成果発表に向けて
ちょっとした家出騒動を起こし、無事帰ってきた淳は、充紀と和也の勧めで実家に電話をした。
母親が再婚したばかりの頃にも同じようなことをしたのだと、そういえば前に本人が言っていた。
だからだろうか。淳は親に、しこたま怒られたようだ。
これまでに二度も心配をかけさせた挙句、今度は同居人たちにまで迷惑をかけて……と散々責められたのだと、電話を切った淳は肩を落としていた。
「自業自得だ」
充紀が腕を組みながら、わざと少し苛立たしげに言うと、淳はしょんぼりとうなだれて「ごめんなさい」と呟いた。
「充紀くんの言う通りだよ」
淳の頭を軽く小突き、和也が口を尖らせる。
「親御さんも……それからオレたちも、どれだけ心配したか」
慈しむような優しい目で見つめられ、淳はどきりとする。
突然家に来た新しい父親のことを認められず、淳が真夜中まで家に帰らなかったのは、もう随分前――淳がまだ故郷にいた頃のこと。
あの日、なだめようとする母親のことも構わず、父親は淳に対して本気で怒鳴って……その後、こんな風に優しい目をして、淳の頭を撫でたのだ。
その日から、淳はその人のことを本当の父親だと認め、心から慕うようになったのだが……。
そんな昔のことを今になって思い出すのは、和也が、そして充紀が、いつの間にか淳にとって本当の家族のように大切な存在になっていたからなのだろう。
だからこそ、近くなってきた別れが寂しくて、淳はこんな子供じみたことをしでかしてしまったわけなのだが。
「もう、こんなことすんなよ」
そう言って伸ばされた充紀の手を、淳はがしり、と掴んだ。
「もう二度と、こんな馬鹿なことしないよ」
ぎょっとする充紀と、驚いたように目を丸くする和也に、淳は真剣な瞳を向ける。
「だからね、」
これは、実家を出てから――アパートに戻らず、一人で過ごしている間、ずっと思っていたこと。
短絡的なりにも、しっかりと考えた結果の答えだ。
「修業させて」
しかしその詳細を端折り、単刀直入に告げられた言葉の意味など、充紀と和也にはもちろん伝わるはずもなく。
「「……はい?」」
二人揃って、仲良く首を傾げたのだった。
◆◆◆
「ってか、修業ってそんなことで良いのか?」
教え甲斐はあるけど、と言いながら、充紀が腕まくりをする。仕事から戻ってきたばかりなので、スーツの背広を脱いだだけの格好だ。
淳は神妙にうなずいた。じっと見下ろす視線の先では、彼の男としてはいささか華奢な手が、不器用に米を研いでいる。
「一人暮らしの経験がないから、今のうちにある程度のことはできるようになっておかなきゃ」
「もし実家に戻るなら、必要なくないか?」
「にしたって、この年で親に頼りっぱなしなんて嫌やし」
むぅ、と淳は唇を尖らせる。その間にも視線は手元から逸らさず、相変わらず拙い手つきでゆっくりと米を研いでいた。
「そろそろ水が濁ってきたから、流して」
「うん」
「あぁ、手で押さえないと零れ……」
充紀が忠告し終える一瞬前に、淳は勢いよく米の入った容器を傾ける。ザァッと嫌な音がして、零れた米が炊事場にバラバラと広がった。
「あーあ……」
「ごめん、みっくん」
「いや、いいよ」
やってしまった、と首を垂れる淳の頭を撫で、俺がもう少し早く言ってればよかったんだしな、と充紀は苦笑する。
「何で俺、こげん不器用なんかなぁ」
「慣れてないんだ、仕方ないだろう」
みんな、初めのうちはそういうもんさ。
そうやってことごとく繰り返される失敗にもフォローを入れ、淳を責めることなくつい甘やかしてしまうのは、長い付き合いの中でもはや仕方ないことなのかもしれない。
けれどこんな風に、淳が少しずつ自主的に行動できるようになっていく様子を見守るのは、微笑ましくもあった。
誰かの手を借りなくても、呑み込みの早い彼ならすぐに家事全般ができるようになるだろう。近い将来、いずれは。
それは嬉しいことだけど、自分の手を離れていくようで、少しだけ寂しくもある。
「何かもう、ホントに親みたいだな、俺」
「何か言った、みっくん?」
「んや、なんでもないよ」
