里帰り
八月も半ばに入り、毎日うだるような暑さが続いている。
クーラーのかかったひんやりとした部屋で、充紀は何とか取れたお盆休みに向けて、黙々と帰省の準備を整えていた。
充紀もいい年だ。他の兄弟たちはみんな結婚してそれぞれの家庭を築いているのに、彼一人結婚もせず仕事ばかりしているということで、実家の両親はかなりしつこく充紀に結婚を催促していた。帰るたびに、いい人は見つからないのかとか、いい加減地元で再就職してくれとか、見合いをしてみないかとか、色々と言われて辟易してしまう。
だからこそ、あまり実家には帰りたくないのだが……。
帰らなかったら帰らなかったでさらに長くしつこい小言が待っていることを知っているので、充紀は今年も仕方なく実家へ帰ることにした。
それに、久しぶりに会う甥姪は充紀を慕ってくれている。そんな彼らに顔を見せ、お小遣いくらいはあげておかないといけない。それもまた、充紀に実家へ帰る決意を固めさせた大きな理由の一つだ。
面倒くささや苛立ち、そして微かな楽しみを胸に秘めながら、充紀は淡々と荷物を詰めていく。いつも出張で使う鞄は大きく、衣服以外にもたくさんの物を入れることができるので気に入っていた。
今は充紀一人で、話し相手がいない状態だ。暇なので、充紀は荷造りの手を止めぬまま、二人の同居人について思いを巡らせることにした。
大学の夏休みは長いので、淳は先月から田舎の実家へ帰省している。
『向こうはクーラーがないから、あんまり帰りたくないんよねぇ』と口では言っていたものの、なんだかんだで嬉しそうな雰囲気は隠せていなかった。やはり少しの間離れただけでも、長年育ってきた実家を恋しく思ってしまうのだろう。自分にも、そんな頃があったとしみじみ思い出す。
一方和也は現在、バイトとストリートライブに出掛けている。淳や充紀のように、自らの故郷に帰ろうというどころか、ほんの少し立ち寄ってみようという気配すら微塵もない。
帰省ラッシュはとうに過ぎているにもかかわらず、あまりに和也が実家に関する話をしないので、帰らないのか、と一度問うてみたことがある。その時彼は、それと分かるほど明らかに目を泳がせながら『あー……まぁ、ね』などと至極曖昧に言葉を濁した。苦笑いの浮かんだ顔には、嫌悪のようなものもわずかに滲んでいたような気がする。何にせよ、和也が自らの家族に、もしくは故郷に、あまりいい感情を持っていないのであろうことだけは分かった。
きっと何か、こちらが踏み込めないような事情があるのだろう。
だからそれ以上は聞かなかった。充紀自身にだって素直に打ち明けられないことがあるというのに、和也にだけ一方的に心の闇を打ち明けさせようだなんてフェアじゃないと思ったからだ。
『充紀くんが帰った後、オレも帰るよ。だから、心配しないで』
その後、取り繕うようにそう言っていたけれど……。
おそらく、充紀が実家に帰ってからも、和也は一人でこのアパートに残るのだと思う。実家に帰るつもりは、あの様子だときっとないだろう。
その事実に多少の引っ掛かりを感じながらも、充紀はただ目の前のことだけに集中しようと試みる。
そうして、気付けば三十分ほどが経っていた。ある程度の荷物は詰め込まれ、あとは当日入れるものを加えれば完成というところまでこぎつけた。
ふぅ、と息をつき、充紀は相好を崩し足を投げ出した。久しぶりに、リラックスした格好をしている気がする。
ふと思い立って、携帯電話を手に取る。どうやら向こうも同じことを思いついていたようで、ロックを解除するや否や見慣れた着信通知が目に入った。
ふ、と小さく笑い、充紀はその番号にリダイヤルした。数回のコールの後、ブッと耳障りな音が立つ。
受話器から聞こえる声は、少しの間しか離れていないはずなのに、やけに懐かしく充紀の耳に届いた。
『もしもし、みっくん?』
「よぉ、淳。元気だったか」
唯一自分のことを『みっくん』と呼ぶ相手――淳は、いつもより心持ち弾んだ声と訛りの強い言葉遣いで答えた。
『元気よ。ってか、そもそも離れてからそんな経ってないやろ』
「まぁ確かにそうだけど」
『そういやみっくんは、実家帰るんか?』
「あぁ、明日からな。今ちょうど用意してた」
『ふぅん。じゃあ、和くんは?』
「……」
思わず、言葉に詰まる。
どう答えるべきかと悩んでいると、淳が怪訝そうに『……どしたん?』と尋ねてきた。聡い彼のことだから、何かに気付いたらしい。
『そういえば、和くんって自分の家の話あんまりせんよね』
あぁ、やっぱり。
けれど、最年少である淳に余計な心配をかけさせたくなかった。いくら彼がもう子供ではないとはいっても、年が離れている故どうしても我が子に対するような接し方しかできそうにないのだ。
だから、わざと明るく答える。
「ちょっと秘密主義なとこがあるだけだろ。大丈夫、俺が出発してから和也も帰るって言ってたから」
『……ホント?』
「ホントホント。本人に聞いてみればわかるよ」
――大丈夫、だよな?
