第五話 火達磨と雪女 転

「師匠。僕分かったよ。お七さんがいるところって、ようするに一番気温が高くなっているところでしょ?」

 先を行く師匠へと駆け寄りながら、ミナトが口にした予測を遠然坊はばっさり切り捨てる。

「違います。もし、そうなら近林斎様がとっくに見つけて、お七さんを捕まえていることでしょう」

「だが火元――もとい熱源である八百屋お七の周辺が、最も熱くなっているのが道理では?」

 火達磨のもっともな疑問を受け、ミナトもそれに同調する。

「そうだよ。やっぱり一番熱いところにお七さんがいないとおかしいじゃないか。まさか火の妖怪が扇風機やクーラーで涼んでいるわけもないし……あっ!」

 半ば冗談のように口にした自分の言葉で、ミナトは正解に気付く。

 それを確かめると、遠然坊はようやく二人に答えを示した。

「そう。今この町には熱を発するお七さんと同時に、辺りを凍えさせる雪女さんもいる。

 つまり雪女さんの居場所を考慮した上で気温の分布に目をやれば、お七さんの居場所を割り出せる」

「だけど雪女の場所とか、気温の分布なんてどうやって――」

「ミナトくん。私がこの数日、何の意味もなく雪女を追っていると思っていたんですか?」

 遠然坊の無駄とも思えた雪女の追跡――その意味もミナトはようやく理解した。

 あれは、雪女の移動によって生じる場所ごとの気温変化の統計を取っていたのだ。

「じゃあ、師匠ははじめから異常気象がお七さんの仕業だって思っていたの?」

「まさか。私が分かっていたのは火の妖怪が原因ということだけ。その正体も、『火鼠の皮衣』が盗まれた理由も分かったのは今さっきです」

 遠然坊も最初からすべてを見抜いて行動していたわけではなかった。

 ただそれでも、真実に近付くための最善の行動をしていたのだ。

 遠然坊が意地になって空回っていると思っていたミナトは、改めて自分の師匠を見直し誇りに思うのだった。

 疑問が氷解し晴れやかな顔になったミナトの横で、しかし火達磨は眉根を寄せていた。

「どうしたのさ、火達磨。まだ何か分からないことでもあるの?」

 火達磨は静かに頷く。

「遠然坊殿、一つよいか?」

「何ですか?」

 話せることはすべて話したつもりだったので、この火達磨の質問は遠然坊にも予想がつかなかった。

「雪女が冷気を発しているということは、彼女の心が何か強い感情に支配されているのか? それは一体?」

 鈍感な火達磨は、どうやら雪女の気持ちに気付いていないようだった。

 それを知ったミナトはニヤリとほくそ笑み、火達磨に教えてやろうとする。

「あ~それはね~雪女は――んんんん! んん!」

 ところが、そんなミナトの口元を遠然坊は手でおおう。

 抗議の呻(うめ)き声を漏らすミナトに、遠然坊はそっと耳打ちをする。

「ミナトくん。こういうことは無暗に教えるものではありません。彼女の気持ちは、彼女の口から聞かされてこそ意味があるのですから」

 ミナトが落ち着いたのを確かめると、遠然坊は手を放す。

 火達磨は二人のやり取りに怪訝(けげん)な視線を向けながら、もう一度聞き返した。

「遠然坊殿。して、雪女は何に心を乱されているのだ?」

「……さて、それは私にも分かりませんね。彼女に直接聞いてみてはいかがですか? お七さんを止めた後でね」

 そこで遠然坊の足が止まった。

 それから視線を上へと向けていく。

 ミナトと火達磨も、それを追うようにして視線を上へ向けた。

 そこは今は使われていない火の見櫓(やぐら)――その頂上に立つ人影を、三人は同時に確かめた。

 陰鬱(いんうつ)な表情でぼーっと虚空を見る妙齢(みょうれい)の女性。

 麻の葉模様の朱色の振袖に、透明な衣を重ねて羽織っていた。

「八百屋お七に相違なし」

「間違いありません。あれは私の『火鼠の皮衣』です」

 遠然坊と火達磨がほぼ同時に声を上げた。

 ミナトは目を細めながら、もう一度よく八百屋お七の姿を確かめる。