目を丸くしながらこてんと首を傾げる淳に笑みを向けながら、充紀は淳にもう一度米を計量して来るように促す。その間に散らかった米を片付けるべく、炊事場に手を付けた。
「ただいまぁ」
充紀の監督のもと、淳がどうにか米を研ぎ終え、炊飯器のスイッチを入れる。そこでちょうど、レコーディングと事務所での打ち合わせを終えた和也が帰ってきた。
「お帰り、和也」
「今日は遅かってんね」
二人が顔だけを向けて出迎えると、荷物をソファに放り投げた和也は「まぁね」と答える。
「レコーディングはすぐ終わったんだけど、打ち合わせが長引いちゃって」
「新曲についてのか?」
「それもあるけど。今度また、音楽番組のオファーが来てさ」
「へぇ、人気者じゃん」
「へへっ、照れるなぁ」
充紀に肩を小突かれ、でれでれに笑いながら頭を掻く和也。そんな彼の様子に、もう淳はもやもやを感じることはない。
――オレは、離れていかないよ。
あの日、淳の頬を張った和也は、いつもの調子で明るく言ってくれた。まるで二重人格のように、騒がしい時と静かな時のギャップが激しい和也だが、裏表のない真っ直ぐな性格であることは、これまでの付き合いで十分承知している。
だからこそ、彼の言葉を素直に信じられる。
和也も、それから充紀も、自分と同じように、三人で一緒にいることを当たり前のように感じてくれている。
それが分かっただけで、良かった。
「ところで淳ちゃん」
「何?」
和也に話を振られた淳が、首を傾げる。
キッチンの方からぷしゅう、と気の抜けるような音が聞こえてきて、和也はおぉっ、と嬉しそうな笑みを見せた。
「ご飯、自分で炊けたんだ?」
「うん」
昨日から自信満々に言ってたもんねぇ、と笑う和也に、淳は元気良くうなずいてみせる。一方の充紀は、疲れたようにげんなりと肩を落とした。
「ここまでこぎつけるの、結構大変だったけどな……」
淳が米を研ぎ始めてから、炊飯器のスイッチを入れるまでには、軽く一時間近くの時間を要していた。何度も米を零したり、水の計量を間違えたり、色んな失敗があったからだ。
その模様を充紀が話すと、和也は声を上げて笑った。
「そこまで不器用だったか、淳ちゃん」
「話さんでいいって言うたのに……みっくんのアホ」
拗ねてしまった淳をなだめるように、充紀がポンポン、と軽く頭を叩く。
「大丈夫だって。今回は確かに散々だったが、お前結構飲み込み早いんだから、すぐできるようになるよ」
「ホントかなぁ」
「ホントホント。俺が保証するから」
だから頑張ろう? と微笑まれ、淳は訝しがりつつもこくり、とうなずく。
別れの日は、刻一刻と近づいてきている。
それでも、二人は最後まで同居人でいてくれようとしているし、これからずっと、いつまでも理解者であってくれる。
だから、頑張ろうと思える。
「年明けごろになったら、一回淳に成果発表してもらおう」
「いいね。浩美さんとかユッコとか、学くんも、みんな呼んでパーッと食事会でもしようよ」
「それまでに、俺たちで鍛えないとだな」
「楽しみだね」
二人が顔を見合わせ笑い合う様子は、まるで両親が子供の授業参観に行く時のような雰囲気に思える。そう言ったら本人たちは――特に充紀は――否定しそうだが。
それはともかく、年明けというと……。
「あと三、四ヶ月くらいかぁ」
できるかなぁ、と思案する淳に、和也がニコニコしながら言う。
「修業あるのみだよ」
「そうそう」
充紀も破顔しつつうなずく。
何故二人がそんなに意気揚々としているのかはさておき、全面的に協力してくれるという姿勢は、淳にとって非常にありがたいことだ。
「明日、淳は休みだよね?」
「うん」
「オレ、午前だけちょっと行かないといけないけど、午後からはオフだから付き合うよ。カレーでも作ろうか」
「ありがと、和くん」
「俺は仕事だけど、楽しみにしとくよ」
「頑張るから、期待しててね。みっくん」
キラキラと目を輝かせる淳を、充紀と和也は微笑ましく見守っていた。
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