あの時、知ってしまった秘密

 和也の言葉に息を呑んだ由希子は、やがて諦めたように肩を落とした。

「どうして……知ってしまったの」

 弱々しく呟いて、ぎゅ、と強く眉根を寄せる。

 そんな彼女を悲しさの宿る瞳で見据えながら、それでも声は冷たく突き放したままで、和也は話を続けた。

「三者面談では最初、大学に進学するって宣言するつもりだった。大学に行きながらでも、レッスンは受けられるから。家族にもそう言われてたし、家族を安心させるために、オレはもちろんそうするはずだった」

 でも、と呟いて、和也はふっと瞳を翳らせる。先ほどまでどうしようもない悲しさを宿らせていた瞳に、深い絶望の闇が映る。今まで見たことのないその表情に、充紀は心臓にナイフを突き立てられたような心地になった。

「三者面談の数日前。献血のキャンペーンが、学校の近くであって……友達に誘われて、何となく行ってみたんだ。普通にさ、ちょっとした適正検査みたいなのをした後、みんな順番に血を抜かれて」

 由希子が身体を強張らせた。神前で懺悔しているかのように胸の前で手を組み、ぎゅっと握りしめたままで和也の声を聞いている。

 和也の声に、少しだけ湿り気が混じり始めた。

「それから数日後、血液検査の結果が届いた。そこに書いてある内容を見て……オレは、絶句したよ。だって、血液型が……」

 そこで、和也は言葉を切った。その先を告げることを恐れるように、口を開閉させるが、喉に言葉がつっかえて出てこない様子だ。由希子をじっと見つめたまま、彼は助けを乞うように両手を彷徨わせた。

 幾度も空を切る両手の存在に気づいた充紀は、その手をそっと取った。ひやりと冷たく、小刻みに震える両手を、おのれの手のひらで温めるように包み込む。

 そのことに安堵したのか、和也はふっと息を吐いた。そうしてようやく、言葉を絞り出す。

「……違ってたんだ。オレが家族から聞いていた、血液型と」

 血液型が、違う。

 それが一体何を意味しているのか、充紀に分からないはずはなかった。

「オレの父親は、O型。母親は、B型。ユッコはB型で、兄貴とオレはO型。そう、聞いていた。……でも」

 絶望の色に染まった声が、ぽつりとその答えを告げる。

「オレは……A型だった。両親がO型とB型なら、A型の人間なんて絶対にありえないのに。オレ以外の血液型が、本当にこれまで聞かされていた通りなら……つまりオレは、あの両親にとって本当の子供ではないことになる。彼らの血をきちんと引いた兄貴も、ユッコも、オレにとってはつまり赤の他人ってことだ」

 自嘲の笑みを浮かべる和也に、充紀は何も言えなかった。せめての想いで、包み込んだままの彼の両手を、もう一度力を込めて握りしめる。

「そういえば、心当たりはあったんだ。兄貴は目もとが父親に似てきりっとしてるとか、ユッコは髪を結うと母親によく似てるとか……オレは騒がしいところが母親そっくりだとか、おとなしくしてると雰囲気がちょっと父親っぽいとか、そういうことは言われたことあるけど……顔が似てるって、言われたことはなかった」

 今考えたら、当然だよね。だって、血が繋がってないんだから。

「学校側は、オレの本当の血液型を知ってたのかもしれない。けど、オレに伝えなきゃいいだけの話だもんね。手回しさえしとけば、多少はごまかしが効くんだろう。……それでもさ。ある程度一人で行動できるようになるくらい成長すれば、いずれ自身の力で真実に辿り着くかもしれないってことくらいわかるでしょ。それとも、オレになら絶対バレないと思ったのかな。それほど、オレを馬鹿な人間だと見下していたんだろうね」

 由希子の唇が、動いた。ちがう、と……悲痛な嗚咽に混じって、声にならない叫びが上がる。

 和也は、動じなかった。由希子を――由希子たち『家族』を、責め立てるように言葉を重ねる。

「至極簡単な嘘に長年騙され続けて、血の繋がりなんて微塵もない人間たちのことを家族と呼んで、屈託なく笑いかける。そんなオレを見て、あの人たちは心の中でずっと嘲笑ってたんだ」

 その後、和也は三者面談の席で告げたという。

 自分は大学も行かないし、この街で就職活動をするつもりもない。どこか知らない街で、バイトでもしながら一人で暮らす。もう家には二度と戻らない……と。

「もちろん、その話を聞いたあの人たちは反対した。ミュージシャンになる夢は応援するし誇らしいことだけれど、せめて大学は出てほしい。二度と帰ってこないなんて、そんな寂しいことは言わないでくれ……みんな、口を揃えてそう言った。なおも嘘を重ねようとして、オレに真実を少しも言わない。そんなあの人たちに腹が立って、同時にどうしようもないくらいやるせない気持ちになって。オレさ……」

