第八話 帰還、そして……

 敵の追撃を振り切り城まで辿り着いたセラムは、やきもきしながら報告を待っていた。

 続々と帰ってくる兵達の中に殿を務めた部隊がいない。いつ帰ってくるか分からない部隊をじっと待ち、人の生死を確認するその時間はセラムの精神を削るものだった。こんな時電話があればと思うが、一番早い連絡手段が馬というこの世界では何もしようがない。

 結局その日は日没になってもアドルフォ達は帰ってこず、ヴィルフレドの勧めもあり一旦家に帰り休む事になった。


「ああセラム様! ご無事で何よりでございます。お風呂にしますか? ご飯にしますか? そ・れ・と・も」


「メシで」


「ああん、セラム様ったらいけず~。ふふ、今ご用意致します。お部屋でお寛ぎ下さい」


 いくさに行くときは平然と送り出したベルだが、セラムが帰ってきた時はいつもの落ち着いた態度はどこぞへ飛んでいき、終始高いテンションで世話を焼いてくれた。

 一週間近くぶりに温かい飯を食べ、温かい湯に浸かる。この国では湯が張れる浴場がある家の方が少ないので、ジオーネ家の浴場は日本人としてとてもありがたいことだった。

 肩までお湯に沈ませると今まで溜まっていた疲れが体から染み出していくように感じる。次第に目蓋が重くなり意識が混濁してゆく。


「あらあらセラム様。お風呂の中で眠ってはいけませんよ。眠るならベッドに……」


 何故かベルまで一緒に入っている事に微かな違和感を感じるが、最早それすら瑣末な事に思える程に疲れていた。むしろ眠ってもベッドまで運んでくれるだろう、そう安心して意識を手放す。


(そうだ、起きたら城に行かなきゃ。……会社だっけ? 会社、明日は何曜日だっけ? 仕事して……から……どっか遊びに………)


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥の囀りで目が覚める。目覚まし時計の音が鳴っていない事に気付き飛び起きる。


「今何時……!」


 叫びかけて、我に返る。そうだ、ここはグリムワールの世界。

 全てが夢だったら良いのに。いつものようにコンビニでコーヒー買って、大して変化の無い仕事をして、そんなに面白くもないゲームでもやって。

 だが左腕の傷が現実を突きつけてくる。この世界に来た時に自分で付けた傷だ。此方が紛れもない現実だと認識させてくれる。

 生温い日常など鼻を噛んだちり紙のように丸めてクズ籠に投げ入れてしまえ。ここは戦乱の世界。生も死も己の手の中にある。

 さあ盤上の駒を動かそう。


「セラム様、朝食のご用意が整いました」


「今行くよ」


 顔を上げた時には将軍の娘のセラム・ジオーネに戻っていた。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「アドルフォ副将軍が帰還されました!」


 会議室に歓声がわく。部屋の隅にいたセラムも報告を聞いてすぐに飛び出した。アドルフォが運び込まれたという医療室に入ると異臭と呻き声がする。そこは重傷者が運ばれた部屋だった。嫌な予感がして手近な医師を捕まえる。


「副将軍の容態はどうなんですか」


「右脚の傷が酷く壊死が始まっています。切断するしかありません」


「そんな……。助かるんですよね?」


「手を尽くします。ただ今後戦場に立つ事は出来ないでしょう」


「っ……どうか僕にも手伝わせて下さい」


「我々は医師です。医療の現場はお嬢さんにはきつい。祈っていて下さい」


「じっとしてはいられないのです。邪魔はしません。身の回りの世話や雑用をさせて下さい」


「……分かりました。正直手が幾らあっても足りない状況です。ただ今からやることは力仕事です。部屋の外でお待ち下さい」


 セラムが部屋の外に出ると同時に重そうな斧を持った男が部屋に入っていく。こんな世界だ、当然麻酔も無いだろう。中で何が行われるか想像はつく。


「手足を縛りますよ。これを噛んでいて下さい。皆さんしっかり抑えていて下さいね。いきますよ副将軍」


 叩きつけるような大きな音とくぐもった絶叫が鼓膜を叩く。室内の凄惨な状況を想像してしまい、セラムは意識の糸を繋ぎ止めるのに精一杯だった。

 この世界の医療は想像より酷いものだった。鎮痛薬という物は有るには有るが、気分を落ち着かせるハーブティーの枠を出ない物であった。切断した痕は焼きごてで止血してある。それらはまだ良い方で、包帯の代わりに古布で傷を覆ってあり、聞けば次は焼いた馬糞を付けて止血するのだという。

