第二話 豆腐小僧と一反木綿

豆腐小僧と一反木綿 起

「そんなもの何が面白いの?」


 不躾に飛んできた声に少年は眉を潜める。もちろん、その表情は相手の少年に見えることないよう手元の本で隠しながら、だ。


「えっと……色んな妖怪のことがイラスト付きで載ってて――」

「ふ~ん」


 少年の言葉を途中で遮って相手の少年は彼の面――すなわち本を剥ぎ取った。


「あ……」

「うっわ。結構ぐろいな。おい、これ見ろよ」


 少年の大切な本はあっという間に見世物と化した。


「まじで? 本当だ、気持ち悪っ」「女の裸も書いてあるぞ。これエロ本じゃね」「全然エロくねえだろ、このグチャグチャの絵」


 一通り汚い手で回し終わり一人ずつ悪評を垂れ流すと、本はぞんざいに少年の机の上に放り投げられた。

 少年は下唇を力一杯噛み締めて、胸に渦巻く恨みの言葉と遅れてやってくる涙とを必死に堪える。

 しているうちに相手の少年はまた少年の柔らかい部分に傷をつける。


「こんなもの読んでても暗くなるだけだろ。俺らと外でサッカーしようぜ。メンバー足りねえんだよ」

「僕は……僕は……」


 少年がやっとのことで言葉を絞り出そうとしたとき、それは相手には届いていなかった。


「あ? 見つかったって? おい、そいつ確か隣のクラスのサッカー部のやつじゃん!? ずっりいだろ、それ。もっかいチーム決め直しな。あ、悪い。お前やっぱりいらないわ」


