第十六話 束の間の平穏な日々

 ある日の練兵場に似つかわしくない少女の怒声が響く。セラムが尉官に対して調練を施しているのだ。


「再編成に伴い調練を見直す」


 アドルフォの言葉が事の発端だ。白羽の矢が立ったのが何故かセラムだった。もっと他に適任がいるだろうと思ったが、新体制になり他の佐官クラスは皆多忙を極めていた。まだ子供のセラムは比較的仕事が少ない。その上アドルフォが今までに無い調練方法はないかとセラムに振ってきたのだ。

 セラムが映画の知識を元に軍隊方式を話すとアドルフォは、


「面白い。いくつかの案を競技して評判が良かったものを採用するから尉官相手にやってみてくれ。先ずはセラム少将から」


 と言った。採用されればこの研修を受けた尉官が下士官に示教し、下士官が兵卒にその方式で調練する事になる。

 その結果が……


「そのしゃぶるしか脳の無い口でクソ垂れる前に『はい』を付けろ!」


「「はい、少将殿!」」


「声が小さい! タマ付いてんのか!」


「「はい! 少将殿!」」


「ジジイのファックの方がよっぽど気合が入ってる!」


「「「はい! 少将殿!」」」


 ……これである。

 一体どこで間違えたというのか。


「いいか! お前達はこれからケツを拭いた後の紙程の価値も無い兵士共を戦場の死神にする為の方法を学ぶ! それを修得するまでお前達は只のクソだ! クソがカス共を教える事が出来るか?」


「「「いいえ、少将殿!」」」


「ふざけるな! お前達の耳はブタのケツの穴か? 『はい』を付けろと言ったろうがこの顔面便器が!」


「「「はい! 少将殿!」」」


「そのクソが詰まった耳の穴かっぽじってようく聞け、お前は道端に落ちているクソか?」


「はい、いいえ! 少将殿!」


「お前は少尉か?」


「はい! 少将殿!」


「そうだな。だがお前はまだその価値を見せていない。お前は少し上等なクソだ!」


「はい! 少将殿!」


「……とまあこんな感じで人格否定から入ります」


「「「はい! 少将殿!」」」


 セラムが普段のテンションに戻っても尉官達は教えが抜け切らないようだった。というか顔を赤らめながら若干ニヤついている人がいるのがちょっと気持ち悪い。

 結局このスタートラインから踏み外している講義は盛況を極め、尉官達の圧倒的な支持の元見事採用されることとなる。

 セラムは兵卒達に恨まれるんじゃないかと心配になったが、兵卒の中で「偉くなればセラム少将からこの扱いを受ける事が出来る」と噂が広まり、予想外に士気が高まる結果となった。


「……この軍隊大丈夫だろうか」


 セラムの呟きはブタのケツの穴には届かなかった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 セラムは仕事が終わると研究室に篭もるか工房に顔を出す毎日になった。

 魔法に代わる技術、真っ先に思い付いたのは火薬である。黒色火薬の原料は硝石、硫黄、木炭。硫黄と木炭は用意出来る。問題は硝石だった。

 セラムは戦国時代の本願寺が便所の下の土から硝石を造ったと本で見た事があるので、先ずはくみ取り式の民家から土を貰ってきた。だがそこからどうやって硝石を取り出すのかを知らなかった。当然そのまま混ぜても火薬はできない。試行錯誤の末できたのは何とか燃える物でしかなく、火薬と呼べるような代物は造れなかった。

 そんな物に頼らなくても魔法があるこの世界では火薬は発展しないかもしれない。このままだと造れたとしてもその時には陳腐化していそうだ。

 結局火薬の研究は私財で雇った錬金術士に任せて鍛冶場に向かう。並行してもう一つ研究しているのだ。こちらは現実世界で既に実証済みの原理である。というか、料理中の失敗を基に考えついた方法だった。