 さすがにそれは慌てて止めさせ、驚異的な精神力で意識を保っていたアドルフォに個人的に術後の世話を願い出て、許可を取りつけた。すぐさまセラムは新しめの布を煮沸消毒して乾かしておく。同時に強い酒を用意させそれを濾して、その酒を煮沸消毒した水で薄める。消毒という概念が無い医師達はそれを物珍しそうに覗き見たりしていたが、患者の世話で忙しいのか口出しはしてこなかった。


「アドルフォさん、傷に沁みますが我慢して下さい」


「ああ。……っ!」


 アルコール濃度は正直適当だが、自分の皮膚で注射の前に付けられる消毒の感覚に近い位にしておいた。止血薬についてもヨモギくらいしか知らない上、この世界の植物には当てはまらないだろうからアテになる知識は無い。取り敢えず植物由来の止血薬と言われた物を先程の布に塗りつけ傷を覆う。きつすぎないように布を巻きつけたらその上から動脈にアタリをつけ、布を厚めに畳んだものを当てて細くした布できつく縛って固定する。暫くは圧迫止血をして、腐らないように時折緩めて血を通わせ、また圧迫止血を繰り返す。

 その後数日、ベル達メイド隊も呼んで重傷者の看病をした。家の者に清潔な綿と布、追加の酒を持ってこさせ即席の脱脂綿、ガーゼ、包帯、消毒薬を作る。セラムは医局を駆けずり回って他の怪我人の手当をした。骨折している者には当て木をし、毛布を重ねて体を冷やさないようにする。切り傷には必ず自前の消毒薬を使い、清潔な布を用意した。医師達にも手洗いを徹底させた。口答えをする医師にはジオーネ家の名の下、命令という形で従わせた。半信半疑、渋々と従っていた医師達もやがて患者の経過が良くなるにつれて文句は言わなくなっていった。