「えっーあの透明な布が『火鼠の皮衣』なの? なんか思っていたのと違うね。赤いのをイメージしてたんだけど。皮にも見えないし」

「いいえ。間違いなく、あれは『火鼠の皮衣』です。何せ、他の四つの品と同じ場所で見つけたのですから」

 ミナトの感想に、遠然坊はやや強い語調で反論する。

 その反応に、ミナトはこれ以上の追及はやめた方がよさそうだと思った。

「ま、まあ、とにかく探し幽霊も探し物も見つかってよかったね。で、これからどうするの?」

「どうするも何も。私の受けた依頼はここへ連れてくるところまで。後は――」

「後は拙僧の問題なり」

 おぜん立ては整った。

 火達磨は身にまとう炎を一際燃え上がらせると、その勢いをもって宙に舞う。

 そして、虚(うつ)ろな八百屋お七の視線の先へと、自らの姿を滑り込ませた。

「………………」

「………………」

 目が合って数瞬、二人は口を開かなかった。

 やがて、火達磨の方から口火を切った。

「八百屋お七よ。聞いてくれ。拙僧の想いを。拙僧には好きな女子がいる。故にお主の想いには応えられない」

 火達磨は今度は誤魔化すことなく、はっきりとお七に三行半を叩きつける。

 ところが、お七からの反応はなかった。

「………………」

「お、おい、八百屋お七よ。聞こえているのか……?」

「………………」

 火達磨のことがまるっきり視界に――意識に入っていないようだった。

 地上で待つ遠然坊とミナトは、もどかしい思いで彼らのやり取りを見守る。

「どうするのさ、師匠。火達磨の言葉はお七に届いてないみたいだよ」

「そのようですね。おそらく失恋の事実を受け止められず、放心してしまっているのでしょう」

 どうにかしてやりたいが、遠然坊には打つ手がなかった。

 そこに冷涼(れいりょう)な空気をまとって、近付いてくる者があった。

「どうやらお困りのようね」

「お菊さん? なるほど、あなたもここを突き止めましたか」

「え、ええ。まあ……ふふっ」

 お菊さんは、どういうわけか顔を引きつらせながら話しかけてくる。

 それはどうやら笑いを必死でこらえているようだった。

「何がそんなにおかしいんですか?」

「そ、そりゃあおかしいわよ。だって、あなたたち……まあ、とりあえずここは私たちに――いえ、彼女に任せなさい」

「彼女?」

「やっと……やっと見つけた」

 遠然坊の疑問に答えるようにして、お菊さんの背後――遠然坊たちには見えなかった位置から飛び出す影。

 それは雪女だった。

 雪女は火達磨と同じように、自らが発する冷気で火の見櫓の頂上へと向け舞い上がる。

「雪女さん!? まさか、ありえない!」

 遠然坊は目の前の光景が信じられなかった。

 熱が何よりの弱点である雪女が、火の妖怪が二人も揃っている場に平然と、むしろ超然として向かっていくのだ。

「お菊さん、あなたは一体どんな手を使ったというんですか?」

「まあまあ、そんな話は後にしましょう。うっかりしていると見せ場を見逃しましてよ」

 その言葉に遠然坊の意識は火の見櫓へと引き戻される。

 そうだ。理由は分からないが、雪女がやってきたのは好都合。

「火達磨!」

 遠然房は頭上の火達磨へ向け声を飛ばす。

「今こそ、あなたの本当の想いを打ち明けるのです! お七さんには残酷かもしれませんが、彼女に真実を受け止めてもらうためにも!」

「と、遠然坊殿……しかし彼女は拙僧のことなど……」

 この後に及んで怖気づく火達磨に、遠然坊は駄目押しとばかりに発破をかける。

「大丈夫です! あなたの熱い想いは、きっと彼女の心を溶かします! 私が保証しましょう!」

 ここまで言われて引き下がっては男がすたる。火達磨は覚悟を決めた。

 そのとき、ちょうど雪女が火達磨とお七の位置まで上がってきた。

 火達磨は決心が鈍らぬうちにと、即座に雪女に迫った。

「雪女よ! 拙僧は……拙僧はお主のことが好きだ!!」

「え? えっと、ちょっと待ってくだ――」

 突然の告白に戸惑う雪女だが、火達磨は構わず心の丈を打ち明ける。

