第九話 策謀の使者
セラムはガイウスに会うために城の一室の前にいた。アドルフォの書状を確認し扉をノックする。
「ガイウス宰相、セラムです。是非一考して頂きたい案がございます。見て頂けないでしょうか」
「入りたまえ」
少し間を置いて返事が帰ってくる。扉を開け、ガイウスと一緒にいる人物を見てぎょっとする。
「アルテア様、こちらにいらっしゃったのですか」
「はあいセラム、先日はご苦労だったわね。無事で何より。見ての通り宰相と政務の途中でね。丁度いいから私にもその案とやら聞かせなさいよ」
「そこに掛けなさい。どんな案を持ってきたんだい?」
前も思ったがこの二人は自分に対して気さくすぎやしないか、とセラムは思う。仮にも一国の王女と宰相なのに。もちろん相手がセラム・ジオーネだからであって他の人間にはそんな事はないのだろうが。
ともあれ国王が病で倒れている今、この二人は実質のトップツーと言える。まとめて話せるのなら手間が省ける。
「……以上が軍制改革の概要です。この利点は命令系統の一本化と実力主義の評価基準にあります」
「なるほどね、いいじゃない。これで貴族が功績目当てに勝手な事したり大将がやられた途端壊滅状態になる事も無くなるんじゃない?」
アルテアは思った以上に賢いようだ。説明を聞いただけでセラムの狙いをずばり言い当ててくる。
「それにこの階級、ダリオ副将軍を除け者にするつもりかな?」
ガイウスは敢えて言わなかった後ろ暗い策謀を看破してくる。伊達に魑魅魍魎蠢く政界で宰相をやってないという事か。
「お二人には説明不要のようで。この案により分裂直前の軍内部を一新するつもりです」
「最初は混乱もあるだろうがやる価値はあるね。すぐに私の部下と一緒に施行した後起こるであろう事態とその解決策、公布する時の文面を詰めなさい」
「ハンコを押せるように準備はしておくわ」
トントン拍子に話が進んでいく。こういう決断の速さは民主主義国家ではあり得ないことだ。今この事態においてはありがたい。敵は待ってくれないのだ。
そう、敵の使者はすぐそこまで来ていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数日後、軍制改革案の書類を作り終わったセラムの元にアドルフォが杖を突いて会いに来ていた。流石は歴戦の古兵というべきか、回復が速い。
「アドルフォさん、もう動いて大丈夫なのですか?」
「あまり無理は出来んが何とかね。今日は城の様子を見がてらセラム殿にこの杖のお礼を言いに来ました。これは良いものですな。動きやすくて疲れにくい」
「松葉杖の事ですか。お気に召したのなら何より。作ってくれた庭師もその言葉を聞けば喜ぶでしょう」
従来の一本杖では不便だろうとセラムが家の庭師に作らせた物だった。こういう形状の杖を作ってくれと言った時は不思議そうな顔をしていた庭師だったが、手早く注文通りに仕事をこなしてくれた。天辺と先には滑り止めの革も張ってある。
「セラム殿は変わった発想をしますな。この『松葉杖』、作りは簡単だが使う人の事をよく考えられた逸品だ。今まで無かったのが不思議なくらいですよ」
「それは良かったです」
予想以上の手応えにふと思いつく。これは商売になるんじゃないかと。
ジオーネ家は地位に見合った金持ちではある。だがセラムの野望を実現するにはまだまだ足りないのである。そう、生活レベルを現代に近づけるには。
最低でも捻れば水が出る蛇口とティッシュやトイレットペーパーの紙質の向上は早めに何とかしたい。トイレットペーパーは白以外認めない派のセラムとしては、今の硬くて茶が混じった色の紙で拭くのは辛いものだ。
