第9話
朝、ソラは瞼を開けると、
「おはようございます、ソラさん」
何故か期待度(目のキラキラ)が増しているエレンが、何故かソラの目の前にいた。具体的に言うと同じベッドで寝ていた。
(……ハァ!?)
眠気は彼方に吹っ飛んだ。ガバリと上体を起こして、どうしてエレンがここにいるのかを考えるが、「なんで」と「どうして」の言葉しかソラの頭から出てこない。
「ど、どうしてエレンちゃんが!?」
「あ、初めてわたしの名前を呼んでくれました、嬉しいです!」
ニコッと笑顔を見せるエレン。
(あ……こんな顔もできるんだ)
昨日は無表情というか、業務的な顔しかみせてなかったので、ソラはちょっと驚いた。
「昨日は結局、一度も名前を呼んでくれませんでした。その事を知り合いのお姉さんに相談してみたんですけど、そしたら『朝のおはようからお休みまでの一日中一緒に行動すれば、きっと自然と名前を呼び合う関係になるだろう』って、お姉さんの言う通りだ、もう効果がでました」
「俺はそのお姉さんと色々話し合う必要があると思うんだよ」
エレンは、寝間着姿で、流石に今は帽子をかぶってはいない。サラサラの赤みがかった長髪は、ベッドの上で広がっている。
「そういえば、この部屋は一応鍵がかかっていたはずなんだけど、エレンちゃんはどうやって入ってきたのかな……?」
「そのお姉さんがテレポートで送ってくれたの」
「あいつ《レイナ》かぁ!!」
しかし、今期入学生のエレナがまだ三日しか学園で過ごしていないのに、一体どこでレイナと知り合ったのだろうか、ソラは冷静な部分で考えたが、答えなど出る訳もないので、考えるのを放棄した。
「ソラさん、レイナさんをご存じなのですか?」
「ご存じですとも、昨日メチャンコにしてやられたよ。あいつ一体何者だよ」
「ええと、ご自分では学園唯一の英傑、だそうですよ」
「自己評価が高い奴だ。不愉快なことに実力は伴っているけどな」
「そうです、ね――ふあぁ~」
エレンがあくびをした。
「すいません……いつソラさんが起きてもいいようにと、ずっとスタンバっていましたので、ちょっとだけ眠いです」
「ちなみに、どれくらいスタンバっていたのかな」
「ほんの二時間ほど」
ちょっと恥ずかしそうに、努力は隠しておきたいと思う気持ちと、努力を認めてもらいたいという表裏一体な気持ちにエレンは揺れながら、ずっとソラの寝顔を見ていた時間を言った。
「マジか。この二時間、ずっと見詰められていたのか」
ここが戦地だったらすでに死んでいるなと、ソラは思った。
「とにかく、今は寝ておいて、その寝不足を解消しなさい」
「大丈夫です、わたしやれます!」
「え、何を? というか、そもそも俺の言うことを聞かないんだったらコーチの意味なくない?」
「言われてみれば、そうですね。わたしがソラさんのお部屋に来たのも、コーチとの距離を近付けるためですし、わたしが言うこと聞かなければ、本末転倒です。わかりました、わたし、ソラさんのいうこと何でも、どんなことでも聞きます!」
「いや、そこまで忠実じゃなくてもいいから。とりあえず、参考程度に考えてもらえばいいから」
「いえ、この身はソラさんに預けたので、心もソラさんに――「預けなくてよろしい! なんだか若干違う意味に聞こえてくるから! ダメ絶対!」
ソラは若干厳しく言う。
「そんな、わたしはこんなにソラさんを思っているのに……」
「それなら素直に言うことを聞いてくれ」
「わかりました。それではわたし、寝かせてもらいます」
エレンは、ソラが飛び起きた際にずれた布団を戻し、そこに横になった。子供の身には寝不足は厳しかったのだろう、すぐに可愛らしい寝息を立て始めた。
「――あれ、俺はどこに寝ればいいんだ……」
よく見れば、ベッドはもう一人入れるようなスペースはある。エレンが気を使ってのことだろう。
「…………いや、流石にそれはイケナイだろう」
未練を断ち切るため、ソラは走ってこようと部屋を出た。
校舎の周りを走っていると、後ろからソラに声を掛ける者がいた。
「おう、お前も走り込みか!」
レオだ。軽くランニングをしていたところ、その隣にレオが走ってきた。
「先生も走り込みをしているところだ」
「レオ先生……おはようございます」
「おう、おはよう。朝の挨拶は大事だよな」
「そうですね」
ソラとレオは並んで走る。
「……なあ」
「はい」
「その……昨日は悪かったな、むりやり押し付けたみたいにして」
「『みたい』ではなく、そのまんま押し付けられたんじゃないですか」
「いやまあ、そうなんだが…………」
「でも、あの子のトレーニングにはちゃんと付き合います。決めたことですからね」
「――そうか、アイツは少々突っ張るところがあるからな、ちゃんとフォローしてやってくれ」
「わかりました」
ソラは了承して、あれ、と思う。
(例え先生だとしても、入学してたった2、3日でそんなことがわかるのか?)
