第五話 絶体絶命

 アドルフォと別れた後暫くして、セラムはかつて無い危機に瀕していた。今まで張り詰めていた緊張から開放されたせいであろう。その悪魔は事もあろうに一人になってから唐突に訪れた。

 尿意である。


「こんな時に誰も通りがからないなんて……!」


 自然と内股気味になりながら早足で闇雲に廊下を歩く。こういう時焦りは大概悪い結果しか産まない。セラムもまたその例に漏れず、絶賛迷子中であった。


「気のせいか段々人気の無さそうなところに行ってるような……」


 こんなことなら来た道を順に引き返せば良かったかも、そう思ったが今更手遅れである。知っている神に手当たり次第祈りながら必死で歩いた。

 その祈りが通じたのか、それとも悪魔が笑い疲れて満足したのか、セラムの顔色が赤から青へ、青から紫へ変わる頃に漸く人を見つけた。セラムより少し年上の女の子だった。


「ちょっとあなた、ここは一般立入禁止区域よ、ってあなたセラムじゃな……」


「お叱りは後で! 取り敢えずトイレどこですか?」


「へ? あ、トイレならそこを曲がってすぐ右の扉よ。大丈夫? かなり面白い顔色をしてるわよ?」


「ありがとうございます!」


 全てを後回しにして一目散に扉に駆け出す。トイレは携帯式仮設便座、つまり「おまる」であった。

 急いでスカートをまくり上げパンツを摺り降ろ……せない!


(ゴムじゃないから伸びないんだ!)


 乱暴に紐を解き脱ぎ去り、一息ついたところで改めて自分の姿を再確認した。

 急激に恥ずかしさがこみ上げてくる。片手でスカートを抑え、片手で女物のパンツを握りしめる自分に視界がグルングルン回るが、一周……いや何周かして諦めがつく。

 目の前の紙束から一枚取って拭き終わる頃には悟りを開いたような顔になっていた。

 扉を開けると先程の女の子が待っていたようで、セラムの顔を確認すると親しげに話しかけてきた。


「久しぶりねセラム。会いたかったわ」


「あの、ところで用を足した後のこれ、どうすればいいんでしょう?」


「…………トイレの逆側の扉から階段を降りた所の汚物捨場に捨ててきなさい」


 女の子の視線が痛かった。


「なるほど、中庭に繋がっているのか」


 階段を降りてすぐに汚物捨場は見つかった。蓋を外すとどうやら下水道に直通しているらしい。二階以上には上下水道は通ってないようだが、一階は水道が設置されているようだった。

蛇口は見た覚えがないし管の作成技術の問題だろうか、そうセラムは思ったが、すぐに水を上に押し上げる動力が無い事に気が付く。電力もポンプも無いのだから一階にしか水道が無いのだ。


「それにしてもさっきの女の子、あれ王女様だよな」


 ゲームで見覚えがある顔だった。ヴァイス王国王女アルテア・バスクアーレ・ヴァイス。現在十四歳。レナルド王の一人娘でありセラムとは幼馴染みのように育った。これから先成人の儀を迎えた後、国王代理として政権を握るはずである。


「となると今の内に仲良くしておいた方がいいか」


 セラムとしては既に仲が良いのかも知れないが何分話した事も無い人物である。これからのために味方に付けておくのは絶対必要な事だ。

 再び階段を上がって扉の前に立つ。先程のやりとりを思い出し、気恥ずかしさでおずおずと開けた扉の隙間からアルテアを覗き見た。


「少し見ない内に随分と面白い子になったわね」


「……お恥ずかしい限りで」


「安心したわ。てっきり塞ぎこんでると思ってたから」


「父上の事でしたらご安心を。ただこれから僕は従軍しようと思っています。王女様には心配を掛けるかもしれません」


「……! そう、決意は硬いのでしょうね」


 アルテアは伏し目がちに呟く。


「死なないでね。お父様が臥せっておじ様が亡くなって、あなたまでいなくなってしまったら私は耐えられないわ」


「死ぬつもりはありませんよ」


 どちらからともなく、ふふっと笑い声が漏れた。


「私はもう行くわ。それと」


 アルテアはくるりと踵を返し顔だけこちらに向けて言った。


「いつも通りアルテアと読んで頂戴。口調を変えたようだけど、私に対する呼び方まで変える必要はないわ」


「了解です、アルテア様」

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