エピローグ
作戦は終わった。この戦いでヴァイス王国はヴィグエントを解放し防衛基盤を築いた。この日、ヴァイス王国はグラーフ王国に対する初勝利に喜び沸いた。しかし大局的には占領された土地の一部を奪還したに過ぎず、グラーフ王国の勢いは衰えず、脅威は変わらず続いていた。
ノワール共和国は講和派と抗戦派で意見が割れ、国の代表である議長フラウメルはグラーフ王国に付くか包囲網に参加し続けるかの決断を迫られていた。
ゼイウン公国は尚も激しいグラーフ王国の侵攻を受けており、領土の占領を許すと共に内部分裂の火種を抱えていた。
対外諸国はヴァイス王国での小さな勝利をさして重要視しなかった。極少数の慧眼を持つ者を除いて――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
またあの夢だ。ぼろアパートの中で携帯電話が鳴り響く。この電話をとれば沙耶の声が聞けるのだろう。聞きたいような、聞きたくないような。緩慢な動作で携帯電話を拾い上げる。
内容はきっと今度の休日の予定。そう分かっていながらも携帯電話を耳に当てる。
「――――」
よく聞き取れない。
「沙耶?」
今までこんな事は無かった。沙耶の存在が希薄になったようで心配になり、手の中の物体を耳に強く押し当てる。
「……きて」
微かに声が聞こえる。不意に目の前が揺らいだ。
「沙耶? ……沙耶?」
「……てください。起きて……」
揺れる視界の中で沙耶の声が聞こえる。そうだ。今は夢の中なのだ。だからもう少し眠らせてくれ、沙耶と話をさせてくれ。そんな事を言った気がする。
「駄目です。起きて下さい、セラム様!」
――――。
重い瞼を開け網膜に映るぼんやりとした景色の真ん中の女性を見る。
「沙耶?」
「しっかりと起きて下さいセラム様。迎えの兵士の方が来ていますよ」
はっと目を覚まし周囲を見る。ベルが体を揺さぶっていた。
「あー、そうか」
ヴィグエントの奪還から二週間が経っていた。あれから体を治しつつもヴィグエントで政務を励み、解放直後の政情を何とか安定させたところで王都から登城命令が来たのだ。セラムは後事をヴィルフレドに任せ昨日王都に到着、まずは体を休め明日登城する事を伝え城の敷地内にある邸で眠りについた事を思い出した。
「もう少し寝ていたかったような、そうでもないような」
辛く懐かしい想い出もこの現実の前には吹き飛ばされてしまう。セラムはベルに身支度を手伝ってもらって急いで城に向かった。
繊細な時期の駐留司令官を呼び戻す程の要件だ。あまり愉快な話ではないだろう。セラムは相応の覚悟を決めて会議室に入る。
「忙しい中すまんな。だが非常事態だ」
セラムが呼ばれた会議室で待っていたのはアドルフォだけではなかった。アルテア、ガイウス、リカルド。国の代表と大将と宰相と公爵、国家の中枢を担う四人であった。
これだけで深刻な事態なのは嫌というほど分かる。しかも他の人物がいないという事は余程の機密事項なのだろう。そんな中自分が呼ばれるというのは場違いというか、嫌な予感しかしない。
「悪い報告と最悪な報告があるけどどちらから聞く?」
「うわあ聞きたくねー」
こういうのは良いニュースと悪いニュースどちらからというのが定番だと思うのだが。
「ゼイウン公国から援軍要請でも来たのですか?」
「いいえ、違うわ。けどどうしてそう思うの?」
あら、とセラムは拍子抜けした。ゲームの次の展開を考えるとそれしかないと思っていたのだが。しかし違うとすると先が読めなくなるという、セラムとしては最悪な状況になりかねない。
「いえ、単純に未だ交戦中の筈だからという当て推量です。……では悪い報告の方から」
「では私から話そうか」
ガイウスが口を開く。
「ノワール共和国の議長、言ってみればこの国で言う国王に当たる人で、フラウメルという女性なんじゃが……、彼女がグラーフ王国との講和を影で進めているらしい」
「最悪じゃないですか……」
むしろこれで最悪じゃないなんてもう一つの報告はどれ程のものなのか、聞くのが空恐ろしくなる心地である。
