十年振りの実家訪問・後篇
「ほら次、和也兄ちゃんの番だよ!」
「よーし、本気で投げるからな。お前ら覚悟しとけよ!」
「かかってこい!」
「絶対受け止めてやる!」
和也の兄の子供たちは、事前に聞かされていた通り、三人とも元気いっぱいだった。様子を見に来た兄嫁が「手のかかる子たちで……」と眉を下げて笑っていたが、確かにそうだと納得せずにいられない。
あれから一時間ほど人生ゲームをした後、少し広めの空間を取ってある部屋の中で、ボール遊びに興じていた。周りに民家が密接していないので苦情の類が来ることはない、と由希子は言っていたが、それにしても騒ぎすぎではなかろうか。充紀が幾度も注意しかけるのを、淳がいつもののんびりした口調でなだめる……というのが何度か続いた。
「おーい、お前ら。お客さんを困らせるんじゃない」
騒がしい部屋にのそりと入ってきたのは、体格のいい男性。ぶっきらぼうそうな表情と大柄な身体つきから、見る者に意図せず威圧感を与える彼は、仕事帰りかダークな色合いのスーツを着ている。その姿を認めるや否や、それまで子供達と一緒になって騒いでいた和也がびくり、と身を竦めた。
「あ、兄貴……」
「久しぶりだな。お帰り、和也」
ほぼ仏頂面のまま、男性――和也の兄は、緊張の面持ちで座り込んだ弟を見下ろす。その表情とは裏腹に、掛けられた低い声は優しかった。
「立派になったな」
「兄貴こそ……十年前より、でかくなった」
「そんなことはないと思うが」
フッ、と彼は小さく笑う。穏やかな笑み方には、どことなく安心感があって、充紀の雰囲気に近いものがある……と、淳は感じた。
「飯、出来たみたいだから。お前らも、和也も……お客人も、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、行くか。みんな」
「「「はーい」」」
ほぼ初めて顔を合わせたはずの伯父にも、その友人二人にも、子供達はすぐに懐いたらしい。子供が苦手な淳もだいぶ打ち解けたらしく、まとわりついてくる子供達と笑い合いながら、三人は和也の兄に案内されるがまま部屋を出た。
夕食の支度が施された居間には、充紀たち三人と深山夫婦、和也の兄夫婦と子供三人、それから和也の両親――総勢十二人が集まった。元々五十嵐家は家族が多かったらしく、これだけの大人数がテーブルを囲んでもほとんど窮屈に感じない。
テーブルには、和也の母親と由希子が腕によりをかけて作ったという郷土料理が幾つも並んでいる。どれも華やかな見た目で、しかもボリュームがあり、見ているだけで食欲をそそられる。
そんな夕食の席で――充紀と淳の間に座った和也は、兄と顔を合わせた時よりさらに緊張の面持ちで身体を縮こまらせていた。
「……和也」
兄のものよりさらにドスの利いた、低い声が響く。うつむきがちに座っていた和也は、びくり、と肩を震わせた。
恐る恐る顔を上げると、和也の向かいに座っていた男性――和也の父親が、しかめっ面で和也を見ていた。先ほどまで騒いでいた子供達も、その迫力が恐ろしいのか、席に着いた時からずっと押し黙っている。
和也は一度ずつ、傍らの充紀と淳を交互に見た。励ますように、それぞれ二人は微笑みを返す。それで少しは安心したのか、和也は意を決したように父親を見据え、返事をした。
「はい」
「まず、みんなに言うべきことがあるだろう。わかるな?」
父親の言葉に、和也はこくり、と一つうなずく。父親とその傍らで困ったように微笑みを浮かべる母親、静かなまなざしを向けたまま座っている兄と、彼に寄り添う兄嫁、それから案ずるように和也を見守っている由希子と深山へ、順番に視線を巡らせた。
そして……自らが座っている位置から少し後ずさり、半ば土下座の体制で頭を下げる。
「ごめんなさい」
「……それは、何に対する謝罪だ?」
咎めるような声に、和也は顔を上げぬまま答えた。
「十年前……オレはみんなに、ひどいことを言いました。オレの力で、みんなを幸せにしてあげたかった。笑顔にしてあげたかった。それなのに……みんなのオレへの想いを、これまで本当の子供と同じように受け入れ、育ててくれた恩を、一時の感情で一方的に全部否定しました。それでユッコのことを傷つけて、泣かせました」
「そうだな」
静かに、父親がうなずく。
「けれど……こちらにも、確かに非はあった」
驚いたように、和也が顔を上げる。一心に和也を見つめる表情は、もともとの顔つきからか少し怖いくらいだったけれど、そのまなざしにはほんの少しだけ、悲しみが宿っているように見えた。
低い声も、僅かながら震えているような気がする。
「お前に嘘を吐いて、ずっと騙し続けてきたことは……事実だ。お前が傷つき、裏切られたように感じ、激昂してしまったのも仕方ないだろう」
「でもね、和也」
続いて、母親が口を開く。柔らかな声は、先ほど聞いた朗らかな様子と異なり、しっとりとした切なさを感じさせた。
「わたしたちは
「そうだぞ、和也」
次に、兄――篤志が言った。
「お前がこの家に来た時のことは、よく憶えている。近所の神社に捨て置かれていた赤ん坊のお前を、ある日母さんが抱いて帰ってきたんだ。……穏やかにすやすやと眠るお前に、家族がどれほど癒されたか。どれほどの、希望を抱かせてくれたか。当時おれは受験生だったけど、お前の無邪気な姿を目にするだけで、勉強疲れとか、苛立ちとか、全部吹き飛ぶような気がして、気が楽になった。お前があの日、うちに来てくれなかったら……おれはきっと、受験を乗り越えられなかったと思う」
「あたしも、かずくんがうちに来てくれて良かったって思うわ」
篤志の次にそう口を開いたのは、由希子だった。
