1年目

初顔合わせ

「じゃあ……まずは自己紹介から始めるか」

 即席で集められた三人分の荷物(ちなみに転勤族である充紀の物が一番少なく、一人暮らし初心者である淳の物が一番多い)がごちゃごちゃと散乱する、まだ真新しい3DKの部屋の一室――ダイニングで、今日から共同生活を送ることとなった男三人は初めて顔を合わせた。

 三人の中で一番年上である充紀が、当然ながら自然とその場を仕切る役目を担う。

「じゃ、まずは俺から。篠宮充紀、三十二歳。広告代理店で営業やってるサラリーマンだ。一応言っとくが独身で、仕事柄転勤が多いから、ある程度家事もできるし一人暮らしのノウハウも十分わかってるつもりだ。分かんないことがあったら、何でも聞いてくれればいい。……とりあえず、よろしく」

 パラパラ、とやる気があるんだかないんだかよくわからない拍手が、二人から起こる。「何か、空しいな」と呟いた充紀の独り言は、互いの緊張のせいかわざとなのかは知らないがあっさりスルーされた。

「んじゃ、次はオレだね」

 ヘラリ、という効果音が似合いそうな笑みを浮かべながら、三人の中ではちょうど真ん中にあたる年齢の和也が口を開いた。

「オレは五十嵐和也。今年で二十五になりまっす。仕事は一応してるけど……うーん、本業って正直あんまり儲かる職業じゃないから、普段はバイトとかして生計立ててることが多いかな」

「何の仕事してんの?」

 充紀の至極当然ともいうべき質問に、和也は一瞬躊躇うように、うーん、と首を傾げる。明らかに言い淀んでいるような言い方だ。

 空気を読んだ充紀が、初対面なのだし言いたくないなら別にいい……と口を挟もうとしたのだが。

「いっか、これから一緒に住むんだし。隠す方が不自然だもんね」

 結局勝手に割り切ったらしい発言をした後、和也は存外あっさりその職業内容を語った。

「本業は、一応ミュージシャン。その辺でストリートライブやったり、たまに思いついたようにシングル出したりしてる。まぁ、収入は微々たるものだけどね……どっちかというと、バイトで稼いでる金額の方が多いかも」

 あんまり褒められたような生き方じゃないんだけどね、と言って照れくさそうに笑う彼には、悲壮の欠片もなかった。むしろ、その現状を楽しんでさえいるようにも見える。

 仕事ばかりの自分と違って、人生を心の底から謳歌している様子の彼を、充紀は素直に羨ましく思った。

「まぁ、その辺の店で万が一CDとか売ってたら、思いつき程度ででも買ってやってくれると嬉しいな。ってなわけで、よろしく」

 ぺこり、と和也が軽く頭を下げるのを合図に、再びパラパラとまばらな拍手が他の二人から起こる。それを聞いた和也は、何とも曖昧な表情で眉を下げた。

「うわ、思ったより切ないねこれ」

「だろ?」

 先ほどスルーされた虚しさをようやく分かってもらえたからか、充紀がほっとしたように――けれど苦々しげに言う。

 和也の同意するようなうなずきを見届けた後、充紀はもう一人の同居者である少年を見やった。この中で一番年下であろう彼は、緊張しているからなのか、それとももともとそういう性質なのかは知らないが、この部屋に集まってから未だ一言も発言をしていない。

「……さて、あとは」

 充紀が口を開いたとたん、男にしてはいささか小柄な身体がびくり、と跳ねる。自分に注目している充紀、そして和也へとゆっくり視線を彷徨わせた少年は、表情をこわばらせながらも恐る恐る口を開いた。

「……えと、百瀬淳です。今年から磯ノ浜いそのはま大学に通うことになったんで、田舎から引っ越してきました」

 少年――百瀬淳は、田舎から来たという言葉を裏付けるような喋り方をした。有り体に言えば、言葉のイントネーションがこの辺の人間と少し違うのだ。一応、なんとか方言を抜こうという努力だけはしているようで、幸い何を喋っているか全く分からないなどということはないのだが。

「磯ノ浜大学かぁ、オレも友達が行ってたっけな。ってか今年大学生……ってことは十九、いや、まだ十八?」

「そうですね。あと半年くらいで、十九になります」

「うわ……」

 その若さに驚いたらしく、充紀が絶句する。

「充紀くんとは一回り……いや、それ以上離れてるってことになるね」

「ジェネレーションギャップ半端なさそう……」

 うまくやって行けるか不安だわ……と呟きながら、充紀は頭を抱えた。先ほどまでしっかりしていた――というか、雰囲気がピリピリしていて少し怖かった――にもかかわらず、一転していきなり年長者らしからぬ情けないオーラを発し始めた充紀に、緊張がほぐれたのか淳はクスリと笑った。

