第四話 軍儀

「うう、酷い目にあった……」


 ツヤツヤ顔のベルを伴って邸を出る。

 今住んでいる邸は城勤め時の別邸らしい。王都のすぐ側にジオーネ家の領地はありそこに家を持っているそうだが、城にいることが長い将軍は王城のはずれに邸があり、戦時下のためセラムもそこにいたようだ。馬車を使うまでもないのでベルを伴って城に向かう。

 歩きがてらこの世界の様子を見る。衛兵らしき人は鎧を身にまとい、それ以外の人の服装は様々だ。全体的に西洋風だが意外と種類が豊富で複雑なデザインも多い。


(そういえば日本語のまま喋っていたけど……)


 今更ながら違和感を感じたが、ゲームの中での言語も日本語だった。そうでなければ到底やる事も出来なかっただろうが。まあ、ゲームの世界というならばそのまま日本語が使われているのだろう。文字も日本語だったし他国も言葉が違う事は無さそうだ。

 そんな事を考えているうちに門まで辿り着く。


「こちらでお待ちください」


 衛兵に案内された部屋でセラムは不安を募らせていた。城への道中や門前で待っている時はベルが一緒だったので気も紛れたが、城の中に入る事を許されたのは自分一人。スマートフォン等の文明の利器に慣れた現代人のセラムにとって、暇を潰せる物が何も無いなか何十分も待つ事は随分と久しぶりな感覚だった。これから会うガイウス宰相の人物像を想像し、第一声と会話の流れをシミュレートし、聞きたい事の要点をまとめ終えて尚余った時間に焦燥感に似た居心地の悪さを感じた頃、漸く鼓膜を叩いたノックの音にセラムの表情が強張る。


「やあ、随分待たせてしまったね。おや、案内人はお茶の一つも出さなかったのか。気の利かん奴だ」


 そう言って初老の男性は備え付けのキッチンから蝋燭を取り出し照明用のランプから蝋燭に、蝋燭からアルコールランプのような器具に火を移す。水瓶の水をポットに入れ手際よく湯を沸かす。その所作をセラムは興味深く目で追っていた。

 マッチすら無いこの世界では火を絶やさないというのは重要である。窓もあり、まだ日も高いうちから照明が点いている意味をセラムは初めて理解した。それどころか蛇口もガスコンロも無いそのスペースが簡易キッチンであることすら今の今まで気づいていなかった。


「ハーブティーを淹れてあげよう。気分が落ち着くよ」


「お、お構いなく」


 何度もシミュレートした第一声も言うタイミングを逃し、自分より遥かに目上の人に茶を淹れてもらっているという事態にセラムは漸く気がついたが、最早遅しと腹を括り大人しく待つ。

 柔和な表情のガイウスは、遊びに来た親戚の子供をもてなす好々爺のような態度だ。だがこれから話す内容の重さを承知しつつ深刻な素振りを見せないその心遣いが、一国の宰相としての底の深みとセラムを想う人格を物語っていた。

 無言の時間はティーカップが机に置かれ、ガイウスが席につくまで続いた。沈黙を破ったのはセラムだった。


「ガイウス宰相、父が亡くなったというのは」


「やはり聞いていたかね。今日の日の出頃だったか、早馬が着いてね。残念だが……」


「ではお願いがあります」


 ガイウスは、おや? と視線を動かした。セラムが悲しんだり取り乱すのを予想していたのだ。


「お願いとは何だね」


「僕を軍議に参加させて頂きたい」


「……君はまだ十二歳だ。それに女の子だ」


「ジオーネ家当主としての義務があります」


「その歳で軍属に入る義務はない。三年待ちなさい」


 この国では十五歳で成人とみなされるため、正式な軍の入隊資格は十五歳以上である。そのためガイウスは三年待てと言った。だが将軍家に事実上職業選択の自由はなく、軍に入る事は生まれた時から義務付けられていた。セラムは怯みもせず反論する。


「今は戦時下です、宰相。規則に拘っている場合ではなく、僕に兄弟はいない。次期将軍として軍に入るのが早まっただけの事です」


「思い上がるなセラム。君が軍に入って父上の代わりになるとでも?」


「そうではありません。やらなければならない事があるのです」


 表情一つ変えず頑として譲らないセラムに、ガイウスは溜息を吐いて問う。返答次第では何と言われても許さないつもりだった。


「敵討ちのつもりか?」


「いいえ」


 セラムの瞳が初めて揺れる。それは臆病者の顔だった。


「自分と周りの人の命を守る、そのために国を救うつもりです」


 ガイウスはセラムが小さい頃から友と一緒に成長を見守ってきた。彼女のことは父親の次に理解している自負があった。それが今は彼の知らない表情で思いもよらない言葉を紡ぐ。


