第五話 火達磨と雪女 承

 雪女が遠然房を後にしてから、それなりの時間が経っていたが、彼女を追跡するのは容易だった。

 なにせ、異常とも呼べるほどの寒波をまき散らしているのだ。

 少し周辺の妖怪に聞き込みをすれば、容易に足取りをたどることができる。

 果たして、遠然坊とミナトの追跡の結果、たどりついた先は彼らがよく知る場所だった。

「あれ? ここって確か、お菊さんの井戸じゃ――」

「静かに、ミナトくん。気付かれますよ」

 遠然坊とミナトが物陰から様子をうかがえば、雪女はお菊さんと何やら話していた。

 しばらくして、どうやら彼女たちの間で話はまとまったようだった。

 それから女二人で連れ立って、どこかへ移動し始めた。

「一体、何を話していたんだろう?」

「さて、分かりませんが。ともかく、ここは彼女たちの後を――」

「あの~……」

 不意に背後から聞こえてきた声に、遠然坊とミナトは心臓が跳ね上がる思いがした。

 見れば、いつの間にか背後に立っている影があったのだ。

 否、立っているのではなく、そこにいるのは浮いている幽霊――その正体はてけてけ坊主だった。

 『てけてけ坊主とわらわら人形』事件で遠然坊と知り合った幽霊である。

 今、彼女はお菊さんの元に身を寄せ、とある活動をしているのだ。

「てけてけ坊主さん! なぜここに?」

「この幽霊がてけてけ坊主? はじめまして、僕は境ミナト」

 驚く遠然坊と、初対面のあいさつを交わすミナト。

 てけてけ坊主は、以前よりも明るくなった顔で二人と会話する。

「はじめまして、ミナトくん。えっと、二人がここにいることを、お菊さんは気付いていましたよ。それで、私に伝言を頼んだんです」

「伝言?」

「はい。お菊さんはこう言っていました」

 頷(うなづ)いて、てけてけ坊主はお菊さんからの伝言を、一言一句違わずに口にする。

「『女性の会話を隠れて盗み聞きなんて、あまりよい趣味とは言えませんわよ。いくら私にお客さんを取られたからって、そんな真似をしていては遠然房の評判は落ちる一方でしょうね』」

