第十二話 演説

 第三防衛線。橋を境に張られた天幕群と築かれたばかりの小さな砦。その砦の室内で大きな声が響いた。


「貴様誰に向かって言っている!」


「アドルフォ大将の命令です。ダリオ中将殿」


 激高するダリオに向かってセラムは至極冷静に告げた。


「復唱します。ダリオ中将はヴィグエントの東、ソラエ村に出向しヴィグエントで不穏な動きを見せるグラーフ王国軍を監視、これに即応する事。以上であります」


 体の良い左遷に聞こえた命令をダリオは聞き過ごす事が出来なかったようだ。

 セラムが述べた状況は嘘ではない。ヴィグエントで少数の兵の入れ替えが確認されたため監視を念入りにしていたのだ。それを「不穏な動き」と言い替えて出向理由にしたに過ぎない。

 ダリオの顔が紅潮し脳溢血で死ぬんじゃないかという程青筋を立てる。


「あやつが! 俺に! 命令するというのか!」


「軍規において上官の命令は絶対であります」


「………!」


「尚、防衛部隊は動かせないため現地の軍と協力して任務を遂行されたし。護衛は二十名までとの事です」


 歴史に見られる「憤死」する人はこういう顔をしていたのだろう、セラムはそう思った。

 身の危険すら感じ、長居は無用と立ち去ろうとする。そのセラムの背中にダリオが声を投げかけた。


「待て」


「……何でしょう」


「ここの後任は誰になるのだ」


「これからある命令を遂行します。それについては何事も漏らすなと厳命されています。人事についても同様です」


 ダリオは俯きその表情を窺い知る事は出来なかった。


「支度をお急ぎ下さい」


 今度こそセラムは部屋を後にした。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ダリオが発った後、セラムはこの地の防衛部隊全軍を集めた。砦から整然と居並ぶ兵達を見下ろし生唾を飲む。

 こんな大勢の前に立ち、注目を集めるのは生まれて初めてだ。盛観な光景ではあるが否が応でも緊張する。

 セラムは三度深呼吸をし、敢えてゆっくりと言葉を紡いだ。


「諸君、私はセラム・ジオーネ少将である。親愛なる同志諸君、我々は今苦境に立たされている。グラーフ王国の帝国主義が列国を戦火に巻き込んだ。我々もまたその大乱に飲まれた被害者の一人だ」


 セラムは一人一人の顔を見ながら話す。困惑した顔、不安そうな顔、そんな表情を見ていると自分の緊張が解けていくのを感じる。


「先の大戦で私の父、エルゲント将軍が死んだ! 我が領土の三分の一が失われた! 諸君らの戦友は二度と帰って来なくなった! こんな理不尽が許されるであろうか、否! 許される筈が無い、断じて許すわけにはいかない!」


 わざと大きく身振りをし、激しく叫ぶ。


「だが残念ながらこのままでは早晩我々は暴力に屈し、北の蛮族共に蹂躙されるだろう。彼我の戦力差は大きい。しかし! もし諸君らが己の責務を全うし敵に怯む事が無ければ、そしてもし我々の正義が揺るぎなく、ユーセティア神のご加護があれば必ずや証明するだろう。戦争の激動を乗り越え我らの故郷を護り、圧政の脅威を退ける事を証明するだろう。これこそ国王陛下の意志であり、国民の意志であり、諸君らが為すべき行いである! 我らは最後まで戦い続ける。ヴァイス王国で、ゼイウン公国で、ノワール共和国で、北の大地で、我らは戦う。草原で、雪原で、丘陵で、川で、海で、汚泥に塗れ、仲間の屍を踏み越えてでも我らは戦い、断じて屈しない。失った領土を取り戻し、奴等に膝を突かせてやる!」


 演説は熱を帯び、兵達に伝播してゆく。だがセラムは一呼吸おいてトーンを落とした。


「そのためには多大な犠牲が必要だ。敢えて言おう、諸君らは戦いで死ぬ。隣の顔を見よ。そいつらは数日後には死んでいる。故郷を思い浮かべよ、家族を、妻を、子を、親友を思い浮かべよ。諸君らには守るべき者がいよう。そんな諸君らに、私は死ねと命じなければならない。しかしそんな諸君らに、私は強制することは出来ない」


 セラムは視線を落とし肩を震わせる。兵達がざわめく。セラムの隣に立っていた士官が「静かに!」と怒鳴り場を収めた。


「諸君らに三日の猶予を与える。その間に軍を離れても何ら罰しない事を約束する。よく考えて欲しい。繰り返す。三日の間なら軍を抜けても構わない。以上だ」


 セラムが踵を返すと一気にざわめきは大きくなった。士官が何度も解散と叫ぶ。こうして前代未聞の戦前演説は終わった。

 砦内部で士官が声を掛けてくる。


「素晴らしい演説でした。これで兵も命を投げ打って戦ってくれるでしょう」


「それはどうかな」


 セラムの言葉に士官が疑問符を浮かべる。


「とにかく疲れたよ。慣れない事はするもんじゃないな。僕は休ませてもらうよ」


 士官は何か聞きたそうにしていたが、その疑問は三日後解消される事になる。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 砦は夜が更けても騒然としていた。

 前代未聞の「解散許可」。果たして額面通りに信じて良いものかどうか、判断がつきかねている者達でごったがえしていた。皆数人のグループで固まりある者はひそひそと、ある者は侃々諤々と話し合っている。


「おい、お前はどうする?」


 どうする、とは帰るか残るかである。この三日以内に結論を出さなければもう兵士として残るしかない。だが帰っていいと言われたから帰ると即行動に移せる者はそうそういない。


