堅実な男の助言
「――というわけで、みっくんの意見が欲しいの」
今までのいきさつを洗いざらい打ち明けた淳は、真剣な声と表情でそう締めくくった。
ある土曜日の、昼下がり。
和也は朝からバイトで出掛けていて、淳は午前中とある会社の就職説明会に行っていた。袖を通すのももう何度目かになるスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めながら、ソファに座って自分の話を聞いていた相手――充紀をじっと見据える。
唯一仕事休みだった充紀は、戻ってくるや否や唐突に始められた淳の話を、特に疑問を口にすることなく聞いていた。淳があらかた話を終えたと判断すると、組んだ足に乗せていたノートパソコンをパチリ、と閉じ、テーブルに置く。こめかみに手をやり、ふぅ、と小さく息を吐いた。
余裕とも取れる緩慢な仕草を眺めていると、ゆっくりと顔を上げた充紀が、淳を見て呆れたように口を開いた。
「お前さ、それで最近悩んでたの?」
「……うん」
やっぱり、充紀にとっては至極くだらないことだったのだろう。
彼との人生経験の差をまざまざと見せつけられた気がして、淳は肩を落とした。あぁ、自分はまだまだ子供だ。
落ち込んだ様子の淳をちらりと見た充紀は、おいでおいでと言うように小さく手招きしてきた。充紀の座るソファの傍に立っていた淳は、言われるがまま彼の隣に座る。
間髪入れずに、淳の頭にずっしりと温かいものが落ちてきた。それが充紀の手だと気付くと同時に、わしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。充紀本人としては撫でているつもりかもしれないが、その手つきは少しぶっきらぼうで……けれど、確かな優しさもこもっている気がした。
「ちょ、みっくん。何すんの」
「ん」
返事にならない返事の後、充紀はさんざん淳の髪を掻き回していた手をゆっくりと離す。ぐちゃぐちゃになった髪の毛を手櫛で整えていると、充紀はそんな淳をふわりと優しい表情で見つめながら、しみじみと――少し責めるような響きで、言った。
「あのさ、淳。そういうことは何でもっと早く、俺らに相談してくれなかったわけ?」
俺らが、どんだけ心配してたと思ってるの?
今まで自分を見守っていてくれたのだと、明らかに証明しているかのようなその言葉に、淳は嬉しいような情けないような、複雑な気持ちになる。
縮こまった淳がごめんなさい、と小さく謝れば、充紀は声を上げて笑った。
「いいよ。今からでも、こうやって打ち明けてくれたんだからさ。俺らにできることなら、何でも手伝うって。な?」
せっかく整えた髪の毛を、また撫ぜられる。文句を言いたかったけど、撫でられるのが予想外に心地よくて、口をつぐんだ。
「んで? 何だっけ。『好きなこと』を『仕事』にすることはどういうことなのか、だっけ?」
「まぁ簡潔に言えば、そういうことなんだけど」
唐突に戻された話題に戸惑いながらも、淳はうなずく。
「また、ややこしい問題だな」
淳の頭から手を離した充紀はうーん、と難しそうに眉根を寄せながら腕を組んだ。その姿勢のまま目を閉じ、五秒ほど黙ったあと……言葉を選ぶように、一言ずつ口にし始める。
「俺もどっちかっていうと、淳と同じような意見を持ってたんだ。好きなことと仕事は違うものだって、割り切ってたというか。例えば趣味を仕事にすると、『好きな時にやってる』ことが一気に『やらなきゃならないこと』……つまり義務になるだろ? そしたら、自分が追い込まれそうで。好きだったはずのものが、嫌いになりそうで。怖かった」
その感覚は、淳にもなんとなく分かるような気がした。そもそも好きなことと仕事をイコールでなんて考えたことはなかったから、これも今初めて考え、感じたことだったのだけれど。
「だから、俺は自分の『できること』とはちょっと違うけど……『得意なこと』を中心にして考えた。人と話すこと、説得したり導いたりすること、人の意見を聞くこと……そういうことが結構得意だって、自分でも思ってたし、他の人にも指摘されたし。でまぁ、そしたらやっぱ無難に営業かなって」
堅実な考え方だ、と思う。
和也のように夢に向かって猪突猛進するんじゃなくて、自分がどういう人間なのかを分析して、どういうことなら苦にならずにできるのか、やろうと思えるのか……そういうことを一つずつ考えて、充紀は今の職業に決めた。
