第七話 戦火の街
敵の妨害も無くセラム達は街に入る。北の方で残った兵達が文字通り死に物狂いで敵の侵攻を防いでいるのだろう。
街は負傷兵で溢れかえっていた。どうやらダリオは足手まといを全て置いていったらしい。
喧騒と怨嗟で溢れかえり、平時であれば気が狂いそうな空間の中、セラムは自分でも驚く程冷静だった。非日常より怒りが遥かに勝っていた。
アドルフォの指揮に混じりセラムも声を張り上げる。
「重傷者、脚を痛めている者を馬車に運んで下さい! 血が出てない者で弱っている者は糧秣を積んである馬車に押し込めて!」
助けが来た、と負傷兵達が生気のない顔を上げる。当初の予定より多めに持ってきた馬車がすぐに満員になる程酷い有り様だった。
「いてえっ……くそ、いてえ!」
「大丈夫です。王都まで行けば助かります。全員、絶対に見捨てません。一緒に行きましょう」
「まだ戦ってる奴がいるんだ。俺も戦わなきゃ、街が陥ちちまう。俺も……」
「貴方がたは十分に戦いました。後は我々に任せて下さい。さ、立ちますよ」
セラムもまた一人では動けない兵士に手を貸す。重傷者が集められたその場所はむせ返るような血の匂いで溢れている。このような惨状に慣れていないセラムは、胃の腑から込み上げるものを押さえながら必死で重傷者の体を支える。
「まさかこんな形で持ってきた馬車が役に立つとはな」
セラムが空き馬車に重傷者を誘導していると、近くまで来ていたイグリ軍団長がセラムに話し掛けてきた。
「ヴィル、セラム殿を頼むぞ。俺は北の防壁の様子を見に行く。その方を何事も無いよう護衛しろ」
「了解しました、イグリ軍団長」
そう言ってイグリは街の奥へ走っていった。彼なりにセラムの事を認めたのかもしれない。
空馬車を余分に連れてきたのが功を奏した。だがそれでも足りない程に負傷者は多い。
セラムは緊急避難の大義名分のもと苦汁の決断をした。
「アドルフォ副将軍、街の荷車を接収しても?」
「許可します。引き続き残兵の誘導を頼みます。私は防衛の指揮を執りますので」
「分かりました。荷車に予備の馬具を取り付けて! 走れる人は走って門前の広場に集合!」
味方の筈のヴァイス兵が街の備品、私物を奪っていく。これでは強盗だ。勿論ヴァイスの領地なのだから不要な略奪はしない。だが街の人にしてみればどちらの軍にせよ迷惑だろう。
これが戦争。これが現実。分かっていた筈だろうセラム。そんな事はとっくに理解していた筈だ。だがこれでは。
「くそ!」
思考のループに嵌る。
綺麗事では済まされない事は理解していたつもりだが、不条理を強いる側にいる事にセラムは苛立ちを感じる。「命令だ」と言われて従う方が気が楽だろうか。いや、そもそも家でじっと待ってる選択だってあった。ゲーム上ではまだセラムは表舞台に立っていない筈なのだから。
「莫迦か僕は」
そんな事は散々考えたじゃないか。今になって蒸し返す話じゃない。
「他にはいませんか!?」
「こっちを手伝ってくれ! 動けない奴がいる!」
「はい!」
頭を切り替えてセラムは次の傷病者の元へ向かう。
「うぅっ」
そこは今までよりも凄惨な現場だった。血だらけの兵士が応急手当てもなされずに折り重なるように固まっている。
セラムはその中の一人に肩を貸そうと走り寄る。
「もう大丈夫です。今……」
肩に回すべき腕が、無かった。
明らかに致命的な出血量。セラムは自分の血の気が引いていくのを自覚した。
「殺してくれ……」
「何を言ってるんです! 絶対に、見捨てません!」
セラムは体が血に塗れるのも厭わず背でその重傷者を支えようとする。
「いいんだ。もう、手遅れだ」
「莫迦を言わないで下さい!」
現代医療なら助かるんだ! 今すぐ医者に診せれば助かる命なんだ!
