×年後

エピローグ:時は、いくらか流れて

 素朴という言葉がよく似合う、小さな田舎町。そのほぼ中心部に、町で一つだけ存在する中学校が建っている。

 夕方チャイムが鳴り響き、授業の終わりを告げると、教室にいた生徒たちは挙って騒ぎ出す。今日の授業は退屈だったとか、これから部活だとか、帰ったら何をしようとか、今日はこういう番組がやるのだとか、たいていそういった他愛もないことだ。

「こら、まだホームルームは終わってへんぞ。座りね」

 そう言って注意する教師もいるが、あまり効果はない。それをわかっているからか、教師たちも半ば諦めている様子だ。

 そんな中、挨拶もそこそこに、とあるクラスの担任教師――百瀬淳は、何やら浮足立ったような調子で教室を出ようとしていた。

「モモ先生、今日は何や機嫌がえぇの」

 生徒に話しかけられ、職員室へ戻ろうとしていたのを自然と引き止められる形になる。けれど淳はさして気分を害した様子もなく、「まぁね」と笑った。

「楽しみなことでもあるんか?」

 その反応に興味を持ったらしい生徒たちが、次々と話しかけてくる。足早に帰ろうとしてはいたものの、大して急いでいたわけでもない淳は、足を止めて彼らに付き合うことにした。生徒とのコミュニケーションも、教師としては大事な仕事の一環だ。

「ある。明日からちょっと出掛けるんよ、俺」

「あ、そういや明日から三日ほど、モモ先生休むんやったね」

「どっか行くんけ? えぇなぁ」

「もちろん、お土産買ってきてくれるやろ?」

 次々と繰り出される生徒たちからの問いかけに、淳はにっこりと笑って答える。

「先生がえんでも、みんながえぇ子にできるって約束するなら、お土産持って来たるわ」

「するよー、もちろん! ね、みんな」

「え、なになに?」

「明日から三日間、モモ先生がえんでもクラスが全員えぇ子にしとったら、モモ先生がお土産くれるってさ!」

「マジ? 絶対やでの、モモ先生」

「よし、みんなえぇ子にするで!!」

 いつの間にか、教室にいた生徒たちがみんなこちらに注目している。単純やなぁ、と心の中でだけ呟きながら、淳は「約束やでの」と笑った。


 その翌朝、とある街のアパートにて。

 まだ薄暗い空のもと、だいたいの住人は寝静まっているのか、大して変化のない無機質なドアがいくつも並んでいる。そのうちの一つが唐突にガチャリ、と開いた。

 開口一番「いい天気だなぁ」と空を仰いだ男――篠宮充紀は、朗らかに笑う。その隣では、大きなキャリーバッグを持った女性が、充紀を見上げてふんわりと笑みを浮かべていた。そのほっそりとした左薬指には、シンプルなプラチナリングが光っている。

「揚々としているわね。そんなに、楽しみ?」

「もちろん」

 女性からキャリーバッグを受け取った充紀は、にっこりと笑う。

「だって、久しぶりに仲間に会えるんだからさ」

「このために、有給まで取ったのだものね」

「あぁ」

「もう、何年になるの?」

「わかんねぇなぁ」

 お前と出会う前だから、もう随分前になるんじゃないか?

「あら、そうなの?」

 充紀の答えに、いささか不服そうに女性が唇を尖らせる。その透き通った長い茶髪を慈しむように梳きながら、充紀は言った。

「お前にも、いつか紹介するよ」

「楽しみだわ」

 嬉しそうに笑う女性へ、充紀は屈みこむ。その唇へ掠めるようにキスを落とすと、ほんのり頬を赤く染めた女性の目を見つめながら「行ってくるよ」と囁いた。

「行ってらっしゃい」

 玄関先に立ち、見送ってくれる女性へ、充紀は手を振る。

 その左手の薬指には、女性がしていたものと同じデザインの、シンプルなプラチナリングが光っていた。


 一方同じ日の午前中、繁華街に位置するコンサート会場の楽屋内では。

「和也、ホントに今回は打ち上げやらなくていいのか?」

 出入り口のところから、伺うようにひょこりと顔を出したマネージャーに、中でギターを弾いていたミュージシャン――五十嵐和也は、振り向いて「うん」と答えた。

「打ち上げは、他の会場でライブした時に済ませたでしょ」

「けど、この会場が最後なんだよ。しかも今日が最終日。全てを締めくくる、この場所で打ち上げやんなくてどうするのさ」

「いいの」

 先約があるからね、と和也は鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌な様子でふにゃりと笑った。

「先約?」

 何だよそれ、と訝しげに眉をひそめるマネージャーに、和也はふふん、と笑ってウインクしてみせた。

「秘密」

 はぁ? とでも言いたげな、訳が分からないという表情を浮かべるマネージャー。和也は気にすることなく、彼へ手招きをした。首を傾げながらも、マネージャーは大人しく言われた通り楽屋へ入ってくる。

「それはそうと、事前に言っといた席、空けといてくれてる?」

「あぁ、あれね」

 空けてあるよ、とマネージャーは鷹揚にうなずく。

「中央、一番前の席を二つ。だったよな。ちゃんと言われた通り、そこだけはきちんと取ってありますよ」

「うん、ありがとう」

「誰か来んのか?」

「友達を呼んでるの」

「友達?」

「仲間、って言った方が正しいか」

「何じゃそりゃ」

「いーの」

 とにかくありがとね、と、相変わらず機嫌良さそうに、和也はひらひらと片手を振ってみせた。あとは一時間後に控えたリハーサルと、午後からのライブ本番に備えるだけだ。

「楽しみだなぁ」

 打ち合わせのためマネージャーが出た後、楽屋で一人になった和也は、ギターを片手にとろけるような笑みを浮かべて呟いた。


 それぞれ年齢も立場も、何もかもが違う……本来ならば道をすれ違うことすらなかっただろう、三人の男たち。

 そんな彼らの共通点は、ただ一つ。かつて同じ五年という時間を、共に過ごしたことがあるということだ。


 そんな彼らの再会が今、時を経て、ようやく実現する。

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