旧友との再会

「えぇっ、マジで!?」

 リビングのソファにゆったりと座り、携帯電話をいじっていた和也が、突然大きな声を上げた。

 ダイニングテーブルでパソコンに向かっていた充紀と、同じくダイニングテーブルでレポートを仕上げていた淳が、驚いて顔を上げた。揃って、若干ジト目で和也の方を見る。

「おい、うるさいぞ和也。いったいどうしたんだ」

「日曜の昼下がりだからって、あんまりガキみたくはしゃいでちゃダメだよ、和くん」

「あぁ、ごめんごめん……って淳ちゃん! ガキみたくって何よ! だいたいオレは、別にはしゃいでなんか……」

「はいはい、分かったから。なんかびっくりしたことでもあったんだよな。早く説明しろ和也」

「うぅ……」

 充紀がたしなめるのに、和也はむすぅ、と機嫌悪そうに唇を尖らせる。そういうところがガキなんだって、と淳は心の中でだけ呟いた(実際口にしたら、さらに反撃されそうだ)。

「んで? どうしたの和くん」

「これ見て!」

 待ってましたと言わんばかりに、ソファから立ち上がった和也が、ダイニングに小走りで向かってくる。二人が座るダイニングテーブルのちょうど真ん中に、携帯を置いた。

「「ん?」」

 それぞれの作業を止め、充紀と淳は身を乗り出す。そこには、やたら絵文字やら顔文字の多い、おおよそ和也とよく似たハイテンションな文体のメッセージが映し出されていた。

『なんとユッコ、妊娠しちゃいましたぁ~。三ヶ月だって! 年末には、かずくんもおじさんだよぉ』

 二人は思わずと言ったように顔を見合わせ……そして、ニヤニヤしている和也の方を一斉に見た。

「えぇっ、すげぇ!!」

「ユッコさん、ママになるんか!?」

 突然の由希子からの連絡に、二人は興奮状態になっていた。全然そんな素振りなかったのに、と悔しがる様子は、あたかも自分が由希子の夫であるかのような反応だ。予想通り……いや、予想以上の反応に、和也はほくそ笑みながら「そうなんだよ!」とテンション高く答えた。

