淳、成人する
「俺、今回ちょっと長めに帰るから」
実家に帰るべく身支度を整えていた淳が、ちょうどソファで携帯をチェックしていた和也に向き直って言った。
「え、何で?」
顔を上げた和也が、不思議そうに首を傾げる。
「ん? 言ってなかったっけ」
和也の様子に、今度は淳が首を傾げた。
「一月、成人式があるんよ」
「あー」
そういえばそうだったね、と和也が納得したようにのんびりと笑う。
「淳ちゃんもいよいよ成人かぁ。大きくなったね」
「親戚のおっちゃんみたいなこと言わんで」
「あ、間違えた。時の経つのは早いね、だった」
「あんまり変わらんよ」
どのみち言っとることはおっさんやが、と淳がからかうと、和也はあからさまにふてくされた。ぶー、と唇を突きだし、拗ねたように言う。
「充紀くんよりは年下だもんね!」
「俺の方がおっさんだって?」
「そうそう、充紀くんもう年だもんねぇ」
「か、和くん! もうその辺にしといたほうが……」
ちらちらと後ろを気にしながら、焦ったように淳が咎める。しかし和也は気にした様子もなく、言葉を続けた。
「えー、だって事実じゃん。淳もそう思うでしょ?」
「ほぉ……」
後ろからドスの効いた声がして、和也はびくり、と肩を跳ね上げた。
「お、お帰りみっくん……」
淳が引きつった笑みを浮かべながら、後ろへ声を掛ける。和也が恐る恐る振り返ると、そこには腕を組みながらにっこりと満面の笑みを貼り付けた充紀がいた。背後に漂うオーラが、やたらおどろおどろしく淀んでいるような気がするのは気のせいだろうか。……気のせいだと思いたいが。
「それで、和也くん」
一言一句はっきりと発音するように、充紀が口を開く。固まる和也に、彼は相変わらず笑みを浮かべたまま言った。
「俺がもう、何だって?」
「何でもございません、何も言ってません充紀様!」
「正直に言ったら、命だけは助けてやる」
「うっ……えと、その。充紀くんももう、年だって」
「……これから俺と、ゆっくりお話しようか」
「ごめんなさい謝りますから勘弁してくださいぃぃぃぃ!!」
「あーあ」
口は災いのもと、なんてよく言うたもんやの。
ニコニコと笑いながら和也の首根っこを掴む充紀と、そんな彼に怯えまくりながら謝罪を繰り返す和也の、地獄絵図――というのは名ばかりで、結局はいつも通りのただの馴れ合い――を目の前にして、淳は頬を緩めて小さく肩をすくめたのだった。
◆◆◆
そして、それから約ひと月。
無事に年は明け、淳も、そして充紀も実家へ帰り、それぞれの正月をのんびりと過ごした。
和也も自分の口では『ちゃんと帰った』と言っているが、その表情は相変わらず浮かない。抑えられない憎しみのような、憂いのような、郷愁のような……さまざまな感情の入りまじった、複雑な色をしている。
もちろん彼が自分からその正体を打ち明けない以上、充紀にも淳にも、深入りする権利はない。だからこそ、黙って見守るしかないのである。
さて。そんな中、久しぶりに同居するアパートに集まった三人は……。
「おー! 淳ちゃん、立派になっちゃって」
「意外と似合うんじゃねぇの、袴姿」
テーブルへ充紀と和也が揃って身を乗り出し、並んでソファに座った身体をくっつけ合いながら一つの写真を見ていた。
そこには先日淳の故郷で行われたという、成人式の様子が映っていた。淳と同い年の新成人たちが、それぞれ色とりどりの振り袖や袴、スーツなどを着こなし、おめかし姿できっちりと並んでいる。
「あ、あんまりじろじろ見んとって……」
二人の向かいでは、当人である淳が、ほんのりと頬を染めながら呟いていた。
充紀が示す人差し指の先には、水色とグレーの袴に身を包んだ淳の姿。友人と思しき他の新成人たちに囲まれて、照れ臭そうに笑っている。
「どうだ。久しぶりに友達にも会って、楽しかったろ」
優しく目を細める充紀に尋ねられ、淳は「うーん」と頬を掻きながら笑った。
「そうだね。特に仲いい友達とは、卒業した後もちょいちょい会ってたからそうでもないんだけど、全然近況とかも知らなくて、連絡取ってなかった子もいたから……うん、懐かしかった」
「同窓会もやった?」
「小中高、全部やったよ。はっちゃけすぎて、大変だった」
でもね、とそこで淳は、寂しそうにうつむいた。充紀と和也が眉を下げつつ、様子を見守る。
少しの沈黙のあと、淳は囁くようにポツリと言った。
「一番会いたかった人には、会えなかったんだよね」
余談だが、ここで彼の言った『一番会いたかった人』というのが、後に再会することになる幼馴染の小野寺学である。地元で就職した彼とは卒業以来音信不通になっていて、淳は今回帰った時に成人式または同窓会で会えるのではないかとひそかに期待していたのだ。
けれど学は、この時故郷のどこにも姿を見せなかった。淳の中でそのことは、小さな心残りとなっていた。
案じるように揃ってこちらを見てくる充紀と和也に、顔を上げた淳はヘラリと笑った。
「なんてね。別に、何でもないよ」
「そっか……」
「それなら、いいけど」
きっと二人の中には、言いたいことがあるはずだ。それでも淳がそう望まないことならば、決して詮索はしない。年上二人から伝わってくる、その心遣いがありがたい。
三人でそう取り決めたわけではないけれど、それは共同生活をする中でいつしか暗黙の了解となっていたことだった。
「そういえばさ」
ふと、和也が話を変えるべく口を開く。「なぁに」と淳が軽く首を傾げれば、和也は何となく楽しそうな表情をしていた。
「淳ちゃんさ、成人したじゃん」
「うん」
「ってことは、お酒飲めるんでしょ?」
「……あぁ」
何を言いたいのか悟ったらしい充紀が、めんどくさそうに目を閉じる。淳も理解したのか、きらきらと目を輝かせる和也を見て、クスリと笑った。
「じゃあ、今夜みんなで飲みに行こうか」
「そうこなくっちゃ!」
淳ちゃんの成人パーティーだね!