 現実世界で圧力鍋を使って煮込み料理を作っていた時の事だ。不注意で鍋の蓋をしっかりロックせず火にかけてしまった。その結果、暫くして料理が爆発、鍋の蓋は天井に激しくぶち当たり鍋の中身はキッチン中にぶち撒けられた事があった。幸い離れていた為その後の掃除が大変程度で済んだが、運が悪ければ大怪我を負っていただろう。

 つまり作ろうとしているのは蒸気圧力式大砲とでも呼ぶべき物である。設計図は既に工房の親方に渡しており、今日はその進捗状況を見に行く予定だった。

 いつも通り鍛冶場で作業している工房の主を見つけるとセラムは気さくに声をかける。


「親方、調子はどう?」


 親方と呼ばれた男、ロモロは声の主がセラムだと気付くと作業の手を止め笑顔で応対する。


「ああ、これは領主様。おかげさまでボルト作りも軌道に乗り、工房もかつて無い程賑わっておりますよ。そろそろ手狭になったので第二工房を作ろうかと思っとるくらいです」


「そりゃあ何より。僕も売上の一部を貰っているからね。商売繁盛なのは良いことだ。ところで頼んでおいた大砲なんだが、どんな感じだい?」


「それでしたら、丁度昨日試作品があがったところです。見ていきますか?」


「早いな。流石親方」


「へえ、ボルトとナット作りで我々の技術もメキメキと向上しておりまして。正直自分でもびっくりするくらいですよ」


 親方の案内で倉庫に行くと、その中央に出来上がったばかりの大砲が鎮座していた。全長二メートル、全幅一メートル程。口径は七十五ミリだから実物を見ると大砲というには少し小さい気がする。もっともセラムのイメージの大砲は戦艦に積むような砲塔の事なので、野戦砲としては十分かもしれない。

 砲身とこの大砲の肝である炉の部分を車輪付きの台座に乗せてあるだけの物であり、仰角や方位角を調節する事は出来ない。まだまだ改良の余地があるが、取り敢えず撃てるかどうかが問題である。


「にしても苦労しましたよ。特にこのロック部分の角度と砲の溝! ナットの構造そのままとはいえこのでかさだ。こんな溝を彫るにはどうすればいいか皆で夜通し考えましてね。溝堀ボルトを少しずつ太くしてやっと……」


 興奮するロモロの言葉を聞き流しながらセラムは構造をチェックする。

 蒸気圧力式大砲の構造は概ね以下の通りだ。

 砲弾は先端が尖っていて中央は十字に溝が彫ってあり、横方向は鍵溝になっている。砲塔の先端から砲弾を入れ、砲身に付いている突起状のロックを差し込んで回すと鍵溝に突起がはまり固定される。砲身は二重構造で、ロックを回すとロックに繋がった内側の筒だけが回る仕組みだ。また、砲弾の底辺部と砲身の底はボルトとナットのような構造になっており、ロックを回しきれば砲弾ごと回り、ペットボトルのキャップのようにしっかりと密着し更に固定される。これで蒸気を逃がさない。その下の炉の中に水を入れ、ひたすら火にかけ沸騰させる。頃合いを見て砲身のロックを回せば圧縮された蒸気に押され砲弾が飛んでいく。

 まさにこの時代における鋳造技術の最先端と言える物だった。


「これが実際に使えるかだが……」


「問題はロックを回す力ですね。砲身ごと回るのでかなり重く」


 セラムが体重をかけてもピクリとも動かない。


「男五人がかりでやっとでした」


「そうか……」


 動かないわけである。セラムはその場で紙にペンを走らせる。


「ボルトで着脱式の長い取っ手を付けよう。てこの原理でかなり力を軽減出来る筈だ。それと撃つ時は取っ手にロープを結んでそれを引っ張るように。弾が発射される時にロックを跳ね上げて砲身にぶつかるから、下手すると手が飛ぶぞ」


