第二十一話 隘路の村攻防戦その1

 いよいよだ。

 この日の為に準備をしてきた。情報を集め、装備を整え、練度を上げてきた。それでもやはり不安になる。元より戦争など作戦通りにいく方が珍しい。だからこそ運以外の全てを塗り潰すのだ。その為のペンはいつも細く、潰し忘れが無いか何度も確かめたくなる。

 だがこれ以上時間を掛けるのは相手を有利にするだけだ。

 出発前にアドルフォが掛けてくれた言葉を思い出す。


「戦場では常に心の中に二割の不安を残しなさい。それがなければ大事な事を見落とす」


 セラムは後ろを振り返る。そこには整列した兵士達。皆緊張の面持ちで号令を待っている。


「皆の者、待たせた。我らはヴィグエント奪還に向けて発つ! 出陣!」


 地を揺るがす雄叫びが返ってくる。セラム率いる混成部隊二千、ヴィルフレド率いる騎馬隊一千、リカルド率いる本隊五千。総勢八千のヴィグエント攻略部隊が出陣した。

 まずはセラム隊が先遣部隊として行軍する。この部隊は工兵や医療兵、学者等の非戦闘員、準戦闘員が三割も含まれる、この時代としては異例の編成であった。そんな部隊が先頭なのもやはり作戦である。

 この戦闘におけるヴァイス王国側の条件は正直かなり厳しい。

 まず北部の穀倉地帯がグラーフ王国の占領下に置かれているため、動員兵数は八千が限度だった。それ以上は食料が持たない。通常の戦争ならば略奪によって糧秣を賄うところだが、元々はヴァイス王国の領土。グラーフ王国からの解放という大義名分のもと行軍しているのだから当然略奪は禁止、現地調達にも限度がある。

 そして攻撃目標のヴィグエントも元ヴァイス王国の都市。これもまたなるべく破壊せずに奪還せねばならない。通常であれば包囲戦により陥とすところだが、都市の規模からいえば兵数は最低でも二万は欲しい。その上敵の増援や食料問題を考えると長期戦は避けたい。

 真っ当に戦っては勝てない。これが軍上層部の出した結論だった。ならば真っ当には戦わない、正確に言えば今までの戦争のやり方はしない。それがセラムの提示した作戦だった。

 それでも真っ向からの殴り合いは必ず起きる。その為の部隊がリカルドの五千。セラムの役割の一つはこの五千を疲弊させずにヴィグエントまで辿り着かせる事にある。

 やがて小さな村落が見えた。セラムが地図と照合する。川と山に挟まれた隘路あいろの村、今日の目的地だった。


「皆、野営の準備を始めろ。数名は僕と村に入る。補給部隊は物資を村に運べ」


 この村はヴァイス王国が引いた第三防衛線よりグラーフ王国側にある。村の感情としては国に見限られたと思っていることだろう。まずは通り道にある村落の信頼を取り戻す。背後の民が敵になる事ほど恐ろしいものは無いのだから。

 小さな村だ。ここまでグラーフ王国の兵が来ることは無いらしく、寧ろ自国の兵隊が大勢来た事に村民は不安を感じているようだ。


「あなたがこの村の長か」


 セラムは居丈高にならないよう、しかし威厳は保つよう声色に気を付けながら話す。


「何ですじゃ? この村は見ての通り何もない貧しい村ですじゃ。大した協力は出来ませんて」


「安心して欲しい、通り過ぎるだけだ。だがグラーフ王国の兵が来ないとは限らない。その時は僕達の指示に従って避難して欲しい」


 これは挨拶代わりです、と村にコンテナを置いていく。中身は主に食料品だ。セラム隊がその規模の割に補給部隊が多いのはこの為であった。こうして人心を安堵させ後顧の憂いを無くしてゆくのだ。

 ただしこの村に限ってはそれだけではない。これからの作戦における要地として扱われる可能性がある。

 陣に戻る前にセラムは村中を隅々まで見て回る。そして作戦の穴を埋めては不安を掘り起こす作業を夜になるまで繰り返した後、寝心地の悪いテントの中で無理矢理目を閉じた。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「何? 敵軍がこちらに向かってきているだと?」


 ヴィグエントの街、一際立派な建物の中でヴァイス方面軍司令代理、ヴァレリーは余裕の表情でその報告を聞いた。

 ダリオとかいう降将からの情報では敵の大将は不具、宰相と貴族達は不仲で軍の上層部に十二歳のメスガキを飾る有り様。その父親であるエルゲント将軍は厄介であったが今のヴァイス王国に恐れる要素は無かった。