「いや待たぬ。拙僧はもう待てぬ。この心に灯る炎が、拙僧を急かし続けるのだ。好きだ、雪女。ずっとずっと好きだった」

「いえ、ですから――」

 やはり雪女からの言葉を待たずに、火達磨は今度はお七の方へと向き直る。

「そういわけだ。お七よ。分かってもらえたか? これが拙僧の想い。そして、お主の炎を受け止められぬ理由だ」

「………………」

 火達磨の言葉は、依然としてお七には聞こえていないようだった。

「ふっ。そう簡単にはいかぬか」

 ただ火達磨の心に焦燥(しょうそう)はない。

 すべてを吐き出し、彼の心でくすぶり続けていた罪悪感という名の残り火は、きれいに消えてしまったからだ。

「しかし、お主ならいつか辛い現実を受け止めると、拙僧は信じている。さて雪女。待たせたな。答えを聞こう。心配せずとも、拙僧はいかなる答えでも受け止めて――」

「あの、そもそも――」

 雪女は、一人燃え上がり続ける火達磨に、氷のように冷たい視線を向けて言った。

「あなた、一体誰ですの?」

「「「…………は?」」」

 火達磨、遠然坊、ミナト。三人は揃って口を開けたまま固まった。

「あははははは! はははは……あ~おっかし~!」

 そんな彼らと対照的に、お菊さんは今まで必死にこらえていた笑いを噴出させていた。

 何が何やら分からないままの男性陣を尻目に、雪女は冷ややかに続ける。

「どこの誰だか存じませんが、私はあなたになんか興味がありません。私が好きなのは――」

 そう言って、雪女が近付いていくのは――八百屋お七。

「お七。私よ、雪女。お願い、どうか思い出して」

 雪女はお七の手を取り、虚ろな彼女の目をのぞき込む。

 いくら熱が平気になったらしいとはいえ、超高温となっているお七の体に触れるのは、あまりに危険だった。

 しかし、雪女は自分の手が火傷するのも溶け出すのも構わない。

「嫌よ。こんなの。私の気持ち、聞かないままにお別れなんて。そんなの絶対に嫌」

 雪女はとうとうお七に抱き着いた。

 見る見る溶けていく雪女の体。

 一転して焦り出す男性陣。だが女性陣は動じない。

 お菊も、雪女も、当然お七も――そのとき。

 ずっと光の宿っていなかったお七の瞳に、小さく火が灯った。

「雪……女?」

 雪女は最後に残った力で微笑み返すと、そっと口づけをした。

「お七。私は……あなたが好き」

「雪女っ!!」

 とうとう、お七の目に炎が満ちる。

 正気を取り戻したお七を待っていたのは、しかし残酷な現実だった。

 雪女のいたところには、ただ小さな雪の塊が残っているだけ。

「そんな……嘘。私……やっと思い出せたのに。あなたのことを。私が誰より愛した女性(ひと)のことを……それなのに」

 お七は雪女の名残り雪の前でうずくまると、一筋の涙を流した。

 その涙が雪の上に落ちた途端、ぼうっと光をたたえ始めた。

 まるで、かぐや姫が生まれたという竹のように。

「何……これ?」

 悲しみ暮れるお七の涙を、白く冷たい手がそっと拭った。

「熱い涙ね。うれしいわ。私のためにこんなに泣いてくださるなんて」

「雪女!」

 生まれ変わった雪女に、今度はお七の方から抱き着いた。

 しかし、今度は雪女の体が溶けることはなかった。

 お七の想いが発する炎と同じくらい、雪女の想いが発する冷気も激しく打ち消し合ったからだ。

 雪女はそっとお七を抱き返した。

「え? 雪女……八百屋お七? な、何が……どうなって……」

 抱き合う二人を前に完全に置いていかれた火達磨は、とうとう眩暈(めまい)を起こして、大きく後ろに寝転んだ。

 すると、ちょうど彼の後ろにあった半鐘(はんしょう)に頭を打ち付け、火達磨は真っ逆さまに落ちていく。

 

 カラ~ン カラ~ン カラ~ン

 

 天高く鐘の音は鳴り響く。

 それは幾多の困難を乗り越え結ばれた二人を祝福するかのようだった。

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