 最後の最後まで一切の悪気なく少年の心を踏みにじり去っていく相手の少年。


「僕は……」


 少年は、自分のはるか遠く到底入り込めない世界の住人である少年たちを見つめながら、ただ呆然としていた。

 それから考える。果たして自分は何と答えようとしていたのだろう。普通に断っていたのか、文句の一つでもぶつけるつもりだったのか。

 あるいは……あるいは――。


                ◆


 ミナト少年にとって、いまや遠然房とおせんぼうは最も心落ち着く場所であった。

 初めて通ったときは緊張と恐怖とで気を失いそうだった小路も、今では期待と希望が満ちる花道だ。

 家よりも学校よりもミナトが自然体でいられる場所。自分をさらけ出せる場所。

 あの暗く狭い店内にいると、日常にあった嫌なことはすべて周りの暗闇が呑み込んでくれる――そんな気がした。

 何より大きいのは妖怪の話を馬鹿にすることなく真剣に聞いてくれる理解者の存在。

 ミナトが師匠と仰ぐ遠然房店主・遠然坊。彼に会うためにミナトは今日も小走りで店内へと駆け込む。


「師匠~……師匠?」


 ミナトの声は薄暗く先の見えない店内に虚しくこだまする。

 その反響音はここが無人であるという否応のない事実をミナトに突き付けていた。

 いつもならば遠然坊がこのあたりで奥から姿を見せて小言の一つでも飛ばしてくるはずなのに、一向に闇に動きはない。

 もっとも店主が何の前触れもなく店を留守にするのは然して珍しいことではなく、これまでにも幾度かあった。

 それにしてもこんな日にいないなんて――ただ一つの拠り所にさえ裏切られたようで、ミナトは遠然坊に理不尽な怒りを覚えた。

 いつもは黒い感情は吸い取ってくれそうな暗闇は、今日ばかりは自分を包み込み圧し潰してくるかのようにミナトは錯覚する。

 店主がいないのならばここはただのガラクタ倉庫だ。


「ん、待てよ。おかしいぞ」


 ミナトは先程から気になっていた違和感の正体に行き当る。

 確かに遠然坊がふらりといなくなることは儘あった。

 しかしその場合、当然のこととして店はしっかりと戸締りがされていた。

 よほど慌てていたのか、すぐに戻るつもりだったのか知らないが、何にしてもこれはミナトにとって千載一遇の好機だった。

 普段は決して触れることが許されないガラクタの山――もといミナトや遠然坊のような人種には宝の山――を、好き放題漁ることができるのだから。


「不用心な師匠が悪いんだから僕は悪くない」


 そんな自己正当化の言葉をわざわざ口に出しながら、ミナトは躊躇うことなく店主のコレクションへと手を伸ばす。

 そのときガタリ――と何かが動く気配と共に物音がした。

 かなり微かな音だったが悪戯真っ最中のやんちゃ坊主にしてみれば轟音に等しい衝撃だった。

 即座にミナトの脳はフル回転で言い訳を生み出し、それは生まれたそばから猛スピードで舌へと運ばれる。


「い、いや違うんだよ。聞いてよ師匠。僕は何も悪さをしようとしてたわけじゃなくて、ただちょっと近くで見ようとしただけっていうか。仮に、仮にだよ。僕がよくないことを考えていたんだとしてもさ、まだ何もしてないわけじゃない? だったら結果的には僕は無実だよ。考えるだけで悪いっていうなら世の中には悪い人しかいないわけで、だから僕は悪くない」

