第二十七話 セラムの戦いその2

 セラムは後ろに跳んだ勢いでそのまま後転し、態勢を立て直すと同時にクロスボウを構える。そしてその台座に斬られた矢を装填した。短く斬られた矢はクロスボウには丁度良い長さになっていた。


「こんな時単純な機構の兵器はいいよなあって思うね」


「ほう」


 クロスボウを向けられたダリオは尚も余裕の表情でゆったりと剣を構える。小娘が一発限りの飛び道具を持ったところで何も怖くはないといった面持ちだった。


「それで俺を撃つというのか。その妙な矢で? 面白い、やってみるがいい。それで俺を殺せるのならな」


「勘違いするなよ。これはこうやって使うんだ」


 セラムはクロスボウを持った腕を上げてゆき、その矢を天に向かって撃った。鳥の断末魔のような鋭い音が辺り一帯に広がる。

 予想外の動きの目的を、ダリオは一瞬遅れて理解した。


「貴様、仲間を呼んだな!」


「鏑矢というんだ。いい音色だろう?」


 あとは如何にここを動かず時間を稼ぐか、そんな事を考えていたセラムはあまりに悠長だったと言わざるを得ない。


「あああああああああっ!」


「ひっ」


 目を剥き出しダリオが突進してきた。その狂気の色にセラムは思わず身を縮め体を硬直させる。

 情けない事かもしれないが、自分を殺しても構わないと本気で思っている相手が怒気をはらんで剣を振り回してくる恐怖に、セラムは身が竦んで動けなかった。チンピラが「殺す」と叫んで突き出した刃物、そんなものが幼児の虚勢に思える程に本物の狂気は凄まじく、セラムの冷静さを吹き飛ばした。

 動けなかったのが却って良かった。ダリオの剣の腕が確かなものだったのも幸いした。セラムは何度も斬り付けられるがそれは全て軽鎧の留め革や服を狙った物で、セラム自身が負った傷は深くない。


「貴様は楽には殺さん! 殺してくれと請うてくるまで長い年月をかけて責苦を負わせてやる!」


 軽鎧が地面に落ち服がボロボロになって漸くダリオはその剣を収めた。

 セラムは泣いていた。こんな奴に屈するのは嫌だ、そんな意思に反して涙が勝手に流れ出る。その情けない姿に少し溜飲が下がったのか、剣を鞘に収めたダリオが一歩近づいてセラムの腹をその拳で殴った。


「おごおっ」


 セラムの体が崩れ落ちる。ダリオは更に突き倒してその小さな体に馬乗りになる。どかそうにもセラムの力ではびくともしない。こんなに自分の非力さを呪った日は無い。

 ダリオは下品な笑みをその顔に張り付け言った。


「大人しく俺に付いてくるかね?」


 その勝ち誇った声にセラムは……率直に言ってムカついた。

 昔から居丈高にくる相手にほど食ってかかった。いけ好かない相手には、誰が思い通りにしてやるもんかと意地になるタイプだった。ここで従って見せればこの男は征服欲が満たされてこの場ではこれ以上酷い事はしないだろう。状況を上手く利用すれば時間稼ぎも出来るかもしれない。

 だが例え嘘でもこんな男を悦ばせるのは御免だ。だからセラムは嘲笑った。


「逆境こそが人生だ」


「あん?」


「誰が従うかよこの腐れチンポっつったんだよ」


 ダリオの顔が醜く歪む。拳がセラムの顔にめり込んだ。


「誰がっ、何だってっ? こんな状況でっ、大した口きくじゃねえかっ」


 ダリオは防御した腕の上から構わず何度も殴りつける。

 痛い。痛い。

 だが肉体的こんな痛みは大した事じゃない。こんな下衆の言う事に従う痛みの方がよっぽど辛い。


(このまま殴られ続ければ助けが来るまでの時間稼ぎになるな。それまで命が持てばいいが。この程度、死ななければ安い。……にしても何だろうな、漸く僕も戦争に参加してる気分になってきたよ)