「……大きくなったね」


 素直に喜べる成長ではない。出来れば戦とは無縁に幸せに生きて欲しかった。だが彼女の出自はそれを許さず、過酷な運命をその小さな肩に背負わせる。

 彼女の意志は変わらないだろう。そう悟ったガイウスは心の中で神に悪態をつき、頭を切り替える。


「分かった。出来る限り協力しよう。すぐにアドルフォ副将軍に通達しておく。あと二十分で軍議が始まるからセラムも付いてきなさい」


 せめて自分だけは彼女の味方でいよう。たとえ神が敵に回ろうとも。

 大きな声で礼を言うセラムの顔を見てガイウスは心に誓った。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 会議室には地図と駒が置かれた机を中心に七人の男が立っていた。机を囲むのは城に詰めている主立った武官と政務官。全員見たことのない顔だ。ゲームではあまり重要ではない人物はかなり省かれているのだろう、副将軍以下はゲーム中名前すら出てなかったので当然ではあるが。

 ガイウス宰相と並んでセラムが室内に入ると、静謐だった空間が困惑に包まれた。中には明らかに奇異なものを見る視線を向ける者もいる。隣で軽い調子で挨拶するガイウス宰相に構わずそのような態度を取るということは、反ガイウス派の政務官や派閥とは関わり合いのない武官であろうか。セラムは圧迫感に押されないよう背筋を伸ばし集まっている七人を見定める。


「まずは皆に紹介しておこう。エルゲント将軍のお子、セラム殿だ。彼女も今回の軍議に加わる」


 アドルフォ副将軍の声が空気を断ち切る。セラムが一礼すると皆一応得心がいったようで、アドルフォの次の言葉を待った。


「議題は対グラーフ王国防衛戦線への援軍についてだ」


「援軍要請が来たのですか?」


「来ていない。だが状況次第で必要であると判断される。それをこれから話し合いたい」


 防衛戦の現状の指揮官はダリオ副将軍のはずだ。城に来る前ベルに聞いたダリオの性格からすると、たとえ劣勢でも援軍要請はしないだろう。恐らくアドルフォはそれを承知で放っておけば戦線は瓦解すると考えている。


「新しい報告を聞こう。イグリ軍団長」


「はい。先ほどの報告で、軍は都市ヴィグエントまで後退したとのことです」


 室内にざわめきが起きる。アドルフォは既に聞いた報告だったのだろう。冷静に駒を地図に乗せていく。


「これで我軍は第二防衛線まで後退したことになる。だがヴィグエントはグラーフ王国に対して守り易い構造になっている。ここに籠城すればかなりの期間持つだろう。ガイウス宰相、他国の情勢についてはどうでしょうか」


「ふむ。まずゼイウン公国じゃが、一進一退の攻防を続けておる。正直現状を保つのに手一杯、援軍は望み薄じゃろうな。ノワール共和国の方は睨み合いが続いておる。グラーフ王国も当面積極的に攻める様子はない。とはいえノワール共和国は元々この戦争に難色を示しておった。こちらがそれなりの力を見せんと色よい返事は難しいじゃろうな」


「貴族の方々の助力はどうか」


「付近の領主をはじめ動ける方は既に戦場です。これ以上は無理です!」


「動けるのはここの守備隊だけというわけだ。何か意見はあるか」


 セラムは考えこむ。本来ならここでゲームの筋書きを思い出し劇的な作戦で勝利! といきたいところだが…………無理なのだ。

 そもそもが数ページ分のテキストでヴィグエントを放棄したと結末が書かれているだけの部分なのだ。今のセラムはいわば歴史書を見た状態で過去に行ったタイムトラベラーに近い。確かに大きな出来事は知っているが、言ってしまえばそれだけだった。歴史は書物に出てこない人物が無数に絡み、書ききれない事件が多数積み重なって歴史となる。

 ゲーム上重要な場面でなくても、今の因果で今後の展開がどう変わっていくのか。成り行きを見守るべきなのか、それで都合の良い展開に転がってくれるのか判断がつかない。動きどころが掴めずセラムは沈黙する。


