第二十二話 隘路の村攻防戦その2
「取り付けばこちらの勝ちだ! 走れ!」
キルサンが号令を掛ける。だが間断なく飛んでくる矢の中を進むのは狂信的な集団でない限り難しいものだ。しかもこちらが援護射撃をやめて走りぬけようとするとすかさず大量の矢が上から降ってくる。敵の司令官がいる場所は分かっているのに排除出来ないもどかしさでキルサンは歯噛みした。
「こんな事なら重装鎧部隊を連れてくれば矢なぞ無視して前進出来たものを……!」
今更である。敵が寡兵である事、防衛地点を離れる事を考えれば判断は決して間違いではなかった筈だったのだが。
両側を川と山に挟まれた天然の
焦れる。このまま押し勝つのは被害が大きすぎる。少々危険を冒してでも迂回させるべきだろうとキルサンは判断した。背後の遊兵を無くす意味でも攻撃の手を増やすのは良手だろう。
「二隊に分ける! 山を登り村を強襲せよ!」
その判断も間違ってはいない。山に入れば木が障害になり村からの射撃は届かない。だがどんなに合理的でも失敗する事はあるのだ。
部隊が山に分け入り村を目指す。その時、またしてもあの甲高い音が鳴った。
「何だ!?」
今度は青い長布が垂れ下がった矢が天に昇った。時を同じくして山に入った部隊から悲鳴があがる。
伏兵! その瞬間キルサンが声を張り上げた。
「構わず突撃せよ! 敵は寡兵ぞ!」
合理的な考え、即座に反応する決断力、キルサンは間違いなく良将だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
青い布の合図で木々の上に伏していた兵達が一斉に矢を敵に突き立てる。荷台前の弓兵は荷台の中から矢を補充し、尽きること無く敵を穿つ。
それでも敵は前進を止めない。
「ひたすらに矢を放て! 敵は無限ではない! 一度に迫る数もそれ程ではない!」
セラムの鼓舞に皆が応える。だが敵との距離は着実に狭まっていた。
村の外周では槍を持った兵が山側からの敵を食い止めている。敵は簡易柵まで押し寄せてきていた。
後方ではカルロが馬に乗り待機していた。味方が押されている、その事実が握りしめた彼の拳を濡らすが、彼には別の大事な役割がある。今は忍ぶ時だ。
矢弾はまだある。兵の損失もほぼ無い。あとは士気をどれだけ持たせる事が出来るか。
どちらが先に音を上げるかのチキンレースだ。
セラムは伝令兵が持つ籠の中身をチラリと見た。
赤い布の鏑矢、それは撤退の合図だった。セラムの胸中に甘い誘惑が染みこむ。
(今なら撤退も間に合うんじゃないか?)
セラムは奥歯を噛み締めた。もとよりこの戦いに撤退はあり得ない。敵を追い払うか、さもなくば敵に甚大な被害を与える。それが出来なければ正面から激突するより悪い結果になるのだ。指揮官が徹底抗戦の覚悟を失えばすぐさま全滅に追いやられるだろう。
敵の指揮官を直接狙えれば、そうは思うが遠い。打開策が浮かばない。どれだけ時間が経ったろう。時の流れが、遅い。
「殺せ殺せ! 手柄の大バーゲンだぞ!」
セラムが片膝立ちで吼える。飛んでくる矢を大盾の兵士が弾く。
「あまり無茶をなさいますな」
屈強な兵士が冷や汗をかいている。セラムはそれに笑みで応えた。握りしめた手は汗でぐっしょりと濡れている。
じわりじわりと敵が迫る。その時だった。
地響きがした。後方から鬨の声が聞こえる。
川の向こう側を騎馬隊が駆けていた。
「あれは……ヴィルの騎馬隊! 渡河して追い付いてきたのか!」
後方から村に向かっている筈のヴィルフレドの部隊が川を渡って急行してきたのだった。すぐさまセラムが喉を
「皆、鬨の声を上げよ! 勝ったぞ! 勝ったぞ!」
セラムは急いで望遠鏡を動かす。望遠鏡のレンズが退却の指示を出す指揮官を捉えた。
「伝令兵、黄の鏑矢!」
天に黄色の布がはためく。荷台が退かされ後方に控えていたカルロの騎馬隊が突撃を開始する。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「増援だと!? いや、もしやこちらは囮で騎馬で背後を突くつもりか!」
キルサンは動揺を隠せない。敵騎馬隊は川の向こうにいるためすぐに突撃される恐れは無いが、じきに追い抜いて背後に回られるだろう。橋を抑えられても厄介だ。何らかの策をもってヴィグエントに強襲するかもしれない。最早目の前の敵に拘泥する状況ではなくなった。
「反転する! 全体、後方に向かって全速力!」
退却の太鼓が響く。命令したキルサンを中心に回れ右をしてゆく。声が届かなかった兵達も周りの様子を見て反転する。前線の兵は少し後に気付き慌てて逃げる。
狭い地形も相まってまるで波のようにゆっくりと撤退命令が伝播していく。
(敵に比べて我が兵のなんと鈍いことか!)
