越して来た隣人は
二人組の歌手は、ロックからバラードまで幅広いジャンルの曲をいくつも披露しては、観客たちを魅了した。ノリのいい曲調を聴きながら立ち上がって一緒にジャンプしたり、しっとりとした二人のハーモニーに聴き惚れたりと、ただの観客といっても何かと忙しい。
『さぁ、ここでね。いったんMCタイム入りましょうかね。皆さんもずっと立ったり座ったり疲れましたでしょうし』
『そうですね。僕らもずっと歌いっぱなしで……はぁ、疲れましたし』
『あなた、やけに息上がってますね。年なんとちゃいますか』
『お前も同い年やっちゅうねん……』
途中挟まれるMCタイムでは、二人とも関西での生活が長いためか、まるで漫才のように息の合った、コミカルなトークが繰り広げられた。
時折観客の方に反応を促すようなことがあって、そういう時はファン歴の長い和也が率先して声を張り上げていた。彼の声が二人の耳に届いたらしく、自分たち一帯に注目が集まってしまった時は、充紀も淳も思わずヒヤヒヤしたものだ。
そうやって、楽しくも感動させられる、素晴らしいステージは過ぎていく。二時間と少しの間だったが、それよりももっと長かったような気も、あっけないほど短かったような気もした。
全てのステージが終わったのは予定より早い時刻だったのだが、関西人気質二人のエンディングトークが盛り上がりすぎて長くなり、時間が圧してしまったらしい。会場を出たのは、終了予定とチケットに印字されていた時刻より三十分ほど遅い時間だった。
充紀と和也と淳、そして途中で合流した浩美とその友人は、五人で連れ立って会場外へ出た。
「いやぁ、楽しかったな。たまにはライブもいい」
「そうだね。俺、好きかもって思った曲がいっぱいあったよ。帰ったら、スマホでいくつか曲落とそうかな」
「マジで? 俺もそうしようかな」
「わたしも、CD買おうかしら」
「浩美、お前は相変わらずアナログだな。淳のさっきの言葉聞いたか? 今はもう、携帯でダウンロードの時代だぜ」
「あら。レコード買おうかな、って言うよりマシでしょ」
「ねぇ、浩美さん。レコードって何?」
「えっ……淳、お前知らねぇの?」
「もう、そういう時代なのね。可哀想に、みきくんがあまりのことにショックを受けているわ」
ジェネレーションギャップに唖然とする充紀と、訳が分からずきょとんとする淳、そしてそんな二人を見ながらクスクスと楽しそうに笑う浩美。
そんな中、外野が盛り上がっている時には必ずと言っていいほど加わってくるはずの和也は、何故か沈黙していた。顔を見られるまいとしているかのように、うつむいて歩いている。
「そういやこないだ旦那さんに会った時、ちらっと聞いたけど……お前まだ人のメアドとか電話番号、わざわざ手帳にメモってるんだって?」
「そうよ。それがどうかしたの?」
「いやいや。携帯持ってるだろ? 電話帳使えよ」
「管理が大変なのよ。手帳に書いておく方がよっぽど便利だわ」
「どう考えてもそっちのが大変だろうが……」
本日幾度目かの二人の世界を構築し始めた充紀と浩美に、すっかり手持ち無沙汰になってしまった淳は、ふとそんな彼のおかしな様子に気付いた。うつむいている顔を横から覗きこむと、何故か辛いことに耐える時のように、そっと唇を噛んでいる。
思えば、彼はライブが始まる前から少し変だった。いきなり場所を代わろうと言い出したり、ある一点を疎ましそうに見つめていたり。
「……ねぇ、どう」
どうしたの和くん、と言いかけたところで、そこに被さるように高い声が、少し拗ねたような響きと共に放たれた。
「ねー、そろそろやめてくんない? あたしのこと避けるの」
驚いてそちらを見れば、それまでずっと浩美の隣を歩いていた友人の女性がむぅ、と子供のように頬を膨らませていた。
「久しぶりに会って、どうしていいのかわかんない気持ちはわかるけど」
不満そうな視線の先、そしてぶつけられた相手の反応からして、彼女の言葉の矛先が和也に向いているのは一目瞭然であった。うつむいていた和也が諦めたように、はぁ……と深い溜息を吐く。
「……何で、あなたがここに」
「嫌だなぁ、他人行儀やめてよ」
だって……とにこやかに続けられた後の言葉に、充紀と淳は驚愕した。
「あたしたち、きょうだいじゃない」
しばしの沈黙。
充紀は目を見開き、淳はだらしなく口を半開きにした状態で、それぞれ和也と女性の姿を見比べた。