この場にいない和也に、聞くとはなしに問いかけてみながら、充紀はとにかく淳にだけは余計な心配をかけさせたくないと、ただそれだけの気持ちで受話器の向こうに語りかけた。
「だから淳は、そっちでたっぷり楽しんできな」
『うん、ありがと』
やっぱりちょっと引っ掛かりはあったのだろうが、ともかく淳はそれで納得してくれたらしい。それから十数分ほど話し、充紀は電話を切った。
ふぅ、と小さく息を吐く。
時計を見た充紀は、そろそろ和也が返って来る頃だ、とふと思った。せっかく今日は早く帰ってこれたのだし、自分が夕飯を作ろうか。
買い出しに出かけようと、充紀はそれまで崩していた相好を正し、よっこらせ、とおっさんのような掛け声をあげて立ち上がった。
◆◆◆
「はい、お土産」
「「……何これ?」」
鯖を丸ごと串刺しにして焼いたと思われる焼き魚を、帰ってきて早々淳は嬉々として差し出してきた。もちろん、充紀も和也もこんなものを目にするのは初めてなので、揃って目を丸くする。
「何って、
「半夏生?」
「って、節季の名前?」
至極当たり前というように答えた淳とは対照的に、二人の頭にはハテナマークが浮かぶ。そんな二人を諭すように、淳は説明を始めた。
「もとは、節季の名前らしいね。えーと……確か、七月やったっけ。一部地域だとタコを食べる習慣があるらしいけど、俺の地元では鯖をこうやって丸焼きにして食べるの」
節季としてはちょっと遅いけど、お土産としてはちょうどいいかなって。
嬉しそうに語る淳を、和也は微笑ましそうに、そしてどこか寂しそうに見ている。そんな彼を見ていられず、充紀はさりげなく目を逸らした。
そんな二人の様子に気づいていないのか、それとも気づいているけれどあえて黙っているのかは知らないが、淳は相変わらずほのぼのと話を続ける。そんな彼の様子に救われたように、充紀も、そして和也も、他愛ない話に加わっていった。
「んで、こっちはへしこ」
「これも鯖だね」
「鯖が有名なんだな、お前のとこ」
「んー、そうなのかな。よくわかんない……あ、あと今の時期じゃないけど、羊羹もわりと有名やで」
「羊羹? それこそ夏だろ」
「今の時期にぴったりだよね。食べたくなってきちゃった」
「えぇっ、何言っとんの二人とも。羊羹は、冬にコタツで食べるのが普通でしょ?」
「「いや、夏だろ」」
「えぇっ……」
初めて大きなギャップを感じたのか、凹んだようにがっくりと肩を落とす淳。そんな彼を励ますように、充紀は自らもまた地元から持って来たお土産を差し出した。
「まぁまぁ、元気出せよ淳。これやるから」
「うわぁ、ありがとうみっくん!」
実家に帰った際買ってきた菓子折り――ちなみに、和也にはもう随分前に同じものをあげている――に、淳はたちまち目を輝かせる。こういうところはまだ子供だな、と充紀は頬を緩ませた。
そんな二人を微笑ましげに見守りながらも、今度は和也が自分の番とばかりにおずおずと口を開く。
「オレは実家がこの辺に近いから、あんまり目新しいものもないしってことでお土産買ってないんだ。ごめんね、二人とも」
申し訳なさそうに手を合わせて言う和也に、あぁ、やっぱり……と充紀は悟った。
和也は、実家に帰っていないのだ。
淳も何かしら思うところがあったのだろう、にっこりと笑って「いいよ、全然」と明るく答えた。合わせるように、充紀もまた笑って答える。
「そうそう、お前に最初から見返りなんて求めてないし」
「ちょ、充紀くんひどい!!」
「あははっ、和くんドンマイ」
いつものように和んでいく空気の中、三人はそれぞれ違う意味でホッとしたような気持ちを抱えていたのだった。
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