第十話 借金の達人セラム

 軍制改革は思ったよりスムーズに進んでいった。折衝など面倒くさいところはガイウスやアドルフォなどお偉方が引き受けてくれたので、セラムは少し暇ができるようになった。ダリオはやはり文句を言ってきたらしいが、ヴィグエントを落とされた責任を追及されると大人しく引き下がったらしい。

 暇な時間を使ってセラムはこの前考えていた商売について着手する事にした。


「まず欲しいのは高純度のアルコールだな」


 前に消毒薬として使った酒の銘柄を見てみる。産地について調べてみたがそれ以前に伝手が無かった。


「どうせなら自分の領地で何とかしてみるか」


 ジオーネ家は将軍職に就く前は侯爵の家系だったらしい。

 常備軍は国の軍隊であり、最高責任者は王である。その常備軍を束ねる将軍は王に忠誠を誓う者として将軍の位を賜る時に爵位を返上するのが習わしではあるが、それは形だけのもので領地と実権はそのまま持っている。あくまで将軍職の間貴族として振る舞えないようにするための措置である。爵位も王の預かりという形であり、将軍職を退く時には以前の爵位を賜る事になる。

 だからこそ今のセラムの立場は侯爵なのである。

 元々名門なので当然自前の領地はある。ビジネスの話を持って行くなら自領が豊かになる方が良い。

 領主館の酒蔵から自領産の酒を一瓶見つけると、それを片手に馬車に乗る。営業の経験は無いが元の世界の常識を考えて、道中で買ったお菓子を手土産に酒造店に向かった。

 馬車に乗ると殊更ゴムのありがたみを痛感する。舗装された道路といえどアスファルトのように平らではなく、木製剥き出しの車輪からダイレクトに尻に伝わる衝撃はいつもながら苦痛なものだった。

 不便なのは生活面だけではない。戦闘時にも考えねばならない事は色々あった。

 例えば通信手段。無線の代わりに手旗信号や光信号、狼煙などはあるがいまいち即時性、具体性に欠ける。武器の種類も結構バラバラで、作戦が立てにくい要因の一つになっているように感じた。各貴族の元集められる兵は士気が低く、訓練も足りない。もっとも彼らの多くは農民であり、とにかく数が必要な中世の戦争においてあまり多くを求めるのは難しいのだが。

 馬車がガタンと揺れて止まる。どうやら考え事をしている内に目的地に着いたらしい。木造の大きな建物に幾つもの樽が見える。勤め人らしき若者に店主を呼んでもらう。セラムが興味深く周りを見ていると店の奥から中年の男が小走りに駆け寄ってきた。


「ここの店主ですね。この度正式に侯爵位を継ぎ、新しく領主になったセラム・ジオーネです。先代である父の頃からお世話になっております」


「とんでもない、こちらこそ領主様には良くして頂いて。あっ申し遅れました。私ここの店主をしております、セヴェリオと申します。あっこんな所で立ち話はいかんですな、どうぞこちらへ」


