和也と『親』
『お母さんが貰って喜ぶプレゼント第一位は、お花です!』
事務所での軽い打ち合わせを終えた後、マネージャーと立ち寄ったスーパーで、そんなアナウンスを耳にした和也は思わずといったように足を止めた。ふと振り返ってみれば、華々しい色合いの文字で『母の日コーナー』と銘打たれた区画が目に入る。
「どしたの、和也」
数歩先を歩いていたマネージャーが、和也の気配が消えたことに気付き、慌てて駆け寄ってくる。ぼんやりとした和也の視線に気づいたらしい彼は、あぁ、と小さくうなずいた。
「母の日かぁ……そういえば、そろそろだっけ」
俺もたまには母ちゃんに何かあげようかな、とぼやきながら、売り場に並んだ花を物色し始める。その背中を見ながら、和也は迷うように手を伸ばし……空中でその手を彷徨わせた後、そっと下ろした。
「――なんてみっともなく迷ってた時期が、オレにもありました」
スーパーマーケットの『母の日特集』と打たれた区画で立ち止まった和也は、ヘラリと笑った。その視線の先では、一輪の赤いカーネーションが、まるでこの場の象徴だとでも言うように凛と咲いている。
「ちゃんとお母さんを大切にしてあげないとな」
俺も何か送るかぁ、などと言いながら、充紀がその場にしゃがみ込み、物色を始める。その隣で淳も様子をうかがうように、色とりどりのカーネーションを中腰の体制で眺めていた。
「あのさ、実家に送るんやったらさ……鉢植えの方がいいよね」
どうやら、淳も母親に花を贈ろうと考えているようだ。
「まぁ、花束は難しいだろうな」
「でもこれ……三千円くらいする。新人教師には厳しいよ」
「それなら、こっちにもっと安いのあるぞ」
「あ、ホンマや。ちょっと小さいけど、これにしようかなぁ」
充紀と淳の会話を何となしに聞きながら、和也は一人思案に暮れる。彼の脳裏に過ぎったのは、このほど実家から届いた一通の手紙だった。
「……和也?」
充紀に声を掛けられ、ハッと我に返る。
いつの間にか買うものを決めていたらしい二人が、それぞれ鉢植えを抱えながら心配そうにこちらを見ていた。慌てて笑顔を作り直し、和也は二人と対峙する。
「もう決めたの? じゃあ、もう買い出し終わったし、レジ行こうか」
「あ、あぁ」
「うん……」
訝しげに眉を寄せながらも、二人は素直に和也の言葉に従う。自然に二人の前を進んで歩く形になった彼は、再び何かを考え込むようにぼうっとしていた。
◆◆◆
夕食と入浴を終え、和也は一人自室へ戻ることにした。いつもなら日付が変わる少し前くらいまで二人と一緒に共同スペースで過ごすが、今日はそういう気分だったのだ。
ダイニングで明日の授業の準備をしていた淳と、リビングのソファでノートパソコンをいじっていた充紀に、先に部屋へ戻る旨を告げる。二人は和也の心証を悟ったのか、ただ「おやすみ」とだけ声を掛けてくれた。
作詞をするときいつもそうしているように、和也は自室に置かれた小さなテーブルの前に鎮座していた。ただし今日は、作詞用に使うノートの代わりに便箋を広げている。
片手には愛用のペン。もう片手には、一通の茶封筒。実家の両親からの短い手紙と一緒に、メモ用紙のような小さな紙が入っている。
小さな紙にはどこかの住所と思しき文字と、電話番号と思しき数字の羅列が記されている。そこが示すのは和也が育った街とも、今住んでいる場所とも違う、ずっと遠い離島だった。
父は昏睡中だという。末期のガンが見つかったとかで、もうこの先も長くないらしい。現在は定年退職した母が着いており、ことあるごとにメディアで報道されている和也の活躍について語って聞かせているそうだ。
本当の両親が住んでいる離島へは、多少時間はかかるものの、向かうのに不可能な距離ではない。住所もあるのだし、時間さえあれば会いに行くことができる……はずなのだけれど。
「今更会ったところで、何だっていう話だよね……」
頬杖を突きながら、深く溜息を吐く。こうやって憂鬱な気分になるくらいなら、いっそ思い切ってしまえばいいのだけれど、それもできない。
