河童と皿屋敷 結
「おいらの皿あったんすか! ありがとうございますっす」
干乾びた雑巾のように床で寝そべっていた河童は、ミナトが両手で抱えている皿を見て飛び起きた。
「はい」
「おお、すまないっすね」
皿を受け取った河童は早速自分の頭頂部にそれをはめ込む。
「ああ~生き返った心地っす」
「さてこれでご依頼されていた件については解決しましたが、ご満足いただけましたか?」
「それはもちろん大満足っすよ。あ、お礼をしなきゃならなかったんでした」
遠然坊が言外に伝えたかったことを察すると河童は徐に前屈みになって尻を突き出す格好になった。
そして、空っぽの袋を尻の前にあてがうと――ぷうっ、と可愛らしい音が静まった店内にこだまする。
ふう、と人心地つけた後で河童は袋の口を縛って遠然坊へと差し出した。
「ほい。『河童の屁』っす。これを吸うとその後二十四時間はどんな難しいことでもすいすいこなせるようになるんす。臭いはないんで保存にも特に問題はないっすよ」
「確かに受け取りました」
コレクションが潤って遠然坊は計算高さのない純粋な微笑みを見せた。
この笑顔を見ることで、ミナトはいつも事件の終わりを実感できるのだった。
依頼料の支払いも終えて河童は愛おしそうに頭を撫でつけながら帰っていく。
同じく愛おしそうに『河童の屁』を仕舞い込む遠然坊に、ミナトは今回の事件の感想を述べた。
「それにしてもお菊さんも結構バカなんだね。あんなので騙されるなんて」
「バカだなんてとんでもありません。むしろ彼女はとても聡明な方でしたよ」
予想外の返答に目を丸くするミナト。
「え? 師匠、それはギャグで言ってるの? だってすごい単純な手に引っ掛かってたじゃない。あれ、落語の『ときそば』でしょ。僕でも知ってる」
「では君は『ときそば』がどういうオチなのか知っていますか?」
「オチ? う~んと、聞いたことはあると思うけど思い出せないや。とにかくそばのお代を誤魔化す場面の印象が強くてさ」
妖怪については広範な知識を持つミナトだが落語は門外漢である。
遠然坊はミナトが語った続きを補完する。
「その誤魔化す場面の後で、別の男が同じように真似するもののうまくいかず逆に必要以上の勘定を払うことになってしまった、これが『ときそば』のオチですよ」
「ああ、そういえばそんな感じだった。でもそのオチが何だっていうの?」
ミナトの中では『ときそば』のオチとお菊さんが聡明だという事実がどうあっても繋がらない。
「分かりませんか? つまり勘定を誤魔化し皿を一枚持っていった我々の後に、今度はしっかりと払いをすませる者が現れますよ。と、こういう含みを私は彼女に伝えたわけです。それをすぐに察してくれたので私はその頭の回転の速さに感心しているのです」
「僕たちの後にお菊さんのところに誰かが行く? 師匠~もう全然分からないよ」
お手上げとばかりに混乱しているミナトを、遠然坊は困ったようなそれでいてほのかに情愛が混じった目で見つめる。
「では順序立てて話すことにしましょうか。私が今回、何をどのように考えて動いていたのかを」
「うんうん。教えて教えて」
こほん、と喉の調子を整えるとそれこそ一席ぶつ落語家のように遠然坊はただ一人の観客を相手に咄をする。
「まず私がおかしいと感じたのは河童が皿をなくしたという事実そのもの。君も知っている通り、皿は河童にとっての生命線。それがいつなくなったのかも分からず心当たり一つないなどまず考えられない。そこで河童のこの発言です。『一刻も早くおいらの皿を取り戻してくれ』。分かりますか? 普通ならば『見つけてくれ』などと言うべきところを『取り戻してくれ』。これで河童が皿の場所に心当たりがありながら私に隠そうとしていることをほぼ確信しました。同時に皿は何者かが所持しているということもね」
河童から依頼を受けた時点でこれだけのことが『見えていた』なんて――ミナトの心は大きな感嘆に満たされる。そしてすぐにそれを上回る期待が注がれた。
「それでそれで?」
「私の推測が正しければ河童は皿のありかに見当がついているにも関わらず、わざわざこの店を利用したことになります。それはなぜでしょう?」
「自分で皿を取りに行けない理由があったから……かな?」
「その通り。ではその理由とは?」
「う~ん」
ミナトが答えに詰まる。それも仕方のないことで、この問いは九歳の少年にはいささか難しいものだった。
遠然坊はそれを考慮してか少し早めに答えを発表する。
「先程言ったように河童は私に『皿を何者かが所持している』ということを隠そうとしています。ここに河童が自分では皿を取りに行けないということを加味して考えると、皿を所持しているのは河童が極力会いたくない且つ他者には関係を知られたくない者。女性としか考えられません」
「何で女の人しか考えられないの?」
「それは……まあ」
今度は遠然坊が答えに詰まる番だったが、あえて何も言わずに話を次に進めた。
「ともかく河童はとある女性が所持している皿を自分の代わりに私に取り戻してもらいたかった。ですが、その女性との関係を隠したい河童としてはすぐに心当たりを話すわけにはいかない。女性の口から自分たちの関係を漏らされる怖れがあったから。河童は皿のありかを私に教える前に、例え女性が何を言おうとも否定できる下地を作っておく必要があった」
「下地?」
「一日目の捜索。あれこそが下地作りですよ」
