に凭れて片膝を立てて、ナギトが同じ様に夜の街を眺めていた、


片手にはビールの500ml缶をぶら下げている、



シオン:「うん、」

ナギト:「飲むか?」


ナギトは、飲みかけの缶を僕に手渡し、…

僕は、冷えた苦い液体を一口、含む、



シオン:「どうして、僕は、こんな処に居るんだろう、」

ナギト:「さあな、考えた事も無い、」



見上げると夜の星空を、流れる薄い雲が塗りつぶし始めていた、

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