 慌てた様子の店主に案内されて休憩室らしき部屋に入る。


「こんな所ですみません。どうぞ座って下さい」


「こちらこそ連絡も無しに会って頂きご迷惑をお掛けします。これは従業員の皆さんで食べて下さい」


 手土産の菓子を渡すと店主がすみませんを連呼する。


「今日伺ったのは領主就任の挨拶ともう一つ、相談がありまして」


「私共のような者に相談などとは、何でしょう」


「ある物を造ってほしいんです。ここなら出来るかと思いまして」


「ある物?」


「酒は酒なのですが、とにかくアルコール濃度の高い物が欲しいんですよ」


「あるこーるのおど、とは?」


「ああ失礼、酔う成分の事です。きつい酒という事ですね。今作っている一番強い物より更に更に強く」


「きつい酒ですか。しかし味との調和が難しくてですね、あまり美味しい物は出来なくて……」


「これに関しては味はどうでもいいんです。何せ飲むための物ではないですからね」


「飲むためではない? 酒を飲む以外何に使うんです?」


「用途は色々あるんですよ。薬にもなりますし火を点ける燃料にもなる」


「飲まずに薬に、ですか? 聞いた事無いですなあ」


「ふふ、そうですね。出来たら不純物が無い物がいい。出来るだけ透明で、安く造れれば尚いい」


「となるとにごり酒やワインではいけませんな。味がどうでもいいのなら安くは出来そうだ。しかし、あの、言いにくいんですが……」


「金の事ですか?」


「そうです、はい」


「開発に掛かる費用は全部負担します。金額については応相談という事で。ですが損はさせませんよ。何せ成功すれば全病院施設に独占販売出来ますからね」


「そりゃあ大きな話ですな。開発費を全額負担して頂けるって事なら本当に損が無い。分かりました、この話請け負いましょう」


「ではお願いします」


 ニコニコ笑顔で見送られ酒造店を後にする。次は松葉杖についてだ。包帯についても考えてはみたのだが、この世界において布は思っていたより貴重品だった。リサイクルにリサイクルを重ね、ボロボロになったら紙の原料にもなる。結局事業を立ち上げるより、医局の意識を変えて新品の布を使うように徹底させる方が安上がりという結論に達した。

 領主館に帰るとまず庭師に声を掛ける。以前松葉杖を作った彼だ。


「ご苦労様、この前はありがとう」


「これはセラム様、あの程度お安い御用です。何かあればまた仰って下さい」


「それに関してなんだが、君の伝手で材木屋と腕の良い木工職人はいないかい? 松葉杖を量産したいんだ」


「それならば良いのがいますよ。私がよく取引する材木屋と実家の工房を紹介しますよ。うちは元々職人でして、今は弟が家を継いどります」


「そうか、助かる」


 それからセラムは商談ついでに自領を見て回った。特に多くの職人を抱える工房、大きい商家、教会、学校には自ら挨拶に行った。

 領主の代替わりについては家の者が事前に周知してくれていたらしい。領民は皆好意的に迎えてくれた。

 領地の様子は特に大きな産業は無いものの全てにおいて不足はなく、治安の良さが自慢といった土地柄だった。どうやら父はそれなりに善政を敷いていたようだ。領民にはそこそこ人気があるようだが、意地悪な言い方をすれば無難な政治だ。もっとも将軍としての仕事が忙しく、領地の運営は代理の者に任せきりだったようなので仕方ない。

 自領の中心にある館に入るとその代理の者が迎えてくれた。ジオーネ家に古くから仕え、教育係としてセラムも世話になっていたらしい人物である。父は爺と呼んでいたようだ。


「お嬢様、お元気そうで何よりでございます。戦場に行ったと聞いた時は爺やは心配で心配で、こちらに帰ってくる日を心待ちにしておりましたぞ」


「爺や、僕は大事無い。心配かけて済まなかったな。こちらは何か変わった事は無いか?」


 セラムは話しながら歩を進める。


「はい。領民に大きな混乱は無く変わらぬ生活をしております。ですがやはり旦那様が亡くなり不安がっておりました。お嬢様が帰ってきて皆喜んでいることでしょう」


「うん、それは僕も感じた。中には僕の事を心配してくれる人もいたよ。学校に行った時なんて……」


 セラムが喋りながら扉を開けようとノブに手をかけた時、老婆の悲鳴のような音を立てて扉が傾いた。


「ああっお嬢様、その扉は今壊れていて、申し訳ありません。お見苦しいところを。修理を頼んでおりますがまだ来ていないのです」


 どうやら扉は上部のヒンジが外れかけているようだ。このぐらいなら人に頼まなくてもドライバー一本で直せるだろう。そう思って接合部を見ると螺子ではなく曲がり釘でヒンジを固定しているようだった。


「なあ、何故螺子ではなく釘で留めてあるんだ? これでは外れやすくてもしょうがないだろうに」


「ネジ、とは何ですか?」


 爺やが頭の上にクエスチョンマークを飛ばしている。一瞬ボケたのかと思ったがどうやら真面目に分からないらしい。


(もしかしてこの世界、ボルトとナットが無いのか!)