もっともジオーネ家や王城が生活圏のセラムは恵まれている。くみ取り式便所や水道が設置されていない家の方が多いのが現状である。街に出れば公衆便所の数は圧倒的に少ないし、店に設置されているわけでもないから糞尿が放置してあるのもよく見かける。やりたいことが色々あるものの、個人でやれるレベルではなかった。
だからこその商売。松葉杖や消毒薬、ガーゼや脱脂綿等セラムが作った物を量産し、医療機関に販売すれば開発の元手になるのではないか。夢が広がる。
「ところでセラム殿、ここ最近ずっと働き詰めでしょう。顔に疲れが出ていますよ。そろそろ休んでは」
妄想の暴走をアドルフォの言葉で遮られる。確かにここ数日家で寝ていない。というかこの世界にきて三週間程になるが、丸ごと一日休みというのは無かった事に気付く。働いてはいるが仕事という感覚ではなく、やるべき事をやっていたらいつの間にか日が経ってしまったという感じだ。
元の世界では仕事自体は嫌いではなかったが、働くのは金のため生活のためで、休みの日はやはり嬉しいものだった。予定外に休みになった日など小躍りする勢いで喜んだものだ。そんな自分が、趣味の時間すら無い今を抵抗無く甘受しているのは自分でも意外だった。それが本当に生死や生きる意義に関わる事であれば休みが無くても気にならないという事だろうか。
ただ、体が疲れているのは本当の事だし、ここらでゆっくりと街をぶらつくのも悪くないなとセラムが思ったその時だった。
兵士が駆け寄り敬礼をして大きな声で甘い思いをぶち壊した。
「アドルフォ副将軍、セラム様、急報です!」
「何だ」
「グラーフ王国から使者が来ました。ガイウス宰相がお呼びです」
「そうか、すぐに行く」
アドルフォがセラムに向き直り申しわけなさそうに言った。
「すまんが休暇はまた今度になりそうだ」
せめて淡い夢を見る前なら良かったのだが。悔しさを溜息にのせて吐き出す。
「この仇はいつか取ってやりますよ」
「そうしてくれ」
二人は重い足取りで兵士の後を付いていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
謁見の間にいたのはアルテア王女とガイウス宰相、それに名も知らない文官武官が二十人程。中には鎧に見覚えのある紋章が付いている人もいる。貴族名鑑で勉強した中にあった紋章、という事は貴族も何人かいるようだ。リカルド公爵やダリオ副将軍など城に来られなかった者もいるが、恐らくこの人達がこの国の頭脳と有力人物だろう。セラムも一礼して末席に加わる。
「集まったようじゃな」
どうやらアドルフォとセラムが最後だったらしい。
「使者は別室で待たせてあります。国情を知られぬように王女殿下と副将軍を抜きに私共で使者と謁見した事をお許し頂きたい」
王の病の重さとアドルフォの怪我の状態を隠すための配慮というわけだ。
「これが使者の持ってきた書状です。書状にはこうあります」
ガイウスには珍しく怒りが隠しきれていない表情で語る。
「同盟の用意がある。条件は王族の処刑、国土の北部三分の一の譲渡、王都に大使館を置くこと。決裂した場合七十万の軍勢で攻め上り道中には草木一本残さない」
「何だそれは!」
「条件になっていないではないか!」
「何が同盟だ、降伏勧告の間違いであろう」
「いや降伏ですらない、これは国家解体しろと言っているようなものだ」
「こんなもの飲めるわけがない! 何を考えているんだ!」
口々に怒りが昇る。そうだ、こんなものは取引ではない。およそ正気の沙汰とは思えない条件ばかりだ。つまり飲ませる気が無い。ならば何が目的だ?
怒り。相手を怒らせる。何の為に?
