浩美の結婚

 真っ白いウエディングドレスに身を包んだ、かつての恋人。

 よく晴れた空の下、儚く消えそうな雰囲気を持つ彼女は、頬を紅潮させ、現在幸せの真っただ中にいる。隣には、見るからに彼女とお似合いな優男を携えて。

 そんな姿を充紀は、どこか眩しそうな目で見つめていた。


    ◆◆◆


「みんな、来てくれてありがとう。とっても嬉しいわ」

 式と披露宴がつつがなく終わった後、招待客の見送りに立っていた花嫁――浩美は、揃ってスーツを着た三人が来たのに気付くと、満面の笑みで声を掛けてきた。

「いやぁ、とっても綺麗ですよ」

 照れているのか口ごもって何も言わない充紀の肩を抱き、和也が代わりに答える。淳も同意するように、笑顔でうなずいた。

「いい式でしたよ。ねぇ、みっくん」

「ん……そうだな」

 大学時代のわだかまりも無事に解けたとはいえ、やはり少し気まずさのようなものがあるのは確かで。充紀はつい、浩美に対してよそよそしい態度になってしまう。

 そんな彼を見て、浩美は目を細めた。懐かしそうに、愛おしそうに……そして、ちょっとだけ寂しそうに。

北村きたむらさんも、おめでとうございます」

 そんな中で和也が、浩美の隣にいたタキシード姿の男性に声を掛ける。穏やかそうな雰囲気を纏った彼は、目尻をふにゃりと垂らして人良さそうに笑った。

「ありがとうございます」

「あ、そういえば自己紹介まだでしたね。五十嵐和也です」

「百瀬淳です」

「で、これが篠宮充紀です」

「これって言うな」

 冗談を口にする和也を拗ねた子供のような顔で睨む充紀に、淳が思わずといったように吹き出す。新郎新婦は楽しそうに、微笑ましそうに三人の仲良しぶりを見ていた。

「北村です。こちらこそ、よろしく」

 彼――北村は手を差し出した。淳、和也、そして最後に充紀と握手を交わす。その時に耳元で告げられた言葉に、充紀は小さく目を見開いた。

「あとで、お話したいことがあるのですが」

「……はぁ」

「しばらく、バルコニーでお待ち頂けますか」

 それから何事もなく、笑顔とともに手を離され、充紀は困惑する。しかし先を歩いていた二人に促され、充紀は慌てて式場を出た。


「――やべぇ、俺何されんのかな」

 もしかして殴られる!? と一人おどおどびくびくしている充紀に、和也と淳は呆れたような視線を向けた。

「あんなに優しそうな人が、そんなことするはずないでしょ」

「そうだよみっくん。考えすぎだよ」

「でも、人は見かけによらないっていうしさぁ……」

 浩美と和解した後もやはりヘタレ気質は治っていないらしく、充紀は指定されたバルコニーで二人を引きとめたままうじうじと頭を抱えていた。

「ったくもう、この人は……」

 和也が呆れたように呟き、淳はただ苦笑いを浮かべる。

 すると、バルコニーに繋がる出入り口から、先ほどと打って変わったラフな格好の北村が姿を現した。

「お待たせしました……あれ、お揃いで」

 一瞬驚いたような顔をしたが、彼はすぐに人の好い笑みを浮かべた。身体に自然と力が入る充紀の肩を、和也がポン、と叩く。

「じゃあ充紀くん、オレたちフロントのところで待ってるから」

「また後でね、みっくん」

 淳も続いて充紀の背中を叩くと、和也に着いて行ってしまう。充紀はすぐにでも追いかけたかったが、緊張で金縛りにあったかのごとく一ミリも身体が動かなかった。

 ぷ、と吹き出す音が聞こえて、充紀はぎこちなく首を向けた。北村はこちらを見ながら可笑しそうに、口に手を当てている。

「何固まってるんですか」

 いくら浩美の元彼だからって、別に取って食いやしませんよ。

 笑い混じりに言われて、充紀はぽかんと口を開けた。呼ばれた時点で、自分が昔浩美と付き合っていたということを彼は知っているのだろうと薄々感づいていたけれど、やはりそうだったらしい。

 それにしても、同じ男なら――しかも惚れた女絡みならなおさら――本来生まれてもおかしくないであろうはずの敵意を、彼からは微塵も感じない。その事実に、妙に拍子抜けする。