「お客を取られた? 一体、何の話ですか?」

 お菊さんからの伝言が、遠然坊には何のことか分からなかった。

 てけてけ坊主は遠然坊が何も知らずにいることに驚く。

「もしかして、知らないんですか? 最近、遠然房の代わりに私たち『命散れども恋せよ乙女』同盟に、困りごとを依頼する妖怪が増えたんですよ」

「『命散れども恋せよ乙女』同盟? 何ですか、それは?」

「私とお菊さん、それからトイレの花子さんで結成した同盟のことです。活動内容は、恋破れた者たちによる恋の探求と恋する乙女の援助。

 主に恋に悩む女妖怪を中心に、かなり評判が高まってきているんです」

 てけてけ坊主は、どこか誇らしげに自分たちの手柄を語る。

 その言葉に、遠然坊は遠然房を去るときの雪女の科白を思い出す。

 雪女は遠然坊に依頼を断られ、『他所へ頼むことにする』と言っていた。

 その他所というのが、まさかの『命散れども恋せよ乙女』同盟だったわけだ。

「なるほど。通りで最近、依頼が減ってきたわけですね」

「師匠さ~。『最近』って言葉の意味知ってる?」

 今日は頼りないところばかりの師匠を、弟子がジト目で非難する。

 遠然坊はこほんと咳払いをしてから、てけてけ坊主に問う。

「しかし、妖怪の困りごとを解決すると言えば、妖怪屋敷――近林塞(こんりんざい)もあるのでは?」

「え、それも知らないんですか?」

 てけてけ坊主はまたも驚きながら、妖怪屋敷の近況について話す。

「近林塞はこのところの異常な気温上昇の対応に、ずっと追われているんですよ。それで妖怪たちも気を遣って、ちょっとした頼み事をしづらくなっているんです。

 で、遠然房は……その……依頼料として道具を請求されるから、ってやって来る妖怪たちは言っていました」

 知らぬ内に業界内で干されていたという事実に、遠然坊は衝撃を受ける。

 心なしか、背後から突き刺さる弟子の視線が一層冷たくなった気がした。

 その視線に弁明するようにして、遠然坊はもう一度喉を整えた。

「……わ、私は慈善事業で商売をしているわけではありませんからね。依頼料を請求するのは当然のことです。それよりも――」

 客を取られたことに焦ってか、遠然坊はてけてけ坊主を質問攻めにする。

「お菊さんは雪女さんからの依頼を受けたということですか? しかし、一体どういう方法で? 二人はどちらへ向かわれたのですか?」

「それを聞かれたときの伝言も、お菊さんから聞いています。えっと――」

 遠然坊の複数の質問に、てけてけ坊主――もといお菊さんの用意した答えは、たった一言だった。

「『企業秘密です』」

 遠然坊は、その答えを聞いて追及をあきらめた――わけもなく、何としても彼女たちの後を追うことを決めた。

 『火鼠の皮衣』の行方を知る意味もあったが、ここに商売人としての意地も加わったのだ。

 遠然坊には『火鼠の皮衣』以外で、雪女を火の妖怪に近付ける手段など思いつかなった。

 それをどうやってお菊さんが攻略するつもりなのか、そして本当に攻略できるのか、興味があった。

「分かりました、てけてけ坊主さん。では私からも、お菊さんへの言伝(ことづて)をお願いしてもよろしいですか?」

「はい。何でしょうか?」

「妖怪相談所――遠然房店主の威信にかけて、雪女さんの依頼は私が解決してみせます、とね」

 堂々、お菊さんへの宣戦布告をする遠然坊。

 その姿をいつもは格好いいと思うミナトだが、やはり今回ばかりは妙な熱が入って空回りしているように見えた。


                            ◆


 ミナトの嫌な予感は当たっていた。

 遠然坊は雪女とお菊さんの追跡を開始してから、すでに数日が経過していた。

 ところが、相手の方が一枚も二枚も上手のようで、その追跡は何度もかわされた。

 当然、お菊さんがどういう手段で雪女の依頼に応えるつもりかも、分からないまま。

 遠然坊にとって最も重要な、『火鼠の皮衣』の行方も掴めてはいなかった。

 はじめは師匠に付き合っていたミナトも徐々に飽き始め、今では遠然坊一人で尾行を続けていた。

 そんなミナトが、今日は久しぶりに遠然房を訪れる。

 留守かもしれないとも思ったが、運よく遠然坊は店内にいた。

「ひさしぶり~師匠。あれからどう?」

 遠然坊の様子を見れば聞くまでもないことだったが、一応の礼儀としてミナトは尋ねた。

 案の定、遠然坊の返事は色よくないものだった。

「ああ、ミナトくん……。いらっしゃい。いえ、残念ながら進展なしですね……」

 自分に対しては絶対に言わない来客の挨拶をしてきたことから、本当に参っていることがうかがえる。

「雪女の尾行は簡単なんじゃなかったの? 寒いところを調べればいいんだから」

「ところが、事はそう簡単にはいかないんですよ。雪女さんは最も寒いところにいることもあれば、そうでないときもある」

 方法は分からないままに、お菊の策が上手くいっていることに頭を抱える遠然坊。 

 ミナトは気分転換の意味も兼ねて、新しい話題を遠然坊へ投げかけた。

「そうそう、外の暑さはますますやばくなってるよ。あれも妖怪の仕業なんでしょ? このままでいいの?」

「確かに、これ以上気温が上がるようだとまずいですね」

 ただでさえ異常と思えていた気温は、日が経つにつれ下がるどころか上がり続けていた。

 この事態を前に、しかし遠然坊のやっていることは意味があると思えない尾行なのである。

 そんな師匠の醜態に、弟子の身であるミナトとしては歯がゆい思いがした。

「分かっているなら、どうにかしようよ。ぬらりひょんや海坊主は、ずっと前から動いているんでしょ?

 この間の『カマイタチとナベネコ』事件でも、ぬらりひょんにおいしいところを持っていかれていたし。

 このままじゃあ、本当に一人もお客さんが来なくなっちゃうよ?」

「ええ。ですが、私がいくらか火消しをしたところで、焼け石に水でしょう。完全に鎮火するならば、やはり火元を抑えなければ」

「どういうこと?」

 このところの異常気象を火に例えているのは分かるが、火元という言葉の意味するところが、ミナトには見えなかった。

「消えた『火鼠の皮衣』――。雪女が恋する火の妖怪――。そして、上がり続ける気温――。

 私の勘が正しければ、これらの出来事は何らかの結びつきがあるはずです」

「まあ、全部暑かったり寒かったり、火に関係しているからね。で、雪女とお菊さんを尾行することで、何か分かるの?