「へい、そのように」


「早速試し撃ちしてみようか。男衆を連れて運んでくれ」


「へい」


 遮蔽物の無い所に着くと用意していた水を炉の八分目まで入れ火を点ける。


「どの位時間が掛かるものなんでしょうか?」


「一発目だからな。一時間やってみようか」


 二十分用の砂時計をひっくり返す。待つ間ロモロと今後の話をする。


「もう一つの件は考えてくれたか」


「引き抜きの話ですか。他ならぬ領主様の頼みですし協力したいのは山々ですが、こちらも仕事が忙しくなって人手不足なんでさあ。技術指導くらいなら何とか……」


「そうか。いや、無理を言ってすまんな。それでお願いする」


「配管工場を作るんでしたっけ」


「ああ。水道関係をより良くする為に自分で工場を立ち上げようと思ってね」


 セラムはこの世界に来て、蛇口を捻れば水が出てくるという事がどれ程凄い事なのか実感していた。実際に作ろうとすると常に水圧を掛けておかなければならないが、そのポンプも動力もない。

 考えぬいて出たアイディアは手押しポンプだった。それでもこの世界には無い技術なので格段に便利になるだろうし、構造も知っている。原理的には十メートルの高さまでは水を汲み上げる事が出来る筈だから、二階までなら手軽に水を出す事が出来るだろう。


「皆の暮らしを便利にする為に努力するつもりだ。親方も協力してくれ」


「そういう事でしたら是非もありません。出来る限りの事はさせていただきやす」


 やがて砂時計が二回返り、その砂が全て落ちきると男達の準備よしという声が聞こえた。


「扱いには気を付けろよ、手が潰れるぞ! ロックは一気に引け!」


 ロモロのがなり声が響く。男達の声掛けで一斉にロープが引っ張られる。

 ロックは外れると同時に勢いよく跳ね上がり、激しい金属音と爆発に似た蒸気の噴出音が野原に轟く。


「射出は成功したな。問題は飛距離だが……」


 セラムも計測係と一緒に弾が飛んでいった方向へ向かう。


「最初にしては真っ直ぐ飛んだみたいだな。先ずはよし」


 計測の結果が報告される。


「約百メートルです」


「やっぱりしょぼいな」


「えっ、そうなんですかい? あっしには正直何で飛ぶのか不思議なくらいなんですが」


 何よりの問題点は発射までの時間と次発装填に時間が掛かる事だが、準備時間については少しマシになる当てがある。今回は実験なので薪を使っているが、この世界では既に一部で石炭が使われている事を確認済みだ。それを使えば出力は上がるだろう。


「よし、もう一度やるぞ。次は命中精度と破壊力を確認する。二十五メートル先の木を標的にするぞ」


 待ち時間の間に改良点を書き込んでいく。


「親方、二機目を作ったらこいつは破壊するぞ」


「ええ!? 何でですか、勿体ねえ」


「言い方に語弊があったな。限界時間を知るためだ。こいつは熱すればその分威力が増すがやり過ぎれば暴発する。下手をすれば死人が出るんだ。だから一度暴発するまで火をくべる」


「なるほど。しかし勿体ねえ気もしますねえ」


 ロモロは努力の結晶とも言うべき大砲を壊す事に抵抗はあるようだが、理由を聞いて納得したようだ。


「二発目、いきます!」


 再び轟音。然してその結果はまずまず満足のいくものだった。


「見事標的に命中、一本目の木を圧し折り二本目の木に当たり止まる、と」


 セラムの想定している状況では命中精度が大事なのだ。これならば使い物になる、かもしれない。問題はどれだけ予算を引っ張ってこれるかだが……。


「そこら辺は無駄を省く事で捻出するか」


 お偉方を説得するには交渉材料がもう少し必要だ。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 偶の休日、セラムはベルと一緒に自領内の市場を見て回っていた。