「もっともこれははっきりと形になったわけじゃない。ノワール共和国は今抗戦派と講和派に分かれていてね、これはその抗戦派の議員の一人からの情報じゃ。今から手を打てばまだ間に合う案件。寧ろそんな重要機密が国の幹部から流れてくる程に内部が割れている事の方が重大かもしれん」
とはいえ楽観視はしていられない。彼の国は魔法大国という側面の他に商業、薬学といった分野も抜きん出ている。また南北に広い土地を持つ為豊富な動植物資源を持ち、交易相手として非常に重要な国である。決して敵に回すわけにはいかない。
「成程、同盟国としては頼りない限りというわけですか。しかし具体的な方法というのは」
「この情報は我々と極一部の高官しか知らない。よってまだ決まったわけではないのだけど、考えられる方法としては大まかに二つ、外交筋から抗戦派の支援か援軍を送り込んで戦闘状態を引き返せないところまで持っていくかだね」
穏便にいくなら外交。ガイウスがどこまでパイプを持っているか知らないが、恐らく金銭的な援助が主だろう。つまり票を金で買い取る、買収というやつだ。だがこの方法は他人頼みのところが大きく確実性に欠ける。
一方で援軍を送る方法ならセラムにも多少予測はつく。例えば国境付近で軍隊を動かし戦闘状態にもつれ込んだままノワール共和国の統治地域に入る、勝手に援軍を送ってグラーフ王国を牽制する、はたまたスパイを送り込んで国境地帯でお互いの領地に攻撃を撃ちこむ等々。
とはいえやり方次第では外交感情が悪化し逆効果になりかねない。政治的な判断はセラムでは難しい。
「やはりここはリカルド公爵に行ってもらうのがいいと思います」
アドルフォが言う。
「早急に手を打たねばならん以上あちらの国の人間だけに頼るのは心配です。しかしながら外交が絡む問題に我々軍人が取り組むのは少々荷が勝ちます。それらの平衡感覚が優れているリカルド公爵こそが適任かと」
「うーん、宰相という立場からするとあまり事を荒らげてほしくはないんだけどねえ。けれど外交だけで解決させる自信が無い事も確か」
「私ですか。うむむむむ……」
三人が眉間に
「セラムはどう思う?」
「!」
黙って聞いていたアルテアが唐突にセラムに振ってきた。セラムは不意を突かれビクンと体を震わす。
「ぼ、僕はアドルフォ大将の命令に従います。軍を動かすなら方法や編成の献策は出来ますが、国の方策に関わるのは一少将の身には分が過ぎます」
「私はセラム個人としての意見を聞いているのよ」
「………リカルド公爵に援軍……と称した何かを連れて行ってもらうのが良いと思います」
「そう。この件に関してはリカルド公爵に一任します。方法は任せますがこの情報は今知っている者以外には漏らさないように」
「はっ」
セラムは内心自分が直接関わらないでいい事に安堵した。同時にこうも思う。これだけならば自分が呼び出される必要はないんじゃないか、と。
そしてその不安は次の報告によって的中するのである。
予想の遥か斜め上に。
「では次の報告にいきましょう。これがセラムにとっての本題よ」
「はい、では私から。ゼイウン公国のメルベルク砦が陥落した。これでゼイウン公国の主要都市の一つ、ゲルスベルクの喉元を押さえられた事になる」
「それは本当ですか!?」
ガイウスの言葉にセラムは驚愕する。というのもゲームで援軍に向かった防衛目標がメルベルク砦だったのだ。しかも二度にわたって防衛任務をこなした激戦区である。それが何の関わりを持たぬまま陥落した。本格的にゲームとずれてきてしまっている。
(とうとうこの時が来たか!)
西も東も、戦局は大きく動き出した。この戦争はまだまだ始まったばかりだという事を嫌でも思い知らされる。
セラムの心中は荒波のようにうねっている。そんなセラムの様子にガイウスは少々不思議そうに声をかけた。
「大丈夫かい? ほら、水を飲んで落ち着きなさい」
「え、ええ、すみません。続けて下さい」
「うむ。じゃあ続けるよ。そこでその地方の名家、マトゥシュカ家からセラムに縁談の申し出があった」
「ぶぅぅぅぅぅっ!」
口に含んだ水を盛大に噴き出した。
セラムの受難はまだまだ始まったばかりであった。
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