ライブコンサートを見に行こう
五月二日、昼下がり。
「うわぁ……さすがに、凄い人混みやの」
物珍しそうに、淳がきょろきょろと忙しなく視線を動かす。人波に乗って、無意識にふらりと離れていこうとする彼の腕をしっかり取りながら、充紀は呆れたように言った。
「頼むから一人で勝手にどっか行くなよ、淳。お前小柄なんだから、はぐれられると周りに隠れて見つけにくいだろうが」
「何それ」
むぅ、と淳が拗ねたように頬を膨らませる。
「はぐれる心配なら、俺より和くんの方にしてよね。ただでさえ好奇心にかまけてどっか行っちゃうのに、今日は楽しみにしてたライブだって、なおさら朝からはしゃぎまくってるんだから」
「まぁ、確かにお前より和也の方が心配かもな」
お前がそれを言うか、と内心で充紀は思ったが、また淳に拗ねられると後が面倒なのでやめておくことにした。
淳の腕を掴んだまま、周りの人をかき分けるようにして視線を彷徨わせる。
「……って言ってる傍から、あいつどこ行きやがった」
「おーい、充紀くん! 淳ちゃん!」
雑踏の合間を縫うようにして、和也の声が聞こえてくる。二人して辺りを見渡せば、数多く並んだ頭の間からにょきっと生えた手が、こちらへ向かってブンブンと振られていた。
「やっと見つけた……」
「お前、どこ行ってたんだよ」
「それはこっちの台詞だって!」
周りの人をかき分けて、二人のもとへやってきた和也は、まるで自分の思い通りにならずむくれてしまった子供のように、むぅ、と唇を尖らせていた。
「一番近い入口はこっちだから、早く来て!!」
「「はいはい」」
どうやら和也は、こういったことに慣れているらしい。おそらく、これまでに何度もライブ会場へ足を運んでいるのだろう。
――いつもと違って、今日はコイツに任せた方が安全そうだな。
――そうだね。
互いに目を合わせて納得しあった充紀と淳は、「早くぅ!」と焦れたように叫ぶ和也に着いて受付会場へと向かった。
無事ライブ会場に足を踏み入れた三人は、いよいよライブが行われるというホールへ向かう。
相変わらず人が多かったので、はぐれるのを避けるため、和也が充紀の左手を取り、充紀が右手で淳の手を取って歩く。傍から見たら、いい年した大人の男三人が仲良く手をつないで歩いているという光景は非常におかしいのだが、状況が状況なので仕方ない。
「この会場に来たのって、淳ちゃん……は、もちろん初めてだよね」
「うん」
「充紀くんは?」
「俺は何回かあるけど、言ってももうかなり昔だしな。作りも結構変わってるみたいだし、よく分からない」
「そっか。じゃあ、俺が案内するしかなさそうだね」
言いながら進んでいくと、ライブ会場である大ホールに通じる大きなドアが見えてきた。入口はいくつか存在するものの、どこもやはり混んでいる。人波に押し出されるようにして、三人はほぼ同時に会場内へ入った。
「えーと、席はどのあたりだったかな……」
それぞれチケットを見ながら、狭い視界の中をきょろきょろと見回す。曲さえ聴ければいいからという理由で、和也が事前に選んでいたのは、比較的後ろの方だった。
人混みを抜け出し、ようやく三人は席へ落ち着く。
ふぅ……と息を吐き、ぐったりと座席に凭れた充紀は、いきなり誰かにポンポン、と肩を叩かれた。当然、驚いて振り向く。
そこには……。
「浩美!」
声に反応し、和也と淳も振り向く。そしてそれぞれ、意外そうに声を張り上げた。
「浩美さん、偶然ですね」
「浩美さんもライブを見に?」
次々問いかけられるのに、ちょうど充紀の真後ろに座っていた女性――彼らが住むアパートの管理人である浩美は、ふんわりと微笑んだ。
「たまには息抜きも必要だってことでね。アパートの方は旦那に任せて、友達と来たの」