「ごめんねぇ、情けないおっちゃんで」

 ヘラリ、と笑う和也を睨みながら、充紀が拗ねたように「うっせ」と突っ込む。初対面にもかかわらず見事なコンビネーションを発揮した二人を見て、少しだけリラックスしたらしい淳はまた笑った。

「えと……さっきも言った通り、俺はついこないだ田舎から出てきたばっかりやから、分からんことばかりです。お二人にはこれからたくさん迷惑をかけると思うんですけど、どうかよろしくお願いします」

「いいってことよ」

 まるでどこかのアイドルのように歯を見せて笑った和也が、グッ、と親指を立てる。「調子いいな」と充紀が突っ込むのも、淳が戸惑いの滲む苦笑いを浮かべるのも、お構いなしといった様子だ。

「……まぁ、とりあえずこれで全員の紹介は終わったか」

 改めて、取りまとめるように充紀が言う。笑っていた和也が同意するように「そうだね」と答えた。

「これ以上の細かいことは、また追々知って行ったらいいんじゃない? まぁ、まだ初日だし焦ることもないよ」

「あれ、思ってたより結構まともなこと言うのな」

「何、そんなキャラに見えないって言いたいの?」

「……分かる気がします」

「淳ちゃんまで、ひどいなぁ」

 気分を害した様子もなくヘラリ、と笑った和也が、淳の肩を自然な仕草で抱いた。反応に困ったらしく苦笑いを浮かべる淳を見て、充紀は思わずといったように顔をしかめる。社会人としてのマナーを知っているからか、その辺りに関してはどうしても敏感になってしまうのだ。

「『淳ちゃん』って……お前、さっきから初対面のくせに馴れ馴れしすぎじゃないか? さっきも俺のこと『充紀くん』なんて呼びやがって」

「まぁまぁ、お堅いこと言わないでよ充紀くん。いいじゃん、これから一緒に暮らしてくんだからさ」

 不満そうな充紀をたしなめるように、和也は何ともほのぼのした表情を浮かべている。毒気を抜かれたのか、硬かった充紀の顔つきはだんだんほぐれていった。むすっとした表情が、徐々に苦笑いへと変わっていく。

「……まぁ、いいけどさ」

 何かお前といると調子狂うわ……と呟きながら、充紀はガシガシと頭を掻いた。こんなことで、これからちゃんとやっていけるのだろうかと、一抹の不安が脳裏をよぎる。

 そんな充紀の悩みなんてまるで一つも知らないとでも言うように、和也は抱いていた淳の肩をポンポン、と軽く叩いた。

「淳ちゃんもさ、敬語なんて使わなくていいんだよ? これから共に生活していく仲間なんだから。俺らのこと、気軽に呼びたいように呼んでくれればいいし」

「え、そう……ですか?」

「いいのいいの。ねぇ、充紀くん?」

 うだうだ悩んでいることが馬鹿らしくなってくるくらいに、能天気な笑顔――それはある意味アホ面とも言えるかもしれない――を向けられ、充紀は小さく溜息を吐いた。もうどうでもいいや、と口内で呟き、未だ恐縮した様子でこちらを見ている淳に向けて、安心させるようににっこりと笑ってみせる。

「いいよ。こいつの……和也の言う通りだ、淳。俺らはこれから一緒に暮らしてく、仲間なんだから。上下関係とか関係ない。あってもむしろめんどくさいし、疲れるだけだもんな」

「そうそう。さすがわかってるねぇ、充紀くんは」

 グッ、と親指を立ててくる和也に、充紀も同じように親指を立てて答える。それだけで、なんとなくポジティブな気持ちになれるような気がした。

 最年長である充紀が笑ったことにようやく安心したらしい淳は、ゆっくりと表情を和らげ、こくりとうなずいた。

「じゃあ……これから、よろしく。二人とも」

「あぁ」

「よろしく~」

 和也の差し出す手につられるように、充紀と淳も順番に手を出す。

 三つの手が、中心で重ねられる。

 確かな温もりを感じながら、三人はそれぞれ、これから始まる共同生活への決意を新たにしたのであった。

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