充紀の料理教室・後篇

 フライパンの一つにワインとその他材料を入れ、デミグラスソースを煮詰める。その間に、隣のヒーターに置いたもう一つのフライパンに油をひき、滑らせながら温めていく。

「美味しそうな匂いやの」

 デミグラスソースの煮詰まっていく香りに、淳が頬を緩める。

「できてからのお楽しみ、だ。さぁ淳、材料持ってきてくれ」

「はぁい」

 充紀の指示で、中のチキンライスを作るための食材を運んでいく淳。一つずつ受け取りながら、充紀は程よく冷えたご飯を鶏肉などとともに順調に炒めていった。

「すぐできるから、皿出しといて。あと、卵も溶いておいてくれ」

 充紀が言うと、和也と淳はほぼ同時に「あいあいさー」と敬礼をした。充紀は思わず「何だその反応」と吹き出してしまうが、それくらいのことで少したりとも崩れない手際はさすがのものだ。

 和也の出した皿に、充紀がチキンライスを一人分ずつ盛っていく。

「何回かに分けて炒めてるから、ちょっと待ってろ」

 そう言って、充紀が再びチキンライスを炒めていく。同じ手順なので慣れたのか、先ほどより若干仕上げ方が手早い。

 そうやって三人分のチキンライスを盛っていく間、淳は卵を割ろうとするが……。

 ぐしゃっ、

「あっ……」

 強くぶつけすぎたのか、シンクにぐちゃり、と卵が潰れたあとが残る。生卵まみれになった両手を目の前で所在なさげにぶらりとさせながら、淳が申し訳なさそうな苦笑を浮かべた。

「もしかして、卵割ったことないの……?」

 和也が見かねたように、淳の両手を拭いてやる。淳は眉を下げながら、こくりとうなずいた。

「母さんの見てたことあるし、これくらいならできるかなって思ったんだけど……ごめんの、卵一つ駄目にしちゃった」

「いいよ、大丈夫。初めてだったら仕方ないって」

「これから上手くなればいいから」

 ポン、と淳の頭を撫でた後、充紀は汚れたシンクを片付ける。

 淳の失敗にも怒らず、あまつさえフォローまでしようとする二人は、なんだかんだで末っ子に甘い。自分たちでも自覚してはいるのだけれど、やっぱりこればかりは仕方ないなぁと思ってしまう。

「よし淳。おいで」

 和也が手招きするのに、しょぼんとうなだれた淳が近づいていく。そんな彼を励ましながら、和也による卵の割り方についてのレクチャーが始まるのを横目に、充紀は先ほどチキンライスを作っていたフライパンを新しいものと交換し、卵を待つ間微笑ましく見守った。

「……そうそう、あんまり力入れるとぐしゃってなるから、程よい加減で」

「……こう?」

「うん、ちゃんとヒビ入ったね。そしたらそのヒビに、親指をあてがって……あんまり力入れちゃダメ。んで、そっと……」

 充紀と和也が見守る中、淳は小刻みに震える手で、慎重に卵のヒビへと親指を這わせる。目指すは空のボウルの中。そして……。

 パカッ、

「「「おお~っ」」」

 三人からは、思わず歓声が上がる。淳はホッとしたように笑い、充紀と和也は自分のことのように嬉しそうな顔で拍手を送っていた。

 ……言っておくが、卵が割れただけである。

「さ、仕上げだ」

 その後、だんだん慣れてきたのかスムーズになってきた淳の手つきにより、無事卵が全て割れたところで(ちなみに十個入りの卵のうち、成功作は六つである)、充紀が油をひいたフライパンの加熱を始めた。そこからは時間勝負とでも言わんばかりの早さで、仕上げが進んでいく。

「はい、まずは一つ」

 出来上がったオムレツのかたまりを、チキンライスの山に乗せる。

「淳、真ん中のとこ切ってみな?」

「うん……」

 和也に手渡された包丁で、淳がそっとオムレツの真ん中に切り込みを入れる。すると……。

「うわぁっ、すげぇ!」

 半熟になっていた卵が切り込みからとろりと溢れて、黄金色に輝く。チキンライスをふわりと覆うそれは、テレビでよく見るような光景だった。

 淳が、目をきらきらと輝かせる。和也も予想はしていただろうが、同じように感心したような顔で「やっぱ、上手いなぁ充紀くんは」と呟いた。

「和くんはできないんか?」

「うん、オレにはここまでの技術はないや」

 すごいねぇ、とため息交じりに呟く和也に、二つ目のオムレツを仕上げた充紀がフライパン片手に照れたような笑みを浮かべた。

「もともと両親が共働きだったから、小さい兄弟のために夕飯をよく作ってたんだ。レシピ本買っては、こういう凝った料理の作り方を色々と勉強してさ……就職してからは、それこそ休みの日くらいしか料理なんてしてなかったけど」

「へぇ……道理で上手いわけだ」

「弟さんや妹さん、大喜びやったろうね」

「……ほら、二つ目」

 頬を染めながらそっぽを向く充紀は、最年長ながらも可愛らしい。そういうところもあるんだな、と思わず笑みを零しながら、淳は二つ目のチキンライスを差し出した。


 布巾で拭いたダイニングテーブルに、三人分のスプーンと箸を配置してから、無事に出来上がったオムライスの皿を置いていく。黄金色の上からかけられたデミグラスソースの色合いが、さらに食欲を掻きたてる。

「今何時?」

「七時半。充紀くんの普段の帰宅時間を考えると……いつも通り?」

「そうだね」

「いつも遅くて悪かったな」

 いつものように実りのない会話の後、和也が先に席へ着く。充紀は余った食材で簡単なスープを作るのだが、その横で淳は時折手伝いつつ、様子をじっと観察していた。

「できたぞ」

 三人分のお椀を、淳と分けて運びながら、充紀が声を掛ける。スプーンを片手に「わーい」とはしゃいでいる和也を見て、淳は「子供みたいやの」と笑った。

「淳に言われちゃ形無しだ」

「ちょっとそれどういう意味」

「まぁまぁ。それより、早く食べよっ」

「はいはい」

 淳が鼻歌を歌いながら席に着き、最後に充紀がカフェエプロンで手を拭きながらやってくる。ソファに外したエプロンをポイッと投げると、二人に「早くぅ」と催促されながら、自分も席に着いた。

「じゃ、食べますか」

「やっとだねぇ。オレ、ホントお腹空いちゃった」

「俺も……」

「お前らマジ子供みたいだな」

 なんか、実家にいた頃を思い出すわ。

 フッ、と笑う充紀は、和也や淳に自分の兄弟を重ね合わせているのだろうか。くすぐったく思いながらも、少しだけ照れ臭い気持ちになりながら、和也と淳は揃って手を合わせる。

「「「いただきます」」」

 美味しそうな匂いとともに、三人の挨拶が平和な空気に溶けた。

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