充紀や淳に話したように、今更本当の両親のことを知ってどうしようという気もなければ、どうして自分を捨てたのかと恨み辛みを述べる気もない。彼らが自分を捨てた理由だって、もちろん知る気もない。
だからこうして、手紙を書いてみようと思ったのだが……。
「何を書いたらいいんだろう」
自分の近況なら、おおかたメディアで話している通りだ。ルームシェアをしている仲間のことや、姉に子供が生まれたことなども、常々面白おかしくネタにしている。
まぁ、さすがに自分が拾われっ子だとか、本当の両親をどう思っているのかとか、そんな入り組んだことは隠しているけれど。
だったら、そのことを書くべきか。特別なことを思っているわけではなく、むしろ複雑な感情しかないけれど。
というか、父親がいわゆる危篤状態だというのなら、やっぱり直接会いに行くべきなのだろうか。もう長くないというのだし、二度と会えなくなる前に一度くらいは顔を見せておくべきなのかもしれない。
しかし、それよりも気になることがある。
そもそも何故今更、こちらに連絡をよこしてきたのだろう。もしや、有名になった自分から恩恵を受けようとしているのでは?
血の繋がった人たちを、疑うことはしたくない。
けれど一度も会ったことがなくて、信用がないからなのか、ふとそんなことを思ってしまう。そんな自分は、冷酷なのだろうか。
がしがし、と乱暴に頭を掻きながら、和也はテーブルに突っ伏す。
しばらくその体制で動かなかったが、やがて何かを決心したように「よしっ」と勢いよく頭を上げた。
ようやくペンを取り、何やら書きだす。
考え考え、一時間ほどかけて何かを書き留めたあと、いったん彼はテーブルから離れた。ドア横に置いてあったギタースタンドから、丁寧に手入れされたギターを手に取る。
ベッドに座った和也は、ポロリン、と軽くギターを鳴らした。まだ寝るには早い時間だから、近隣住民も何も言わないだろう。隣人は自分のことをよく知っているから、なおさらだ。
それでも少し控えめに心がけながら、和也はギターを鳴らした。適当に音を紡ぎながら、頭の中の歌詞をあてはめていく。
和也はその日、寝る前に部屋を訪ねてきた充紀から「そろそろやめとけ」と咎められるまで、ギターを弾きながら歌を口ずさんでいた。
◆◆◆
「和也、また新曲出したんだ」
普段つけていないテレビは、現在CMを流している。先ほどまで歴史関連の特番を見ていた淳の後ろで、入浴に行った和也と入れ替わりで出てきた充紀が、濡れた頭を拭きながら呟いた。
その時流れていたのは、ちょうど和也の新曲に関するCMだった。淡いピンクのカーネーションを二輪、花瓶に生けた和也が映っている。その横顔はひどく優しく、彼は女ではないはずなのだけれど、何故か絵画などで見るような聖母を思わせた。
「ピンクのカーネーション、ねぇ」
「花言葉は『感謝』らしいよ」
淳が言うと、充紀が感心したように「へぇ」と目を丸くした。
「お前、よく知ってんじゃん」
「今日、生徒に教えてもらったの」
昨日放送された音楽番組に出演していた和也が、ちょうどこの新曲について説明していたのだという。
「『オレをこの世に産んでくれた人に、そしてオレをここまで育ててくれた人に、この歌を贈ります』……そう、和くんは言ってたんやって」
充紀は目を見張る。淳は何かを察してくれと言いたげに、真っ直ぐに充紀を見た。
「……なるほどな」
これが、プレゼントの代わりか。
「和也も、考えたものだな」
「和くんらしくていいよね」
俺には真似できないよ、と淳が小さく笑う。
「あいつの本当の親もさ……聴いてくれたのかな」
「きっと、聴いてくれたよ」
たとえ今は直接会って話せなくても、この曲を聴いてくれたなら、きっと伝わっているはずだ。和也が彼らに伝えたかった、唯一の気持ち。
いずれ顔を合わせるときが来たら、一番に伝えたい言葉。
――この世に産んでくれてありがとう、と。
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