 ぐ、と和也が唇を噛む。由希子もいよいよだ、というように息を呑んだ。

 二人の雰囲気で、充紀は察する。

 その後の、和也の一言が……彼らの関係に亀裂を入れる、直接の引き金になったのだろうと。

 充紀の両手の中で、包み込まれた和也の両手にぐっ、と力がこもる。

「『何で、そんな……いかにもオレのことが心配でたまらないとでも言うような、親身そうな顔ができるの』って聞いたら、『だってわたしたち、家族じゃない』……そう答えて、母親は涙目で縋ってきた。そんな彼女を突き飛ばしたあと、顔を強張らせたまま固まるあの人たちに向かって、オレは投げつけるように言ったんだ。『あんたたちなんて、家族でもなんでもないくせに』って」

 その後、和也は荷物を纏めて家を出た。高校卒業までは友人たちの家を転々とし、一度も戻ることはなかったという。

「就職活動も、大学受験もしないって決めたから。担任には考え直すように言われたけど、もちろん突っぱねて……卒業までの時間、学校に行きながらひたすらバイトに明け暮れた。それから高校を卒業して、貯めてきたバイト代を元手にして、この街で一人暮らしを始めたんだ」

 それが……自分の、これまでのいきさつ。

 一息に話し終えた後、和也は由希子から目を逸らし、再び充紀の肩へ頭を預けた。充紀は握っていた手を離し、力なく凭れてくる頭にそっと触れる。

「和也」

 そうして、優しい声色で呼びかけた。

「お前は、家族の人たちの……ユッコさんたちの、何が許せないんだ? 彼らと血の繋がりがないことを、お前にずっと隠してきたから? 信じ続けてきたはずの家族から裏切られたと、本当は愛されてないと、そう思ってるから?」

 しばしの沈黙の後、和也はポツリと答えた。充紀の肩に顔を押し付けているせいか、くぐもった声が充紀の耳元で響く。

「……わかんない。どっちもかもしれないし、本当はどっちでもないのかもしれない。けど、オレはどうしてもあの人たちを許せなくて、考えるだけで吐き気がするほど胸が痛くて……そんな自分自身が、とても悲しい」

 それは、和也が初めて話した本音だった。

 家族の裏切りが許せなくて、憎くて、悔しくて、たまらなかった。けれど……それ以上に、そう思ってしまう自分が悲しくて、辛い。

 彼の心情は、他人である自分たちがそう簡単に触れられないほど深く、暗く、複雑だったらしい。

「かずくん……」

 おずおずと、今度は由希子が口を開く。和也から反応はなかったが、特に言い返そうという雰囲気もなかったので、由希子はそのまま話し始めた。

「あたしね、あの時は本当に知らなかったの。かずくんと、あたしたち家族の血が繋がってないこと……かずくんが出て行った後に、聞かされた。和也は、きっと本当のことを知ってしまったんだって……だから、突然あんなことを言ったんだって」

 和也は顔を上げない。それでも由希子は、和也から目を逸らさなかった。

「兄さんは年が離れてるから、まだ赤ん坊だったかずくんがうちに来た時のことを覚えているんですって。新しい家族が増えて……みんな、すごく喜んでたって。あたしは当時三歳くらいだったから覚えていないけれど、眠るかずくんの傍を片時も離れなかったって、そう話してた」

 細められる目が、懐かしそうにきらめく。

 きっと和也は、五十嵐家の人間に受け入れられたのだろう。本当の家族のように、愛されて育てられてきたのだろう。

 だからこそ彼らは本当のことを言えなかったし、和也自身も本当のことを知って、深く深く傷ついた。

「……ねぇ、かずくん。さっき、あたしが電話していたのは」

 由希子が、何かを言いかけた時だった。

 ガチャリ、バタン。

「ただいまー。……あれぇ、みんな寝てしもたんか? やけに静かやけど」

 玄関の方から物音と、間延びした舌っ足らずの声がした。飲み会に行っていた、淳が帰ってきたのだ。

 おのれの肩に凭れたままである和也をチラリと見ながら、充紀はどうしたものかと目を泳がせる。この状況を、一体どうやって説明したらいいのか。

 思い悩んでいるうちに、淳がダイニングにやってきた。椅子に座る充紀の肩に凭れた和也と、その向かいに座っている来訪者――由希子を見て、一瞬目を丸くする。

 アルコールが入っているせいかほんの少し上気した顔をゆるりと緩めながら、淳はいつもより訛りのきつい口調で、のんびりと言った。

「何や。解決の糸口が、見えてきたみたいやのぉ」

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