なかなか進まない部下の足に苛立ちを覚えながらも後方への進軍態勢が整う。しかし隊列が整い走りだしたのも束の間、すぐに立ち往生することになる。
異変はキルサンの目にも映った。
前方が、赤い。
燃えているのは惰弱な敵兵が投げ捨てていった荷物だった。
「中身は油と干し藁か! 奴らめ、山の中で攻撃してきた奴らが伏兵の全てではなかったか!」
恐らく先程見えた黄色の布矢が点火の合図だったのだろう。このままでは逃げることも叶わず包囲されてしまう。
後方から悲鳴が聞こえた。亀のように籠城していた敵が攻勢に出たのだった。
槍が。馬が。部隊を蹂躙してゆく。前方は火、右方は山、後方は敵。
「川だ、川に逃げろ!」
誰かが言った。一人が渡れば皆我先にと川に入る。
「くそっ、全軍、川を渡れい!」
最早収集もつかずそう命令するしかなかった。
流れに足をとられる者。味方に押され流される者。途中で矢にうたれる者。
水は紅く染まり、川は死体で堰き止められ、その上を人が走り逃げる。逃げた先でもまた多くの者が騎馬に踏み潰されていった。
それはまさしく虐殺だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
戦いは終わった。陣幕を張り作った指揮所の中でセラムとカルロは戦後処理を指示していた。
「死体はかためて焼け」
セラムはコンテナに腰掛け息を絞りだすように言った。
「我々は急いでいるのでは?」
「使える矢は死体からでも引き抜いて使う。点呼をとり消耗した部隊は再編成する。物資を整理し負傷した者を手当する。どのみち後処理はしなければならんのだ。それくらいの手間が増えても大して変わらん。放置しておくと川の水は飲めなくなり疫病が流行る事になるぞ」
セラムの苛立った声に部下の兵は恐縮してすぐさま動く。
今回の戦闘は精神が締め付けられるようで相当に消耗した。二度と持久戦はやりたくない。殺気立った集団がじりじりと迫ってくるのも敵味方の兵が物言わぬ死体に変わっていくのを見るのも御免だ。とはいえそんな弱音を表に出す事は許されないので剣を杖代わりにして最低限の威厳を保つ。
兵達が川の死体の山をどかしている様子を見やり嫌な想像が巡る。あそこでヴィルフレドが来てくれなかったら自分はあの死体の山に仲間入りしていただろうか。考えるだに恐ろしい。
「セラム少将、ヴィルフレド大佐が来られました」
カルロの言葉に顔を上げる。青年が馬から降りて脱いだ兜を小脇に抱える。光差す金髪が風にたなびく姿が憎らしいほど様になる美形だ。
「少将、此度は命令違反をしてしまいました。謹んで処罰を受けます」
ヴィルフレドが予想外の事を言ってきた。彼がした事は戦場の現場の判断であり、間違いなく手柄だ。罰せられるような事は何一つ無い。慎み深いのはヴィルの美徳の一つだな、とセラムの中で株が上がる。
「独断専行の事か。僕は我が隊の後を付いて来いと言っただけ、必ずしも後ろにぴったりと付いて来る必要はない。あれくらいなら命令違反という程ではない。それよりヴィルのお陰で僕らは助かった。礼を言う事はあっても罰を与える事はないよ」
何故かヴィルフレドが一瞬残念そうな顔をする。
「何より川を封鎖しない判断が良かった。終始敵兵の視界外にいたから敵も川に逃げ込んだ。もし逃げ場を無くしていたら決死でこちらに向かってきたかもしれん」
「いえ、私はそれ程の事は……」
褒めているのにヴィルフレドは実に謙虚な態度で畏まる。やはり彼に一軍を任せたのは正解だったとセラムは思う。ヴィルフレドの口から「農園が……」と呟きが聞こえた気がしたが意味はよく分からなかった。
