番外編
充紀の料理教室・前篇
「ねぇみっくん、オムライス作って」
リビングの床に寝転がって雑誌を読んでいた淳が、まるで『今日はいい天気だね』とでも言うような至極軽いノリで言った。
「……また、唐突だなぁ。お前」
ソファに座り、ゆったりと組んだ足に乗せたノートパソコンでトランプゲーム――珍しく仕事ではない――をしていた充紀が、呆れたように答える。
その日は充紀と淳の休みがちょうど同じで、それぞれのんびりと普段酷使している頭や身体を休めているところだった。
唯一外出しなければならなかった和也は、家を出る直前まで恨めしそうに『いいなぁ、いいなぁ……』と呟いていた。自分の用事さえなければ三人揃って休みだったのに、という口惜しさからだろう。
『俺、今日仕事サボっちゃおうかな』と半ば本気の顔で言っていた和也を『送り迎えしてやるから』という条件でどうにか送り出し、充紀と淳はこれまで各々静かな時間を過ごしていた(和也がいると大体うるさいのだ)。
――その均衡が崩れるきっかけとなったのが、冒頭の淳の一言である。
「何、レシピ教えて欲しいのか?」
「んーん」
料理覚える気になったのか、偉いなぁ……と続くはずだった充紀の言葉を遮るように、緩く首を横に振る淳。それから少し舌っ足らずな、子供のように甘えた声で続けた。
「食べたいだけ」
「お前なぁ……」
至極あっさりした答えに、充紀はがくりと肩を落とす。
淳は読んでいた雑誌を閉じ、充紀のもとへと近づいてきた。開いていたノートパソコン越しにひょこりと顔を覗かせ、不安そうに問う。
「駄目……?」
「……」
はぁ、と充紀は溜息を吐いた。子犬のような眼差しに耐えきれず、わしゃわしゃと目の前の頭を撫でる。
「仕方ねぇなぁ」
ポツリと言えば、途端に淳の顔がパァァッと輝く。もう一人弟ができたような、ある日突然ひょっこりと子供ができたような、不思議な心持ちになりながら、充紀は頬を緩めた。
「その代わり、お前も手伝えよ」
「もちろんっ!」
勢いよく立ちあがった淳が、わーい、わーい、とぴょこぴょこ跳ねながらテンション高くはしゃぐ。どちらかというと彼はいつも落ち着いているので、こういった年相応の――というか、若干年甲斐がないかもしれない――表情を見るのは珍しい。
「じゃあ、買い出し行くか」
「うんっ」
パソコンをシャットダウンしてから、ダイニングのテーブルに置いていた財布と車の鍵、そしてアパートの鍵を取る。ついでに時計を見ると、針はそろそろ五時を指そうとしていた。
「ついでに和也も拾っていくけど、いいか?」
「いいよぉ」
了承を得ると、充紀は機嫌よく鼻歌を歌っている淳を促す。淳が靴を履いている間、和也へ手早くメールを打った。
『いつもの場所でいいか?』
いつもの場所、というのは、和也がいつもバイト終わりにストリートライブをしているという近くの公園だ。ちょうど向こうも片付けていた頃だったのか、すぐに返事が来る。
『うん。何、迎えに来てくれるの?』
『今朝言ったろ。ってか、お前が車置いてったんじゃないか』
『あははっ、そうだった』
『何、迎え要らない?』
『滅相もない! 是非お願いします!』
文面からは、相変わらずテンションの高さがうかがえる。歩きながら小さく笑みを零すと、充紀は早々と準備を整えていた淳と共にアパートを後にし、駐車場へと向かった。
◆◆◆
「いやぁ、今日の夕食は充紀くんの手作りかぁ。嬉しいなぁ」
上機嫌な淳とともに、和也もまたテンション高くアパートの鍵を開ける。ガチャリ、とドアを開けると、それぞれ荷物を抱えた三人は騒々しく室内へ足を踏み入れた。
「言っとくが、お前らにも手伝ってもらうからな」
「えーっ、全部お任せじゃないの?」
「当たり前だ。文句言うなら作らんぞ」
「えぇっ……勘弁しぃね、和くん。俺が頼んだんやでさ」
「はいはい、分かりましたよぉ。手伝えばいいんでしょ」
「嫌そうだな?」
「いえいえ、滅相もない」
いつものようにくだらないことを話しながら、台所へ向かう。自分用らしいカフェエプロンをつけた充紀は腕まくりをし、石鹸で念入りに手を洗うと、他の二人にも同じことをするよう促した。
「ほら、支度するからお前らも綺麗にしろ」