「ごめんなさい。僕が悪かったです。全部僕のせいです。すみません。申し訳ありません」

「そう。君が悪……え!?」


 支離滅裂な弁明に必死になっていたミナトは、目の前の相手が誰であるのかまったく見えていなかった。

 ミナトとは正反対に自分の非を余すことなく認め、行き過ぎなくらいに低姿勢なその発言の主はもちろん遠然坊ではない。

 ミナトと同い年、つまりは九歳くらいの外見の少年だった。

 青と白の格子模様の着物を群青の帯で締め、大きく切り込みが入った編み笠を被っている。

 その下からは一房ばかりの髪束が覗いていて、彼が頭を下げる度にそれがぴょこぴょこと跳ねていた。

 そして一番の特徴は両手で抱え込んだ盆の上でどっしりと居座っている豆腐だった。

 この特徴的過ぎる特徴は、我に返ったミナトに彼が何者かであるかをどんな言葉より雄弁に教えていた。


「えっと、君もしかしなくても豆腐小僧?」

「は、はい。その通りであります」


 豆腐小僧はぺこぺこと幾度も頭を下げ続けていた動きを止めてミナトの質問に答えた。

 ここへきて豆腐小僧の方もようやく少し落ち着きを取り戻した様子だったが、どうやら元より気弱な性分らしい。

 ミナトが次に口を開くのを、判決待ちの罪人のような面持ちでじっと待っていた。

 ここまで畏まられると逆にやり難さを感じるミナトだったが、とにかく自分が喋れないと話が先に進まない。


「僕は境ミナト。ここの店主・遠然坊師匠の一番弟子さ」

「ミ、ミナト様……この度は本当に――」

「君はここで何をしていたの?」


 豆腐小僧は当然予想されていたであろうこの問いに対して予想以上の狼狽ぶりを見せ、先程よりもさらに深く深く床に接するまで頭を下げた。

 すなわち土下座の姿勢である。ただしこのときでも豆腐の乗った盆は手離さなかったため、まるでミナトに豆腐を献上しているかのようだった。


「申し訳! ございません!!」

「あ、いや、だから何をしてたのかを話してもらえないと、何で謝られているのかも分からないよ」

「全く以てご尤もであります。何とも情けない話ですがどうかお聞きください」


 言って、豆腐小僧は遠然房に不法侵入するに至った経緯を語り始めた。

 彼は普段、この店から程近い場所を棲み家として暮らしている妖怪らしい。

 そこには同じようにその場所で暮らす何人かの妖怪がおり、人間でいうところのご近所付き合いをしているのだと言う。

 問題は妖怪の世界でも弱い者いじめというものがあって、豆腐小僧はその標的にされていることだ。

 豆腐小僧という妖怪は、豆腐を持って突っ立っているだけの何の取り得もない妖怪だと個性溢れる仲間たちに馬鹿にされているのである。

 言われる通り豆腐小僧には仲間に対抗できるような強みはなく、さらに小心者のためやり返すこともできない。

 結局、豆腐小僧は何の行動も起こせないまま現状を耐え抜く他なかった。

 そして今朝、仲間の妖怪たちは豆腐小僧にこんなことを言ったのだった。


『おい豆腐小僧。この近くに遠然房って小さい店あるよな? あの店には色々変なもんが置いてあるらしい。どれでもいいから一つ盗んでこい』


 度胸をつけさせるため、などと名目を謳ってはいたが、明らかに豆腐小僧が困る様子を愉しんでいるだけだった。

 自分だけが被害に遭うなら我慢がきくが他者にまで迷惑をかけるのは許せない。

 豆腐小僧はそう思ったが、やはりそれを言えるはずもなく黙って従うしかなかった。

 遠然房を訪れてみると幸いなことに留守だったので、悪いとは思いながらも戸をこじ開けて入り品を拝借しようとしていたところをミナトに見つかったというわけだ。


「どう言い繕っても申し開きのしようがございません。如何様な処罰も謹んで受ける所存にございます」


 大仰な文句で豆腐小僧の話は結ばれた。

 すべて聞き終えたミナトは豆腐小僧に同情の念が沸いていた。何とかしてやりたい――自分のことのようにそう思った。


「気にすることないよ。君も仕方なくやったことなんでしょ。悪いのは君をけしかけた奴らさ」

「そう仰っていただけると大変ありがたいです。何と寛大な方なんでしょう。僕にはどうしたって真似できません」


 感涙する豆腐小僧の言葉に、ミナトは会話をしながらずっと考えていた彼を救う方法を思い付いた。

 ミナトはあまりの名案にほくそ笑まずにはいられなかった。これは豆腐小僧を救うと同時にミナトの望みを叶える方法でもあるのだから。


「そうだ。僕が君の抱えるその問題を解決してあげるよ」

「そ、それは本当でございますか!?」

「もちろん。それがこの妖怪相談所・遠然房の仕事だからね。いらっしゃませ。ようこそ遠然房へ」


 密かに憧れていた科白も言えてほくほく顔のミナト。

 一方で豆腐小僧の表情には一抹の不安の色が差し込んでいた。


「そういえばご店主はご不在のようですがよろしいのですか?」

「ああ、大丈夫大丈夫。師匠がいなくても僕一人で依頼を解決したことは何度もあるからね」


 当然ながらこれは嘘である。何度もどころか一度もない。

 しかし何度もと言うのならば、遠然坊が依頼主相手に嘘をつくことは日常茶飯事でありミナトはその現場に何度も立ち会ってきた。

 だからこそミナトとしてはここで豆腐小僧を騙すことに大した罪悪感はなかった。

 むしろ余計に自分が店主になり切ったような気分になってテンションが上がったくらいである。


「そうですか。それなら安心ですね。ですが報酬の方はやはりお高いんでしょう?」

「ところがどっこい。今は小僧キャンペーンの真っ最中でね。○○小僧さんは無料で利用できるのさ」


 豆腐小僧からの報酬は今のミナトには大して惜しくない。これは本当のことだった。

 それ以上の報酬がこれからミナトの身には起こるのだから。


「何と! 今ほど豆腐小僧でよかったと思ったことはありません!」


 騙されているとも知らない豆腐小僧から不安が取り除かれたのを認めると、ミナトは早速仕事に取り掛かった。


「君を救う方法――それはこいつさ」


 そう言って店主のコレクションの中から取り出したるは一枚の長~い布。

 元の色は透き通るような純白だったのだろうがミナトの手にあるそれはやや黄ばみだしていた。

 豆腐小僧は目を細めてこの布をよく観察するが、特段何か変わったところがあるとは思えない。

 強いて言うとすれば材質について一つ。


「それはひょっとして木綿……でしょうか?」

「そう、木綿。らしいね」

「その木綿の布が一体どう僕を救うというのでしょうか? いえ決してミナト様を疑っているわけではないのですが」


 不可解げな豆腐小僧にミナトは得意げにこの道具の解説を始めた。


「これはね『いったんもんめ』っていって前に師匠……と僕が一反木綿の相談事を解決したときにもらったものなんだ。一反木綿の話だと、この布の両端を持って合言葉を言うと布で繋がった人や妖怪の外見を一旦だけ入れ替えることができるんだって」