その時、死体の片付けをしている兵の中から一際大きな声が聞こえた。
「おお! この矢は俺が射たものじゃないか。こりゃあ大将首だなあ!」
「今のは?」
「……どうやら矢を回収中の兵の一人ですな。自分の矢に印を付けておいたみたいで。黙らせますか?」
「いや、いい」
そう言っている間にもその兵士が騒ぎながらこちらに向かって来た。
「ショーグン、敵の大将討ち取りましたぜ!」
「貴様、口の聞き方を……っ」
「カルロ、構わん」
激昂するカルロを制してセラムが兵士の姿を確認する。声に見合った大柄な男だった。敵将の死体を軽々と担ぎ上げ歩いてくる。セラム達の所まで来るとその戦果を傍らに置き敬礼をする。獲物を見せびらかすその姿はまるで大型の猫科動物のようだ。
「将軍職は失くなって僕は少将だが」
「すいません。癖になってまして。ええっと、タイショー」
「少将だというのに。……まあいい、名前と階級は?」
「バッカス一等兵でありマス!」
「この国では珍しい名だな」
「出身がノワール共和国でして」
正規の軍人とは思えない粗野な男だ。正直山賊だと言われても信じてしまう。寧ろその方が説得力がある程だ。
バッカスの横の死体を見る。望遠鏡のレンズ越しに見た顔だ。
「確かに敵の指揮官だった男だ。あの混戦の中、運が良いな。見たところ腕に自信があるようだが」
「自慢じゃあありませんが武芸百般、特に槍と弓には自信がありますぜ。一対一なら負けなしでさあ!」
「ほう、すまんがそれ程の者の名を今まで聞いたことがない。バッカス一等兵はいつから入隊した?」
「元は傭兵だったんですが先の大戦で所属していた傭兵団が解散の憂き目にあいまして。避難民と一緒に流れてきたんですが……その、まあ食い詰めまして。軍に入隊してキーレフ砦に配置されておりました」
キーレフ砦とは第三防衛線に新造された砦だ。対グラーフ王国の防衛拠点として約一万の兵が駐屯していた。セラムが演説をした場所である。
「ということは残った二千の内の一人か」
「はい。あの演説を聞いて以来タイショーにぞっこんです! もうタイショーが来てから勝ち戦ばかりで気持ちいいのなんの。傭兵してた頃なんて使い捨てられてましたからねえ」
「貴様、言葉遣いを正さんか!」
横で聞いていたカルロが我慢出来なくなったようだ。セラムはそれ程気にしないが軍隊の規律というものもある。セラムの前でなければ手が出ていただろう程カルロが怒ると流石にバッカスもしゅんとして縮こまる。その様もまた大きな猫のようだとセラムは思った。
「カルロ、そのへんで」
「はっ」
「バッカス一等兵」
「はい!」
「此度はよくやった。我々は未だ戦争の途中だ。傭兵の時のようにすぐには褒美をやれんが首尾よくヴィグエントを解放したその時、君がまだ生き残っていたら褒美は約束しよう。その時までに更なる手柄を立てるよう期待する」
「ありがとうございます!」
バッカスはそう言って再び片付けに戻る。カルロもヴィルフレドも嵐が過ぎ去ったかのように溜息をついた。
「騒がしい男でしたね」
「まったく、下士官に再教育をさせておきます」
「まあまあ、あんな男がいても面白いじゃないか。何事にも程度はあるが僕も堅苦しいのは好きじゃないしな。それに猫のようで可愛いだろう?」
「ネコって……」
「あれはむしろライオンですね」
二人にはいまいち同意を得られないようだ。呆れた顔が二つ並んでいる。
「違いない」
セラムは苦笑した。感じていた疲れは先程の嵐に吹き飛ばされていた。
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