「あの」

「篠宮さん」

 充紀の言葉を遮り、北村は言った。さざ波のように静かで、穏やかな色の瞳が、そっと充紀を捉える。

 狼狽する充紀に、北村はゆるりと笑みを浮かべた。

「浩美とは、数年前にこの街の最寄駅で知り合いましてね。プラットホームで電車を待つ彼女の寂しそうな横顔と、華奢な体躯がひどく儚げで……一目惚れだったんでしょうね。きっと」

 一目見たその日から、彼女を守りたいと思ったんです。

「で、つい声を掛けてしまって。今思えばホント、下手くそなナンパみたいなものだったんですけど……その日から、駅で彼女と会うたびに、話をするようになりました」

 自分の知らない、二人の想い出。彼の気持ちに共感できるところもあれば、当然ながら疎外感のようなものもあって。

 浩美のことはもう吹っ切れたつもりでいたけれど、充紀は何故か複雑な胸の苦しさを感じた。

「交際にこぎつけるまで、意外と大変だったんですよ。何せ彼女は、あなたのことをずっと引きずっていたんですから」

「……」

「でも、その時にはもう彼女に落ちていたから。多少無理矢理かなとは思ったけど、『友達感覚で付き合ってくれればいい』って言って、何とか納得してもらいました」

 それでもきっと、浩美には自覚があったはずだ。彼が自分を想ってくれていたこと、そして自分にも彼を思う気持ちが少なからずあったことを。

 そうでなければ彼女は、贈られた指輪を後生大切に持つことなどしなかっただろうし、あの日――充紀と浩美が和解した日、そしておそらく北村がプロポーズをした日――あんなに取り乱すこともなかっただろうから。

「あなたの代わりになれなくても、いつかあなたがいた場所と同じ位置に立てたら……そう思って、彼女とは大事に付き合ってきたつもりです。プロポーズだって、何年もかかってやっとできたくらいなんですから」

 まぁ、それから結婚するまでに、また時間がかかってしまいましたけどね。

「……幸せですね、あいつは」

 北村の独白に、充紀はいつしかそう呟いていた。驚いたように見つめてくる彼に、充紀は眉を下げて笑う。

「俺には、あいつの弱さを受け止めてやることができなかったから。あいつの話を、ちゃんと聞いてあげられなかったから」

 なまじ彼女の芯が強いことを知ってしまっていたから、きっとどこかで彼女に甘えていたのだろう。

「北村さん」

「……なんですか」

「殴っていいですよ、俺のこと」

 惚れた女一人笑顔にできないどころか、逆に悲しませ追いつめてしまった。そんな自分にはそもそも、浩美を愛する自覚などなかったのだ。

 覚悟を決め、充紀は目を閉じる。来たるべき衝撃に備え、ぐっと口内に力を込めて歯を噛み締めた。

 しかし、望んだ衝撃は来ない。

 おどおどと目を開けると、そこには先ほどと同じように静かに微笑む北村の姿。殴りかかってくるような様子はない。

 眉をひそめると、北村は困ったように笑った。

「そんなことをしたら、僕が浩美に殴られるから、やめときます」

「……へ?」

「ご自分を卑下なさらないでください。存分に、誇ればいいんですよ。だってあなたはそれほどまでに深く、浩美に愛された男なのですから」

 むしろ僕の方が羨ましいくらいですよ、と清々しい笑みを向けられ、充紀は再び唖然とする。

「人間は過去を反省して、次に進むものです」

「……はぁ」

「もし次に、あなたに好きな人ができた時は、今度こそ話を聞いてあげてください。根気強く待ってあげてください。その人の全てを受け止め、深く愛してあげてください」

 どうか、手遅れになる前に。

 北村の言葉の一つ一つが、充紀の心に染み入ってくる。頑なに凝り固まっていた心が少しずつ、ほろほろと解けていって。

 これまで無意識に、複雑に絡まっていた恋の呪縛から、ようやく解き放たれた気がした。

「俺はまた、恋をしていいんでしょうか」

「もちろんです」

 これまでの優しさとは打って変わった、力強い笑み。

 あぁ、そういうところも彼は浩美に似ている……そう、充紀は思った。

「北村さん」

「はい」

「おめでとうございます」

 どうか浩美を、幸せにしてやってください。

 心の底から告げた言葉に、北村は満面の笑みで答える。

「もちろんです」

 差し出された手を、充紀はがっしりと握りこむ。

 恋人だった女と目の前の男の前途を、今なら純粋な気持ちで祝してあげられるような気がした。

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