第二十三話 ヴィグエント攻略戦

 ヴィグエントではヴァレリーが信じがたい報告を受けていた。


「キルサンが討ち死に、部隊は全滅だと……!?」


 軍隊における「全滅」の定義は軍事行動が不可能なほど壊滅的な打撃を受けた場合に使われる。現代戦では大まかに軍の三割程度が損耗した場合に使われるが、準戦闘員の割合が少ないこの世界においては約半数が死傷、脱走した場合に使われる。

 半分以下の人数を相手におよそ信じ難い報告であった。

 ヴァレリーは来たる敵軍に備え籠城の準備を始める。だが予想外に兵を消耗させてしまった。こうなってくると左右に砦を持つヴィグエントの特徴的な防御線が悩ましい。砦はグラーフ王国側から見て斜め後ろに作られている。つまり反対側から来る敵の場合、進軍経路によっては砦が突き出た形になり本来の相互防衛が出来ない。しかし砦が陥(お)とされてしまえば敵に腹を見せてしまう。とはいえ三箇所を満足に守る程の兵力は最早無い。


「取り敢えずは分散させる他ない」


 そんなヴァレリーに追い打ちをかけるように新たな報が舞い込んだ。


「敵本隊合流、西の砦で交戦!」


 やはり来たか、とヴァレリーは身構えた。自分が敵の立場でも一点集中でどちらかの砦をとす。となれば街の兵をすぐさま増援に向かわせるべきだろう。

 そう指示を出しかけたところで敵は思わぬ一手を打ってきた。


「敵部隊、前方に展開!」


 ヴァレリーは最初街からの増援を阻む為の足止め部隊だと思った。だが敵はそれ程大軍というわけでもなく、何やら様子が違った。最前線には矢盾の隙間から覗く見慣れぬ兵器。

 防壁の上から見やるヴァレリーに傍らの兵が問いかける。


「如何致しましょう」


「あんなに離れていては相手側からは矢も届かんだろう。だが狙いが分からん以上打って出るわけにもいかん。しばし待機だ」


 それこそが敵の狙いかも知れないが、だとしてもあの妙な筒の意味が分からない。後手に回るのは敵の思惑にはまるようで心地悪いが、動くのは軽率だとヴァレリーは考えた。

 轟音が鼓膜を揺らした。それが百メートル以上離れた敵陣地からの音だと分かったのは、黒い塊が城壁に突き刺さり足元に地響きを感じてからだった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ヴィグエント奪還作戦の立案は困難を極めた。将官、佐官が集まった本会議での事である。

 軍事的にも政治的にもこれ以上期間を空けるのは得策ではないというのは満場一致したが、現状の戦力で良策はなかなかでなかった。外交面では何も手助けはできないというガイウス宰相からの通達。ゼイウン公国は戦に忙しくノワール共和国は戦に慎重だ。何よりこちらから出せる対価は何もない。領土を取り戻すために他国を引き入れていては大赤字もいいところである。攻められた時に守るためならともかく、だ。

 本会議の前に開かれた首長会議で出した案をセラムはすぐには発言しなかった。

 会議開始から二時間、決まったのは大まかなルートと兵糧から逆算した動員兵数のみ。皆疲労の色が濃く、考えるのが億劫になる頃合い。そんな中、今まであまり意見を表に出さなかったセラムが口を開く。かの豊臣秀吉も用いたという、会議で意見を通しやすくする小技というものだ。


「僕が先遣隊を率いて街に取り付きましょう。その間にリカルド中将の本隊で西の砦を攻めていただく。リカルド中将が西の砦をとし、街に着く前に門を開けてみせます」


 室内がどよめく。それが難しいと、誰もがその方法を考えている最中さなかの大言壮語である。


「ですがどうやって開門させるのですか?」


 それについては今まで散々話し合ってきた。ヴィグエントは敵の徹底した管理のため内通者は入り込む隙がない。防壁外の農地へ行く時は出入りに点呼と監視があり、それ以外の市民の出入りは禁止されている。反乱を誘発させる事は難しい。兵数と兵糧を考えると包囲作戦も困難であり、攻城兵器による突破も損害が大きい。そんな話をしていた。