重傷者の体重を支えきれずセラムが潰れる。それでも上体を起こし膝で支えながら一歩一歩進もうとする。
「何をやっている!」
背中が軽くなった。援軍に来た兵士が重傷者を乱暴に引っぺがしたのだ。
「まだ助かるかもしれないんです! 馬車に……」
「無理だ! この傷では助からん!」
そう言って兵士は短剣を抜く。
「何を……!」
「遺言はあるか」
「いや、いい。……もう痛くて死にそうなんだ。早く楽にしてくれ」
「そうか」
セラムは動けなかった。その首に短剣が突き立つ光景を、顔に掛かる血飛沫を受け止めるしかなかった。
「うっ」
誰のとも分からない家の壁が吐瀉物に塗れた。
分かっていた筈なのに。ここに現代医療の技術や設備なんて無い。そんな時間も無い。彼が助かる見込みなんて万に一つも無かった。理解《わか》っていた。ただ目の前で人が死ぬのを見たくないだけだってのは。
兵士は、涙と鼻水を垂らしながら口を拭うセラムに見向きもせず作業を進める。
「大丈夫ですか?」
そんなセラムに声を掛けたのはヴィルフレドだった。
「無理をせず休まれた方がよろしいかと」
この地獄の中、ヴィルフレドはこれ以上無い程に気を使ってくれている。だがその言葉の意味するところはセラムにも分かる。覚悟の決まっていない者など、この戦場では邪魔なだけなのだ。
冗談じゃない。態々邪魔をしに来たわけじゃない。固めてきた覚悟の量が足らなかったなど、認めるわけにはいかない。
「大丈夫です。やれます」
セラムは意思に反して垂れ流れる涙を拭い言う。ヴィルフレドもそれ以上は何も言わず自分の作業に戻る。再び地獄に入り、選別が終わった重傷者を空馬車に誘導する。
重傷者を乗せた馬車が粗方広間に集まった頃、アドルフォが戻ってきた。
アドルフォはセラムに駆け寄りその赤黒く染まった顔を見下ろす。
「敵は防壁に張り付きもうあまり持ちません。私はこのまま指揮を執り殿を務めます。セラム殿は皆と一緒に退避を」
「僕も一緒に……」
「駄目です。あなたを守る余裕はありません」
アドルフォがぴしゃりと言った。
「あなたは先頭で兵を先導して下さい。大事な役目ですよ」
やんわりと一番安全な位置にセラムを配置する。つまりは戦力外なのだ。だが役割は与えてくれた。やれることが残っているならば従わない理由は無い。
「アドルフォさん、どうかご無事で。貴方はまだ死んではいけない人だ」
「私も死ぬ気は無いよ。さあ、もう行きなさい」
潤む目を伏せてセラムが踵を返す。ヴィルフレドの馬に乗り後ろを振り返る。アドルフォ達が向かった方角が明るくなった。
炎の紅を見ながらセラムが呟く。
「絶対戻ってくる……!」
守れない。今の僕ではあまりに無力だ。自分一人では何も出来ない。力を付けなければ。腕力、知力、権力、財力、何でも良い。この不条理を吹き飛ばすための力を。
「これより退却を開始する! 我に続けー!」
セラムを前に乗せたヴィルフレドが馬上から号令を掛ける。
闇の中、松明の明かりに導かれてヴィグエント防衛軍は走る。夜はまだ明けない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ヴィルフレドの馬に相乗りして列の先頭に付く。傍らの兵が軍旗を持って先導する。
「西の砦陥落! 敵が追ってきています!」
街を出たばかりだというのに絶望的な報告が舞い込んでくる。周りの若い兵達の表情が恐怖で引き攣る。人間同士の戦争を知らない世代なのだろう。
一方戦争を知らないセラムはというと、様々な感情が綯い交ぜになり黒色の狂気が瞳に浮かんでいた。
(奴らはまだこの地獄を残虐で塗り潰そうというのか!)
あまりの怒りでセラムの頭が沸騰し、抑えきれなくなった感情で思考が真っ白になる。
「怒」「酷」「死」「血」「恐」「人」「赤」「殺」「敵」「逃」「戦」「恨」「怖」
真っ白な思考の地平。
その何も無い空間の中、セラムは泡のように沸き立つ言葉にならない単語が天に上り消えていく。
(怒っている。怒っている。僕は何に起こっている?)
かつて無い程に自分の気持ちに集中する中、セラムは一つの悟りに至る。
(敵か、世界の理不尽さか。いや違うな、そんなんじゃない。僕は僕の無力さに怒っている。自分に、怒っているのだ。ならば今やるべき事はとてもシンプルだ)
セラムは口角が勝手に上がっていくのを自覚した。表情筋を制御する事すら出来なくなったのか。恐怖でどうにかなってしまったのかもしれない。
「大丈夫だ」
セラムは根拠もなく呟いた。悪鬼の如き笑みのまま言葉を続ける。
「このまま徒歩の兵が付いてこれる速度を保て。騎兵は列の横に付き道を外れないよう誘導しろ。一定間隔で松明を持たせろ。大道に沿って王都へ向かう」
当然目立つがこの闇の中大群を動かすには仕方ない措置だ。むしろ四散してしまう方が被害が大きい。
命令を聞いた兵士はセラムの迫力に押されてか黙って従う。ヴィルフレドもまたセラムの変貌に驚きながらも、その命令が的確であると判断して口を紡ぐ。本来命令を出すべきなのはヴィルフレドだろうが、有無を言わせぬ凄みがあった。
ヴィルフレドの胸に頭を預けて大きく深呼吸をする。
(焦るな。慌てず急げ)
セラムは学生の時にやった避難訓練を思い出していた。こういう時冷静にやるべき事をやった者が助かる。名前も覚えてない教師の教えだ。
心臓が早鐘を打っている。誰よりも臆病になりながら頭だけは冷静でいたセラムだからこそ、それに気づいた。
「ヴィル、右に光る物がある!」
セラムが鋭く叫ぶ。
「あれは敵か味方か!」
「あちらの方向に味方はいません。敵です!」
「風向きは、旗はどちらに向いている!」
唐突な質問にもヴィルフレドはすぐさま意図を察し答えた。
「旗から見るに敵方に向かって吹いています!」
「では右方向に火矢を放て。敵を近づけるな!」
「了解。後方の兵に伝達! 火矢準備、目標右方向、なるべく遠くに三射!」
一射、二射。思っていたより火は広がらない。三射目にして漸く火の手が上がった。効果の程を確認する間も無く隊は前進してゆく。
「松明兵を残し騎兵を集めろ。突撃してくる敵がいたら横っ腹にかましてやれ」
先頭集団に追いつくような敵はいない。それでも後に続く味方のために出来得る限りの事はする。戦術どころか戦法とも呼べない稚拙な指揮。
「惨めだ」
情けなさで涙が零れた。それがセラムの初陣だった。
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