 アドルフォも峠を越え、落ち着いて会話出来るようになった頃、セラムは果物を持参しアドルフォの病室に訪れた。


「医師達の話ではもう命に別条はないそうです。本当に良かったです」


「ああ、これもセラム殿のお陰です。他の者に聞きましたよ、貴賤問わず兵士達にも独自の治療方法を用いて助けて頂いたそうですね」


「すみません。勝手ながら」


「いや、責めているのではありません。お礼が言いたいのです。私もそうですが、皆も従来の方法より治りが良かった。どこであの様な知識を学んだのですか?」


「学んだというか……。独学みたいなものです」


 セラムは苦しい言い訳でその場を誤魔化す。


「それでも助けられなかった命もあります。僕がもっと勉強していればもう少しましな方法だって知っていたかもしれないのに」


「それは欲張りというものですよ。撤退戦での損耗率は一割程度で済んだ。十分です」


「一割……。それは多いのか少ないのか」


「あの状況で援軍に向かった兵の一割ですから。あなたが先頭に立って誘導したからですよ。本来ならあの場にいた殆どがあそこで死ぬか捕虜になっていた筈です」


 帰ってきた者の中にイグリはいなかった。見知った顔が死ぬ事にセラムはまだ慣れてはいない。成果を誇る気にはなれない。


「それは言い過ぎです。アドルフォさんだって僕が言わなくても同じ判断をしたでしょう」


「そうかもしれません」


 アドルフォがくっくと喉を鳴らす。


「それにしてもあなたに『さん』づけされると、その……心が和みますな」


「! すみません、副将軍。気づかぬ内に」


「いえ、公の場でない限り是非そのままでいて下さい。私も孫に呼ばれているような心地でして。孫などいませんが」


 そう言ってアドルフォは声に出して笑った。セラムも笑う。この人が助かって良かった、本当にそう思う。


「ところでアドルフォさん。今後の事ですが」


「……頭の痛い話ですな」


「怪我人に聞かせる話でもないのですが、事態は急を要します。申しわけありませんが」


 改めて見舞いの品を持ってきたのはこの話をするためであった。会議室での話とベルの情報を合わせて、セラムなりに状況を整理した結果を基にアドルフォと相談するために。

 アドルフォも副将軍の顔になり、口調を正す。


「我軍はダリオ副将軍が率いる防衛部隊が第三防衛線まで下がり陣を張っています」


「敵の動向はどうなっている?」


「ヴィグエントを占領後大きな動きを見せていません」


「拠点にし牽制するつもりか」


「恐らく。それに敵は我が国だけと戦争しているわけではありません。増兵が無いという事はこちらにあまり戦力を割けない状況にあるのではないかと」


「確かに、徹底的に叩く気があるのなら今こそ全力で来るべきだろうしな」


「そこなのですが……。我軍が非常にまずい状態でして」


「何となく予想はできるが……。何があった」


「リカルド公爵の軍が戦列を離れ自分の領地に帰っていったそうです」


「なに?」


「直接の原因は不明ですが、ダリオ副将軍が暴走を始めて付いていけなくなったのではないかと噂が立っています」


 アドルフォが盛大に溜息をつく。


「エルゲント将軍が亡くなり自分もこんな状態だ。奴の事だからいつかはそうなるんじゃないかと思ってはいたが」


「予想より早かったようですね。私が一番偉いと公言して身勝手な振る舞いを繰り返しているようです。元々そのきらいがあるお方で人望は無かったようですが、抑え役がいなくなったことで張り切っているのでしょうね」


「奴よりリカルド公爵のほうが爵位も上だしな。下に付いて守る意味も無くなったのだろう。何かと身分の差を口に出す奴だったから特に鼻についたのかもな」


 ダリオとアドルフォは副将軍として位が同じではあるが、ダリオの方が身分は上だった。騎士からの叩き上げで副将軍まで登ったアドルフォに何かと身分を引き合いにして嫌味を言っていた経緯がある。


「全く、無能な働き者ほどたちが悪い」


「今のは聞かなかった事にしておきます」


 セラムが苦笑する。予想以上に犬猿の仲らしい。

 ここからがセラムの本題だった。ポケットから紙を取り出し腹案を提示する。


「そこで軍体制の改革を考えました。現状軍部のトップが二人になっている事が最大の問題です。しかしながら慣習でいくとダリオ副将軍が次期将軍になる可能性が高い。そこで軍の階級制度を別のものに置き換え、そのトップにアドルフォさんを据えることによって事態を収拾する……」


「待て待て。そんな事をしなくてもここに将軍候補ならいるじゃないか」


 そうセラムを指差す。


「……ご冗談を」


「いや、冗談などではない。慣習というならエルゲント将軍は世襲していたし、実の子がここにいる。先の撤退戦やここ数日で兵の人気も高まってきているぞ。『戦女神』とか『天使』とか負傷兵が話していたのを聞いている。それに私はもう将軍役が務まるような体ではない」


「そんな恥ずかしい噂が……」


「私も見ていて率いるに足る器だと思っているよ」


 恐らくこれがゲームのシナリオなのだろう。放っておけば将軍になれるかもしれない。だがセラム自身は納得していなかった。何一つ成し得ていない。撤退戦の時も何も出来なかった。だからこの話を受けるのはあまりに非現実的だと思った。


「ありがたい事ですがお断りします。このまま将軍になるには経験が足りない、そう思います」


「そうか。無理強いはできんがセラム殿であれば私も喜んでお仕えしますぞ」


「僕には勿体無い話です。それより先程の軍体制の話ですが」


 にっこりと笑うアドルフォの薦めを丁重に断って話を切り替える。

 セラムは紙の図案を指しながら説明する。


「まず階級を一新し城の常備兵だけでなく貴族にも階級を当てはめます。爵位とは別の命令系統を作るのです。これは元帥を最上とし、将官、佐官、尉官に大中小を振り分けます。大将、中将、少将、その次が大佐、中佐、というように続きます。騎士より下の兵卒に関しては曹長、軍曹、伍長、兵長、上等兵、一等兵、二等兵と細かく階級を作ります。隊を作る場合この階級に沿って命令系統が出来上がります。補充兵等で同じ階級同士の場合は先任の者が上となります」