 よくよく思い出してみると留め具にネジ穴を見た覚えがない。元の世界では大抵どんな物にも使われていて、在るのが当たり前になっていたというのに、その小ささ故かいざ無くなると気付かないものだ。

 セラムは驚愕の事実に固まり、しかし頭脳は今までに無い程フル回転させていた。


「あの、お嬢様、どうされまし……」


「爺や、紙とペンを持ってきてくれ」


 すぐさまボルトとナットとドライバーの図面をその場で描く。


「これから鍛冶屋に行くぞ」


 セラムの行動は早かった。親方を見つけると挨拶も早々に熱っぽく語る。


「ボルトの作り方はインクに浸した糸を一定角度に張ってそこに釘を転がすと、こう斜めに痕が付くだろ。この痕に沿ってヤスリで削っていく」


「へえ、しかし『なっと』とやらはどうやって作るんで? 鉄の穴の内側にこんな細い溝、到底彫れませんぜ」


「そりゃあこう、大きめの取っ手の付いたボルトを用意するだろ、そんで溝を刃状に研いで、あとはナットの穴に宛てがってグイグイ回して彫っていくんだ」


「おお、成程!」


「最初は径の大きさも試行錯誤するだろうが、型で安定して作れるようになったら何通りかで統一してくれ。規格を作るんだ。これは今までの留め具の勢力図を大きく塗り替えるぞ! とにかく大量に作れ!」


「ですがそんなに職人がいませんぜ」


「なら雇え! 金は出す!」


 セラムは両手を広げて声を上げた。


「さあ忙しくなるぞ! これからここは一大工場となるんだ!」


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その晩、セラムは悩んでいた。


「金が足りない……」


 国で有数の名家が資金難で悩むとは誰が思っただろう。

 敢えて言おう。ジオーネ家は金持ちである。何もしなくても三代は豪遊して暮らせる財産を持っている。だが資金難である。

 複数の事業を立ち上げ、新しい物を一から作るその開発費は余りにも莫大なものだった。研究開発を舐めていた、と言ってもいい。


「こうなれば借金するか? だがそう簡単に貸してくれるか?」


 何せ額が額である。見込みは有るが実績が無い事業。金貸しというのはリスクに敏感なものだ。そう簡単に首を縦には振らないだろう。


「回収できる確信はあるんだ。けどどうやって納得させる? 売上の一部を渡すか。いや、利益を損なわず金を借りる。なるべく共同事業にはしたくない。更なる研究のために。更なる開発のために。金を儲ける理由を忘れるな。全ては生活環境の向上のため……」


 机にかじりついてブツブツ言うセラムを見てベルが心配そうに声をかける。


「セラム様、最近ずっとお悩みの様子。私に出来る事があれば何でもご協力致しますのに」


「ああ、ありがとう。何かあれば呼ぶ……」


 協力、と聞いてセラムの脳裏にある文字が浮かんだ。テレビでよく映る、顔のアップで目の所を丁度隠すように出てくるあの二文字だ。


「提供……。そうだ! スポンサーを募ろう!」


 セラムが顔を上げる。


「すぽんさー?」


「ああ、開発した商品の名前を好きに付けられる権利の代わりに金を貸してもらうんだ。これによってその人がこの商品に協力してますよ、というアピールになる。その人が広めたい名前でもいい。医薬品みたいな人を助ける商品とは相性が良いはずだ。お互いが得してこちらの腹も痛まない。勿論悪用されないよう命名権に条件は付けるけどね」


「それは良いアイデアかもしれません。早速スポンサーの候補を絞りましょうか。金持ちでかつ自分の名前を売りたい、もしくは売りたい名前がある人ですね」


 その晩セラムとベルは遅くまで話し合った。後にセラムは「借金の達人」と言われるようになる。

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