「もちろん、周りにもたくさん相談したよ。俺、今こんな風に考えてるんだけど、どう思う? とか。実際に営業の仕事を知っている人……父親とか、高卒ないし短大卒で既に働いてる友人とかに、話を聞いてみたり」
充紀の経験談に、淳は思わず所在なさげに身を縮こまらせる。
高校時代の自分は、大学時代の充紀と違って、誰にも何も相談できなかった。学が言っていたように、全部一人で抱え込もうとして……だから高校の時は、失敗してしまったのかもしれない。抱えきれなかったものがとうとう爆発して、何もかもが台無しになってしまったのだろう。
結局、未熟だった自分の自業自得だったんだ。
「……なぁ淳、今何考えてる?」
ふと話を止めた充紀が、いきなりそんな風に尋ねてきたものだから、それまで考え事に沈みながら隣で彼の声に耳を傾けていた淳は、驚いて肩を揺らした。
教師に怒られる時みたいな気分でうつむく淳の頭上から、ふ、と吐息交じりの声が漏れる。
「過去に縛られたり、自分を責めたりしてるんだったら、やめとけ。そんなことしてる間にも、何歩でも前に進もうと思えば進めるんだから」
まさに自分の状況を言い当てられているような気がして、淳はどきりとする。
確かに自分は、過去の――高校時代の失敗に今もこだわって、自己嫌悪に陥っていた。だから今も、一歩も進めていないのかもしれない。
同じ過ちを、二度繰り返すわけには、いかないのに。
あの頃のような逃げ道だってもう、今はどこにも存在しないのに。
「俺……どうしたら、いいんかな」
ポツリと零れた声は、弱々しく部屋に響く。
――誰かに頼ることは、別に悪いことやなか。
学の言葉を反芻しながらも、情けない自分をさらけ出していることが悲しくて、悔しくて、唇を噛む。
そんな淳の頭に、また暖かなものが乗った。先ほど乱暴に撫でられたのとは違う、優しい手つきで髪を梳かれる。
「あんまり、一人で抱え込むな。悩んだり、行き詰まったりしたときは、俺でも……和也にでもいい。相談しろ」
「……うん」
「お前、ちょっとプライド高いところあると思うから。かっこ悪い自分を見られるのが、口惜しいって思ってるんじゃないか?」
「……そうかも」
そうかも――というか、自分でも十中八九その通りだと思う。
「かっこ悪くたっていいじゃん」
一つ溜息を吐いた淳に、充紀はあっけらかんと、至極単純に言った。
「思えば俺も和也も、今まで年下のお前にかっこ悪いとこばっか見せてきたわけじゃん。けどお前は、そんな俺らを茶化すことなく、親身になって俺らのことを助けてくれた。だから……次は俺らに、お前のこと助けさせてくんねぇかな」
出逢ってから、そんなに長い時間が経ったわけじゃないけど……少しでも信頼してくれたら、嬉しい。
「きっと和也も、同じ気持ちでいてくれてると思うぞ」
な? と再び優しく髪を梳かれ、泣きそうになる。彼の言葉は溢れんばかりの思いやりに満ちていて……。
あぁ、俺は誰かにそう言って欲しかったんだな。
今更、淳はそんな風にしみじみと思った。
「とりあえず……そうだなぁ。和也が言っていたように、とりあえず興味のある分野とか、好きなこととか。あと、得意なこととかを中心に、色々と調べてみたらいいんじゃないか」
顔を上げられずにいる淳を咎めることもなく、充紀は話を締めるようにアドバイスを口にする。
「俺は歴史のこととかよくわかんないけど、会社にそういう女の子……えぇと、レキジョ? っていうんだっけ。その子、親が学芸員やってるらしいから、ちょっと話聞いてみるな。和也も、そういえば前にお兄さんが教師だって言ってたし……話聞けそうだったら、聞いてもらうようにするから」
「……あり、がと」
泣きそうになっているのをどうにか堪えているからか、それとも気恥ずかしいからか、発した声は途切れ途切れになってしまった。充紀はそんな淳を笑うこともなく、「どういたしまして」と何事もないかのごとく答える。
淳の頭に置いていた手をポン、と弾ませ離すと、「さてと」と伸びをしながら立ち上がった。
「そろそろ和也が帰ってくる頃だ。たまには、俺が夕飯作って待っててやろうかなぁ」
「う、ん」
「淳ももちろん、手伝ってくれるよな?」
いまだソファに座ったままうつむいていた淳の顔を覗き込み、充紀が問いかけてくる。そのまなざしがひどく優しくて、安心した。
「うん」
つられるように、笑みが零れる。
「買い出し行くぞ」との言葉とともに、当たり前のように差し出された大きな手に、淳は絶対的な信頼を乗せて自らの少し小さな手を重ねた。
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