そう言ってはしゃぎまくる和也と、そんな彼を微笑ましそうに見つめる淳を横目に、充紀だけは何故か弱り切ったように「勘弁してくれ……」と漏らしていた。
◆◆◆
その夜、近所の居酒屋にて。
「ほらぁ、二人ともぉ。もっと飲まな駄目だべ」
空の銚子を片手に、頬を染めながらふらふらと機嫌よさげに揺れている酔っ払い――もとい、和也がいた。
「和くん、ご機嫌やねぇ」
「……だからこいつとはあまり酒飲みたくないんだよ」
和也の向かいに並んで座った淳と充紀は、それぞれ苦笑と呆れ顔でその様子を見守っていた。
居酒屋へ行く前から、充紀はめんどくさそうに溜息を何度も吐き、舞い上がった和也に「飲みすぎんなよ」と何度も釘を刺していた。その理由が、淳にも何となくわかったような気がする。
一方の張本人は飲む前から嬉しそうだったのだが、単純に三人で飲めることが嬉しいというよりも、飲むこと自体を楽しんでいるようにも思えた。もっとも、早いピッチで飲み進めたせいですっかり出来上がってしまったようだが。
そして、成人したてである淳はというと……。
「しかしお前、強いな……」
「ん?」
きょとんと首を傾げる淳は、ロックの芋焼酎が入ったグラスをそろそろ空にしようとしていた。
先ほどから度数の高い酒を少しずつ減らしながら、杯数を重ねている。にもかかわらず、その顔色は普段より心なしか血色がよさげであるだけでほとんど変わっていないし、呂律もしっかりしている。
「みーつきくんっ」
淳の新成人とは思えない飲みっぷりに唖然としていると、いつの間にか立ち上がっていた和也が、危なげな足取りでこちらへ来た。これまでにも何度か和也と飲んだ経験がある充紀は、何をされるのかを瞬時に悟り、嫌そうな顔で後ずさる。
「何で逃げるんだよぉ」
「だからお前っ、」
不思議そうに目の前の光景を眺める淳の後ろに隠れ、充紀は喚いた。こちらも酔っているのか、普段よりその声は大きい。
その反応がお気に召さなかったのか、すっかり据わった目をした和也がむぅ、と唇を尖らせる。
「オレのこと嫌いなんかぁ、みつきくんは」
「そうなの、みっくん?」
「いや、そういう問題じゃなくてだな」
近づいて抱き着こうとしてくる和也を押し返しながら、充紀は慌てた。何となく面白そうな雰囲気を感じ取り、自然と楯になっていた淳は身体を捩って二人の間から逃れる。
「あっ、淳お前!」
「だってどうなるか、見たいやん」
「この、裏切り者ぉぉぉぉぉ!!」
「みつきくーんっ」
充紀をしっかり抱きとめた和也が、嬉しそうに顔を近づける。
「やめんか、このっ」
「いいじゃん、あいじょーひょーげんだよぉ」
助けを求めようとするものの、唯一の傍観者である淳は面白そうにケラケラと笑うだけで、窮地を救ってくれそうにはない。
充紀の抵抗も虚しく、充紀は酔っぱらった和也――後に聞いた話によると、酒が入ると彼は非常にめんどくさいキス魔になるという――にあっさり唇を奪われる羽目になったのだった。
翌日。
案の定ひどい頭痛に見舞われた和也は、すっかり不機嫌になった充紀に朝からくどくどと御説教を喰らっている。その姿を横目に、淳は鼻歌を歌いながらニコニコと笑っていた。
――また、三人であぁやって飲みたいなぁ。
充紀は全力で拒否しそうだが、無事大人の仲間入りを果たした淳は、心の底から充足していたのだった。
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