先ほどライブ会場で会ったときは、暗くてよく見えなかったが、その女性は浩美と随分タイプが違っていた。
明るい色に染められた髪は短めで、ふんわりと顔の輪郭を囲んでいる。ぱっちりとした目や、少し濃い目に施された化粧、露出の高い服装などが、派手目の印象を周りに与えていた。今風に言うところの、『女子力の高い』女性のようだ。
年の頃は、二十代前半くらいだろうか。しかしどちらかというと童顔なので、十代の学生だと言われても疑わず納得してしまうかもしれない。
幾度か和也と見比べてはみるが、あまり似ていないような気がした。まぁ、顔立ちの似ない兄弟も巷には存在するし、彼女が化粧を落としたらそれこそ和也のような顔立ちになるかもしれないので、一概にどうと言うこともできないのだが。
きょうだい、と告げられた当の和也は、何故かとても悲しそうな顔をした。
「ねぇ、かずくん」
「……ユッコ」
ぽつり、と和也が口を開く。まるで懇願するかのような響きに、外野で見ているはずの二人の胸までも苦しくなりそうだった。
「お願いだから、帰って」
「それは、できないわ」
和也の言葉は、即座に否定された。
どうして、と言うように和也が目を見開くと、ユッコと呼ばれた彼女はゆるりと笑みを浮かべた。どこか勝ち誇ったような、それでいてこちらを憐れんでいるかのような、一言では言い表せない不思議な感情を孕んだ笑み。
得意気に弧を描いた唇からふふ、と漏れた笑い声は、どこか甘い響きがあるように聞こえた。
「あたしが、何で浩美さんと一緒にいたか分かる?」
あたしがどこで、彼女と知り合ったのか……普通に考えたら、すぐに見当つくよね?
そう言われて、和也は表情をこわばらせた。おずおずと、彼女の隣にひっそりと立つ浩美を見る。
浩美は柔らかく微笑んでいた。見守るような、心配しているような、まさに聖母と呼ぶにふさわしいほどに澄んだ、女の表情。
穏やかな、それでいて淡々とした口調で、浩美はその答えを口にした。
「この間、ユッコさん――
二人部屋。
そういえば……と、ふと充紀は気付く。淳を見ると、同じことに気付いたらしくハッとしたように充紀の方を向いていた。
「というわけで」
驚いたように顔を見合わせる充紀と淳、そして心から口惜しそうに唇を噛んでいる和也に向けて、ユッコ――深山由希子は満面の笑みで言い放った。
「そういえばあなたたち三人、一緒に暮らしているんだったよね。隣同士、これからよろしくね」
――そう。
充紀たち三人が住む部屋の隣は、ちょうど空いていた。そして……どういう偶然かは分からないが、そこは二人用の部屋なのだ。
そういえば、近々また新しい入居者が増えると、アパートの住民たちが噂しているのを聞いたことがある。
つまり和也の『きょうだい』である由希子は、その部屋に引っ越してくることになった、三人の新しい隣人というわけだ。
「そうだわ。今日はせっかくみんないるんだし、わたしの家で一緒に夕食でもどうかしら」
「わぁ、行く行く!」
不穏な雰囲気を打ち破るかのごとく発された、おっとりとした浩美の言葉――和也たちの事情を、知っているのかどうかは分からない――に、由希子は若い少女のようにはしゃぐ。
「ねぇ、みんなも来るわよね?」
期待に満ちた表情で浩美に問われ、充紀と淳は困ってしまう。そりゃあ、自分たちは別に構わないのだが……。
彼らの心配の種――和也は、浩美に向けて曖昧に微笑んだ。せめて余計な心配は掛けたくないと思ったのかもしれない。
小さく溜息を吐いた和也は、いつもの晴れやかな笑顔で――しかし、自分の中で膨れ上がる感情を全て押し殺したかのように、わざと淡々とした口調で言った。
「せっかくの浩美さんからのお誘いですから。断るのは、もったいないですよね」
ね、二人とも。
充紀にも淳にも、彼が明らかに無理をしているということは嫌というほど理解できた。けれど、こんなところで指摘するのはあまりにも不躾だ。
今は、彼の選択を尊重するしかないだろう。
ちらりと一瞬だけ目配せをし合った二人は、貼り付けたような笑みを浮かべた和也に向けて――そして、それぞれ違った種類の笑みを浮かべている浩美と由希子に向けて、こくりとうなずいてみせた。
「じゃあ、早速旦那に連絡するわね」
嬉しそうな表情で携帯電話を取り出し電話を掛ける浩美を、気が付けば和也はどこか虚ろな表情で見つめていた。
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