「今すぐ救援に向かうべきだ」


「外敵の脅威が……」


「籠城したとしてどの位で援軍が見込めるというのか」


「それは今話すことじゃない」


「援軍の事を考えずに話せる事でもないだろう」


 その間にも軍議は進む。だが話がループした辺りでアドルフォが意見を打ち切った。


「大体意見が出揃ったようだな。我々がこのまま動かないというのは……」


 アドルフォが駒を動かしながら言葉を続ける。


「無しだ。ヴィグエントを獲られれば今後の守備行動が困難になる。いち早く援軍に向かうべきだろう。それについて反対意見があるものは?」


 全員沈黙によって肯定した。


「援軍についてはガイウス宰相に折衝をお願いしたい」


「最善を尽くそう。だがこちらの姿勢を示してからでないとノワール共和国は首を縦には振らんじゃろう。最低一ヶ月はみてもらいたい」


「そこら辺は政治判断もあるでしょう。お任せします。編成は城に最低限の守備隊を残して二千で行く。指揮は私が執る。意見のある者は?」


「よろしいでしょうか?」


 恐る恐る、という声ではあったがセラムは初めて手を挙げた。今まで置物のようであった少女に一同の視線が刺さる。


「どうぞ」


「多分騎馬隊を連れて行きますよね。食料、いえ、糧秣を載せた馬車も……」


「当然だ。全員騎馬というわけではないが」


 それが何か、と促される。アドルフォには十二歳の小娘の意見もきちんと聞く度量があった。それは敬愛するエルゲント将軍の忘れ形見だからという理由もあるだろうが。


「でしたらその想定以上に、出来るだけ空馬車を従軍させて頂きたいのです。あっ、馬車と馬を繋ぐハーネスも余分に」


「ほう、どうしてだ?」


「先の戦いは混戦だったと聞きます。傷病者は多いはず。重症の兵をいち早く安全な場所へ護送したいのです」


 この戦いは恐らく負ける。しかもそう遠くないうちに。だから出来るだけ被害を少なくするための精一杯の配慮であった。

 だがよく考えれば傷病兵でも籠城戦に参加させるために街に置いておくかもしれない。糧秣を降ろした馬車のみで護送は十分足りると判断されるかもしれない。

 そんなセラムの危惧を厳しく突いてきたのは先程のイグリ軍団長であった。


「我々はこれから籠城のために援軍に行くのだぞ。余分な馬を連れて行くのにどれだけの水や飼葉がいると思う。それだけの利点があるとは……」


「イグリ」


 アドルフォが遮る。セラムは所詮小娘の浅知恵と断じられるのを覚悟したが、アドルフォの語調はあくまで穏やかであった。


「ふむ、確かに重傷者がいても糧秣を徒に使うだけ。心に留めておこう」


 そう言ったのはセラムの体面を守るためだったのかもしれない。だがそれでもセラムは自分の意見が一刀両断にされなくて心底ほっとしていた。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 軍議が終わってすぐセラムは廊下を歩くアドルフォを呼び止めた。ある意思を伝えるためだ。軍議中に言わなかったのは徒に軍議をかき回したくなかったからである。


「セラム殿、何か?」


 セラムはアドルフォを見上げ一呼吸置く。軍議中ずっと考えていたこ事だとはいえ、口にするのは覚悟がいった。


「僕も従軍させて下さい」


 アドルフォが目を見開く。


「それはつまり最前線に行くということですぞ」


「わかっています」


「危険です。それに籠城となれば何ヶ月も帰れない場合もあります」


「承知の上です」


「私は反対です。あなたはまだ幼い。経験を積まれるのならばもっと良い場があるでしょう」


「それも考えはしました」


 このまま成り行きに任せてもゲーム通りに進むのかもしれない。当然戦場に行くのは怖い。筋書き通りにいくまでは家に閉じこもっていたい。だが動かないのはもっと怖かったのだ。


「ですが僕はもう箱入りのままではいられないのです。雑用でも何でもします。どうか同行をお許し下さい」


「……頭を上げて下さい。大恩ある将軍のお子さんにそこまで言われては断れないではありませんか」


「では……!」


「私の指示には必ず従って頂きます。戦況如何によっては傷病兵と共に引き返して頂く場合もあります。それでもよろしいですね?」


「ありがとうございます!」


 将軍の娘だから。頼み事を聞いてくれる人は皆一様にそう思っている。生前の父とはさぞかし立派な人だったのだろう。

 元の世界では長い一人暮らしでいつしか自分一人の力で生活しているような気になっていた。このまま安穏と生きるのだろうとも。

 皮肉な事にゲームの世界だというのに今の方が余程死を身近に感じる。そして人に生かされていると、嫌が応にも考えさせられるのだ。それだけに感謝は真に心からの言葉だった。

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