「あたしは兄さんと違って、あんたがうちに来た時のことは覚えてない。だから、あたしはあんたを本当に弟だと思ってた……ううん。ホントのこと知った今でも、そう思ってる。あんたは、あたしの大切な、たった一人の可愛い弟。五十嵐家にとってあんたは、欠けちゃいけない家族の一員なのよ」
同意するように、篤志がうなずく。
「きっと、この子は来るべくして来た子なんだって。自分たち家族に、幸せと笑顔を与えてくれる……そのために、生まれてきた子なんだって」
あの日、母さんは朗らかに笑って……普段は仏頂面の父さんも、口元を緩めて心の底から幸せそうな表情をしたんだよ。
篤志の柔らかい語り口調に、和也は再びうつむいた。肩を震わせ、先ほどから嗚咽を堪えている。
まとめるように、再び父親が口を開いた。
「お前が出て行ってから十年間、この家で和也の話が出なかったことはない。誰かしら、お前の話題を出していた」
そこで充紀は、ハッと気づく。
先ほど、子供たちと部屋へ行った時……それぞれが自己紹介をする前に、こう聞いてきたのだ。
『和也お兄ちゃんって、どの人?』
そして、和也が名乗った時……子供達はこうも言った。
『お歌が上手なんでしょ? あとで、聴かせてね』
あの時は、事前に母親などから聞いたのだろうと単純にそう思っていたが……家族がことあるごとに和也の話題を出していたというのなら、きっと子供たちも和也の名を頻繁に聞いていたのだ。彼がどういう人間で、今何をしているのかも。
――何だ、ちゃんと愛されてるじゃないか。
思わず笑みを零しながら、充紀はうなだれる和也の頭をくしゃくしゃと撫でる。その反対側から、淳も丸まった和也の背中をポン、と叩いた。
「お前は、この家の家族だ。十年間音沙汰もなく、心配をかけたことに関して、何か言うことは?」
「はい……すみませんでした」
これからは、頻繁に帰るようにします。
そう言って深々と頭を下げる和也を、母親と由希子は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら感慨深げに見つめる。篤志も涙を浮かべてはいなかったものの、しみじみとしたような優しげな表情を浮かべていた。
父親だけは相変わらず仏頂面だったけれど、その瞳は心なしか潤んでいるように見えた。
◆◆◆
思い出話に花が咲いた大所帯の夕食を終え、それぞれが宛がわれた部屋に引き払った頃。寝ている者もいる中、トイレに立った充紀は、自室へ戻る途中にふとあるものを見つけた。
電気がついた、一つの部屋。開かれたドアの向こうに、整然とした書斎のような空間が広がっている。デスクに向かい座り込む、背の丸まった後姿が見慣れたものであることに気付いた充紀は、そっと声を掛けた。
「和也?」
びくり、と大げさに身体が震える。恐る恐るといったように振り返った姿――和也は、ふにゃりと砕けた笑みを浮かべた。
「何だぁ、充紀くんか」
「どうした?」
「ここ、共用の書斎なんだけど……あとで、見ておけって言われて」
ふぅん、と言いながら充紀は足を踏み入れる。うずくまった和也の肩ごしに覗くと、デスクに大量の便箋が広がっていた。
丸っこい字や四角い字、流れるような達筆など、様々な字体で『五十嵐和也様』と書かれている。
「オレに、手紙書いてくれてたって……ホントだったんだね」
そういえば、深山がそんなことを言っていた。住所も分からないから、出せないまま机の引き出しに何通もしまわれているのだと。
深山はあたかも由希子だけがそうしているかのようなことを言っていたけれど、様々な字体が存在することから察するに、恐らく家族全員が同じことをしていたのだろう。
たくさんの分厚いそれらを、和也は丁寧な手つきでまとめ直し、愛おしそうにそっと胸へ抱きしめる。
何故か照れくさい気持ちになって、充紀は和也から目を逸らした。ふと、たくさんの本が並ぶ本棚へと目をやる。
真ん中から下に掛けては、難しそうな推理小説や専門本などが並んでいたが……。
「和也」
「ん?」
「本棚の上の方、見てみろよ」
充紀の声に導かれるように、和也は立ち上がり本棚の方へと歩み寄った。言われた通り、本棚の上の方に並べられたものを見る。そうして、思わずといったように目を見開いた。
「これは……」
隙間なく並べられていたのは、本ではなくCDのジャケットだった。『五十嵐和也』とクレジットされたそれらを、和也が懐かしそうに指で撫でる。
「これは、デビュー曲。十枚くらいしか売れなくて、すぐに廃盤になっちゃった」
「うん」
「こっちは二番目に出した曲。これもやっぱり、売れなかったな。んでその隣が三番目、次が四番目……」
和也いわく、ここには和也がこれまで出したシングル曲が、一作目から順番に、全て並べられているらしい。
「これ……最近出したやつ。発売してからそんなに経ってないのに、もう買ってくれてたんだ……」
呟きながら、一つずつ指でなぞっていく和也。その目が、少しずつ潤み始めた。先ほど泣いたせいで未だに赤くなったままの目尻が、新しい涙で湿っていく。
「みんな、お前の活動を見守ってくれてたんだな」
「うん……」
「応援して、くれてたんだな」
「うん……」
うつむいた和也の目から零れた滴が、ポタリ、と床に落ちる。
「明日、みんなに歌を聴かせてやろうか。な?」
「そう、だね……」
充紀の方へ顔を向け、泣き笑いの状態でこくこくとうなずく和也の頭を、充紀はもう一度撫でる。
そのまま彼が落ち着くまで、充紀は傍に着いていた。
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