十年振りの実家訪問・前篇
十二月半ば、もう半月ほどで年が変わろうかという頃。
一人じゃ照れ臭いからと、和也に散々頼み込まれた充紀と淳は、和也の里帰りに同行することになった。
飛行機を降りるやいなや、刺すような冷気が身体中を包んだ。足元には雪が積もっており、踏みしめるとさくり、と音を立てる。足元からくる雪の冷たさと周りの冷気に耐えきれないとでも言うように、充紀は厚着した自分の身体を掻き抱き、ぶるりと震えた。
「さっむ……」
「みっくん、大げさやな」
同じく厚着した淳が、白い息を吐きながら笑う。
「お前、寒くねぇの」
「寒くないわけあらへんけど、俺の故郷も一応雪国やでね。ある程度、他の人よりは……少なくともみっくんよりは、寒さに強いつもり」
充紀と淳の会話を聞いているのか聞いていないのかは分からないが、和也はいつものように口を挟むことはなかった。もこもことしたマフラーに半分顔を埋めた状態で、薄曇りの空から舞い降りる雪を懐かしそうに見上げている。
「雪、久しぶりに見たかもしれない」
「もう、十年帰ってなかったんだっけ?」
充紀が尋ねると、小さくうなずいた。
「だからこそ……ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、不安なんだ」
空を見上げる横顔が翳っているところを見る限り、恐らくちょっとだけ、どころではない。長年帰っていなかった家に足を踏み入れることが、長年会っていなかった由希子以外の家族と顔を合わせるのが、不安で、怖くてたまらないのだ。
だからこそ、彼は充紀たちをこうして連れてきたのだろう。
「そっか……」
それ以上触れることはなく、充紀は口を閉じる。話を変えるように淳へと向き直ると、「ところで」と少し張り気味の声で言った。
「淳は何で、和也の出身地がここだって分かったんだ?」
「あ、それオレも聞きたかった」
「んー?」
いつの間にやらカメラを取りだし、あちこちの景色を撮影していた淳が、ゆるりと振り向く。不思議そうに首を傾げる充紀と和也に向けてシャッターを切った。
出発前、本人が告げる前に和也の出身地を言い当てたその悪戯っぽい唇が、ゆるりと弧を描く。
「『これ、なげといて』」
「……へ?」
訳が分からないというように目を丸くする充紀に、淳は笑みを深めた。
「分からない? だろうね、これ方言らしいし。俺さ、大学の友達に言われて気づいたんやけど……でもね、前に和くんに同じこと言った時、和くんは何の疑いも持たんと……俺の渡した紙を、ごみ箱に捨てたんよ」
ハッとしたように、和也が両手で口元を覆う。
「これは俺の出身である地方と、それから北の方で主に使われてる方言なんだって。ということは、この方言の意味が分かる和くんは、俺と同郷か、北の出身のどちらか。けど今年アパートに来たユッコさんは、俺みたいに訛ってなかった。だから、和くんは北の出身じゃないかなって思ったんだ」
まさか、当たるなんて思わんかったけどねぇ。
ふふ、と愉しそうに笑う淳に、充紀と淳は呆気に取られていた。
「……何しとん」
二人が足を進めようとしないのは、和也が実家へ行くことを躊躇しているからだと判断したらしい淳は、元気づけるように声を上げる。
「ユッコさんらがもう先に帰ってるんやから、心配せぇへんでも大丈夫やって。ほら、行くよ」
両手でそれぞれ和也と充紀の手を取り、ぐいぐい引っ張っていく。一生懸命な様子に、思わずといったように二人は頬を緩めた。
「いいけど淳、場所分かんのかよ」
「分かるわけないやろ」
「だよねぇ。そっち、逆方向。このままじゃ空港から出られないよ」
「えぇっ。先に言いね」
「だったらお前が案内しろよ、和也」
「はいはい……」
「――かずくん!」
空港を出たところで、迎えに来てくれていた由希子がキラキラと無邪気に目を輝かせながら走ってきた。ロングコートの裾をひらりと揺らす様子は、相変わらず年齢を感じさせない若かりし少女のようだ。
「充紀さんたちも、来てくれてありがとう」
「いえ……こいつが、どうしてもって言うので」
「せっかくですし、旅行を兼ねるのもいいかなって」
「ふふ」
心の底から嬉しそうに、由希子は笑う。
「せっかくだから、ゆっくりしていって。車がそこにあるから、三人とも一緒に乗ってちょうだい」
「あーくんの車、そんなに乗れたっけ」
「あの人のじゃないわよ。今日は、兄さんの車借りたから。運転するのはあたしだし、あと三人くらいどうってことないわよ」
和也の問いかけに、悪戯っぽく目配せしながら由希子が微笑む。どうやら『あーくん』というのが、由希子の夫――深山の呼称らしい。
「かずくんが帰ってくるって聞いて、みんな楽しみにしてるのよ。かずくんのお友達も一緒に来るって言ったら、今日の夕食は豪華にしなくちゃって、母さんがやたら張り切ってたわ」
ふわりとロングコートを翻し、ブーツに包まれた足で雪をさくさくと踏みしめながら歩く由希子に、三人は着いていくことにする。今にも踊り出しそうな雰囲気を醸し出す背中を、和也は照れ臭そうに、けれど少し嬉しそうに見つめていた。
