豆腐小僧と一反木綿 承
それからというものミナトの生活は一変、否、二変も三変もした。
ずっと憧れ恋い焦がれてきた妖怪の世界へと飛び込んで、ミナト少年がどれほど興奮したか想像に難くない。
他の妖怪たちにしてみれば、豆腐小僧の性格が急に180度変わったように見え大いに戸惑った。
以前と同じように嫌がらせまがいのことを試みても、ミナトには貴重な妖怪との触れ合いであり刺激であるため、嫌がるどころか喜ぶばかりだった。
そんなことが続くうちに妖怪たちはミナト(豆腐小僧)へのいじめに対して意欲を失っていく。
ついには積極的なミナトに感化されて彼を仲間の輪の中心近くへと招いていくことになる。
ここまででミナトが豆腐小僧の姿を手に入れてからたった二日と半日の出来事である。
この時点で豆腐小僧からの依頼はほぼ解決したと言ってよいだろう。
後はミナトが築き上げたこの関係をそっくりそのまま豆腐小僧へと譲り渡すだけだ。
一方の豆腐小僧。彼もまたこの二日と半日で有意義な時間を経験していた。
ミナトの小学生男子としては一般的とは言い難い趣味嗜好。
それを周囲から理解されないことで孤立していた彼ではあったが、もちろん豆腐小僧が成り代わってからはそんな素振りはぱたりと消えた。
逆にこれまでは避けていた事柄に強く興味を引くようになった――クラスメイトたちからはそんな風に見受けられた。
具体的にはサッカーなどのチームスポーツに進んで参加を申し出ていた。
豆腐小僧はこれまで特別な力を持たない故に、どうしたって仲間と対等でいられないことに苦しんできた。
だがしかし、人間の世界では個々人の能力差は確かにあれど妖怪の種族差に比べれば些細のもの。
全員で一つの目標に向かい協力し合う。今までは望めなかった体験、そしてそれによって得られる達成感に豆腐小僧は完全に虜となっていた。
三日目の夜になって、二人は約束通りに
まずミナトから経過報告のようなものを述べる。
「君の姿で妖怪たちと仲良くなる作戦は……まあまあうまくいってるよ。ただもうちょっと時間がかかりそうかな?」
もちろん明らかな嘘であった。ミナトの認識としてはすでに十分過ぎるほど妖怪たちの中に溶け込めたと思っている。
思っているからこそ、まだ手放すには惜しいと感じるのは当然の心理だった。
豆腐小僧は珍しいことに、ここでのミナトの嘘には薄々感付いていた。
なぜなら彼自身もまた同じことを考えていたからだ。
もう少しだけ人間の子供としての生活を味わっていたい。今元に戻ったら未練が残る気がしていた。
故にミナトの言葉が嘘であると分かりながら、乗っかることにした。
「分かりました。では引き続きお願いします」
二人は再び交換生活を送り始めた。
四日目以降は毎夜、春日井公園で話し合いの場を設けたが会話の内容は三日目にしたものとずっと同じであった。
ミナトは時間が経てば経つほどに妖怪として生きることの素晴らしさを強く感じる。
朝寝坊はし放題、お化けにゃ学校も試験も何にもない。遊びだって人間の画一的なそれではなく個性的で刺激のあるものばかり。
人間を驚かせるのも、豆腐小僧の姿では苦労はあったが色々と工夫を凝らすことに楽しさを見出せていた。
豆腐小僧の方もクラスメイトとの交流だけでなく小学校の授業にも興味が沸き毎日が充実していた。
だがそれと同時に膨らんでいく別の感情も、豆腐小僧の場合は存在していたのだ。
それはミナトからこの楽しい生活を奪っていることに対する罪悪感。
一度たりとも自分でいじめを解決しようとせずすべて人任せで放り投げた。
そんな卑怯者がミナトの貴重な学生生活を享受するなど許されるわけがない。
学校での生活が楽しければ楽しいほどに、豆腐小僧は罪の意識に耐えられなくなった。
そして『引き続き』から一週間後、すなわち最初に入れ替わってから十日目の夜に豆腐小僧はついに言った。
「そろそろ元に戻りましょう」
これに対してミナトは当然ながら難色を示す。
「いや、今戻ったら君はまたいじめられると思うよ。だからもう少し――」
「いいえ。それでも構いません。むしろその方が好都合です」
毅然とした態度できっぱりと言い放つ豆腐小僧――ミナトには自分が話しているように見えているが――に、ミナトは変心の理由を問い質す。
「好都合ってどういうこと? 急にマゾに目覚めたとか?」
「そういうわけではありません。ただこのままではいけないと思ったのです。このまますべてミナト様にお任せしていれば確かに最適ではありましょう。しかし僕は最適を捨ててでも本来果たすべき責務を自分の力で果たしたいのです。その結果が悪いものであったとしても、やはりそれが本来僕が受けるべき相応の待遇でありましょう」
豆腐小僧の覚悟を受けて、ミナトは思うところがないでもなかったが結局は従うことにした。
自分たちが間違っていることは最初から自覚はできていた。だから止めるきっかけが訪れればそれに逆らう気はなかった。
「分かったよ。そろそろ豆腐を持ち続けて腕がつりそうだったしね」
「僕もそろそろ朝早く起きることが辛くなってきておりまして」
冗談を飛ばしながら二人は気持ちのいい笑顔を見せ合った。
自分はこんな顔で笑うことができたのか――そんな感想を持った。
「じゃあ戻ろうか」
「はい」
「…………」
「…………」
沈黙の中、夜の春日井公園で二人の少年の間を吹き抜けていく秋風。
少しばかり冷えただけのその風が、二人にはとても冷たいものに思えた。
「…………どうやって戻るんだっけ?」
「え? ご存知、ないのですか?」
「いや、だから一旦だけお互いの姿を入れ替えるものって聞いてたから、しばらくしたら勝手に戻るんだと思ってたけど」
「しばらくしたら……僕の感覚としては十日という日数はしばらくを大分超過しているものなのですが」
「……えっ~と、あ、ほら! もう一度『いったんもんめ』を使えば……もう一度?」
「あの、ともしますと『一旦だけ』と言いますのは――」
このとき、二人の頭に過っていた疑念は同じものだった。
すなわち『一旦だけ』というのは『少しの間』という意味ではなく『一度だけ』という意味だったのではないかと。
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