 旧日本軍の階級制度を引っ張り出してきただけの物ではあるが、若干十二歳のセラムがこれだけの物を作ったとあってアドルフォは感嘆の声を上げる。


「凄いな、これを短期間で一人で考えたのか。だが誰にどの位を当てはめるんだ?」


「取り敢えずは千人長を中佐、百人長を中尉、十人長を兵長、侯爵を大佐、伯爵を中佐、子爵を少佐、男爵を大尉、騎士を少尉とするつもりです。この制度は貴族も階級を持つ事がミソです。これにより現場の命令系統を一括出来ます。また、アドルフォさんが実力を認める者は最初から一つ上の位でもいいでしょう。無論今後実績を見せた者は適宜抜擢していきます。本当は全て実力主義でいきたいところですが……」


 封建制の社会に無理矢理近代制度をこじ入れるのだから簡単にはいかない。


「ですが世襲や金を積んで位を買う今より無能が上に行く事は少なくなるでしょう」


「今の言葉は聞かなかった事にしよう。ともすれば不敬罪に取られかねんぞ」


「失礼しました。そんなつもりは無かったのですが」


 つい王制である事を忘れてしまっていた。確かに今のは人に聞かれれば王族批判と取られても仕方ない。


「で、それより上の位はどうするのだ? 今までの話では公爵と副隊長、そしてセラム殿が出ていないが」


「その事ですが、リカルド公爵は中将で。そしてここからが重要なのですが、まず元帥を亡き父上に据えようと思います」


「ほう」


「一番上は象徴的な意味合いにして相応の実績と他薦がないと就けないようにします。死者を抜かすのは中々難しいですからね。この措置はダリオ副将軍への牽制にもなります」


「なるほど」


「大将にはアドルフォさん、貴方にやって頂きたい」


「そうきたか。しかしさっきも言った通りそのような重責が務まる体ではないのだ」


「実務は僕が受け持ちます。ですが決定権は貴方に持っていて頂きたい」


「責任だけ取れと。言いおるの」


 ピンと空気が張る中、お互いふっと笑う。セラムは緊張しながらもここだけは譲れないと態度を固めた。今の混沌とした軍内を纏めるのは自分には荷が重い。

 息が苦しい。呼吸をすれば場の雰囲気に意志が押されてしまいそうだ。

 数分は経ったろうか。アドルフォが根負けしたように息を抜いた。


「分かった。引き受けよう。……で、ダリオはどうする」


「ダリオ副将軍には中将をやって頂こうかと」


「納得せんだろう」


「でしょうね。念の為アドルフォさんの護衛を増やします」


「私を囮にするつもりか」


「何事も無ければそれでいいのです。ですが万が一何かしらの行動に出た時は糾弾して降格、あわよくば追放するつもりです。彼にそこまでの度胸があればですが」


「ふう。この短時間であなたへの見方が随分変わったよ。あの小さなお嬢さんが逞しくなったものだ」


「褒め言葉と受け取っておきます」


(そういえば小さい頃に会っているのだったな)


 『僕』としては覚えていないが、とセラムは心の中で付け足した。

 アドルフォが思い出したように口を開く。


「そういえばセラム殿はどの位に就くのだ?」


「僕は少将を賜りたく」


「分かった。だが今国王は療養中で政務が滞っている。その案をどこへ持っていくつもりだ?」


「ガイウス宰相から働きかけてもらおうと思っています。アドルフォさんの了承があれば多少強引にでも通せるんじゃないかと」


「なるほど。書状を書いておこう」


 セラムが去る間際にアドルフォが声をかける。


「あなたは良い将軍になると心から思うよ」

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