「優しい旦那さんで、良かったな」
そう語りかける充紀の表情に、複雑さも寂しさもない。それどころか、すっかり吹っ切れたような一種の清々しささえあった。
充紀とかつて交際していた浩美は、この春に別の男性と入籍した。と言っても、浩美の旦那である男性がこのアパートに越してきたことと、名字が野坂でなくなったこと以外、以前と状況は変わっていない。
あと変わったことといえば、充紀と浩美が以前より親しく話をするようになったことくらいだろう。
「浩美さん、知り合い?」
「まぁね」
隣に座っているらしい友人と話す姿も、以前にはなかったものだ。どこか儚げだった雰囲気は、快活なものへと変わっている。
隣の友人に断りを入れ、前の席に座っている充紀と近況報告的な談笑を始めた浩美の姿を、充紀の右隣に座っている淳がどこか感慨深げに見つめる。すると、ふと和也が何かに気付いたように目を見張った。それから、何を思ったかおもむろに立ち上がる。
和也は充紀の左隣に座っていたのだが、立ち上がった彼は何故か充紀の席を回り込んで淳の席へやって来た。どうしたの、と尋ねようと口を開く前に、気まずげにこそっと囁かれる。
「ごめん……場所、代わってくれない?」
場所を代わることについて、わざわざそんなことをする理由はない。淳の席でも和也の席でも、見え方は大して変わらないのだから。
しかし、そのことを咎め断る理由も特にない。彼の申し出を拒否してまで、この場所にこだわることもないのだ。だから僅かに疑問は感じたものの、和也が言うのなら、と淳は安易に了承した。
「いいよ」
かくして、二人の契約(?)は無事成立した。淳が立ち上がり、場所を移動する。和也はどこかホッとしたような表情で、それまで淳の座っていた場所に腰を落ち着けた。
天井のライトが少しずつ消え、もうすぐ開演するとのアナウンスが頭上から降ってくる。それを合図にして、それまでリズムよく交わされていた充紀と浩美の会話は静かに中断された。
「――あれ?」
ふと、充紀が不思議そうに両隣を見比べる。
「お前ら、いつの間に場所移動したの」
「えー? オレ達、ずっとこの位置だったよ。ねぇ、淳ちゃん」
「そうそう」
和也に合わせて、淳も笑顔でうなずく。
「みっくん、記憶力そろそろやばいんじゃないの」
「年かぁ……」
「おいコラ和也、今何つった」
「なんでもありませーん」
アパートにいる時とほぼ同じような、至極くだらない会話を繰り広げている三人を見て、浩美は可笑しそうに笑う。
「ホント、三人は仲がいいわね」
「そーでしょ」
ふふん、と和也が自慢げに鼻を鳴らす。その時、浩美の左隣の席からもクスッ、と笑い声がした。
一緒にいる浩美の友人からも笑われている……と思った充紀と淳は、それぞれ照れ臭そうに苦笑を浮かべる。しかし和也だけは、ほんの少しだけ疎ましそうな、複雑な視線をそちらに向けていた。
そうこうしているうちに、再び天井のライトがぽつぽつと消えていく。すっかり真っ暗になったところで、正面のステージからまばゆい光が放たれた。
いよいよ、ライブが始まるのだ。
「よーし。二人とも、盛り上がろうね」
和也が気を取り直すかのように、ワクワクしたような顔つきで囁いた。
「そうだな。せっかく来たんだし、楽しまないと損だ」
「俺、ライブとか初めてだ……」
充紀は頬を緩ませながら、淳は少しだけ緊張気味に、それぞれ呟く。
正面のステージには、まばゆい光に照らされたマイクが二つ。やがてその奥から、ギターを持った男性と背の高い男性――今日の主役である、二人組の歌手が出てきた。
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