◆◆◆
陽も落ちかけた頃に、ようやく着いた和也の実家は、もともと大家族向けに建てられたものなのか、広い敷地だった。昔ながらの木造建築で、屋根も雪国仕様なのか少し変わった色と形をしている。由希子いわく、雪が多く降るこの地域で瓦屋根は不向きなので、トタン屋根と呼ばれる板金仕様になっているのだそうだ。傾きが急なのは、屋根に積もった雪が滑り落ちやすくするためなのだという。
「へぇ……雪国で暮らすのって、大変なんだな」
「まぁね。窓を開けたら一面雪、なんてこともよくあるわよ」
「でも、今年は少ない方だね」
「まぁ、今年は特に少ない方ね。けどここ二、三年はこんなものよ。かずくんはずっと帰ってなかったから、分かんないかもしれないけど」
「……あの、お二人さん? すでに膝まで埋まってますが」
「これで少ないって……さすが本場の雪国はちゃうな」
しれっと交わされる姉弟の会話に、充紀と淳が唖然としていると。
「あ、やっと来た。遅かったね、由希子」
外の騒ぎに気付いたのか、軽く凍ったドアが軋みながらゆっくりと開き、人の姿が出てきた。四人の姿を目にして、明るい声を出す。
「皆さん、いらっしゃい。それから……お帰り、和也」
どことなく安心したように、由希子の夫――深山は、微笑んだ。
「ほら、みんな待ってるよ」
「けど、あーくん……」
「大丈夫。みんな、お前の帰りをずっと楽しみにしてたんだから」
再び緊張が高まってきたらしく、足が竦んで動けない様子の和也。その背を、深山が優しい手つきで押していく。二人の足取りに合わせ、充紀と淳、そして由希子も、その後ろに着いた。
広い玄関を抜けて入っていけば、穏やかそうな見た目の女性が出迎えてくれる。その容姿は、なるほど由希子のそれによく似ていた。
「お帰り、和也」
嬉しそうに弾んだ声。十年振りに顔を合わせた母親に、感極まったのか和也は瞳を潤ませた。
顔を逸らしたまま何も言わない和也に、由希子は苦笑する。
「照れているのよ。気にしないで、母さん」
言いながら、由希子は先に靴を脱ぎ、家へ上がった。深山も後に続き、二人揃って奥へと消えていく。
「すみません」
「いやぁねぇ。気にしてなんてないわよ」
充紀が代わりに謝ると、へらり、と女性――和也の母親は笑った。能天気な様子は、和也の普段の姿を思い起こさせる。血の繋がりがないとは言っていても、そのあたりはやはり『似ている』と言わずにいられないだろう……と、充紀は思った。
「そんなことより、あなた方が和也のお友達?」
「あ、はい」
友達、という表現に少しばかりくすぐったさを覚えつつ、充紀と淳は順番に答えた。
「初めまして。篠宮充紀と申します」
「百瀬淳です」
よろしくお願いします……と、頭を下げかけた二人の動きは、突如奥から聞こえてきた騒ぎにより中断された。どすんっ、と後ろからぶつかってこられた衝撃で、和也の母親の身体が傾ぐ。
彼女に抱き着いていたのは、小学生くらいの男の子と女の子だった。
「った……何ぃ。二人とも、大人しくしとき!」
「えー、つまらん」
「ばあちゃん、あそぼ」
「今ばあちゃんは、お客さんの相手してるの。向こうに兄ちゃんいるでしょ。遊んできな」
「だって、兄ちゃん同じゲームばっかりしてるんだもん」
「いい加減飽きたよぉ」
「まったく……はぁ、ごめんなさいね。騒々しくて」
「いえいえ」
「お気になさらず」
苦笑する充紀たちに、由希子がこっそりと教えてくれる。
「この子たちは、兄の子供なんです。育ち盛りで、いつも騒がしいの」
「そうなんですか」
充紀がうなずいたところで、その存在に気付いたらしい子供たちが興味を持ったらしく、きらきらと目を輝かせた。どうやら、来客があるということは事前に教えられていたらしい。
「なぁお客さん、今日泊まってくんでしょ?」
「あそぼー。部屋に人生ゲームあるからさ」
「いっぱい人いたほうが楽しいもんね」
「こらっ! ……ホントに、もう」
「いいよ」
騒ぎによって緊張の糸がいくらか解けたのか、和也が進み出る。靴を脱いで家へ上がると、男の子の方を軽々と抱っこした。
「お部屋はどっち? 案内して」
「あー、ずるい! わたしも抱っこしてほしい!」
「充紀くん、淳。どっちか、この子抱っこしてあげて」
「えっ……みっくん」
淳は一人っ子のためか、どうやら子供が苦手らしい。困ったように充紀を見やるのに、思わず吹き出した。
「分かったよ」
幼い兄弟がいたおかげで、充紀は子供の扱いに慣れている。お邪魔します、と小さく告げて、充紀も家へ上がった。
期待の眼差しで手を伸ばしてくる女の子を抱き上げると、ふわりと石鹸の香りがした。嬉しそうにきゃらきゃらと笑う女の子に、頬を緩める。
「ほら、淳も来い」
片手で女の子を抱き、空いているもう一方の手で淳の手を引く。観念したように、お邪魔します、と呟きながら淳も家へ上がった。
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