「それにしてもセラム様、眠そうですね。昨日は随分と遅くまで何かやっていらしたようですが」


「ああ、財政担当の文官に簿記を教えていたんだ」


 学生時代の記憶を辿っての事なのでかなり苦戦した。教科書が無いので自作のテキストで説明したが、複式簿記の基本だけとはいえここまで頭を使ったのは初めてかもしれない。

 そんなセラムをベルは困り笑顔で見ていた。どうやら理解が追いつかなかったらしい。


「簿記っていうのは、資産管理する為に体系化された記録のやり方だよ。今までのやり方は僕からすると結構どんぶり勘定だからね。もっと公平に税を取る為に先ずはきっちり帳簿をつける事から始めないと」


 ベルは感心したような、呆れたような複雑な顔をする。


「相変わらずセラム様は……。しかしご無理をなさるのはよくありませんよ。今日くらいは羽を伸ばしましょう」


「はいはい、と言ってもこの後ガラス職人と材木屋と商談するつもりなんだけど」


 ベルは深く深く溜息を吐く。


「分かりました。ですがまだ時間はあるのでしょう? 服屋とか見て回りましょうよ」


 そう言ってベルはおどけるように駆け出す。目的の店まで着くと輝くような笑顔で店内を物色する。

 女の子は服とか大好きだよな、とセラムは自分の性別を棚に上げて呆れる。


「ほらほら、これなんかどうですか? セラム様にきっと似合いますよ」


 そう言ってミニスカートをかざしてみせる。


「勘弁してよ……。今でもスカートは抵抗があるんだから」


 普段はスカートの下にだぶついたズボンを履いている。馬に乗る時などにも便利な恰好なのだ。折角だから可愛い服を着たい気持ちも無いではないが。


「しかし……」


 セラムも店内を見回す。


「改めて思うけど、服の種類が随分多いよね」


 男性服も綿や絹でできたスーツがあるし、女性服はドレス風の物からカジュアルな物まで幅広い。チャックやゴム、化学繊維は無いが縫製技術はかなりの物だった。


「それはですね、今から三十年程前に天才がいたからなんですよ」


「天才?」


「ええ。今あるデザインの多くは彼女が創ったものです。新しいデザインや技術を次々と創りだし服飾に革命をもたらしたのです」


「それはすごいな」


「それらの服は瞬く間に国中に広まり、王が綿花の栽培を主産業に切り替えた程の影響力がありました」


「それはさぞかし儲かっただろうな。是非とも会ってみたいものだ」


 今の服には現代風のデザインも多い。もしかしたら自分のように異世界からの放浪者かもしれない、という期待もある。


「それが……。今は行方不明なのです」


「何があったんだ?」


「国が彼女の存在に気付き城に招聘しようとした時には既に彼女は旅立った後でした。どうやら極貧生活で住む場を求めて旅に出たという話です」


「創作者の才能はあっても商才が無かったという事か、勿体無い。失った国益は大きいな。国で保護すれば第二次産業を特産品に出来たのに」


 基本的に綿花のような第一次産業より第二次産業、つまり加工品の方が利益率が高い。クリエイティビティな才能の保護は国にとって重大な責務と言える。


「例えば……そう、特許を作れば商才が無くてもそのような人物を救えるな」


 上手く使えばセラム自身にも莫大な利がある。城に行ったら早速ガイウス宰相に提案してみよう、そうセラムが考えていると、ベルが不満そうに顔を覗きこんでいた。


「セラム様、また考え事ですか? 羽を伸ばすと仰ったばかりなのに」


「ああ、悪かったよ。それで買う服は決まったのかい?」


「ええ、これとあれとそれと……」


「ま、待て待て。そんなに買うつもりなの?」


「他の店にも行きますよ!」


「ええー」


「ちなみに全部セラム様の分です」


「僕の!? まさか……」


「屋敷に帰ったらファッションショーですね!」


 げんなりするセラムを尻目にベルは馬車一台分もの服を買い込んでいった。

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