 ただ一つ、貴族の扇動が上手くいかなかったのは予想外だが、真正面からぶつかっても負ける気はしない。


「数は?」


「二千程かと思われます」


 都市攻めには少ない。威力偵察といったところか。


「キルサン、五千を率いて叩き潰してこい」


「はっ、しかし良いのですか? 司令には不在の間籠城して守れと言われていた筈」


「阿呆。二千の兵に籠城しても敵にむざむざ情報を渡すだけだ。何事にも程度があろう」


 これで敵を完膚無きまでに叩き反撃する気も起きなくさせてしまえばヴァイス王国も降伏する。


「そうすれば俺の出世は確実だな」


 ヴァレリーは思わずこみ上げる笑みを抑えられなかった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 セラム隊が村を発ってしばらく、みつに出していた斥候が敵部隊を発見した。


「いよいよ仕事だぞ、カルロ君」


「はい。しかし敵は我が隊の倍以上とのこと」


「それを我々だけで止める、どころか殲滅しなければならない」


「出来るでしょうか」


「出来る出来んは軍隊で一番使っちゃいけない言葉だぞ中佐。やるのさ」


 セラムは口元を捻じ曲げて付け足す。


「なあに、失敗しても新造の実験部隊一個旅団が無くなるだけだ。ヴァイス王国に何ら痛手は無い。僕達が全滅した後リカルド中将が第二案で奴等を殺せばいい。何も心配する事は無い。結構な事じゃないか」


 こんな時は煙草でも吸いたくなる。元の世界でも吸わなくなって久しいが、なるほど、旧軍の支給品に煙草があるのも頷ける。


「さて、悲劇のヒーローになるのも悪くないがその前に一仕事だ。僕は一足先に戻って準備をしてくる。中佐は一当てして敗走してくれ。奴等が食らいつきたくなるくらいセクシーな尻を見せてやれ」


「はっ」


 部隊を二つに分け、カルロは敵に、セラムは村に向かう。村に向かう部隊の主力は工兵。そう、戦闘前の村こそが彼らの戦場なのだ。

 

   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 戦闘はすぐに追撃戦の様相を呈してきた。ヴァイス兵は最初こそぶつかってくる気概を見せたが、数の差を見るや瓦解して荷物も武器も放り出して逃げていく。

 キルサンは噂以上に情けないヴァイス兵に快感と怒りを同時に感じた。


「見ろ、奴等全て捨てて逃げていくぞ! 追いついて踏み潰してしまえ!」


 敵の悲鳴が聞こえる。だが段々と平地が狭くなり軍が展開する場が無くなる。そのせいで数が少ない敵は足が速く、横に展開していた兵を狭めざるを得ないこちらは足が遅くなり、なかなか追いつけない。


「奴らめ、鼠の如く逃げよる」


 苛立ちながら追っていくとやがて小さな村が見えた。どうやら敵もここまでらしい。

 軍が村を素通りして逃げるわけにはいくまい。追い詰めた敵を食らうついでに今日は村が一つ失くなる事になるだろう。実に不運な事だ。

 村の入り口を視認したところで妙な物がキルサンの目についた。

 村の通りのいたる所に四角い陰影が見える。


「あれは、馬車……か?」


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 セラムは村に着くと敵襲と告げ村人を避難させる。先の援助物資は先払いの詫び賃の意味合いもあった。

 大急ぎで工兵達が戦いを開始する。草が深い所に杭を打ち縄を張り、建物に梯子を掛け、山側と川側に簡易的な柵を組み立て、要所要所に馬車を運び馬だけを外す。この荷台を少しずらせば通路を塞ぐ形になる。

 セラムは事前に見た地勢を頭に思い浮かべ弓兵を配置する。


「セラム様、私がお傍でお護りを」


「いや、ベルは後ろに下がっていてくれ。護衛役なら大盾を持っている彼にお願いしてある。今回の戦いでは矢の応酬になる筈だからね」


「そうですか……。かしこまりました。それではお気を付け下さいませ」


 ベルが存外素直に下がる。彼女とて弁えている。役には立ちたいが今ここに彼女の役割は無いのだ。

 工兵の一人がセラムの元に駆け寄る。


「味方、来ました!」


「よし、全軍避難したのち封鎖」


 荷台には車輪に棒が差し込まれる仕組みの手動式制動装置が組み込まれており、入り口は後方だけでなく左側からも開けられるように改良されている。中身は殆どが矢弾だ。荷台に隠れながら矢を補充出来る仕組みである。