 というか、もうお菊さんに頭を下げて聞いた方が早いでしょ」

「無駄ですよ。あの方はそう簡単に折れることはないでしょう」

 その遠然坊の言葉にも、ミナトは納得だった。

 とはいえ、何の進展もないままならば、焼け石に水でも行動した方がましなのではないか、とも思う。

 石の上に三年――とは言うが、辛抱だけでは好転しないこともあるはずだ。

 いよいよ遠然房を見放して、近林塞の手伝いにいこうかと、ミナトが思いかけた矢先――遠然房の反撃を知らせる鈴の音が、店内に鳴り響いた。

「いらっしゃいませ。ようこそ、遠然房へ」

 いつぶりか分からない来客に、弾んだ声で応対する遠然坊。

 ミナトにとってもうれしいことではあるが、とてもはしゃぐ気分にはなれなかった。

 その妖怪が、よりにもよって火をまとった妖怪だったからである。

 赤い外套(がいとう)にすっぽり身を包み、無精ひげを蓄えた全体的に暑苦しい風貌(ふうぼう)の壮年の男。

 雪女とは違い、一見して何の妖怪かミナトには判断がつかなかった。

 ところが、さすがは百戦錬磨の遠然坊。彼には目の前の妖怪の正体が分かっていた。

「あなたは……火達磨(ひだるま)ですね?」

「いかにも」

 火達磨と呼ばれた妖怪は、重々しく答えた。

「それで、この度はどういったご用向きでしょうか?」

 火達磨の返答を、遠然坊、そしてミナトも固唾を飲んで見守る。

 ここにきて遠然房へ訪れた火の妖怪。

 この妖怪が、今回の一連の事件の鍵を握っているに違いない。

「実は……拙僧(せっそう)には恋い慕う女子があり。しかし、その想いを告げられずにいた」

「その女性というのは雪女のことですね?」

 遠然坊の問いに火達磨はゆっくりと頷いた。

 遠然坊とミナトもまた、互いに目を合わせて頷きあった。

 推測が確信に変わった瞬間だった。

 火達磨は続ける。

「ところが、一方で拙僧を想ってくれる女子もあり。彼女は八百屋お七といった」

「八百屋お七?」

 聞き慣れぬ新たな妖怪の名に首をかしげるミナト。

 遠然坊は八百屋お七について説明した。

「八百屋お七というのはですね――」

 江戸時代に実在したとされる女性。

 ある日、お七の家が火事に遭い寺での避難生活を送ることになる。

 お七はその寺の者に恋をするが、やがて店は建て直され寺での生活は終わりを告げる。

 お七は想い人に会いたい気持ちが募り、もう一度、家が火事になれば寺で暮らせるのではと考えた。

 そして、自分の店に放火したお七は捕まり、火あぶりの刑に処されたという。

「この話は後に歌舞伎の演目にもなり、八百屋お七の悲恋話は一躍有名となったのです。しかし、そうですか。彼女は幽霊となっていたんですね」

 火達磨は遠然坊の問いに無言で頷き返すと、話を続けた。

「八百屋お七は拙僧に言った。己の恋慕の炎が抑えられぬ、と。拙僧は応えた。未だ修行中の身ゆえ拙僧にその炎を抑える術はなし、と」

 つまり、八百屋お七に告白されたが今は想いに応えられないと言ったらしい。

 はっきりと振らなかったのは、八百屋お七の過去を考えると、下手に刺激しては過激な行動にでかねないと考えたかららしい。

「ところが、それこそが拙僧の浅はかさだった。直後、彼女は行方知れずとなり、時同じくして異様な熱気が市井(しせい)を襲った」

「それはいつごろのことですか?」

「今より十日ばかり前のことなり」

「十日前……なるほど」

 火達磨の話を聞き終えると、遠然坊の眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。

 どうやら、ようやく本領発揮らしいとミナトは期待に胸を膨らませた。

 しばらく考え込んだ後、遠然坊は現時点の見解を口にする。

「おそらく、今なお続く異常気象の原因はお七さんの情念の炎。彼女は雪女さんと同じように、感情が高まるほど発熱するという能力なのでしょう」

「つまり、火達磨への想いが抑えられなくなって熱暴走を起こしているってこと?」

「いえ、お七さんの心を燃やしているのは単純な恋慕の情ではなく――嫉妬(しっと)」

「「嫉妬?」」

 ミナトと火達磨が声を揃えて疑問を呈する。

「そう。お七さんは火達磨が雪女さんを好きであることを知ってしまったのです。そして、どうにか二人を遠ざけようとした。

 お七さんは雪女さんが火の妖怪に近付く唯一の手段――『火鼠の皮衣』を私の店からくすね、さらに気温を上げることで雪女さんをこの町から追い出そうとした。

 その証拠にお七さんが行方不明となったという十日前は、ちょうど『火鼠の皮衣』が盗まれた日なのです」

「さっすが、師匠! 見事な推理だよ!」

 遠然坊の推理に大はしゃぎで感心するミナトと対称的に、火達磨はじっと沈黙していた。

 それから重々しく口を開く。

「遠然坊殿。そろそろ、拙僧の用向きを告げてよろしいか?」

 その言葉に遠然坊は待っていたとばかりに微笑んだ。

「もちろん。お聞きいたしましょう」

「拙僧を八百屋お七の元へ連れて行っていただきたい。拙僧の不断が招いた此度(こたび)の件、この手で幕を下ろすために」

「そのご依頼、お受けいたしましょう。では、参りましょうか」

 遠然坊は火達磨の覚悟を受け取ると、そのまま流れるように店の外へ向け歩き出した。

 あまりに迷いのない動きに、ミナトと火達磨は揃って目を丸くする。

「参りましょうって師匠……」

「……八百屋お七の居場所をすでに存じているのか?」

「ええ」

 遠然坊は一度立ち止まるも、それから時間が惜しいとばかりに再び歩き出す。

「お七さんの居場所が分かる理由は、向かいながら話しましょう。さあ、ついてきてください」

 ミナトと火達磨は互いに顔を見合わせ不可解さを共有する。

 しかし結局、遠然坊の自信を信じてその背についてくのだった。

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