「それじゃ、先生は先に行くわ」
「あ、ちょっと!」
しかし、ソラが呼び止めるより早く、レオは凄まじい脚力でガンガン先を走って行った。
「待って、てか、早すぎる……!」
今からソラが全力を出して走っても、追いつけないだろう。もっとも、そんな面倒なことはしないが。
「アレきっと人間じゃないな、別の種族だ、きっと」
さもなければ人間であんなスピードを出せるわけがないと結論付けた。
朝も、そろそろみんなが起き始めて、早い生徒は既に朝食を取っている時間になった。流石にそろそろエレンには起きてもらわないと困るので、ソラは急ぎ、自分の部屋に戻ることにした。
「エレンちゃんそろそろ起きて――」
ドアを開けるなり、ソラは言葉に詰まった。
「あ、ソラさん、二度目ですけどおはようございます」
エレンはニコッとソラに笑顔を向けた。――下着姿で。
彼女の姿と、開かれたボストンバックがあることから、エレンの着替えに
「ご、ごご、ごめん!」
バタン! 他の人が見たらびっくりするような勢いで扉を閉める。
「自分、何やってんや?」
ジト目で、ソルミレンが見ていた。
超不審そうな目つきでソラを見ていた。
「あ、えーと、おはようございます先輩」
「うん、おはよう。朝の挨拶は大事やな。で、自分ナニしてんねん」
まあ当然のように誤魔化しきれなかった。
「とりあえず、そこ退いて」
ソルミレンはソラに扉から退けと命令する。しかし、この扉の向こう側には現在、着替え中のエレン《ようじょ》がいる。そんなところをソルミレンに目撃されたら、
(詰むな、確実に……)
それだけは確実に避けねばなるまい、自分の未来を守るために!
「先輩、世の中には聞き入れられる問題と聞き入れられない問題があるんです」
「ほう、私に逆らうか。ちょっと妹のことで世話になったからって大きく出たな」
「どうしても俺に退いてほしければ、力ずくでイタタタタ! 長い爪が顔に食い込んでいます!」
「にゃふふ、先手必勝とはこのことだよ」
獣人族特有のとがった長い爪がソラの顔面に食い込んだ。ソルミレンはソラのセリフが言い終わらないうちに顔面を掴みとる攻撃に出たのだ。
「さあ、早く退いた方が身のため、顔のためじゃないか? 私だってこんなことやりたくはないんだ、妹に恨まれそうだしな」
「それって、どうゆう――」
顔を掴んだ手をどうにか外そうと抵抗しつつ、意味深なソルミレンのセリフの真意を聞き返そうとしたその時、
「ソラさん、もういいですよ」
そのセリフとともに、エレンが扉を開けて廊下に出てきた。
「あ、ソルミレン先生、おはようございます」
「「…………」」
その時、ソラは時間が止まったかのように感じた。
「ちょっとまってください」
何も言わず立ち去ろうとしたソルミレンの手を逃がさないように掴む。
「今すぐその手を離さないと大声を出すわよ! あー! あー! あー!」
「既に大声出してるじゃありませんか!」
掴んでいる手を思いっきり引いて、ソルミレンを無理やり部屋に引き入れる。
バタン! そして声が漏れないように扉を閉める。
「ようやく本性を現したか、この犯罪者め!」
「ようやくってなんですか! まるで前から俺がそうであったような印象ができるのでやめてください! それよりも、先輩が今思っていることは全くの誤解です!」
「アン? ソラくんが夜な夜な下着集めに興じているだけじゃなく、小っちゃな生徒を部屋に連れ込む大変な変態だってことのどこに誤りがあるのよ」
「俺に謝れ!」
ソラの思った以上に悪く思われていた。
「あ、あのぅ……」
おずおずと、扉を開けて入ってきたエレンは、緊張交じりの顔でソラ達の顔色をうかがう。
「何かあったんですか?」
「むしろエレンちゃんこそ何もなかった?」
「はい、わたしは別に何も……昨日が遅かったので少し眠いですけど」
「深読みしたら危なそうな言葉ね、ソレ」
「邪推しないでください。俺とエレンちゃんは何もありません」
「そんな! わたしはソラさんに身も心も託したのに、そんな言い方はないです!」
「オドレは俺を陥れたいのか!」
つい大きな声を出してしまったソラに、ソルミレンは厳しい目を向ける。
「やっぱり、ソラくんは……」
「だから違いますって!」
それから、ソルミレンを納得させるまで説明を続けたソラの労力が報われたのは、二時間後の話であった。
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