「いやぁ……また甥っ子か姪っ子が増えるのかぁ。大変だなぁ」

 言いながらも感慨深げに目を細める和也に、淳が思いついたように提案した。

「ねぇ、せっかくだからお祝いしようよ」

「いいな。ユッコさんたち呼ぶ?」

「そうこなくっちゃ! きっとユッコも、あーくんも喜ぶよ」

 テーブルに置いた携帯を拾い上げた和也は、「早速連絡してみるね」と言うが早いか、早速メッセージを作成するべく指で画面を滑らせ始めた。

 鼻歌を歌う横顔は、無意識かだらしなく緩んでいる。

「嬉しそうだな、和也」

「もっちろん!」

 からかうように充紀が声を掛けると、興奮のあまりか多少上ずった声が返ってきた。

「五十嵐家……じゃないけど、五十嵐一族が、増えるんだよ。こんなに嬉しいことはないよ」

 その言葉を聞いた充紀は、淳に目配せする。その視線があまりに微笑ましげで、淳も自然と頬を緩めた。

 つい最近まで、血の繋がりを理由に家族のことを素直に認められずにいた彼が、今は生まれてくる新しい家族の存在を手放しで喜んでいる。

 そのことが嬉しくもあったけど……ちょっとだけ、妬ましくも思えた。

 そんなことを考えてしまう自分があまりに愚かで、嫌気がさしてしまうのをごまかすように、淳は充紀に話しかけた。

「予定日は、年末だっけ?」

「あぁ、確かそんな感じのことが書いてあったな」

「その頃には……」

 言いかけて、淳は口をつぐむ。

 考えまいとしていたことが、再び心の中で芽吹こうとするのを感じて、思わず胸を手で押さえた。

 その頃には……自分は、どうなっているんだろう。

 今のみんなと同じように、ちゃんと笑えているのかな。進むべき道を決めて、近い将来の自分の姿を具体的に思い浮かべながら、期待と不安に胸を膨らませているのかな。

 それはきっと、今の大学四回生ならばほぼ当然のことで。就活など、ほとんどの人間が終わっているであろう頃で。

 けど……自分も、そうなっているのかという想像はつかない。

 その頃になってもまだ、今と同じように底なし沼で溺れたまま足掻いているような……誰にも助けを求められないまま、もがき苦しんでいるような気がしてしまう。

 いつまで経っても、どれだけ歳を重ねても、自分は変われないままなのではないかと、考えてしまう。

「淳……?」

 突然黙ってしまった淳を案じるように、充紀が顔を覗きこんでくる。気づけば、メッセージの作成を終えていたらしい和也もまた、心配そうに淳を見ていた。

「……ごめん」

 何でもないよ、と必死に笑みを作り直す。けれど出来上がったそれは、少し強張っていたかもしれない。

 悟られたくなくて、無理に話を変えた。

「ねぇ、ユッコさんから返信来た?」

「あ……」

 意図に気付いてくれたらしい和也が、慌てて携帯の画面を見た。

「うん、大丈夫って! 夕方、あーくんが帰ってきたらすぐ来るってさ」

「ダイニングテーブル、四人掛けだけど大丈夫かな?」

「リビングで食べよう。ソファの方が広いし、そこなら人数多くても座れるだろ」

 充紀も、触れない方がいいと思ったのだろう。淳の発した言葉に、いつもと同じトーンで答えてくれた。

「じゃあ、そうとなったら早速準備始めんと」

「ねぇ、今日は充紀くんが作ってくれるでしょ?」

「何で俺が……まぁいいけど」

「やったぁ!」

「久しぶりにみっくんが作ってくれるんかぁ、楽しみやな」

「んじゃ、買い出し行くか」

「「おっけー」」

 すっかりいつもの調子に戻ったことに、淳は心の中で安堵する。

 年上二人に甘えることはたやすくても、助けを求めることだけはできそうにない。両親に対しても、そうであったように。

 ――逃げた自分には、そんな資格がないから。

 暗い考えを払拭するように、淳はわざといつもより明るく、普段の和也のようにテンション高く振る舞った。

 一瞬だけ悲しそうに眉を下げた二人には、気付かないふりをして。


    ◆◆◆


 翌日。

 アパートの自室で、淳はスーツに着替えていた。就活用に購入したそれは、あまり袖を通していないので、まだ真新しい。

 紺色のネクタイは、充紀に借りた。事前に結び方もちゃんと教えてもらっていたので、我ながら再現度は完璧だ。どうせならスーツも充紀に借りれば良かったのだが、いかんせん小柄な淳に彼のスーツは大きかったのでそれは断念せざるを得なかった。

「これで良し、と」

 ぴしり、と正装で決めた全身を、姿見に映してきちんと確認する。

「……そろそろ行こうかな」

 ちらりと時計を見た淳は、姿見から離れ、ようやく玄関に向かった。

 玄関の段差にしゃがみこみ、あまり慣れない靴を履く。この革靴と、手にしている鞄も就活に向けて購入したものだ。

 この日淳は、とある会社の説明会に行くべく、休みを取っていた。

 どういう会社かは事前にある程度調べてはいたけれど、正直言ってあまり気が進まない。言ってしまえば、それほど興味がないのだ。

 ……しかし、いつまでもそんなことを言っていても仕方ない。

 溜息を一つ吐き、手帳を開く。

 ここから電車で二、三駅行った場所に、その会社はあるらしい。それならまずは、最寄駅に行かなくては。

 気を取り直し、アパートのドアに手を掛けた。


 ――昼を少し過ぎた頃、企業説明会は終わった。

 再び電車に揺られながら、もらったパンフレットを何となしに眺める。書いてあることは大体説明会で聞いた通りだが、どうも要領を得ない。いまいち、ピンとこないというか。

 首元が苦しくて、きつめに締めていたネクタイを緩めた。

 ……と、ちょうどその時。

「淳?」

 ゆったりと座席に座ってパンフレットを見ていた淳の頭上から、声がかかった。名を呼ばれたことで、反射的に顔を上げる。

 吊り革を持ちながら自分を見下ろしていたのは、淳と同じくらい小柄で華奢な青年だった。今時の若者らしく、明るい色に染めた髪から覗く耳には、ピアスが光っている。

 その姿を、淳はまじまじとしばらく眺め……やがて、あっ、と声を上げた。

「思い出したか」

 同年代ぐらいの青年は、ニヤリと笑みを浮かべる。目を見開きながら、淳は彼の名を――正確には、彼をいつもそう呼んでいた時の名を――驚きでいっぱいの声で、口にした。

「がっくん」

「淳、やっとかめだなも。元気しとった?」

「え、あぁ……うん。元気やよ」

 かつて淳の幼馴染だった『がっくん』こと小野寺おのでらまなぶ――『学』という字が『がく』と読めることから、淳は幼少期から彼をそう呼んでいる――は、いつの間にかどこの出身だかよく分からない喋り方になっていた。けれども笑った時にのぞく八重歯や、つかみどころのない飄々とした言動は、昔と何ら変わっていない。

 そんな彼はおもむろに、淳のスーツ姿を見て首を傾げた。

「そんなめかしこんで、どさ行ってた?」

「就活だよ」

 ふぅ、と溜息を吐く。その様子に何かを感じたのか、学はクスリ、と笑った。膝の上で開かれているパンフレットにちらりと目をやり、何気なく呟く。

「何や、悩んどるみたいやの」

「……分かる?」

 昔から、学はそういう人間だった。無口で自分から発言することが苦手な淳の、抱えているものをひょいと拾い上げてくれる。その上で手を差し伸べてくれるかどうかは、彼の気分次第だけど。

 言葉の続きを口にしようとしたところで、ちょうど淳の降りる駅を告げるアナウンスが鳴った。からからに乾いた喉を鳴らし、「俺、降りな」とうわ言のように口を開く。別に気にするでもなく、学はうなずいた。

 電車が止まり、パンフレットを折り畳んだ淳は、座席から立ち上がる。当然のように連れ立って電車を降りた学の存在を、何故か不思議に思うことはなかった。

「なぁ。この後、時間あるんけ」

「大学は休み取ったで、時間ならたっぷりある」

「ほいだら、ちょっと話しよっさ」

 もしかしたら心の中では密かに、そう言ってもらうことを期待していたのかもしれない。久しぶりだからとか、そういうわけではなくて。

「えぇよ」

 独特の雰囲気を持つ、この旧友と話がしたかった。彼にとっては、きっとただの暇つぶしでしかないのだろうけれど、それでも。

 何も言わぬまま、学は軽やかな足取りで駅の出口へとひょいひょい進んでいく。どこから乗ってきたのかとか、本当はもっと別のところで降りるつもりだったのではないかとか、彼に聞きたいことはたくさんあったけれど……。

 どんどん離れていく後姿に、ハッと我に返る。

「ま、待って。がっくん」

 振り向かないその背を、慌てて追いかけた。

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