 妖怪でありながら摩訶不思議な能力とは無縁な豆腐小僧は『いったんもんめ』の持つ力に殊更関心と感心を抱く。


「なるほど。話に聞いていた通り何とも不思議な品がこの店にはあるのですね。僕はてっきりその木綿と僕の豆腐とで木綿豆腐でも作るのかと思っておりました」

「いや、そんなもの作ってどうするっていうのさ」


 呆れ気味のミナトに豆腐小僧はこれまでの彼からは考えられない剣幕で食ってかかる。やはり豆腐に関してだけは独特のこだわりがあるようだ。


「そんなものとは聞き捨てなりません。木綿豆腐は身が引き締まっていてとてもおいしいのです。その木綿豆腐を配ることで他の妖怪との仲を改善させようという考えかと思っていました」

「真面目だなあ。今更食べ物を渡したくらいで君をいじめてた連中が心を改めるわけないじゃない」


 どうにも暢気さが拭えない様子の豆腐小僧に、ミナトは引き続き呆れながらも危うさのようなものも感じる。

 純真過ぎるその性分は間違いなく美徳なのであろうが、こんな世の中にあってはいいように利用されるだけだ。

 豆腐小僧がいじめられている本当の原因がミナトには何となく見えてきたような気がした。

 もちろん当の豆腐小僧にはそれがまったく見えてはいない。ミナトの胸中など知らないままに話を進めた。


「ですが外見を入れ替えてどうしようというのですか? 若輩者たる僕には見当もつきません」

「僕が君の代わりに仲間の妖怪のところへ行ってさ、いじめられないように話をつけるってこと。その間、君には僕の代わりに人間の子供としての生活をしてもらう」


 これでミナトはつまらない生活を抜け出して束の間の妖怪ライフを満喫できるというわけだ。

 そして豆腐小僧にも誰も特別な力を持っていない普通の世界を提供できる。

 豆腐小僧はミナトの予想通りこの案に一も二もなく飛び付いた。


「素晴らしい策です、さすがミナト様!」

「じゃあ今すぐ始めてもいい?」

「はい! 早く人間になりたいです!」


 互いが互いの高揚感に後押しされて、少年たちから考える力を奪う。

 自分たちがいけない遊びをしていることを自覚はしつつも、だからこその沸き上がる好奇心は抑えられなかった。

 二人はすぐに布の両端で繋がるとミナト・豆腐小僧の順に合言葉を叫ぶ。


「交換しましょ」

「そうしましょ」


 途端、彼らは目の前にいた相手の姿が自分の姿へと変化するのを見る。そうして次に自分の姿が相手の姿になっていることを確かめる。

 ミナトのランドセル、豆腐小僧の豆腐といった持ち物も含めて完全に入れ替わっていた。交換成功だ。

 ミナトと豆腐小僧は同時に感嘆の声を上げた。五分ほどして興奮が冷めてきたところで、二人は今後のことについて話し合った。


「じゃあさっき話した通りに僕は君、君は僕としてしばらく生活しよう」

「はい。どのくらいで元に戻りましょうか?」

「そうだな~じゃあ三日後の逢魔が時に、春日井かすがい公園で一度待ち合わせよう。元に戻るか、もうしばらくそのままかはそのとき話して決めるってことで」


 春日井公園は遠然房からは少し距離がある。そこならば遠然坊に見つかる恐れはないと考えての指定だった。

 豆腐小僧はすっかりミナトを信用しており特に疑問もなく承諾した。


「承知しました。ではそのように致しましょう」


 こうして一通りの話を終えると、豆腐小僧となったミナトとミナトとなった豆腐小僧は別れを告げた。


「じゃあね。さよなら三角」

「は、はい。またきて四角」


 この後に訪れることになる悲劇を、共に全く予期しないままに。

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