3年目

ゴールデンウィークの予定

「もうすぐゴールデンウィークだね」

 夕食の席で、どこかうきうきとしたような明るい声を上げたのは、もちろん三人の中で一番のムードメーカーである和也だ。

「淳は、やっぱり実家に帰るの?」

「うーん」

 軽く箸をくわえながら、淳が思案するように唸る。

「夏休みや冬休みと違って、ゴールデンウィークは短いでね。取れても五日くらいだろうし、何せ三回生にもなると提出せなならんレポートが多いから……帰ったところで、あんまり意味ないんとちゃうかなぁって思ってる」

「そっかぁ。充紀くんは?」

「営業にゴールデンウィークなんてないからな。いくら繁忙期じゃないとは言っても、毎年せいぜい二連休取れたら御の字ってとこだ」

 山芋の煮っ転がしと格闘しながら、充紀が眉間に皺を寄せて答える。健闘むなしく、無情にもころん、と箸の間を滑り落ちていく煮っ転がしに「あぁ!」と苛立たしげな声を上げた。

「あはは、みっくん下手くそ」

 笑う淳が、同じく煮っ転がしに箸を伸ばす。滑り止めのついた淳の箸先からも、まるで嫌だと抵抗するかのように、煮っ転がしはころりん、と滑って転がっていってしまった。

「うっ……」

「何だよ、お前だって似たようなもんじゃん」

 ケラケラと、楽しそうに充紀が笑う。

「ちょっと二人とも、ちゃんとオレの話聞いてんの」

 二人が苦戦した煮っ転がしを、滑り止めも何もなく漆塗りを施された箸でひょい、といとも簡単に挟むと、和也は捕らえたそれを拗ねたように口の中へ放り込んだ。

 充紀と淳は、たった今目の前で繰り広げられた光景に、思わず感動して「おぉ……」とほぼ同時に声を上げた。

「お前、三人の中で一番つるつる滑りそうな箸使ってんのに、何でそんな簡単に挟めんの」

「コツ教えてよ、和くん」

「だからぁ! そんなことより、二人ともさっきのオレの話、ちゃんと聞いてくれてたの!?」

 煮っ転がしのことなど至極どうでもよさそうに、和也はずれていった矛先を先ほどまでの話題へと半ば無理矢理シフトチェンジさせようとする。

 さっきのって何だっけ、と呟いた二人は、持っていた箸をそれぞれタイミングよくリズミカルに動かしながら考えるそぶりを見せた。

「えーと、何けぇな。確か、今度の煮っ転がしの予定やんね?」

「淳、混ざってる混ざってる」

「煮っ転がしくらい、リクエストくれればいつだって作るよ……って、そうじゃなくて。オレが言いたいのは、ゴールデンウィークの間に、空いてる日はないかってこと!」

「「あー、そういうこと」」

「二人とも認識してなかった!?」

 酷いよ二人ともー、和也泣いちゃう! などと、今の年齢には全くふさわしくないようなことを言いながら、めそめそと泣き真似をする和也。そんな彼を見て、充紀は口元を押さえながらクスクスと、淳は楽しそうに大口を開けて、それぞれ笑った。

「嘘だよ、和くん。ちゃんと聞いてたよ」

「そうだよ和也。その証拠に、俺も淳も、お前の質問にちゃんと答えてやってたじゃないか」

「和くんの反応が面白かったから、からかっただけ」

「そうそう」

 隣に座る和也の頭を、充紀がわしゃわしゃと撫でる。むぅ、と唇を尖らせる和也に、柔らかく微笑んだ。

「んで? お前、ゴールデンウィークにどっか行きたいとこあんのか?」

「そうそう!」

 ようやく我が意を得たりとでも言うように、和也が再び意気揚々と話を再開させる。

「ってか、もうね。ぶっちゃけ、いつっていうのは決まってるんだよね。チケット取っちゃったし」

「「チケット?」」

 見事なユニゾンと共に、揃って首を傾げる二人に思わず笑みを零しつつ、和也は続ける。

「あのね、ゴールデンウィーク中にライブがあるんだ。テレビ番組にも出てるから二人も何となく知ってると思うけど、ストリートライブ出身のデュオ。オレ、この人たちがすごい大好きでさ、尊敬してるんだよね。だから、この街に来るって知って、そりゃもう必死でチケット取ったの」