 今迄は指揮官という立場上後ろで命令するだけだった。決して安全な場所にいたわけでもないが、前線の兵士が命を懸け、大怪我を負って帰ってくるのに対して自分は無傷のまま平気ではいられなかった。だから今最前線で戦っている兵士達と一体感を感じる。惜しむらくはこんな戦況に影響しない外れで助けを待つしかないという事だが、セラムは自分が感じる痛みと向けられた憎悪に歪んだ喜びを感じていた。

 その相手のダリオは、その質こそ憎しみだが深い情念をセラムに抱いていたのだろう。すぐにでもセラムを担いで逃げた方が良いだろうに、状況も忘れてセラムを殴り続けている。その感触が、セラムの腫れた顔と痛みで歪んだ表情が嗜虐心をそそられるのだろうか、ダリオの股間が固く大きく張っている。


(勃起してやがる。この狂人が)


 殴られる内にセラムの意識が朦朧となり動きが緩慢になる。それでも頭だけは守ろうと腕を上げる。その時、ダリオの拳がセラムの服を引っ掛け、ボロボロだった服が大きく裂けて胸が露になる。その小さな膨らみにダリオの喉がごくりと鳴った。


「女に生まれた事を後悔させてやる」


 その低い声音は氷を背に押し込まれたようにぞくりとさせた。ダリオの手がゆっくりとセラムの喉と下半身に伸びる。

 ごつごつした指の感触を下腹部に感じた時、セラムはさっきまでの死に近づいていた時とは比べ物にならない恐怖を感じた。

 セラムは泣き叫んだりはしなかった。この男を悦ばせるだけだと知っていたから。伸びてくる手を防ごうともしなかった。力で敵わない事を知っていたから。だからただその手をダリオの腰に回した。


(動け、速く動け僕の体! 奴が気付く前に!)


 セラムの手がダリオの腰に差さっていたナイフに伸びる。焦りを何とか抑えながら気付かれる事無くナイフを抜き放ち、そのままダリオの太腿に思いっきり刺した。


「っあー!」


 一瞬ダリオの腰が浮いたのを見逃さずセラムが滑り逃れる。


「元々女に生まれたわけじゃないっての」


 セラムがそのまま走り抜けようとする。が、そこまでだった。セラムの目の前に地面が起き上がってきた。そんな錯覚をするほど平衡感覚がいかれてしまっていた。散々殴られ限界がきていた体は膝から崩れ、碌に受け身も取れずその体は地面に投げ出されてしまったのだ。


「ぎっさまあっ」


 怨嗟の声が迫る。セラムが何とか首を巡らすと、ダリオが血走った目で覆いかぶさってくるところだった。


「その手足を斬り落としてやれば大人しくて良い玩具になるかなあ!」


 ダリオが剣を抜く。セラムは必死でもがこうとするがその手足は痺れて動かない。痛みを覚悟してきつく目を閉じたその時、聞きなれた声が聞こえた。


「ではその汚い手足から斬ってさしあげます」


 鉄と鉄が激しくぶつかり合う音がした。セラムが目を開けると、そこにダリオの体は無く、代わりに紺色の布がふわりと広がった。

 メイド服の女がセラムを護るように立ち塞がっていた。


「ベル……」


「セラム様、遅くなりました。もうご安心を、これ以上セラム様には指一本触れさせません」


 戦場に似つかわしくないメイド姿にセラムが安堵する。顔を腫らし服が破られ、至る所に切り傷があり血を流している、そんな主人の痛々しい姿を見てベルが怒りを通り越した絶対零度の低音でダリオを威圧する。