「新造の攻城兵器を使います」


「セラム少将が開発なさっていたというアレですか。失礼ですが初めての実戦で使うには厳しい戦局。従来のトレブシェットやバリスタを使うほうがよろしいのでは?」


 トレブシェットとは大型の投石機で、その大きさは十メートルにも及ぶ。威力や射程は現状最強と言っていい兵器だ。バリスタはトレブシェットが開発される以前から使われていた大型の弩で、矢の代わりに石を飛ばす事も出来る。


「トレブシェットは足が遅いし今回の標的は元我が国の都市です。あれは放物線を描いて飛ばす上に弾となる岩も形や重さがバラバラで一点に狙いを絞るのは難しい。元々防壁の内側を破壊する為の兵器ですからね。街への被害は最小限に抑えたい」


 そこらの石を拾って山なりに投げて線状に並んだ空き缶を狙う事を想像してもらえば、トレブシェットで防壁のみを打ち砕く事がどれだけ現実味が無いか解るだろう。


「バリスタは威力に不足があります。何発も撃ちこめばそれも可能でしょうが実行するには敵を抑える兵が足りません。その点アレならば一撃加えて逃げる事も可能です」


「しかし一回撃つと次を撃つまで時間が掛かると聞きます。もし失敗した場合はどうなさるおつもりですか?」


「その時は本隊と合流して坑道作戦をとります。アレで援護射撃も出来ますしあわよくば門を破壊することも可能でしょう」


 勿論その場合は望まない長期戦になる。とは言え今までの案よりはマシだと思える内容ではあった。


「他に質問は? 反対意見は? 無いようですね」


 かくして蒸気圧力式大砲の実戦投入が決まったのである。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「距離よし、威力よし、右に三メートル、下に一メートル修正」


 等間隔に並んだ蒸気圧力式大砲五門の脇でセラムが望遠鏡を覗き込み成果を告げる。各大砲の後ろにはおよそ戦場には似つかわしくない風体の男が一人ずつ控えている。彼らはセラムが連れてきた数学者達だった。非戦闘員の彼らには重大な役目がある。


「計算開始」


 その男達が一斉に紙の上にインクを走らせる。セラムが望遠鏡で弾着観測をし、数学者が弾道計算して次弾の誤差を修正する。恐らくこんなやり方はこの世界ではセラムが初めてだろう。


「セラム少将、火矢です!」


「焦らず自分と学者の身だけを守れ! 大砲は火に強い!」


 木で作られた従来の攻城兵器と違い鉄製の大砲は引火しない。万が一筒の中に射込まれたとしても火薬式とは違い暴発の危険性も無い。

 学者たちは火矢に目もくれず計算に没頭する。戦場においても数学者としての本分を全うできる事に彼らは満足していた。セラムもまた彼らが計算と研究に専念出来るよう全力をもって守りぬく事を約束していた。そのコストの高さゆえ「トレブシェット三台分」と揶揄された蒸気圧力式大砲、その真価を発揮するには彼らの存在が必要不可欠なのである。


「辺りの消火作業急げ!」


「計算完了しました!」


「角度修正!」


 位置の違いも考慮して計算された結果に基づき角度を修正する。改良版のこの大砲はクランクを回すと歯車によって仰俯角と方位角を調整出来るようになっている。砲兵がクランクを回しメモリに合わせる。このメモリもセラムとロモロと数学者達の技術の結晶だ。


「二番砲発射!」


 見事砲弾が門扉に当たるのをセラムが確認する。


「よし、全門、斉射ぁ!」


 轟音、そして破壊音。体が震える快感を砲兵も感じたのであろう。小さな歓声が周りから上がった。望遠鏡の向こうで木の門がボロボロになっている。


「最後の仕上げだ。破城槌、歩兵、突撃準備!」


 兵が隊列を整える。緊張が辺りを支配する。その間にセラムは後方へ駆け出しなるべく高い所に登って西南西に望遠鏡を構える。本隊が交戦中の砦の方角だ。

 遥か遠くで狼煙が上がっているのが見えた。砦陥落の合図。そしてすぐにこちらに合流する手はずになっている。


「西の砦はちた! もうすぐ本隊がここに来る。皆の者、後顧の憂いなく一番槍の手柄を立てい!」


 セラムが腰の剣を抜き天に向かって構え、ゆっくりと下ろし三十度のところで止めて切っ先を敵に向ける。


「突撃!」


 大気を震わす声と共に兵が突貫する。矢を払うのも煩わしいとばかりに駆け抜け、その勢いのままに門扉に肉薄する。

 既に崩壊しかけている門扉は破城槌が触れると同時にひしゃげ、殺気立った兵が雪崩れ込む。

 見る間に防壁の上でも交戦状態になり矢を射掛けてくる兵はいなくなった。

 セラムはその場で戦局を静観する。その内側では興奮のあまり一緒に飛び込みたい気持ちと恐怖で足がすくむ心地とがごっちゃになり、全身むず痒くいても立ってもいられない感情が渦巻いていた。


