第十八話 遊行の公子
近頃ジオーネ領は急速な発展を遂げ、様々な人が集まっている。セラムの発明品や彼女が主導する新たな試みにより実験都市と呼ばれたジオーネ領を一目見ようと、学者、職人、職を失った貧乏人、観光客などで人で溢れかえる有り様だった。
そんな中、一人の若者が街の中心部を歩いている。旅人というには軽装で、よくよく見れば小物や布地などに高級品が使われていて、金持ちの物見遊山といった風体だ。
「うーん、これは予想以上に活気がありますねえ」
感心しながら露店を回る。食べ物屋以外にも土産屋が多くあり、観光の楽しみには事欠かない。
「兄上達にもお土産を買っていかないと。んー、どれがいいかなあ」
目に付いた珍しい物を片っ端から手に取っては店を巡る。あまりに楽しかった代償だろうか、それとも単純に一人歩きに慣れていなかったからだろうか、若者はいつの間にか目印を失いどこから歩いて来たのかすら分からなくなっていた。
「迷ってしまった……」
がくりと肩を落とす。
「このままだと楽しい筈の時間を無為に探索に費やす事に……」
帰れなくなる等の心配は全くしていないようだった。基本的に楽観主義な若者なのである。
「あの」
そんな若者の背後から可愛らしい声が掛かった。振り向くと頭一つ分は小さい女の子が若者を見上げている。短めの青み掛かった銀髪に理知的な碧眼、真っ直ぐと人の目を見る様は年に不相応な貫禄すら感じられる。
服装はブラウスの上にしっかりとした生地の若草色のベスト、同じ色のロングスカートの中からだぶついたズボンが見える。赤いリボンタイが可愛さと凛々しさを引き出している。女の子らしさを損なわない程度に動きやすさを重視した格好だ。
若者が見惚れていると、差し出された少女の右手が開いた。その上には若者が先程買った土産物が乗っている。
「これ、落としましたよ」
「おお、これはこれはありがとうございます。ちっとも気付きませんでした。危うく家の者へのお土産を失くしてしまうところでした」
少女の手からそれを受け取る。小さく、柔らかい手だった。
「これがお土産ですか? 土産物としてはあまり面白くないと思いますが。だってこれ只の留め具ですよ?」
「いえいえ、僕の国には無い珍しい物ですので。それにここの特産品だというじゃないですか、このボルトという物は」
「ああ、やはり外国の方でしたか。それでしたら一つ申し上げておきますが、そのボルトだけでは使えませんよ。対応したドライバーが無いと」
「おう、そうでしたか。これはご親切にありがとうございます。ところで……」
若者はばつが悪そうに切り出す。
「ここはどこなんでしょう。迷ってしまって……。出来たらそのドライバーというのも買いたいので付き合って頂けるとありがたいのですが……」
若者が情けなく破顔する。その様子に堪りかねたように少女が噴き出す。押し殺した笑いを何とか封じようと口元に手を当てる少女に、若者もつられて笑いだす。
「失礼、いえ、そういう事なら案内しましょう。これが下手なナンパでなければ、ですが」
「滅相も無い! 本当に困っておりまして、助かります」
若者は首を横にぶんぶんと振り下心が無い事を必死で示す。では、と横を歩く少女に若者が慌てて言った。
「申し遅れました。僕はヴィレムと申します。面倒事を頼んでしまいすみません」
「……僕はセラムといいます」
そうしてヴィレムはセラムと共にジオーネ領の中心街を巡った。
「こうして見ると本当に珍しい物が多いですね。それにこんなに人が多いのに街が清潔だ。どこにでも水路が張り巡らされていて『水の都』といった風情ですね」
「はは、水はここの自慢でして。全家庭に水道を引く事を目標として掲げています」
「全家庭に!? そんな事が出来るものなんですか?」
「その為に熟練工が配管を鬼のように作っていますよ。実際この街はもうすぐ八割方の普及を達成しそうです。ほら、あの家を見て下さい」
セラムが指さした家は特に裕福そうでもない普通の家だが、女性が軒先にある手押しポンプで水をくみ上げている。
「あれは一体……?」
「手押しポンプの事ですか? ああやって取っ手を上下に動かすと水が汲めるようになっているんです。あそこの家は地面の下に水道管を埋めているんですよ」
「なっ、下水ではなく井戸でもなく、飲める水を人工的に通しているという事ですか? それにあの『手押しポンプ』というのも見た事が無い物だ……」
「でしょう? 色々目新しい物が多いからここを実験都市なんて言う人もいますよ」