「貴様は百回死んでも償えない罪を犯した。手足を斬り落として吊るし燻製になるまで燻されるか、末端から順に中心部へと針で刺されるか、好きな方を選ばせてやる」


「メイド風情が偉そうな口を利くなア!」


 ダリオの剣がベルの頭に振り下ろされる。ベルはそれを右の短刀で巧みに逸らし左の短刀で刺突する。体勢を崩しながらも鎧で受け流し反撃するダリオに対し、ベルはスカートをたなびかせ軽やかに躱しながら舞い斬る。


「ぐっ」


 思わぬ強さにダリオが間合いを取り溜めをつくる。ベルはその動作に反応し即座に左の短刀を投擲した。肩に短刀を食らい集中を乱されたダリオにもう一方の短刀が振り下ろされる。


「くそっ」


「魔法を使う隙は与えませんよ」


 激しく繰り出される攻撃にダリオが防戦一方になる。激しく打ち響く金属音。

 三合、四合。

 五合目に達したところでダリオの蹴りがベルの体を突き放す。その隙にダリオは肩に刺さった短刀を引き抜き投げた。


「しまっ……!」


 その凶刃が自分を狙うものではないと気付いた時、ベルはダリオを殺す機会を失った。セラムに迫った短刀をベルが何とか弾いた時にはダリオは反転して走り出していた。


「今日はここまでだ! だが次は必ず殺してやる! 必ずだセラム・ジオーネェ!」


 捨て台詞を吐いて北へと走るダリオ。しかしその前に大男が立ち塞がる。バッカスが大剣を手に仁王立ちしていた。


「どけい愚物が!」


「よう、女子供に手を上げるなってママから教わらなかったか?」


 ダリオが怒りの形相のままにバッカスに向かって突進する。


「戦場に自ら出てきた奴に女も子供もあるかあ!」


 バッカスの大剣がその重さに似合わぬ速度で薙ぎ払われる。ダリオに刀身と肩でその一撃を受け止められるも、バッカスは構わず大剣を振り抜く。ダリオの体はそのまま浮き上がり、防壁の外側へ落ちてゆく。


「っああああああぁぁぁぁ……っ!」


「……ちっ、最悪だぜ」


 バッカスは切れ味の悪い大剣を肩に担ぎ心底嫌な心持ちで呟いた。


「あんな糞野郎と意見が合っちまった」


 脅威が去ったのを確認しベルがセラムに駆け寄りその頭を抱き上げる。


「セラム様! 大丈夫ですか!?」


「ベル……ああ、大丈夫だ。見た目ほど酷い怪我じゃない」


「申し訳ありません、私が至らなかったばかりにセラム様をこのような危険な目に……」


「大丈夫だって、ベルはこうして守ってくれたじゃないか。僕の方こそ頭に血が上っていた。すまない」


「勿体無きお言葉。私は二度と不覚を取らずセラム様を守り抜く事を誓います」


「ベルが無事だっただけでも僕は満足だよ」


「セラム様……」


「あータイショー?」


 二人の世界を構築する主従にバッカスがばつが悪そうに割り込む。


「バッカスか。君もありがとう、お陰で奴を取り逃がさずに済んだ」


「いや、こっちこそもっと早くに駆け付けてれば良かったんですが」


「状況も分からないだろうにいの一番に駆け付けてくれたんだ。助かったよ。ところで戦況はどうなった?」


「俺は外れの方の残敵狩りに参加してまして、持ち場にいた時にゃあまだ中央は戦闘中でしたが……」


 街の中心部から大きな鬨の声が聞こえる。バッカスが親指で示しながら片眉を上げて笑った。


「どうやら終わったようですぜ」


「そうか」


 中央広場を制圧したのならあとは敵勢力の拠点となっている北部の防壁にいる敵を押し出せば制圧完了するだろう。セラム隊は十二分の働きをしその存在感を知らしめた。この先は本隊の仕事だ。


「終わったんだな」


 セラムはベルの膝を枕にして空を見る。蒼い蒼い晴れやかな空だった。

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