「セラム少将、貴女は大事な身。軽率に動いてはいけません」


 逸る気持ちを察したのかカルロが諌める。「わかっている」と言葉に出しては苛立ちが紛れてしまいそうだったので、深く深呼吸し手を上げる事で返事の代わりとする。

 どれだけ経っただろうか。一時間? 三十分? それとも十分くらいだろうか。焦れた心にはただ戦闘が終了するまで眺めるだけというのは苦痛に過ぎた。まだか、まだかと報告を待つ。

 そこへ伝令が転がり込んできた。


「お味方、門前の広場を制圧!」


 周りから歓声が上がる。セラムは急いで望遠鏡を取り出し戦況を目に収めようと動かす。しかし……

 緋の色。

 広場より少し外れた所で火の手が上がった。民家が、焼けていた。


「ばかな!」


 セラムは望遠鏡を下ろし目を凝らす。肉眼でもはっきりと煙が見える。


「誰が街を焼けと言った!」


 駆け出そうとしたセラムの腕をすんでの所でカルロが掴み止める。


「落ち着いて下さい少将! そのくらい部下達だって分かっています。火を点けたのは敵です!」


「あの辺りはまだ交戦区域だろう!? むざむざ敵の焼き討ちを許したというのか!」


「いざ戦闘となれば火ぐらい燃えます!」


 そう言ってからカルロは自分が失言したと気付いた。セラムの顔に明らかな怒りが浮き出ていたのである。

 戦闘行為の過程で火が燃え移る事だってあるだろう。敵が足止め程度のつもりで火をかけたのかもしれない。そんな事はセラムにだって分かっていた筈だった。しかし燃えるヴィグエントから逃げた記憶が蘇る。

 住民から財産を接収した負い目が、怪我を押して街を守ろうとした兵士達の想いが、救い切れなかった兵士の血がセラムの心を蝕む。

 あの時死んだ兵士の命に意味は無いのか? 彼らはあの街を守る為に死んだ。全ては無駄死にか?


 ――沙耶。


 セラムの脳裏に最愛の幼馴染の顔が浮かぶ。

 あの時沙耶を守ると言った僕の誓いは、深く後悔を残す沙耶の死に溺れた僕の無力は、僕を慕う人を絶対に守ると心を縛るこの呪いは、

 こんなものか。

 セラムの心に燃え上ったのは怒りだった。ただ自分に対しての深く暗い怒り。

 セラムはカルロの手を振り解いて駈け出す。張り裂けんばかりに吠えた。


「全軍我に続け! グラーフ軍に総攻撃を掛ける!」


 それを聞き兵士達が喊声を上げて続く。


「しょ、少将ぉー!」


「セラム様!」


 カルロとベルが焦ってセラムの傍に走り寄った。


「少将! あと半日も持たせれば本隊が合流するんです! ここで無理をするのは愚策です!」


「もう止まらんぞ! カルロ、お前は突撃部隊を指揮しろ!」


「し、しかし!」


「カルロ様、セラム様は私がお守りします。こうなっては街の中にあり比較的安全な制圧地域で指示を出して頂く他無いかと」


 ベルの言葉にカルロの胃がキリキリと痛む。しかし一度突撃を始めた軍が止まらないのはカルロとてよく分かっている。顰め面のまま渋々と頷くしかなかった。


「分かりました。しかし広場で指揮を執って下さい。例え街を奪還しても少将が倒れればこのいくさは敗北です」


「ああ分かっている。僕が危険な目に遭わないようにさっさと奪還してこい!」


 非戦闘員とその防衛部隊だけを残し、セラム隊全軍が突貫する。セラムにとっての始まりの場所、因縁の地ヴィグエントへと。

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