「へぇ、そうなんだ」

「んで、それに俺と淳も?」

「もちろん!」

 三人分チケット取ったからね、と和也はどこか自慢げにうなずいた。先ほど充紀と淳が必死で格闘していた冷めかけの煮っ転がしを、またもやいとも簡単にひょい、と箸で挟んで口へと放り込む。

「五月二日。淳は休みでしょ?」

「うん、多分」

「レポート手伝ったげるから、一緒に来てね」

「わかった」

 レポートを手伝ってくれる、という和也の一言が効いたらしく、淳は至極あっさりと了承した。煮っ転がしの乗った皿にもう一度箸を伸ばすと、もはや挟むことはすっかり諦めたらしく、握りしめた箸を滑る煮っ転がしに向けてぐっさりと突き立てる。

「こーら、行儀悪いぞ」

「だって取れないんやもん。みっくんは取れるの?」

「さっきはちょっと、調子が悪かっただけだ」

 再度挑戦するべく、充紀がただ一つ皿に残っていた煮っ転がしへと箸を伸ばす。そこへ、和也が慌てて口を挟んだ。

「ちょっと充紀くん! 五月二日だからね!! 何が何でも、休み取っといてよね!!」

「分かった分かった。もし普通に休み取れそうになかったら、有給使ってでも取るようにするから。五月二日だな?」

「そう、よろしくね」

「大丈夫なの、みっくん」

「営業部長に相談してみる。あの人、案外話通じるし」

 言いながらも、充紀の視線は先ほどからただ一点――ターゲットである煮っ転がしに集中している。ただならぬ空気に気付いた二人は、話すのをやめて同時にそちらへ意識を向けた。

 てらてらと光沢を帯びながら、敵は余裕たっぷりといった様子で白い皿に鎮座している。すぅ、と一つ息を吸い込むと、充紀は恐る恐るそれへと箸を伸ばした。

 ふるふると震える箸先が、ちょん、と煮っ転がしに触れる。割れ物を触るように、二本の棒でそっと挟んだ。

 滑らぬように、ゆっくりと持ち上げる。口にこそ出さないが、見守っていた二人の唇から、おぉ、とでも言いたげな溜息が零れた。

 恐る恐る、口元へとそれを持って行く。当事者である充紀も、傍で見守っている和也や淳も、ドキドキしながらその行方を見ていた。

 そして、半ば勝利を確信した充紀が口を開け、迎え入れようとしたまさにその時……。

 ――ころんっ、

「あぁっ!!」

「ぶっ……」

「あ、あはははっ!!」

 奴は、逃げるようにつるりと滑り落ちていった。充紀の心をもてあそんでいるかのごとく、面白げにころころとテーブルを転がっていく。

 直後、充紀の悲痛な叫び声と、思わずといったように吹き出した淳の声、そして遠慮のない和也の笑い声が、一気に部屋中を満たした。

「み、充紀くん……惜しい、惜しいよ。あははははっ!」

「ドンマイみっくん……くくっ」

「くっそぉ……」

 テーブルに転がった煮っ転がしに、充紀は苛立たしげにぐっさりと箸を突き立てた。「さっき行儀悪い言うてたのは誰や」とからかう淳に「うるせっ」と小さく零し、それを口へと持って行く。

 最後の煮っ転がしを咀嚼しながら、充紀は苦笑を浮かべる和也に対して捨て台詞のごとくこう言い放ったのであった。

「よしわかった。和也、五月二日は何が何でも空ける。だから、また煮っ転がしにリベンジさせてくれ!」

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