セラムがけらけらと笑う。だがヴィレムは驚きばかりが先に出てとても笑いなど出ない。
「本当にここは凄い。父上が名指しで見て来いと言うわけだ」
「え? 何か……」
「あっこんにちはセラム様!」
セラムが聞き返そうとしたところに通りがかった子供達が元気良く挨拶をしてきた。セラムもまたその子を見て笑顔を返す。
「はい、こんにちは」
「ねえねえセラム様、その人だあれ? セラム様の彼氏ぃ?」
「んな!?」
邪気の無い子供の質問にヴィレムが慌てる。だがセラムは全く動じずにこやかに対応する。
「ちがうよー、この人は外国からの旅行者さ。ちょっと縁あって今はこの街を案内してるところなんだ」
「なーんだ、つまんない」
「そうだよ、そんなわけないじゃないか。セラム様にはもっと相応しい人がいるって!」
「とか言ってこいつ、本当はセラム様狙ってるからぁ」
「なっ、いや、違いますよ! 俺はセラム様の騎士になるんであってそんなだいそれたことは……」
「あー顔まっ赤―」
きゃいきゃいと騒ぐ子供達を笑顔で眺めながら「はいはい」と宥めるセラム。外見は子供達と左程年齢は変わらないが、その様子は随分大人びて見える。
不思議な人だ、とヴィレムは思う。
「あの、セラムさん、この子達は?」
「ああごめんなさい。この子達は僕が偶に行く教会の子達です。ほらみんな、お兄さんの邪魔になるでしょう。そろそろ行きなさい」
「はーい。セラム様、また遊んでね!」
「今度勉強教えに来て下さい」
「はいはい、近い内に行くよ」
子供達が笑顔で手を振る。
「懐かれているのですね」
「はは、まあ子供は嫌いではありませんから」
そう言うセラムは益々子供らしくない。
「ところで先程から様付けで呼ばれていましたが、もしや偉い方なので?」
「ああ、それは……」
「見つけましたよセラム様!」
セラムの言葉がまたしても遮られる。今度はメイド服の女性が走ってきた。
「げ、ベル」
「げ、ではありません! 今日は私と一緒にお店を巡る約束だったではありませんか! そんなに私の事がお嫌いですか? よよよ」
「そんな明らかな嘘泣きをされても……。ベルの事は嫌いじゃないし、お店巡りもいいと思うよ? でもベル、絶対僕の事を着せ替え人形にするじゃないか」
「何を仰います。そんな事……」
ベルと呼ばれた女性がわなわなと震える。ヴィレムが少し同情しかけた直後、ベルは良く言えば晴れやかな、率直に言えば変態的な笑顔で両手を広げた。
「当たり前じゃないですか! セラム様を着飾るまたと無い機会! 普段おしゃれをしてくれないセラム様をここぞとばかりに可愛がる……もとい、可愛くする貴重な時間なのですよ!」
「うおお……」
セラムが後ずさる。さっきまでの大人びた表情はどこえやら、ベルの前では年相応の少女に見える。きっとこれが素の顔なのだろう。
「さ、セラム様行きますよ。服は待ってくれても時間は待ってくれませんから」
「わ、わかったって。引っ張るな。ごめんなさいヴィレムさん、ドライバーはこの先左手にあるお店で買えますから」
そう言い残してセラムはベルに引き摺られていく。去り際にメイド服のスカートを摘み慇懃にお辞儀をしていくあたり、ベルのメイド魂を感じる。
失礼なのか丁寧なのか分からない女性だった。
二人を見送りヴィレムが店の方向へ歩き出すと、今度は男達がヴィレムを見て声を上げた。
「あっ! 若、探しましたぞ!」
「いっけね、見つかったか」
ヴィレムと近い質感の服を着た男達が駆け寄る。その中の年配の男が説教口調でヴィレムを咎める。
「我々を撒くとはまったく……。こんな異国の地で何かあったらどうするおつもりですか。貴方はゼイウン公国名家、マトゥシュカの公子なのですぞ! ちょっとはその自覚を持って……」
「分かった分かった。珍しい物が多くてつい、ね。ほら、そこで父上達に土産を買っていくところだったんだ。小言はそこら辺にしてお前らも見てみなよ」
息巻く男達を宥めて店に誘導する。男達にとっても興味深い物らしく、しぶしぶと説教を中断して促されるままに歩いていく。
ヴィレムはセラムが消えた方向を振り返りながら遠い目をした。
「セラムさんかあ。また会えるといいな」
ヴァイス王国侯爵セラムとゼイウン公国公子ヴィレム、のちに数奇な運命に翻弄される二人の男女の出会いであった。
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