ただの徒労と思われていたあの捜索にも隠された意味があったのだ。
「あの捜索によって川周辺、つまりは河童と交流のある妖怪に『河童は遠然房を利用してまでなくした皿を探している』と伝わりました。これで後から女性が何を言おうとも周囲の妖怪は信じないでしょう。最初から女性の元に皿があると分かっていたのなら、わざわざ遠然房を利用するはずがない――という裏付けがされてますからね」
もちろん、遠然房は河童の思惑を見抜いた上でこれに乗っていた。
だから二日目、すなわち今日は捜索をせず店に籠っていたのだ。下地作りとしては昨日の捜索だけで十分。後は河童が女性の居場所を伝えてくるのを待つだけだった。
「問題の女性の正体は知っての通りお菊さんでした。河童はあの時間にあの場所を通ればお菊さんが皿を数えていることを知っていて、私たちとうまく接触させるよう仕向けた――つもりなのでしょうね」
遠然坊は河童を嘲るようにくすくすと忍び笑いをする。
「ただ一つ予想外だったのが最初に言ったお菊さんの聡明さです。てっきり向こうから河童の名前を漏らしてくると思っていたのですが、事の道理を弁えた良識ある貴婦人でした」
河童が策を巡らせてまで回避しようとしていたことは単なる杞憂だったわけで、結果的に彼の言動は余計に滑稽なものだと遠然坊には映った。
遠然坊は再び忍び笑いを始めたがミナトは憮然としていて納得がいってない様子だった。
それに気付いて遠然坊は真顔になる。
「ミナトくん? どうしたんですか?」
「……結局さ、全部分かってたって言っても師匠が河童にいいように利用されてたことに変わりはないんでしょ? そんな風に勝ち誇っても負け惜しみにしか聞こえないよ」
口を尖らせて辛辣な意見をぶつけるミナト。遠然坊は反論せずに静かに目を伏せる。
「それにその推測だってどこまで当たってるか分からないよね。河童もお菊さんも相手のことは話さなかったし、あの二人が知り合いだっていう証拠は何もない。全部師匠の妄想だっていう可能性もあるでしょ」
「確かに所詮は妄想の域は出ませんね」
ミナトは遠然坊がろくに言い返してこないことで一層腹立たしく思えた。
「だったら!」
「ですが君の考えの中にも私には妄想染みていると思えるものがありました」
「僕の考え? 僕、何か言ったっけ?」
遠然坊の発言の意味を考えさせられて、ミナトの頭に上っていた血が少し冷める。
「お菊さんの声を聞いたときですよ。河童の皿が川を伝って井戸に流れ着いた、と言っていたでしょう」
「それの何が妄想染みているの?」
「君なら気付くと思ったのですが。お菊さんの井戸は枯れ井戸でしょう? 川から流れ着くはずがないのですよ」
「あっ……」
確かに枯れ井戸に水が通じているはずはない。
つまり、お菊さんの手元に皿が届くのは偶然ではありえない。二人はどこかで接触していたに違いなかった。
そうなると、河童とお菊さんの口からお互いの名前が挙がらなかった事実が途端に意味を変えてくる。
先程までは妄想と思えていた遠然坊の考えが、俄然現実味を帯び始めていた。
「河童とお菊さんは以前は頻繁に会っていたが何らかの理由で河童の方が会うのを避けるようになった。お菊さんはもう一度自分に会いに来てもらうために河童が寝こけているうちにでも皿を奪っていった。前日談としてはこんなところでしょう」
遠然坊の考えが真実にかなり近しいことは認めても、ミナトは素直に怒りの矛は納められずなおも拗ねる。
「それでも……それでもやっぱり河童には利用されるだけ利用されてるじゃん」
彼は師を尊敬しているからこそ、やられっぱなしで終わっているような今の状況が気に喰わないのだろう。
遠然坊自身にしてみれば別に『利用されているだけ』と思われても構わないのだが、ミナトの機嫌を損ねてまでこの誤解を解かない理由もない。
部屋の隅で蹲り背を向けているミナトに遠然坊は優しく語りかける。
それはまるで我が子を慈しむ親のような声音だった。
「もう忘れたんですか?」
「……何を?」
「私たちの後にお菊さんを訪ねる者がいるという話です。あれは河童のことですよ」
ミナトはゆっくりと振り返り遠然坊と目を合わせた。
「え、だって河童はお菊さんに会いたくなかったんじゃ」
「だから会わざるをえない状況にしてあげたんですよ。ねえミナトくん、お菊さんの持っている皿は河童のものも含めて十枚あった。果たして私たちが河童に渡した皿は本当に彼のものだったのでしょうか?」
「も、もしかして……」
ミナトの表情に明るさが取り戻されていく。それを見て遠然坊も破顔する。
「河童は皿が自分のものではないと気付いたときどうするでしょうか? もう一度、私に依頼する? いえ、それはありえない。『河童の屁』以上の品は用意できないでしょうし私が次も皿を間違えない保証はない。となれば彼自身で取りに行く他ないわけです」
近く訪れるだろう後日談も語り終えて、遠然坊は最後にこう話を結んだ。
「男ならば例え勘定を誤魔化すことはあっても感情だけはきっちり始末をつけませんとね。最初から自分で『河童の屁』を使って会いに行けば大してややこしいことにもならなかったでしょうに。事が片付くまでは屁ではなく実しか出せないでしょう」
頭を抱えていた河童が今度は腹を抱えて唸っている様を想像し、二人は声を揃えて笑った。
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