「揺さぶりか」
セラムがそこに思い至ったのは国自体に思い入れが薄く冷静でいられた事と、此後の結果を知っていたからだろう。
つまり反乱。怒りをかきたて恐怖をちらつかせ、甘い誘惑でガッタガタに揺らして分裂させる。上手くすれば兵を使わずとも国家崩壊、そこまでいかずとも内部分裂で国力を低下させる。我を忘れて出て行けば防備が整った敵に返り討ち。
そもそも乱戦でエルゲント将軍を討ち取った事自体、相手にしてみれば望外の戦果だろう。そしてこちらは早い撤退判断で皮肉にも兵数はそれ程減っていない。加えて包囲網により相手は三方作戦を強いられている。七十万の軍勢というのも大げさだ。先の大戦での動員数は八万程度だったと聞く。恐らく全軍合わせても五十万程度、ヴァイス方面軍が十万から十五万程度だと思われる。領土が広がりゼイウン公国との接敵面が大きくなった今、それらを全て向ける事は出来ないだろう。こちらを無理攻めする理由は無い筈だ。
「今すぐ使者を斬り捨て我らの意志を見せつけましょうぞ!」
「進軍の許可を!」
「北の蛮族共に身の程を教えてやりましょう!」
ここは無視して国力を整える事が正解。その事に気付いているのは何人かいるだろう。だがあまりの内容ゆえ冷静な判断が出来なくなった者に押し出されるように徹底抗戦の流れになっていった。
「黙りなさい」
その流れを断ち切ったのはアルテアの一言だった。この場で一番怒っている筈の、唯一死が懸かっている王女の言葉は誰もが無視出来ない。
「この程度の挑発に乗らないの。ここで軍を出せば相手の思う壺だわ。今は軍を立て直す事が先決です」
「しかし殿下、このまま交渉が決裂したとして相手が攻めてきても都合が悪いのでは?」
「そうです。ならばいっそこちらから攻めるのもありではないですか? 撤退したすぐに攻められるとは相手も思わんでしょう」
その手は通じないだろう。それも織り込み済みだからこその書状であり、統率を取れる者がいない軍ではすぐ崩される。
「意見よろしいですか?」
セラムが挙手すると皆の視線が一斉に集まった。
「あの子供は誰だ?」
「先程から気になっていたが何故子供がこんな所にいる」
小声ではあるが訝しげな声も聞こえてくる。
「この中には知らない者もいるわね、紹介しましょう。ジオーネ家当主、セラム侯爵よ。以前話した軍制改革を立案したのも彼女。今後の軍の中核を担ってもらう予定よ」
もう改革について話していたのか、行動が早い。この場で紹介が済めば後が楽だ。
「おお、では噂に聞く天使の」
その情報は要らない。
「こほん。はじめまして、セラム・ジオーネです。若輩者ですが私見を述べさせて頂きます。ここで要求を無視してもグラーフ王国側から攻めてくる確率は低いと思われます」
「何故そう言えるのですかな?」
ゲームではそうなっていた、とは当然言わない。
「まず第一にゼイウン公国との抗争が激化している状況であまりこちらに戦力は割けないだろうという事。第二にヴィグエントには兵ではなく資材が続々と運ばれているという情報があります。これはヴァイス側の塀は街の構造上薄くなっており、その補強のための資材と考えられます。つまりグラーフ王国はヴィグエントを防衛拠点と考えており、今攻めてもそうとう厳しい消耗戦になるでしょう」
「しかし時間をおけば相手の防備が整ってしまい更に攻めにくくなるのでは?」
「その通りです。ですが今我が軍は再編成も終わっておらず、勝ち目は薄い。ここは同盟国と連携し、相手を上回る速度で国力を回復させる事が先決です」
「反対意見のある者は」
皆が沈黙で答えた。
「では概ねその方向でいきましょう。必要以上に事を荒立てない、使者についてもこのまま本国にお帰り頂くという事で」
「分かりました。ではこの書状については外部に漏らさないようにした方がよろしいですな」
「そうね」
恐らく無駄だろうが。内部にもスパイがいるだろうし虚実入り混じって吹聴するだろう。いや、既に噂を広めているかもしれない。そして次は貴族連中の懐柔だ。とはいえ今ここで言う必要も無い。言っても仕様が無い事であるし、分かっていればそれを利用するだけだ。
「では解散」
ガイウスの号令で此度の会議は幕を閉じた。
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