 カルロ達が一気に村の後方まで駆け抜けた後に村の道全てを複数の荷台で塞ぎその後ろに弓兵を配置する。簡易陣地の完成である。

 セラム自身は村で一番高い建物の天井に梯子で上り懐から筒を取り出した。ガラス職人を急かして作らせた望遠鏡である。

 この世界には眼鏡は一部の金持ちが使っているが望遠鏡はまだ発明されていなかった。二枚のレンズを組み合わせるという発想が無かったのである。

 セラムは子供の頃双眼鏡で物が大きくなるのが不思議で、玩具のようなオペラグラスを壊して中身を見た事がある。その仕組みがガリレオ式と言われる物だとはのちに知った事だが、それは単純だからこそ子供にも理解が及び、感動したものである。あの時は親にこっ酷く怒られたものだが、今になってその経験が生きるとは思いもよらなかった。

 いつかは現代の双眼鏡や顕微鏡のような性能の物を作りたいものだが、取り敢えずは質の悪いガラスが嵌め込まれた単眼鏡が一つ。これも職人に無理を言って何とかできた、数ある失敗作の果ての成果である。もし量産して伝令兵に行き渡れば戦術の幅も広がるだろうが中々に難しい。

 セラムは望遠鏡を覗きこむ。視野は狭いが遠くの物が確かに大きく見える。これにより戦場の目となり、荷台で阻まれ視界を失った弓兵を導く算段である。

 セラムの右隣には大盾を持った屈強な兵、左隣には弓と大盾を持った若い兵がいる。その弓兵にセラムは言った。


「伝令兵、目標有効射程内まで……あと三、二、一、ゼロ!」


 戦場に甲高い音が鳴った。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「音が出る矢を作って欲しいんだ」


 そうセラムに言われたロモロはまた無理難題を持ってきたかと内心思った。が、その薄い微笑みに心を見透かされたように感じて生唾を飲み込む。


「……領主様は笛の構造をご存知ですかい?」


 ロモロは自分の言葉に若干の驚きを隠せなかった。まるでこの小さな領主様の考えを自分の口が勝手に述べているようだ。


「あれは息を細い口から吹き込む事で音色が出ます。矢は風を切り飛ぶ物、風という息吹を矢尻に受けていやす」


 これは自分の意志で言っているのか、それとも目の前の少女が言う筈の言葉を言わされているのか。ロモロは半ば前後不覚に陥りながらも口の動きを止める事は無い。

 口から矢継ぎ早に出るげんが具体的な形となってロモロの頭に浮かび上がる。


「つまり矢尻の形を工夫すれば何かをするでもなく矢を放つだけで音が出るかと」


 セラムが納得する答えを得たように頷く。ロモロはその小さな少女が放つ威から解放されたように感じ冷や汗が吹き出た。

 少女が笑った。天使の声音で悪魔のげんを吐く。


「親方その矢、鏑矢かぶらやと名付けよう。きっと戦場にて重要な兵器となる」


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鏑矢の音を合図に弓兵が矢を放つ。荷台から五歩下がった位置から斜め四十五度に放たれた矢が敵陣に突き刺さっていく。

 セラムは交互に望遠鏡と肉眼で敵陣を確認する。忙しく動かす目が敵陣の真ん中、態勢を立て直し矢や盾を構える敵の中で、唯一馬上で剣を動かす人間を捉えた。


「お前が敵将か」


 その剣がこちらに向いた事を確認しセラムが短く叫ぶ。


「伝令兵、鏑矢!」


 左横の兵が素早く第二射を放つ。前の方の弓兵達は一斉に前に走り荷台に張り付く。その他の兵は出来るだけ物陰に隠れ盾を上に構えた。

 セラムは身を縮め、右横の兵が大盾を構えてその身を守る。その盾に、天井に、降り注ぐ矢の雨が突き刺さる。左横の伝令兵の盾に矢が突き立ち「ひいぃ」と若兵が声を漏らした。


「怖くない!」


 セラムが大声を出し鼓舞する。矢の音で殆どかき消されただろうが伝令兵は口を引き結んだ。


「さあ、第二段階だ」


 荷台に身を隠した弓兵はその隙間から敵に向かって矢を放つ。背の高い荷台が盾になって降ってくる矢は当たらない。こちらは細い隙間から真っ直ぐに矢を射るだけでいい。狭い所から広い所へ射る分には何の障害も無いが、広い所から狭い所へ射抜くには相当な技量がいる。


「さあ、こちらには何の被害も無いぞ。向かって来い、殺し放題だ!」

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