「「はーい」」
二人がそれぞれ手を洗ったりテーブルを片付けたりしている間に、充紀は持ち帰ってきたビニール袋から材料を取り出していく。
「まずは、中のライス作るから。淳、ご飯よそっておいてくれるか」
「はぁい」
「充紀くん、オレは?」
「和也は、ベーコンと玉ねぎ切ってくれ」
「あいよっ」
元気のいい返事を聞きながら、充紀は包丁とまな板を取り出す。やる気満々の和也に手渡すと、今度は普通のフライパンと少し大きめのフライパンを一つずつ出し、クッキングヒーターの上に並べた。
今日は淳のリクエストで、デミグラスソースも手作りだ。本当はそこそこ値の張る赤ワインを使った方が美味しいのだが、淳が『そこまでしてくれなくていいよ』と笑ったので、お言葉に甘えて飲み切りサイズの安い赤ワインにさせてもらった。
間もなく隣からは、トントントン、と小気味よい包丁の音が聞こえてくる。さすが普段食事を作ってくれているだけあって、和也は非常に慣れた手つきで食材を切っていた。
が……玉ねぎを切る間、時折痛そうに目をぱちぱちさせるので、充紀はつい心配の目で見てしまう。
「玉ねぎっていっつも、目に染みるから嫌いなんだよねぇ」
「今度から、冷蔵庫で冷やしてから切れ。ちょっとはマシになると思うから」
「んぅ……」
「あぁもう、擦るな。余計痛くなるぞ」
そうこうしているうちに、淳が充紀のもとへやって来た。
「ねーみっくん、これくらいでいい? 一応、いつものお茶碗三杯分入れたけど」
「そうだなぁ。三人分だから……お前ら、どれくらい食べる?」
「みっくんが作ったのなら、いくらでも」
「ん、同じく!」
二人のあまりに漠然とした答えに、充紀は苦笑する。
「じゃあ、一人二杯ずつにしよう。淳、あと三杯分入れてきてくれ」
「了解」
淳が再び炊飯器のもとへ行くと、充紀は和也の方を見た。
「和也、切れた?」
「切れた……」
案の定玉ねぎにやられたらしく、涙をぽろぽろ零しながら、和也が切り終えた玉ねぎとベーコンを差し出してくる。
「ん、ありがと。ちょっと時間やるから、目冷やしとけ」
「うん……」
「淳、それ終わったら鶏肉切ってくれ」
「はぁい」
使用済みの包丁とまな板を軽く洗い、淳に差し出した。ふと不安が過ぎり、充紀は余計と思いながらも一言付け加える。
「指切るなよ?」
「大丈夫だって」
眉をハの字に曲げ、淳が笑う。
もちろん充紀も、これまでの共同生活の中で淳の器用さと呑み込みの速さは充分理解していた。しかし本人いわく『生活能力がない』ということなので、きっとこれまで料理もまともにしたことはないのだろう。そう考えると、やっぱり心配だ。
「みっくん、そんな見てくれんでも大丈夫やから……」
言いながら、淳が握りしめた包丁で鶏肉を切る。
――ドンッ!
「「っ!?」」
心配そうにチラチラと淳の方を伺いながら別の作業へ取りかかろうとしていた充紀も、玉ねぎでやられた目を冷やしていた和也も、その派手な音にびくり、と肩を跳ね上げた。
「だ、大丈夫か淳!?」
「ちょっと淳ちゃん、すごい音したよ!?」
焦る二人に対し、当の淳はけろっとしていた。
「うーん、どうもうまく切れんなぁ」
切れかけの鶏肉をつまみ、ぷらぷらと揺らしている。
大根などの硬い野菜を切ろうとしていたのならまだしも、そんな柔らかいものを切るのに、どうして今みたいな音がするんだ……と充紀は呆れた。しかもちゃんと切れてないし。
「仕方ないな……淳、貸してみろ」
淳から中途半端に切れた鶏肉を受け取ると、充紀は手早くそれを細切れにした。その様子を見た淳が「さすがみっくん、器用やなぁ」と感心したように呟く。
「淳ちゃん……」
ずいぶん目の痛みが回復してきたらしい和也が、憐みの目で淳を見つめる。ここまで生活能力皆無だったとは……とでも言いたげな表情だ。
「もう次から、和也が飯作るところしっかり見とけ」
「はぁい」
充紀の忠告に、淳はいささか不満そうだ。むぅ、と唇を尖らせながらも、自分の不器用さを納得しているらしい淳は、おとなしく充紀の手際の良い作業をじっと見つめていた。
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