「軍を離れてもお咎め無しとか言われてもどうせ無理だろう。なんかの試験とかじゃないのか?」


「けど大将のお墨付きらしいぜ」


「おいおい、お前まさかここを去るつもりか? 我々は誇りあるヴァイス王国の兵士だぞ。我々が戦わなければ誰が国を守るというんだ」


「そりゃあんたは常備軍の兵士様だけどよ、俺は只の農民なんだ。戦争があるから駆り出されただけ、誇りじゃ飯は食えねえべ」


「それにあの女の子が新しい司令官なんだろ? あんなんに付いて戦うのかよ。無理だろ」


「バッカス、お前はどうする?」


 話を振られた男は手に持っていた酒を呷って野性味溢れた吐息を吐き出す。人一倍大きな体を丸めてしばし篝火を見ていたが、周りの視線に促されて言葉を紡ぐ。


「どうするかな。このまま軍を抜けても野盗になるくらいしかないしな。ま、せっかく傭兵から軍人になれたんだ。あの嬢ちゃんがタイショーになってくれるんならこのまま残ってもいいかもな」


 周りの男達が驚く。


「正気か? あんな頼りない上官の元で戦争するってのかよ」


「あのいけすかねえ副将軍サマを見てればどんな奴でも天使に見えるぜ。それに一兵卒の命を考えて逃げ道を用意してくれるなんていい上司じゃねえか」


「そうか、あんたは全滅した傭兵団の生き残りだったな」


 バッカスは持っていた酒を向かいの男に投げ渡す。貴重な嗜好品は独り占めせず共有する、下っ端の兵士の処世術だった。


「今まで使い捨てられてた立場からすればあんな風に言ってくれるのはかなり珍しいぜ。大概が駒としか思ってねえか命の価値が違うと思ってる奴ばかりだよ。俺はちとあの嬢ちゃんに興味があるね」


 周りの男達が黙り込む。今までの上官に皆思うところがあるのだ。


「それでも俺は、俺には家族がいる」


「ああ、これから死にに行くと言われて付いていけるかよ……」


「それもいいんじゃねえの?」


 バッカスは仲間達の言う事を軽い口調で肯定する。


「人それぞれ事情が違わあな、居たくもねえ軍を抜けれるってんならそりゃそうなる」


「お、俺は残るぞ。俺は軍人だ、国民を守るのが義務だ!」


「それも選択の一つってやつだ。ま、これからもよろしくってな」


 残る者。去る者。突きつけられた選択に当初は動揺していた兵達だったが、一人が去っていくのを見届けるとそれを皮切りに続々と流れゆく。引き留める者はいなかった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 続々と報が届く。それらは全て兵が抜けたという内容だった。


「どういうことか説明して頂きたい」


 防衛部隊の士官がセラムに問い詰めてくる。


「というと?」


「あの演説以降脱走兵が止まらず……」


「脱走兵ではない。あれは正式に許可したものだよ」


「……とにかく一万の兵が三日で二千まで減ったのですよ!」


「おお~随分減ったね」


「呑気に構えている場合ではありません!」


 士官がバンッと机を叩く。


「手、大丈夫? 痛そうだよ」


「馬鹿にしているのですか!?」


「まあ落ち着いて」


 セラムは飄々とお茶を飲む。士官が渋面で胃を抑える。


「彼らは民兵が多い。家に帰れば耕す畑がある身だ。そりゃああんな事を言われれば帰るだろうよ。実際残った兵は常備軍が殆どだろう?」


「確かに。ですがこんなに兵が減っては最早ヴィグエントを攻める事など……」


「出来ないねえ。まあ、ヴィグエントを攻めるとは一言も言ってないが」


 士官は少し思案するが、確かに演説では具体的にどこを攻めるとは言っていない事に気が付く。しかしすぐにまた元の不安顔に戻る。


「それどころか軍の体裁すら保てず、今グラーフ王国軍に攻めこまれでもしたら……」


「その場合ここは放棄する」


 あっけらかんとしたセラムの言いように士官は顎が外れんばかりに口を開く。


「まあ攻めてくる事は無いと思うけどね」


 情報からして敵は防備を固めているし回りくどく調略を進めている。これまでの動向から敵の司令官はかなり慎重な性格だ。そこへいきなり集まっていた前線の軍が解散する。まず罠を疑うだろう。それに貴族達の密約には自分の領地へ攻めて来ない事が確約されていないと成り立たない。ここで早計に攻め立ててしまえば貴族達はグラーフ王国側の態度を疑い調略は無駄になってしまう。攻めて来るにしても貴族が行動を起こしてからだろう。


「それと残った者は待遇を良くしてやれ。死ねと言われて尚残る奴等は命令を順守する軍人の鏡か余程の愛国者、行き場所が軍にしかない者か死にたがりの馬鹿、そのどれもが今のヴァイス王国軍には必要とされる者達だ」


「どうしてそこまで落ち着いていられるのですか。攻めて来ない保証があるとでも」


「それを心配するのは将官である僕の特権だよ。君がするべき事は武器を磨いて来たる時に僕を守る事だ」


「そこまで言うからにはこれは策の一環という事ですね?」


「ふふ、さてね」


「分かりました。理解はしていませんが貴女を信じますよ」


 そう言って立ち去ろうとする士官をセラムが呼び止める。


「君は何という名前だったかな」


「カルロ・サリ中佐であります。少将殿」


「カルロ中佐。誰かは質問に来ると思っていたが君が一番乗りだ。質問じゃなく詰問に来たのも君が初めてだよ」


 セラムが愉快そうに笑う。


「僕の副官になれ。事の顛末を特等席で確認させてやる」


 カルロはこの先何度もここに質問に来た事を後悔する事になる。

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